小学校の国語の教科書でなぜか私たちは「アンネの日記」を読まされます。
その当時は芥川龍之介の「羅生門」など、「なぜこんなものを読むのだろうか?」と違和感を感じる作品はありましたが、アンネの日記も同様でした。
三重県の鈴鹿市において、「アンネ・フランクの生涯を紹介 イオンモール鈴鹿でパネル展」がやっていたそうです。
合わせて、原爆被害のパネル展もしていたそうです。
まったくもってナンセンスだとしか思えません。
<アンネ・フランクの解説パネルで平和や命の尊さを伝える展示会場=鈴鹿市庄野羽山のイオンモール鈴鹿で>
アンネの日記は「単なる小説」であり「歴史書ではない」のは有名な話です。
・・・・・・・・・(「アンネの日記」の嘘 ユダヤ人虐殺事件の真相の裁判 )
●『アンネの日記』は小説である
『アンネの日記』をも合せて考えよう。
『アンネの日記』が長年に渡って最も売れている本になり続けている国は日本だけと言われる。
実は『アンネの日記』は、アンネ・フランクという13歳で亡くなった子供が自ら書いた「日記」 ではない。アシュケナジー・ユダヤ人であるメイヤー・レビンという人物が、アンネの父から頼まれて書いた小説なのである。
<メイヤー・レビン>
思えばアンネはオランダで生れたアシュケナジー・ユダヤ人であった。彼女が古典的ドイツ語で、しかも大人の様な筆跡で書くのは不自然というものである。彼女はオランダ語はは堪能であったであろうかが、オランダ語とドイツ語は根本的に違う。もしこの『アンネの日記』が宣伝(プロパガンダ)として利用されているならば、日本人は、完全にそれに乗せられている事にもなるのだ。
1959年4月15日付の「エコノミック・カウンシル」誌に次の様な記事が載った。
「『アンネの日記』は十代の子供が書いたとは思えない。この事についてニューヨーク最高裁判所の判決から裏付を取る事が出来る。
アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オットー・フランクから、この日記作成に対する謝礼金として5万ドルを受取 たと認めている。フランクはこのレビンに5万ドルを払い、その後レビンの作品をまるで自分の娘の作品の様にしてしまったのである。・・・(中略)・・・
この最高裁の判決の書類2241ー1956はニューヨークの地方事務所にある筈なのだが、残念な事にこのファイルは今や何処かへ消えてしまっている(この様に証拠隠滅するのが彼等の得意技である。例えば国際連合の飛行機事故に関する情報が雑誌『知識』の中に那須先生によって流れたが、その雑誌がその年月の既刊号は図書館から消えているのである。)。
『アンネの日記』は1951年、出版後直ちに最も売れる本になった。しかし何故アンネの父を巻き込み、本の真実性を追ったこの裁判が、今日公に報告される事が無いのだろうか。オットー・フランクがその娘の死、及びその悲劇から膨大なカネを儲けたというのに」スウェーデンの記者、ディトリィェブ・フェルデュラーは『アンネの日記』について次の様に述べている。
「1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、アンネが住んでいたというアムステルダムの原型(オリジナル)の建物を、日記に書いてある様に改装しても良いと言われたという。これでは否応なしにこの日記に対する疑問が湧いて来るではないか。
又、この日記は自己矛盾及び文学的表現に満ちており、とても13歳の少女が個人の日記として書いたとは思えない。しかもどうして13歳の少女がフランク家の歴史についてその日記の初めでまず語り、すぐ後にドイツに於ける反ユダヤについて語っているのか。
彼女の本文の中で『オランダ風の梯子階段』と書いているが、彼女はオランダしか育っていない筈であるのに、どうしてその梯子階段がオランダ独特の物と分るというのだろうか。彼女はどこの国にも行った事はないのである」
1980年10月9日付の「ニューヨーク・ポスト」には、エルンスト・ロエマーが、この『アンネの日記』は真実ではなく、小説である事を追及し続けて裁判に持込んだ事が書かれている。二度目の裁判でこのロエマーの申出は正当と認められた。
●「真実の歴史」を糾弾する?
このエルンスト・ロエマーの申出に対する独逸連邦犯罪調査事務局(BKA)の調査結果を西独逸の週刊誌「シュピゲール」が暴露した事があった。
それによると、『アンネの日記』の原本は、長期にわたって全巻が発表されていなかった。しかし裁判の結果遂に第4冊目が調査される事になったのである。その4冊目はボールペンで書かれていたと云う。よく考えれば、ボールペンが世に出て一般に使われている様になったのは1951年以降である。アンネはそれよりも遥か以前に死んでいた。
第4冊目に書かれているボールペンの筆跡は第一冊目、第二冊目、第三冊目に書かれている筆跡と全く同じ物である。と云う事は、この日記はアンネ自身の手に依って書かれた物ではないと云う事の動かし難い証拠となったのである。
1989年9月16日、一人のフランス人が犬を連れて公園を散歩中、三人の若者に襲われて全治数ケ月にも及ぶ重傷を負わされた。事件後、直ちに犯行声明が出された。
「ロバート・フォアリスンは、一人目であって、これで終りではない。SHOAH(ホロコースト、即ち虐殺を意味するヘブライ語)を否定する者達は用心せよ」
とあり、差出人はユダヤ歴史継承団とあった。
被害者ロバート・フォアリスンは、この三人の若者達と出逢い頭に催眠ガスを掛けられたのである。彼が倒れ気を失った時、頭や顔、胸等を数十回に亙って蹴り上げられ、瀕死の重傷を負わされたのである。今も顎は砕かれ、助骨が折られ、重体が続いていている。
ロバート・フォアリスンは、リヨン第二大学の教授として有名な人物であり、『アンネの日記は本物か』等数冊の本を書き一貫して第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ絶滅計画を出してもいないし、実行もしていないと云う事を主張し証明していたのであった。
ひと頃日本の常識は世界の非常識であり、世界の常識は日本の非常識であると言われた。この事は600万人ユダヤ人虐殺の事や『アンネの日記』等に於いても当てはまるのではないだろうか。
ここまでハッキリしているならば、悪の権化とされている独逸は、何故その名誉回復の為に真実を世界に向って主張しないのか。況んやアシュケナジー・ユダヤ人達に対して、又イスラエルに対して、主張しないのかと私達日本人は思う。
それともドイツの支配者階級は、彼等の手に握られているのか。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
明らかに偽書といっても間違いありません。
というか、あくまで「小説」であると主張すればいいのですが、向こう側はそうはいきません。
歴史的事実として、責任追及をし続けたい、その結果優位に立ち続けたいという思惑があるからです。
「1989年9月16日、一人のフランス人が犬を連れて公園を散歩中、三人の若者に襲われて全治数ケ月にも及ぶ重傷を負わされた。事件後、直ちに犯行声明が出された。「ロバート・フォアリスンは、一人目であって、これで終りではない。SHOAH(ホロコースト、即ち虐殺を意味するヘブライ語)を否定する者達は用心せよ」 とあり、差出人はユダヤ歴史継承団とあった。
被害者ロバート・フォアリスンは、この三人の若者達と出逢い頭に催眠ガスを掛けられたのである。彼が倒れ気を失った時、頭や顔、胸等を数十回に亙って蹴り上げられ、瀕死の重傷を負わされたのである。今も顎は砕かれ、助骨が折られ、重体が続いていている。
ロバート・フォアリスンは、リヨン第二大学の教授として有名な人物であり、『アンネの日記は本物か』等数冊の本を書き一貫して第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ絶滅計画を出してもいないし、実行もしていないと云う事を主張し証明していたのであった。」
とあるように、彼らは最期は「暴力」で感情攻撃をしてきます。
シオンの議定書には
「この世界には性善なる人間より、低俗な本能に生きる者のほうが、遥かに沢山いることを忘れてはならない。だから政治においてもっとも効果的なのは、学者の議論などではなく、《暴力》と《恐怖》なのである。
★人間と称する残忍な獣を現在まで抑え、つないできたのは、そもそも何であったろう。人類社会を形成した原始のころには、荒々しい暴力に服したし、その後には法律に従うようになった。
だが、この法律にしたところで、所詮仮面を被った暴力に他ならないではないか。
こうした自然の法則から推して、正義は力であるといってよいであろう。」
と堂々と「暴力で支配しろ」と書いてあります。
冷静に考えればそうですよね?法律を守らせるには合法、違法(警察、ヤクザ)を問わず、「暴力装置」による権力行使があるから民衆はルールを守るだけですよね?
では、「なぜそのようなことをする必要があったのか?」が問題となってきますね。
それは、韓国の「従軍慰安婦問題」と争点が同じなのです。
彼ら、朝鮮人もアシュケナジーも、「ユダヤ教」というサタン崇拝をしており、
「人間のコントロールの仕方」を知っていて「人権」「憐憫の情」などに訴えると、
「人間は思考停止して反論する余地がなくなる」
ということを知っていたのではないでしょうか?
「アンネの日記 嘘」と検索すると山のように検証サイトが出てきます、そしてそれに反論するサイトも出てきます。
「ボールペンがどうのこうの」「ゴーストライターが描いたという記録が残っていない」など、、、。
結論からすれば、こうやって複雑にして思考停止させてくるのは「原発」と同じです。
「もともと嘘をついているため嘘で上塗りしていかなければならない」ものがアンネの日記なのです。
つまり、アンネの日記とは歴史小説です。
歴史小説ですから、書いたもん勝ちです。「南京大虐殺事件」「従軍慰安婦問題」と同じです。
これらの事件も歴史学者が検証していますが、二国間で双方に食い違いが生じてますし、検証されない間も首相やら要人が謝罪をしています。
意図的に謝罪をしているため、「国民感情が燃える」つまり納得できないのです。
日本は、イルミナティの拠点ですから、ドイツ・その他欧州のように「ホロコースト否定禁止法」はありません。
政治家とマスコミがグルになって、「日本が悪い!」と感情論で囃し立て、「とりあえずごめんね」と言って、税金から賠償金を払い続けることへの同意が簡単に得られるからです。
戦争自体、勝った負けたはあるにしろ、紛争の武力的解決をしている段階で、双方とも「悪」であるため、戦争事実を断片的に切り取って、責任追及をすることは「小悪を許し、大悪を責める」という感情論の手法にしか過ぎないのです。
ですから、中国、韓国が「歴史問題」を出してくるのは、日本から「賠償金、補償金をがんぽりもらいたい」だけであり、実際、その賠償金や補償金も当事者には行っていません。
「慰安婦財団への10億円は賠償金じゃない」日本政府が確認へ
慰安婦問題の賠償責任は韓国政府にあることを知らない韓国人
というサイトでもあるように、賠償金を支払っても「慰安婦問題当事者」に韓国政府から賠償金が支払われていません。
では、その税金から支払われた賠償金はどこにいったのでしょうか?
結局、政府同士で山分けしているだけなのでしょう。
政治のトップ同士が、国民を感情論で騙し、税金で償い支払う口実を作り、その賠償金を双方で山分けしているというのが考えられます。
だから、日本国内でも「従軍慰安婦問題」が賛否両論となったり、政府主導で解決にむけた活動を本気でせず、韓国や中国に反論されたら「やっぱりそうですよね?反省がないですよね!」と税金から慰謝料を支払っているのです。
彼らには国境はなく「どうやって仲間内で税金を山分けするか?」考えていません。
中国や韓国が、日本を歴史問題で攻撃するのは、「カツアゲしやすい」「言論の暴力さえ使えば、すぐに財布の紐を緩める国民性」つまりは「事なかれ主義で、他人の顔色ばかり窺う、金持ちのいじめられっ子」体質な国民性を理解しているからです。
過去の日本はそうだったのかはわかりませんが、現在の日本は「国内の官民主導」+「外国からの圧力」で反論せず、金で済ませようという体質であることは間違いありません。
しかし、その金の出どころは日本国民の汗水たらして支払っている税金です。
「暴力に屈する国民性」なのでしょうか?
トップが暴力ばかりふるっているので、当然根底が理不尽になってしまいます。
昨今の日本国内における「いじめ問題」「自殺問題」もトップが暴力による感情的支配をしているからではないかと疑いたくなります。
朝鮮人、中国人、ユダヤ人彼らは同一の手口で攻撃を仕掛けてきます。
その手口とは感情論と言論の暴力(法整備)、実態的な暴力(右翼や活動家を使った脅迫、襲撃)です。
その手口は「シオンの議定書」通りなのです。
ですから、見た目、人種こそ違えど、彼らは同じ「ユダヤ教=ユダヤ人」なのではないかと悪質なやり方を見れば考えられるのです。
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