おはようございます。
日曜日は2年に1度の車検。
バタバタしながら1日が過ぎました。
最近、読みたい本が10冊を越えてきて、読書のスピードの遅さにいらいらしております。
ホウオンコウといいまして、お寺へ行って説教を受けます。
お寺のお堂には椅子が並べられ、平均年齢80歳の方々が熱心にお坊さんのお話に耳を傾けています。
お坊さんは時事ネタから地元ねたを話、最後仏教の教えに関連付けて行きます。
この日のお話は「お寺の跡取りがいないエリアが増えてきている」という話題でした。
あそこのお寺もここのお寺も、住職不在、時代が変わってきたという話です。
そして、「なぜ賽銭箱に鍵をつけないのか」というお話です。
その理由は簡単で、泥棒がお堂に入ってきたとき、お堂の中を荒らされずに済む一番の方法は、1食分だけのお金を常に賽銭箱に入れておく、それだけを持参して帰ってもらえば、屏風や仏壇は荒らされないという合理的な考え方でした。
お堂の入り口に鍵をかけておけばいいんではないか?
鍵も壊して入ってきますよね。
壊されたら修理しなければならない。
であれば、お金、富を共有すれば良い。そうすれば問題ないという話になる。
現代は「共有」という意識が全くない。
あるのは「所有」のみ。
それは自分にも当てはまり、独占したいという考え方。
紙幣が腐らないから。物質としても、価値としても腐らないからなんでしょう。
そして蓄えておけるから。
とても面白いお話でしたね。
そして、自分もこうやってたくさんの人に集まってもらって、話がしたい、もっと言えばそれでメシが食えたら最高だなぁとも感じました。
「自分は何かを伝えたい、何かを伝え、教えて、成長させるために、自分も日々成長しており、そこに喜びを感じている。自己成長、自己学習を何かに表現していきたい」
と感じます。しかし、こういった経験、経歴をビジネスとして形にしていくのというのは本当に、思考を深くしないとみつからない。
いつも思うのは、生産的な仕事をしたいと感じます。
無から有を産み出す。簡単ではないですよね。
お店を始めたいと思ったのは、他ならぬ、時間の切り売りをしたくないと思い始めたからです。
以前も書きましたが、私達は時間を社長に売っています。
売っているという感覚の人はかなり出来る人でしょう。
多くの人は「買ってもらっている」という潜在的感覚を持っていると思います。
そこが本当に辛く、家族との時間も売ってしまっているのです。
子供が熱を出して、どれだけの会社が気持ちよく早退させてくれるでしょうか?
そういう環境が嫌なのです。
本当に家族のことを考えたら、いつかは自己責任で起業していくしかないと考えたのです。
それはタイミングもあると思いますが、早ければ早いほうが良い、こどもはどんどん成長していってしまうし、自分もどんどん年をとっていってしまいますから。
お互いに教え、教えあえる環境を作り、社会を変えていく、所有から共有という価値観に変わっていくことが目標となります。
現在の学校教育では、そういう教育はしていません。
家庭で、地域社会でやっていく必要があるのかもしれませんね。
そうすれば、「お金が原因で人殺しする社会」「富の独占のために戦争を意図的に起こす社会」が変わっていくのではないか?そう考えてなりません。
「社会を変えるには、まず自分が変わること、今日から実践、行動すること」
最後までお読みいただきありがとうございました。
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