今回は看護と福祉のちょっとした違い、また大きな違いともいえる点について書いていきたいと思います。
現代の看護理論と看護実践はズレまくっているというのは過去の記事を読んでいただければご理解いただけると思います。
私は看護師の臨床を経て、「これはおかしい」と違和感を感じ、精神保健福祉士の通信過程を学ぶために専門学校に通いました。
そこで、福祉過程を学びましたが、正直言って、私自身大学4年間で学んだ看護学よりも、専門学校、しかも通信で学んだ2年間の福祉学の方が学問としてのレベルが高く、学び甲斐があり、追求すべき分野だと楽しみながら課題をこなしていたと記憶しています。
現代の看護も福祉もなぜ、上手く機能しないのか?
という考察をすると、それは日本の制度に課題があるからです。
看護に関しては、もともと単なる利権団体なので、仕方ないでしょう。
しかし、福祉に関しては、学問としてのレベルも高いですし、有能な福祉実践家も数多く輩出されてますね。
実際、医療現場や福祉の現場で働くとわかるのですが、
とにかく「医療、看護、福祉」という3点の力関係は医療⇒看護⇒福祉という順番で成立しているからです。
そして、そのお金の回り方、もっと核心について言えば、行政に提出する許認可書類全てにおいて、
看護、福祉(介護も含む)は「医療」の庇護のもとでないと保険使用機関となれないという急所を医師が握っているのです。
ストレートに言えば、医療がOKを出さなければ、健康保険、介護保険を使った商売がでいないということです。
とどのつまり、病院や医師の意見書、同意書がないと完全に自力で100%利用者負担でしか商売ができないというわけです。
これは現在の福祉、医療関係者ではムリでしょうね。
民間企業のような自由競争という発想自体が最初からありませんから。
看護、福祉それぞれ深く学べば解るのですが、こういった税金の山分けシステムが医者に決定権を持たせている仕組みに「ハァ??」と感じざるを得ませんね。
現場レベルの話をしすぎると視点が小さくなりますから今回は割愛します。
特に福祉を学ぶと医療の無力感がひしひしと伝わってきます。
医療は医療職と製薬会社、両機器メーカー、ゼネコンの仕事を守る業界として利権化しているだけ=金儲け、保険税の山分けをする団体と成り下がってしまっているだけで、本来の目的から大きく乖離してしまっています。
「医療は救急と周産期(産婦人科、小児)以外いらない」という内海聡さんの意見には概ね賛同できます。
・・・・・・・・・・・・・・・(以下、内海氏FBより転載)
医学がなぜ不要か
現在医療費は39兆円を超えたといわれ、ずっと過去最高を更新している。それらの医療費を捻出するために、消費税増税をはじめ様々な政策をとると政府や官僚は主張しているが、これは実情を知っていれば単なる詐欺師の嘘に過ぎない。様々な社会毒や放射能などの毒物、効きもしない医療薬、無駄な手術と延命治療とチューブ漬け、医師会や学界や大学病院会や製薬業界、さらにいえば医療機器メーカーや福祉法人たちなど、それら医学ムラは電通や大メディアや政治家たちと結託し、なるべくしてこの医療費は増やすよう「設定」されている。
これは単にアメリカ、ユダヤ系財閥、国際金融資本などの刷り込みによるものではない。そうやって他人のせいにするのも得意なのが日本人だが、もともとすべては自分たちが生み出したものと繰り返し述べてきた。病気を作るための世の中を欲したのも自分たち、その病気を対症療法したがったのも自分たち、愚かな既存メディアしか信じないくらいリテラシーを下げたのも自分たちなのだ。すべてのツケは自分たちに返ってきたにすぎず、暴利をむさぼる医学ムラに自ら捧げたに過ぎない。
精神薬、ワクチン、抗がん剤や放射線治療に始まり、不要な検査の集まり、透析や胃瘻や終末期の医療、風邪薬からタミフルから内服の抗生剤、高血圧や高脂血症や糖尿病のドラッグ、意味のない胃薬や骨粗しょう症の薬やぜんそく薬、無駄なステロイド治療と免疫抑制剤たち、そして病気を悪化させるだけの輸血や血液製剤、すべて意味がないどころか有害である。それにとどまらず対症療法である湿布も目薬も鼻水の薬もアレルギー薬も軟膏も、無駄以前に健康保険を使うような薬であるわけもない。もし日本人が気付くことが出来るなら、医療費など5兆円~10兆円までに抑えることが出来る。症状に対する考え方を見直すことも重要である。健康=症状があることであり、簡単に緩和しても消してはいけないものだし、体が治ろうと頑張っているサインでもある。その症状を取り去るためには根本的な原因を解決しない限り、治癒することがないのは当たり前のことである。また原因を除去することも必要だ。システム的には救急の充実と医者の拡充、半強制的に救急医を増やすこと、自然分娩などができる産婦人科を増やすことが重要である。医学界と製薬業界の利益相反かも防ぐ必要がある。
学会は派閥化と資金集めのために存在しており、医学の学会を解体する必要がある。科の再統合も必要である。報酬形態(健康保険)も徹底的に見直す必要がある。本来は健康保険をなくせれば理想だが、クレクレ君の日本ではそれもムリであろう。まずは医学不要論に準拠するなら、命にかかわらないものや臓器喪失にかかわらないものは保険から削除する必要がある。健康保険のシステム論であれば、尊厳死を認める事、私立の精神病院をすべてイタリアのように撤廃すること(ただの収容所と化している)、私立の老人病院を半減させること(同様にただの収容所と化している)などがある。
また患者が長く通えば通うほど患者と病院の負担金を増やす(自動車の保険でも同様のシステムとなっている)、開業医の保険点数を大幅に削減すること、タバコやアルコールなどが原因のコンセンサスのとられている病気の適応をすべて健康保険から撤廃する、デイケアシステムの廃止(同様に収容所かサロン化しているだけ)、お産は逆に健康保険を適応するなりすべて国が保証すること、薬に関する添付文書をすべて患者に渡すよう義務化、医師の独立性を見直し医師の権限を削減するなど、ほかにも無数にやれることがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
内海聡さんも、デビューした頃は今までブラックボックスにされていた医療利権について切り込んでおり、かなり核心的で的を得たことを書いています。(代替医療はあかんですけどね…)
医療を神格化したことについても問題を提起していますが、(最後は自分がカルト団体の教祖になってしまいましたね。)
日本人の99%が「事故、災害などの救急外傷や出産、小児関連」と「糖尿病や膠原病」などの自己免疫疾患、生活習慣病を同列に考えています。
ベースは「国民の無知に付込んで、不安を煽り騙す」という詐欺師のテクニックを使っています。
医療の基本とは何でしょうか?
「病気、機能不全の原因を探し出し、それを医学的知識技術を駆使して除去して、元のあるべき状態にまで回復、復旧させること」
では無いでしょうか?
建設現場で鉄骨が崩れて作業員が下敷きになった
交通事故で臓器破裂が起き腹腔内出血している、
料理している最中に包丁で指が切断された、
子どもが電池を誤飲したり
逆子の妊婦が産気づいた
子どもが原因不明の意識障害を起こした
これは医療の出番ですね。
止血、縫合、その他物理的に必要な医療処置をせず放置しておいたらやがて死んでしまう、救急的に介入が必要なケースです。
しかしながら、それ以外の医療はというと、
「原因わからんから、とりあえず、痛み止め出しておくから飲んでおいて」
これは、医療ではありません。
薬剤師、薬屋さんですよね。
薬剤師も医師の処方箋なしで処方できる薬剤は限りがありますから、そのようなこともできないし製薬会社や医師の団体がさせません。
さて、今回のテーマに戻ります。
看護には福祉のような「専門職としての社会変革」という考えがありません。
福祉学の分野では「ソーシャルアクション」と呼びます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下解説を転載)
ソーシャルワーカーは誰もが暮らしやすい(活躍できる)社会を実現するため、目の前にいる困りごとを抱えた人への個別支援だけではなく、その人の困りごとを生み出している社会構造そのものへの働きかけ=『ソーシャルアクション』を積極的に実践していく必要があります。ですが、なぜ、ソーシャルアクションが必要なのでしょうか?
具体的にはどのようなことなのでしょうか?
これを読んでくださっているみなさんと一緒に、以下、Nさんのエピソードから考えてみたいと思います。
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Nさんは、豆腐屋を営む両親のもと、一人っ子として大切に育てられました。
都内大学経済学部進学を機に、実家を出て、大学卒業後は、通信機器メーカーの営業職として就職。お付き合いした女性はいましたが、結婚はせず、独身。幼少期から家族関係は良好でしたが、母親はNさんが31歳のときに末期ガンが見つかり、発見後1年ほどで亡くなりました。
母親の死後、父親から、「豆腐屋を継いで欲しいので、実家に戻ってきてほしい.一緒に手伝ってほしい」とお願いされるも、営業職の第一線で活躍しており仕事が生き甲斐であったNさんはそれを拒否、父親と言い争いになり、確執が生まれ、勘当状態となり、その後、父親とは疎遠となり、10年以上音信不通状態となりました。
数年ほど前、リーマンショックの煽りをうけ、会社の業績が悪化.当時40歳のNさんはリストラに会い、失職。失業保険の手続きをしハローワークで再就職先を探すも、なかなか見つからず、失業保険、預貯金など数か月分の生活費は徐々に目減りし、家賃を支払うことが難しくなりました。
お金を借りることができる友人知人はおらず、父親に詳しい事情は伝えずに電話でお金を貸してくれないかと聞くも「久しぶりに連絡してきたと思えば、金のことか。お前のことは勘当した。もう親子ではないと伝えたはずだ」と即電話を切られ、金の工面の目処が立たなくなったNさんは、消費者金融、闇金などにも手を出すも、その後も仕事は決まらず、アパートに取り立てがくるようになります。
それがきっかけで、大家から退去を強く求められたため、キャリーバックとボストンバックに収まるほどの荷物に収め、借金は踏み倒した状態で、借りていたアパートから退去することになりました。
その後、友人知人宅を渡り歩くが、2週間ほどで、泊めてくれる友人の宛てもなくなり、カプセルホテルやサウナで寝泊まりするも、手持ち金が尽きてきたため、日雇いの仕事を探しては、日銭を稼がなければならなくなる。日雇いで得たお金は、日々の食事(コンビニ・ファストフード)と、寝床となるカプセルホテル、サウナ代で消えていきます。
服の洗濯も3日に1回、5日に1回と、身なりは汚れ、とてもではないが、再就職活動など行える状態ではなくなりました。
再度アパートを借りるにも初期費用や保証人が必要になります。Nさんは、まずはアパートの初期費用を貯めるために、生活費を削るようになり、食事は1日1食となり、カプセルホテルやサウナの使用を止め、ネットカフェに寝泊まりするようになります。
複数のネットカフェを回ってみて、シャワーやフリードリンクがあるところ、自分と同じような状況に置かれている人たちが多く使用しているネットカフェがわかるようになり、「寝床にしている人間」を排除しないネットカフェを長く利用するようになりました。
だが、1.5畳の個室は寝返りもまともにうてません。いびきをかけば、隣のブースの利用者から壁を叩かれ、ときには隣のブースの人間のいびきにより睡眠を妨害されます。そんな環境の中、日中、肉体労働で疲れた体を休めることができず、疲労も蓄積していき、疲れを紛らわすために、酒やタバコに手を伸ばすようになり、アパートの初期費用は一向に貯まりませんでした。
入院数ヶ月前は、仕事中に意識が朦朧とすることや、胸がひどく締め付けられるようなことがありましたが、会社を辞め、健康保険証もなく、所持金も少なかったため、病院に受診はせず、生活保護も考えましたが、テレビで「若くて働ける人間は受けられない」と聞いたので、無理だろうと思っていたそうです。
そんなある夏の日、日雇いの建設現場で、意識を失い、救急車で緊急入院となりました。
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Nさんは、架空の人物です。
ですが、Nさんと同じようなエピソードをもった人たちに、福祉現場のソーシャルワーカーたちは日々出会っています。
お金がなければ、生活保護の申請のサポート。
住まいがなければ、住まい探しのサポート、など。
その人が「今まさに、困り、必要としているサポート」をソーシャルワーカーたちは、日々提供しています。
ですが、それは、傷に延々と絆創膏を張るような対処であって、それだけでは不充分なのです。
「Nさんのような人たちが、どうすればこれ以上増えないで済むのか?」
この問いを考え、目の前にいる人への支援を通じて、社会に必要な仕組みをつくっていくための働きかけが、ソーシャルアクションです。
そして、「Nさんのような人たちが、どうすればこれ以上増えないで済むのか?」という問いを考えるヒントは、福祉現場には溢れています。現に、Nさんが救急車で病院に搬送されるに至るまでの経過を、医療機関に勤務するソーシャルワーカーは支援の過程で聞くことができる立場にいます。
・家賃を滞納した時点で
・アパートを強制退去になった時点で
・ネットカフェに住まうようになった時点で
・生活保護も考えたが、テレビで若くて働ける人間は受けられないと聞いたから・・・
例えば、上記に至る前のタイミングで、Nさんに何かしらの情報やサポートを届ける仕組み(や制度)があったとしたら、Nさんは、受診を控えて、救急車で運ばれてくること(つまりは、階段を転がり落ちること)はなかったかもしれません。
わたしたちソーシャルワーカーは、Nさんと同じような人を増やさないために、なにができるでしょうか?
Nさんという人は唯一無二の個人ですが、同じようなエピソード、社会的背景を有している人を支える仕組みづくりは、Nさんという個人の事例から考えることができます。
「人生を生きていく中で、さまざまな困りごとが生じたとしても、それによって階段を転がり落ちることのない社会、もし、転がり落ちたとしても、登りやすい階段が用意されている社会」
そんな社会をつくるために、社会構造そのものへの働きかけ=『ソーシャルアクション』を、福祉現場のソーシャルワーカーたちが為していくことが必要なのです。
個人を支えることを通して、社会をよりよいものに変えていく。
この職業のミッションは、とても社会的意義のあることだと、私たちは思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
問題は現場にしか存在せず、問題を生み出すのは人と仕組みであり、人を教育訓練し仕組みを変える事が重要となります。
問題が起きないような仕組みを常に提案し創造していくことができるように組織に働きかけることがマネージャーの仕事となります。
ここでは、仕組みに問題があるため福祉を必要とする人が出てくるという社会構造論を話しています。
社会構造論は、誰が作っているのでしょうか?
政治家でしょうか?
官僚でしょうか?
大企業でしょうか?
宇宙人でしょうか?(笑
どれも違います。
実は私たち一人ひとりが創っています。
私たちがそれぞれ変われば社会は変わっていきます。
例えばストライキをすれば全ての機能は停止しますよね?
経営者や政治家もひとたまりもありません。
彼らは金の力で、金を上手く使って権力を集中させているだけですからね。
逆に言えば、お金の価値を信じ込ませている間は、
政治家
大企業
官僚
が変わっても世の中は変わりません。
それくらい、私たちを支配している「考え方」というのは根深いものなのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(クックパッド定款)
2018年02月16日19:04
カテゴリ
クックパッドが定款を一部変更 -ミッションに
「世界中のすべての家庭において、毎日の料理が楽しみになった時、当会社は解散する。」等が追加に
・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
料理レシピで一山あてたたので、イメージアップを兼ねた定款変更でしょうか?
日本の企業は①利益、富⇒②創業者の名声⇒③社会的地位の獲得のための社会貢献
です。白々しいにもほどがありますね。
医療業界も同じですね。
どれだけ権力を肥大させたいのでしょうか?
どれだけ欲望に負けて、己の名誉や利得のためだけに人生を生きるのでしょうかね。
医療の目的は
「人を幸せにすること」です。
対象は「病気や怪我で苦しむ人」ですね。
どうやってやるか?
「専門性、知識、技術、経験を活かして」
です。
こんな基本の使命(目的)も解っていないんですかね?
こういった怪我や病気という人の弱みや不幸に付込んだ卑しい仕事で利益を上げるのは
社会通念上、善しとしない文化があるからか多くの国では慈善事業となり一部の篤志家がサポートしたりします。
しかしながら、日本では国民健康保険という「皆保険制度」という強制保険制度を生かして、一部公助の形をとり運営しているわけですから、医療福祉従事者は「公務員」もしくはそれに準ずる団体職員となるわけですよね?
なのに、己の利益ばかり追求し、国民の利益よりも厚労省の定めた仕組みばかり追い求め、当事者不在としてしまっているのが現状です。
「金、診療報酬の出所に逆らってはいけない」という考えが医療経営の中心となる考えとなっていることから
もはや、医師、医療という仕事は形骸化してしまったといっても過言ではありません。
医療福祉は「情報弱者を食い物にするビジネス」となりさがっています。
看護学を学んでも、福祉学で学ぶソーシャルアクションは学びません。
それは看護が医療に完全従属して利権を分けてもらっているからです。
看護がでしゃばったら、医療から切られてしまうからでしょう。
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