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「謙虚」を実践するとは?

2016年07月10日 | 人生を変える方法

今回は「謙虚」についてお話します。

私は毎朝お祈りをします。これはマインドセットの一つかもしれませんが。

 

そこで決まって祈る内容が

ずばり「今日一日謙虚でいさせてください」

です。

どうして謙虚という言葉を大切にしているのか?

実は私は、他人の評価に弱く、かつ打たれ弱い、感性的な思い悩みをしてしまう傾向があるのです。

これは誰でもあるのかもしれませんが、「他人から良く思われる必要はないが、批判されたくない」

という孤立に対する恐怖感が潜在意識に依然こびりついているからです。

そして、自分の「目立ちたがり屋で、お調子者」な面を諌めないと問題は解決しないとハッキリしてきました。

自分のアクションや発言が思わぬ形で「高い評価」を受ける。その場で笑いが起こる、人の心が動く…

これらは、本当に気持ちいいのです。

一種の快楽物質がでます。

反対に、他人から指摘される、責められる、これらは本当に地獄のように自分を追い詰めます。

聖書の中に、

「わたしたちの負い目をお赦しください

わたしたちも自分に負い目のある者を赦しましたように」

という聖句が身にしみました。

平穏で完成された人生を生きるのは成長し続けることが第一で

現状維持は死んでいるのと同じです。

私はどこか、自分のやっていることが賞賛されていないといけないと思っていました。

しかし賞賛されればされるほど、人から批判されたり、馬鹿にされたりすることに我慢ができなくなります。

つまり、調子に乗っていて、批判されたり悪口を言われたりすると、感情の落差を強く感じる、さらに落ち込むことになってしまうのです。

結果、人の顔色ばかり伺うようになります。批判されないように生きる、悪口言われないように生きる。

 

しかし他人は、社会的地位があったり、金持ちでも、結局欲望で動いているため、真実や正しさや正解を持っていません。

正しい生き方、正解は天と地をお創りになられた神様しかしらないのです。

他人の顔色を伺いながら生きることよりも、常に「神様の顔色を伺いながら生きることが大切」

だと解りました。

自分のことを評価してくれる人にめぐり合うと、幸せな気分になります。

素直に感謝すべきだと思いますが、

「快感のあとに悪魔あり」です。

「ありがとうございます。(神の御前では)まだまだですよ」

(あなたに理解される程度ではいけない。全人類が素晴らしさを理解し、神様の方向を向いてもらうのが、私の使命であるとまで心の中で思う。)

と回答することが基本かなと思います。

逆に批判され、悪口を言われ、低い評価をされても気にしない。

「私は(神様)と比較すれば、まだまだ至らない。これから成長するチャンスだな」

と想い、「ご指摘の通り、ありがとうございます」(他人を指摘する人は、あなたも指摘されますよ)

と感じるのです。

謙虚に生きるとは、感情のムラをなくすことだと思います。

そして、神様の方を見続けるために必要なことだと思います。

 

これは自己啓発かもしれません。

私も数々の自己啓発をやりましたが、

皆さんに、

聖書を読み、御心を知り、悟り、実践することが最高の自己啓発だと

気付ける日が来ること祈っています。

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