なぜ、同和差別を日本はタブーにするのでしょうか?
それは、が利権(土木建築等の官製談合)に関わっているからだと言われています。
同和問題、解放同盟という意味不明の圧力団体を使って、暴力団と利権を山分けしているのが、政治家であることが上記の著書では書いてあります。
近いうちにその内容はアップしていきたいと思います。
今回は、「餃子の王将社長殺人事件」について調べていたところ、京都で起きた事件であるのに、その人脈は九州にさかのぼるという内容が記載されていました。
そして「鹿児島王将株式会社」が存在し、その経営をしているのが、京セラの名誉会長である稲盛和夫であるということが書いてありました。
私は盛和塾の勉強をしていましたが、そういったことが書かれていることはありませんでしたので、寝耳に水でした。
ですから、「京都の裏社会」52ページより「捜査当局が注目する九州人脈」を原文のまま抜粋いたします。
・・・・・・・・(「捜査当局が注目する九州人脈」京都の裏社会52ページ)
ここで、取材の過程で知った意外な事実を報告しておこう。
それは、日本の「カリスマ経営者」として著名な京都に本社を置く、「京セラ」の創業者・稲盛和夫名誉会長のファミリーと、「王将」との密接な関係だ。九州の鹿児島市sに「鹿児島王将株式会社」という餃子屋がある。この会社は鹿児島市内で7店舗、宮崎市内で1店舗を展開しているが、筆者は「鹿児島王将」の存在を全く知らなかった。
「鹿児島王将」の社長は実は稲盛名誉会長の実弟・稲盛豊実である。役員も稲盛ファミリーが占めている。
「鹿児島王将と京都に一体どんな関係があるのか_」
著者が稲盛和夫名誉会長と親交がある在京の文化人の一人に尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「ご存知のとおり、稲盛さんは鹿児島出身で鹿児島大学出。大の餃子好きは知る人ぞ知ることですわ。それで京都の王将に頼んで『王将』の名前をもらい、自ら餃子屋を経営することにしたんです。もちろん実際の経営は、実弟がやっていますが」
そう聞いてあらためて驚いたが、実は稲盛ファミリーは京セラだけではなく、宝石からホテル、飲食店まで多種多様な業種に携わっている。
こうした多角経営の1つが、京都市内の四条烏丸にある寿司屋「すし稲」だ。
稲盛ファミリー企業の1つ、不動産会社「ケイアイ興産」が経営している。
同社の相談役は「鹿児島王将」の社長でもある稲盛豊実氏で、代表取締役社長稲盛和夫名誉会長の妻・稲盛朝子氏である。
さらに、余談となるが、稲盛夫人の朝子氏は「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」と呼ばれる農学者ウ・ジャンチュン(通明・須永長春)の4女。
そのような関係から朝子氏は「キムチの材料である白菜などが不足したときは、中国から輸入するなど、キムチの流通に多大な影響を持っている人物」と、業界では評されている。
こうした情報に接すると、あの稲盛名誉会長が、餃子の商売に熱心なのも理解できる。
いずれにせよ、「餃子の王将」とカリスマ経営者・稲盛名誉会長との間に、このような接点があったことに筆者も驚いている。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
<稲盛豊実>
<左:稲盛和夫、右:須永朝子>
餃子の王将の創業者は加藤朝雄という人物でその、妻の弟の大東隆行が、「餃子の王将社長殺人事件」の被害者です。
創業者の加藤氏と暴力団との関係は、「王将不正融資事件」に端を発します。
・・・・・・・・(2016年02月01日 10:23王将社長射殺事件と福岡センチュリーゴルフクラブの接点)
「福岡地検が(1月)20日、ゴルフ場運営会社福岡センチュリーゴルフクラブ(福岡市中央区)の元社長の福岡県朝倉市にある関係先を電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で家宅捜索した」――1月20日の新聞各社の夕刊が一斉に報じた。
元社長は昨年4月、福岡センチュリーゴルフクラブの株2万株を増資したとする虚偽の臨時株主総会議事録を法務局に提出し、登記変更をした疑いである。同社株主の北九州市のホテル運営会社が、昨年6月に元社長を刑事告発していた。
虚偽登記などたいした容疑ではない。そんな事件に、なぜ検察が乗り出すのか――。
産経新聞電子版(1月20日付)は、「王将社長射殺事件と接点か」という見出しをつけて、検察が家宅捜索した狙いを報じた。
「この会社(福岡センチュリーゴルフクラブ)が入るビルは一時、平成25年12月に京都市山科区で射殺された「王将フードサービス」前社長大東隆行さん=当時(72)=が社長を務めた王将関連会社が所有していた。捜査当局は王将側と男性の間に接点があるとみて、王将や大東さんをめぐるトラブルの情報収集の一環で男性にも話を聴いている」。
検察は福岡センチュリーゴルフクラブを突破口に、王将社長の射殺事件の解明に乗り出したという記事である。
王将と解放同盟元幹部との関係
pistool 「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの社長だった大東隆行氏は、2013年12月19日午前5時45分頃出勤し、駐車場で車を降りた直後に腹や胸などを拳銃で撃たれて死亡した。
――それから2年。捜査は難航。迷宮入りかと見られたが、事件は新たな動きを見せた。15年12月13日の新聞各紙は、「現場近くから遺留品が見つかり、検出されたDNA型が九州に拠点を置く暴力団組員の男と一致した」と報じた。
写真週刊誌『FRIDAY』デジタル版(15年12月18日付)は、DNA型が一致した暴力団幹部は「『特定危険指定暴力団』に指定されている、福岡・北九州市に本部を持つ工藤会」だという京都府警捜査幹部の話を伝えている。
京都に本拠地を置く王将の社長を撃ったのが、なぜ九州の暴力団関係者なのか。各マスコミが注目しているのが、王将と九州のゴルフ場をめぐるトラブル、そして解放同盟元幹部との関係だ。
王将の創業家である加藤家をめぐる裏情報は、15年6月に発売された一ノ宮美成+グループ・K21の著書『京都の裏社会 山口組と王将社長射殺事件の聖域』(宝島社)に詳しい。王将について、不動産ブローカのこんな証言を掲載している。
「『王将』のバックは、なんといっても上杉佐一郎さんでしたよ。
(略)
『王将』の餃子の店の全国展開に乗り出す際、数百億円ともいわれる原資をメガバンクから上杉さんが引っ張ってきたそうです」
「上杉さん」とは、“解同のドン”と言われた故・上杉佐一郎元解放同盟中央執行委員長。暴力団でも恐れた人物だ。上杉氏と王将の創業者、故・加藤朝雄氏は福岡県出身の同郷だった。そのため、加藤一族と上杉氏の関係が築かれていった。
その関係は、王将創業者の長男、加藤潔氏と佐一郎氏の異母弟の上杉昌也氏に引き継がれた。上杉昌也氏は、福岡センチュリーゴルフクラブの経営者だ。ゴルフ場が資金難に陥ったため、加藤潔氏は王将の子会社であるキングランドを迂回して福岡センチュリーゴルフクラブに融資した。
しかし、バブルが崩壊し、返済は焦げ付いた。王将フードサービスは子会社に貸し付けた104億円が回収できず、赤字に転落。加藤潔氏は2000年、責任を取って辞任した。
代わって王将フードサービスの社長となったのが、大東隆行だ。実直な人柄で知られる大東氏は、王将を取り巻く裏社会と手を切ろうとしてトラブルに巻き込まれた可能性は低くない、と前出の『京都の裏社会』は推測している。
福岡センチュリーゴルフクラブ代表の上杉昌也氏は元地上げ屋
ゴルフ場運営会社の(株)福岡センチュリーゴルフクラブは、1987年5月に設立された。上杉佐一郎氏が福岡県小郡市出身という関係もあって、その隣の甘木市(現・朝倉市)にオープンしたという説がある。佐一郎氏の事績を顕彰するため、故郷に錦を飾ったのかもしれない。女子プロツアー会場になるなど、知名度があった。だが、会員預託金返済に行き詰まり、11年6月、福岡地裁に民事再生法の適用を申請した。負債額は関連会社を含めると428億円に上った。16年1月7日に手続きを終結している。
福岡センチュリーゴルフクラブの倒産の舞台裏を、本サイトNetIBは追及してきた。
筆者はコダマの核心レポートとして、『偉大な兄に泥を塗った、福岡センチュリーゴルフクラブ・上杉代表』のタイトルで掲載した(11年6月29日付と6月30日付)。福岡センチュリーゴルフクラブと上杉昌也氏について詳しく書いているので、併せて一読をお勧めする。
上杉昌也氏は84年2月、京都市で(株)京都通信機建設工業を設立した。バブル時代に地上げビジネスで成功。その勢いで福岡市に進出し、中央区赤坂にビルを取得した。そして90年5月、ゴルフ場、福岡センチュリーゴルフクラブをオープンした。その直後にバブルが弾けた。
親会社の京都通信機建設工業の業績は悪化。06年12月31日の株主総会で解散を決議した。親がコケて、子の福岡センチュリーゴルフクラブも倒産に追いやられたのだ。
王将社長社事件は解明されるのか
資金難に陥った福岡センチュリーゴルフクラブに資金支援したのが、王将創業者の加藤一族だったわけだ。京都通信機建設工業は、中央区赤坂に所有していたビルを売却。購入したのは王将の関連会社である。
冒頭の新聞報道を、具体的な名前に置き換えるとわかりやすい。福岡地検が家宅捜索した「元社長」とは上杉昌也氏。ゴルフ場運営会社、福岡センチュリーゴルフクラブが入居している中央区赤坂のビルとは、京都通信機建設工業が王将に売却し、王将の関連会社が一時所有していた物件だ。福岡センチュリーゴルフクラブと王将は、ズブズブの関係にあったことがわかる。
それでは、福岡センチュリーゴルフクラブを突破口に、王将社長射殺事件を解明することができるだろうか――。ハードルは、高いと言わざるを得ない。
そもそも大東氏がなぜ、暴力団に射殺されたかがわからない。襲われた動機も、ヒットマンに指示した者の有無さえわからない。王将社長射殺事件の全容が解明されるまでには、まだ時間がかかりそうである。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
これを読んだだけでも理解できない方もおられるかもしれませんので補足いたします。
「京都の裏社会」26ページには
実は王将が所得隠し発覚する1999年から10年遡った1989年2月に、大阪ミナミの六階建てビルの1階にあった「王将戎橋店」え火災をやらかしています。
この火事で亡くなったのが、ビルオーナー夫妻と、王将の店員3名でした。
そのビルのオーナーは運悪く「大阪山東省協会」の有力者であったため、その火災直後、同協会のメンバーが駆け付けたということ。
そして、その火災事件と遺族との補償交渉が難航し、裁判が行われたわけですが、その交渉の代理人として王将側に立てられたのが「上杉昌也」であり、上杉は王将の子会社「キングランド」から不正融資を受けた「京都通信機建設工業」の社長をしています。
創業者加藤と上杉との関係は、上記転載記事にもあるように、加藤朝雄自身が福岡出身で、上杉氏と同郷であったことが挙げられ、王将が全国展開をするときの資金繰りも上杉佐一郎氏が面倒を見たそうです。
なぜ、上杉佐一郎なる人物が、資金繰りの面倒が見れたり、息子の上杉昌也が大阪山東協会のような華僑グループと交渉することができたか?というと、上杉佐一郎氏が「解放同盟(中央執行)委員長」であったからです。
ではさらに、解放同盟や同和問題の活動団体がなぜそんなに影響力を持っているかというと「大物政治家」が絡んでいるからです。
それが自民党で、自由会というものが存在します。
・・・・・・・・(自由会(じゆうどうわかい)
自民党と連帯している保守系[4]の団体。団体としては、解放同盟や全国地域人権運動総連合と並ぶ三つの政府交渉団体の一つ。旧称、全国自由会。旧略称、全自同。中央本部を東京都千代田区平河町2丁目3番地2号に置く。
概要
1985年、暴力を背景とした利権漁りなど不祥事の相次ぐ全日本会(略称、会)から四国四県の県連や岐阜県などの県連組織が除名あるいは脱退によって自立組織となった。1986年7月20日にこれらが結束し、京都府八幡市文化センターに十都府県から約2000人が集合し、全国自由会を結成。「エセ」と「階級闘争」の排除を掲げた。
1986年には、静岡県連も脱退して独立し、全自同に参加。同年から、会に替わって地域改善対策協議会の対応団体に指定され、保守系の全国的団体として政府から公認されるに至った。1987年5月の段階では、登録員約4万人、13府県に支部を持っていたが、その後勢力を拡張し、現在では23都府県連に会員数9万8000人を数えると公称している。
2003年5月20日に自民党本部8階大ホールにおいて開催した第18回全国大会で、自由会に改名することを決議。
日本共産党・全国地域人権運動総連合に近い論者からは、「良心的な人たちを含め、差別の一面的強調や排外主義的な方針・主張が目立ち、同和事業依存の傾向も強く、口では暴力・利権を否定しつつも、その点では『解同』と同質である」との批判も受けている[5]。人権擁護法案を推進しており、この点でも解放同盟とは大きな違いがないと評されている[6]。
1990年12月には、政府の地域改善対策協議会(地対協)に解放同盟と共同推薦の委員を送り込み、1991年2月27日は解放同盟と共に呼びかけて「同和問題の現状を考える連絡会議」(同現連)を結成し、1992年3月には地域改善対策財政特別措置法(地対財特法)の5年延長を国会で可決させるなど、共闘を続けていた[6]。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
解放同盟 - Wikipedia
にも書かれていますが、関連団体はすべてと言っていいほど暴力団、ヤクザがらみです。
自民党はこういった団体に官製建設事業を餌として与え、いざこざがあった時、こういった団体の力を借りている、いわゆる用心棒として利用している側面があります。
ですから、自民党は積極的に右翼や解放同盟、団体の問題や存在を意図的に解決しないようにしています。
彼らはお互いグルになって、税金を山分けしているのですから。
上杉佐一郎氏に話を戻しますが、上杉佐一郎氏が存命していた時は、九州一体に強力な暴力団組織は入ってくることができず、公共事業はすべて、上杉佐一郎氏が握っていた状態だったとあります。
信じられないことですが、同著33ページには
「王将のバックにはなんといっても上杉佐一郎氏でしたよ。最盛期の上杉委員長の力は絶大なもので、税務署申告書類に解放同盟のハンコがあれば税金フリーパスだったわけです。
京都の財界人も多かれ少なかれ世話になっていたんです。
「王将」が餃子の店の全国展開に乗り出す際、数百億円ともいわれる原資をメガバンクから引っ張ってきたそうです。
京都在住の上杉さんの身内から直接聞いた話です。もちろん、メガバンクからといっても、地元京都の金融機関を通して迂回融資していたと思いますよ」
とあります。
解放同盟とは何と卑劣なことをしているのでしょうか?
街宣活動のような威嚇を行い、政治権力と結託して公共事業を牛耳る。
関連団体は暴力団や右翼活動家ばかりとなれば、日本社会は紛れもなく、「暴力」が支配している構造になってしまっていますね。
身近な餃子の王将が、右翼、解放同盟や団体の力を借りて大きくなっているという現状を大人はひた隠しにしているだけだとおわかりでしょうか?
だから、同和問題や問題は触れたくない。
それは人権問題や差別という問題ではなく、人権問題や差別というある意味、タブー的なものを建前にし「堂々と街宣活動したり恐喝や暴力で恐怖に陥れ」公共事業利権を裏で山分けしている隠れ蓑の団体であるからです。
つまり建前上、日本社会は法治国家となっていますが、実際は暴力が政治を治めている、「軍事国家」といえます。
王将社長殺人事件はまだどこかで書いていきたいと思いますが、稲盛名誉会長と王将の加藤朝雄はこのような形で、暴力団や右翼団体と関わり合いがあるということがお判りになったと思います。
最期にwiki餃子の王将より転載いたします。
・・・・・・・(鹿児島の“餃子の王将”)
鹿児島市などに“餃子の王将”を掲げる店舗が複数存在するが、これは王将フードサービスとは資本関係のない「鹿児島王将株式会社」が経営するものである。日本国内における王将フードサービスの直営及びFC以外で“餃子の王将”を名乗る事が出来るのは鹿児島王将のみである。また、鹿児島王将は王将フードサービスとの間で「鹿児島県内における『餃子の王将』出店は鹿児島王将に一任する」旨の協定を結んでいる。
なお隣県の宮崎県にも鹿児島王将は出店でき、2011年(平成23年)3月31日に大塚店がオープン[22]。但し、出店一任協定はあくまで鹿児島県のみである為、宮崎県には王将フードサービスもしくはそのFCによる「餃子の王将」の出店も可能である。ちなみに両県内には、この協定と無関係に「大阪王将」も出店している。
1978年(昭和53年)7月に、当時餃子の王将に勤務していた稲盛実の義弟が独立を希望していた。それを聞いた兄の稲盛和夫(京セラ社長)が餃子の王将の社長に掛け合い、快諾を得たため、義姉の弟とともに鹿児島王将株式会社を設立。同年9月に「餃子の王将」中町店をオープンさせた。現在は、中町店・騎射場店・中央駅店・国分店・伊敷店・笹貫店・吉野店と宮崎県の大塚店計8ヶ所に店舗を構えている。メニューも一部を除き酷似しており、一時期は熊本市などにも進出していたが、現在は撤退している。なお、現在熊本市内で展開する餃子の王将は、王将フードサービスの直営またはFCである。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
どこの世界に弟が独立したいと言っているから、別会社作らせてくれと頼まれて、快諾するでしょうか?
そこから、稲盛和夫と加藤朝雄との親交がうかがわれます。
ぜひ、文庫本も出ていますから、「京都の裏社会」をご一読ください。
京セラ、同和というキーワード。
2006年の5月にニュースになった、飛鳥会をめぐる旧三和銀行の融資事件が思い出されます。
同年5月14日の朝日新聞や21日の毎日新聞電子版には、小西邦彦を債務者として山口組系暴力団が所有する大阪市内の土地に京セラファイナンスが23億円の抵当権を設定するなどして融資していたという。
京セラファイナンスは、当時の担当者が不明で詳細説明不可能としていた。翌年、金融庁はMUFGに対し一部業務を停止するよう行政処分を科したとして内外メディアが報じるも、京セラについてはお咎めはなかった模様(報道はなし)。