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旧精神科医療は思想警察なのか?

子育てで生じる悩みや問題とは、実は親自身の抱える問題であり、親自身が完璧に作り上げられることで解決する。

2018年08月03日 | 子育て論

子育ての悩みは尽きません。

そして子育てだけでなく、「人生の悩み」は尽きることがないのが現代社会です。

「情報は沢山あるのに答えがない」のが現代社会のもつ苦悩です。

それは世の中にあふれる情報が膨大であることと同時にその情報には「嘘がまじりあっている」ため、嘘を見抜けないため、その問題に対して本当に正しい答えを見つけられないからではないでしょうか?

不完全なものに囲まれて人生を歩んできたため、「不完全なものをあたかも完全なもの」と誤認してしまうのが現代人なのではないでしょうか?

政治家とは「多くの人から支持されて、応援されて、選挙という公平なシステムで選ばれるような人望のある人」という一面を持ちながら、

「収賄、不倫など反社会的、犯罪行為を犯し、大企業の利益のためや自信の私利私欲のために庶民を平気で苦しめる」のも政治家なのです。

私たちは「不完全なもの」が当たり前になり、「不完全なもの」を「完全なもの」と、あらゆる分野で受け入れさせられてきた背景があります。

ですから、この世の中には「不完全なものしかない」と思わされ、ガラクタの中から見た目だけが綺麗なものを取り出して、それを大事に自分のものにしているにすぎません。

見た目だけ綺麗なものとは、「他人が絶賛するもの、偉い学者が推奨している意見、権威者が良いと発信している考え方や情報」のことを指します。

それらは一時的に、私たちの不安を取り除き、安心を与えてくれますが、人生というのは、平等に次々と問題が生じてくるのです。

しかし、「平等に生じてくる問題」も「問題と思わない心」があれば、乗り越えていけます。

ポジティブシンキングや引き寄せの法則などの自己啓発セミナーはまさに、そういった「心の在り方、心の持ちよう」について教えてくれるものです。

しかし、「ポジティブシンキングや引き寄せ位の法則」は長続きしません。

その理由は「自分の欲望」が大きく肥大化していき、その欲望がかなえられなくなると、心が疲弊してしまうからです。

望む欲望、かなえて欲しい欲望や願いが「自己中心的」なものばかりであるため、実際かなえられないことから止めてしまうのです。

(困った時の神頼みも、頼む神様を対象を間違えては叶いません)

その一方で仏教や神道など様々な「宗教」は「欲を捨てなさい」「欲を減らしなさい」と言ってきます。

しかし、「減らせ減らせと言ってくるだけで、実際に欲を減らす方法」については教えてくれませんし、ならば寺の住職のように「欲まみれの世の中で生活するのでなく、出家しなくてはいけないのか?」ということになり、出家したお寺のお坊さんなどを見て「幸せそうに見えない」ため今いち信憑性がないのです。

そして、出家したお坊さんたちが世の中の人と同じように「酒や金、離婚・不倫、タバコ、ギャンブルい溺れる」姿を見て、「あぁ、ここ(宗教)にも救いがないのだなぁ」と孤独な気持ちになってしまいます。

我々は「不完全なもの」にあまりにも慣れてきてしまっており、不完全な体質になってきます。

人生がその場しのぎであったため、「子育て」に関してもその場しのぎになってしまいます。

 

「人生をその場しのぎの生き方」から脱却することが、子育てによって生じる悩みや問題は次第に解決していきます。

「悩みや問題」はその人がどのように受け止めるか?によって変わってきます。

Aさんにとって、問題に見える子供の行動も、Bさんにとっては大きな問題に感じないことがあります。

逆も然りです。

ではなぜこのような問題に関する感覚に差が生じるのでしょうか?

それは人それぞれ、「子育ての目的」が違うからです。

ましてや、「目的も持たず子育てしている人」すらいます。

ほとんどの親は子育てに「明確な目的」を持たずに取り組んでいます。

ですからその場しのぎで行き当たりばったり、子供の成長や個性などという「不確定要素」に合わせていかなくてはならないため「悩みが尽きない」ということになるのです。

育児専門家や児童心理専門家、児童精神科医が

「子育てに答えはない、親もこどもとともに育っていく」

といった気休めの言葉を平気で述べたり、よくよく考えると、専門家とは思えないような「その場しのぎ」の訳の分からないことばかりを発言します。

まるで「不完全に育てること」が正しいかのような物言いです。

「何のための専門家なのか?」「なぜ何も知らないくせに、偉そうに発言してるのだろうか?」という疑問すら湧いてきます。

 

そう、つまり「専門家」すら何も分かっていないのです。

ただ、テレビに出演して派手なコメントをする、有名大学で研究をしている、海外の大学で研究しているとか、子供を東大に入学させたとか、医師免許を持っている人たちが偉そうに「専門家」と名乗っているだけなのです。

「家を建てられない大工」にあなたは家を建ててもらうために何千万円も支払いますか?

「不味い」とわかっている料理店にわざわざお金を出して食事をしにいきますか?

そんなことはしないと思います。

先述した「見た目は綺麗なごみ」を大事にしているだけです。

ご神体、ご神木、掛け軸に向かって「願いをかなえてください」「悩みを解決してください」と言っているようなものです。

かれら専門家とは「学歴やマスコミに宣伝してもらうという、生クリームでコーティングされてはいるが、肝心な砂糖を入れ忘れたデコレーションケーキ」と同じです。

見た目は綺麗ですし美味しそうですが、生クリームにもケーキ生地にも「砂糖」が入っていない。

美味しそうに見えるだけのものなのです。

 「味がない=中身がない」のです。

なぜ、中身がないのかというと「学問にウソが混ざっているから」です。

もし、学問に真理があり、世の中が良くなっていき、全国民が幸せに生きられるなら、それは「真理」であり、「正しいもの」「完全なもの」だと言えるでしょう。

しかし、実際どうでしょうか?

最高学府と呼ばれる大学や、最高権威に近い、医師免許を唯一取得できる養成機関の大学医学部には裏口入学が日常茶飯事で行われており、

 これまた、そういった悪を行う犯人がよりによって「お金に困っていない、高学歴な人たち」ばかりという現状です。

ということは、学問を治めている人たちですら、完全でなく、完全でないということは「嘘が混ざっていること」を正しいと認識して実践しているということになります。

ここで本題に戻しますと、「子育ての悩み」とはどこから生じてくるのか?というと、子育てしている親自身から生じてくるものであると考えると解決策が見えてきます。

「楽に立派な子育てしたい」そう思う心があるため、子供の行動に対していちいち目くじらを立てたり、過保護になってしまうのです。

他人と比較して「どうして私だけこんな大変な思いをして子育てしなくてはいけないのか?」

どれだけ、テレビで紹介される巷にあふれる「子育て本」を読んだところで、そこに「必勝法」はありません。

「このテクニックは使えるが、このテクニックは使えない」というレベルで終わり、何冊読もうが本質にはたどり着けないのです。

(これには「嘘が混ざった知識」を見ぬく脳を育てることにより、これらの問題は解決していきます。)

そしてもう一つ。

人間は「目的」・目標がないと頑張れない」生き物です。

私たちは何かをするとき「なぜそうするのか?」という「目的」を建てて、その目的を達成するために、クリアしていくべき「目標」を決めて、その小さな目標をクリアしていって、最終目的地点までたどり着きます。

「将来、東大や医学部にいれる」「6歳で英検1級合格させる」という私利私欲を求める親をテレビはやたらと特集します。

そしてあたかも、「将来、東大や医学部にいれる」「6歳で英検1級合格させる」ことで子供が幸せになると錯覚させるようにイメージ誘導します。

確かに「将来、東大や医学部にいれる」「6歳で英検1級合格させる」ことは大変なことですが、それが達成されたからといって幸せになれるという保証は一つもありません。

一人ひとりの子供がもつ「個性才能」と「東大に入学したり、医者になることや、英検1級とること」と何ら関係がないからです。

たまたま、親の言うことを聞いて、「東大に入学したり、医者になることや、英検1級とること」ができたとしましょう。

しかしその子は親が死んだり、生き別れたとき、どうなるでしょうか?

また、親が答えが出せないような難問にぶつかった時どうするのでしょうか?

それまでの人生で他人に人生の目的目標を決められてきたため、「自分で目的を定め、目標設定する」ことができませんし、どうやって一人の力で達成するかもわからないでしょう。

このように「長い目」で見てみると、「人生の目的」が正しく設定することが我々親が全くできていない、さらに社会ではもっと不完全に目的を誤誘導していきます。

例えば、電通で働くOLが過労死自殺した記事をみてください。

・・・・・・・・・・(24歳東大卒女性社員が過労死 電通勤務「1日2時間しか寝れない」 クリスマスに投身自殺 労基署が認定)

<故 高橋まつりさん>

 最長月130時間の残業などで元電通社員の高橋まつりさん=当時(24)=が自殺し、三田労働基準監督署(東京)が過労死として認定していたことを7日、遺族側弁護士が会見で明らかにした。

 弁護士によると、高橋さんは平成27年3月、東京大文学部を卒業後、同年4月に電通に入社。インターネットの広告部門を担当し、同年10月から証券会社の広告業務も入った。

 弁護士側が入退館記録を基に集計した残業は、10月が130時間、11月が99時間となっていた。休日や深夜の勤務も連続し、12月25日に、住んでいた寮から投身自殺した。

 高橋さんが友人や母親に送信したツイッターなどでは、1日2時間睡眠が続いたことなどを訴えた上で、「これが続くなら死にたいな」「死んだほうがよっぽど幸福」と記していた。
 高橋さんの母、幸美(ゆきみ)さん(53)は「娘は二度と戻ってきません。命より大切な仕事はありません。過労死が繰り返されないように強く希望します」と話していた。

 電通は「社員の自殺については厳粛に受け止めております。労災認定については内容を把握しておりませんので、コメントは差し控えます」とした。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

このように東大を卒業するような頭脳を持っていても、会社のために死ぬまで働くことを自ら選んで、結果精神的に追い込まれて自殺してしまうのです。

「え?辛いなら辞めればいいじゃん!人生長いんだし!」

これでいいのです。

「たかだか仕事で追い込まれたぐらいで、自殺してしまう」

これが、世の中の子育て成功者の現実の一部なのです。

大卒だからといって「ものの分別がある」とは限らないのです。

ましてや、地域で一番の秀才であろうが、高校で常にトップの成績をとっていようが、ものの分別すら知らないのです。

 

となると、東大に合格できるような頭脳や知識も、社会に出たら何の役にも立たないということではないでしょうか?

 

「このような結果が子供を産んで、20年後に来るかもしれない」と世の中の親は誰も思っていません。

だから、目の前の事ばかりに思い煩い、子育て本のテクニックやセミナーに参加して、「一時的なテクニック(薬)を処方してもらっている」麻薬中毒者のようになり、痛みを和らげ、ごまかしているだけなのです。

そして、時間がたてば、子供は親の手を離れていきます。

それを世の中では「子育て」と呼んでいるだけではないでしょうか?

私たちは「子供に幸せになってもらいたい」といつも願っているはずです。

しかし、「今、幸せでもない自分が子供を幸せにできない」という簡単な原理にすら気付かず、巷にあふれる子育てテクニックばかり追い求めるのです。

ですから、子育ての基本は「いつも親が幸せを感じていること」が最低条件となるのです。

「幸せな人にしか、人を幸せにできない」のです。

 

あなたが、「50メートルを7秒台で走れるようになりたい」と思った時、

①50メートルを7秒台で走れる人

②50メートルを10秒台でしか走れない人

③陸上評論家

の誰に教えてもらいに行きますか?

 

基本がないのに、小手先のテクニックや知識ばかり積み上げてもいずれは崩れ落ちます。

あなた自身が救われることです。

そのために「真理」をみにつけて実践してください。

この世の問題、艱難苦難が来ても、耐え抜く力を身に着けることです。

子育てに「近道や必勝法」はありません。

親自身が完全となることで、子育ての問題はすべて解決されるのですから。

 

 

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