日本の管理職ほど責任をとらない人たちはいませんね。
私は警察組織にいましたが、警察組織も管理職は責任をとらない。
縦社会である意味がないのですが、そもそも日本式縦社会とは、単に責任を曖昧にするため作られたシステムであるのです。
ですから、いつまでたってもリーダーは育ちません。
日本でリーダーになりたければ「皇族や金持ち、資産家と親せきになるしかない」という現実があります。
会社や組織でトップになると、仕事はコネクションを作ることだけになります。
そんなもの、実力でもなんでもないのですが、政府による規制がちがちの日本で商売するには、「おかみとのつながりを作る」ことも立派な仕事なのかもしれません。
しかし、うえへ行けば行くほど地獄が待ち受けており、政界、財界のトップは変態ばかりです。
「金持ち=成功ならば、成功しないことが正解」なのが現在の日本での幸せな生き方なのかもしれません。
「裕福になって安定したい、贅沢したい」ならば、残念ながら悪魔に魂を売らなければならない世の中になっています。
私たち一人ひとりが悪から離れ、善の道を歩むことで日本が変わっていくかもしれません。
今回は、日本のリーダーを象徴する「麻生太郎」について書いていきます。
まずは、今回の森友学園問題の対応についてのニュース記事を見ていきましょう。
・・・・・・・・・(麻生氏、記録廃棄「深くおわび」…職員は処分へ 2018年05月25日 11時30分)
学校法人「森友学園」への国有地売却で決裁文書の改ざんと交渉記録の廃棄が行われた問題で、麻生財務相は25日の閣議後の記者会見で「極めてゆゆしきことで、深くおわび申し上げる」と謝罪した。
また、決裁文書改ざんとともに、交渉記録廃棄の経緯についても調査し、「一連の問題行為に関与した職員に対して処分を行う」と述べた。
自らの責任については「問題にきちんと対応することで、引き続き職責を果たしていきたい」と話した。また、改ざんや廃棄に関わったのは、理財局にとどまるとの認識を示した。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
「処分することが責任をとること」らしいです。
監督不行き届きであることは、棚上げしてますね。
管理職が管理できていないなら管理しないなら、管理職なんぞ不要だと思います。
彼らは何もせず、管理職の給料と名誉を手にしている単なる怠け者であり、詐欺師だと思いませんか?
マネジメントとは、「管理、監督」です。
逸脱しそうな人がいたら発見し道をただすのがマネジメントです。
「部下が勝手にやった」「報告せず勝手にやった」
こんな人、管理職でもなんでもありません。
「再三、報告を求めたが、勝手にやった」
これが、管理職の仕事なのです。
つまり
「常に、部下からの報告を求め続けること」
「問題に対して、先手を打って対策を立て続けること」
そして「部下をねぎらい続けること」「部下を成長させ続けること」
です。
勘違いしてはいけませんが、
「一方的に部下に課題ばかり与えて、残業させたり、心理的負担をかけ続けること」
ではありません。
「問題、課題を発見させ取り組ませること」
が成長につながります。
こうやって見ていくと日本企業、日本社会は
「従順」であることが「優秀なサラリーマン」という定義がありますから、
優秀な管理職は生まれません。
「自分の頭で考えて行動しろ」
といいながら、組織のトップは
「ロボットのような人ばかりで、自分の意見がなく、組織の意見ばかり尊重する人ばかり」だからです。
つまり「顔色を窺って仕事できる人」=優秀な管理職なのです。
誰の顔色をうかがうのでしょうか?
組織の顔色です。
「管理職の仕事は、組織の奴隷となって生きる」と感じさせるのが日本式管理職だといえます。
少なくとも若い世代にはそのように映っているでしょう。
そう映ってしまったら、誰も管理職をやりたがりません。
「管理職」という仕事をシステムでできるように分業できなければ、管理職の仕事をだれもしなくなります。
従来、管理職の仕事をしたがる人というのは特徴がありました。
「偉くなりたい」
「威張りたい」
という自己中心的な人ばかりでした。
現在でも管理職の仕事をしているのはそういう欲が強い、自己中心的な人ばかりか、断れずにやっている人だけで
どちらも管理できていません。
「役割とい管理職」を見ていくと、日本社会では「年功序列」しかありません。
いくら能力が高く、仕事ができても、「年功序列」に勝てないのが日本組織の特徴なのです。
ですから、管理職=年功序列としてしまうことが、うまく組織が回りますし、実力のある人は起業して自分がトップに立つしかないのです。
亀の甲より年の劫なのが日本経済であり、組織の基本ではないでしょうか?
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