今回の記事は、何故だか知らないが、NHKのハートネットTVの顔となっているこちらの方についてです。
<石田衣良 いしだいらしょういち>
・・・・・・(石田衣良wiki)
石田 衣良(いしだ いら)
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誕生 石平 庄一 (いしだいら しょういち)
1960年3月28日(58歳)
日本の旗 日本・東京都江戸川区
職業 作家
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1997年 -
ジャンル 小説・随筆
代表作 『池袋ウエストゲートパーク』(1997年)
『4TEEN』(2004年)
『下北サンデーズ』(2006年)
主な受賞歴 オール讀物推理小説新人賞(1997年)
直木三十五賞(2003年)
島清恋愛文学賞(2006年)
デビュー作 『池袋ウエストゲートパーク』(1997年)
パートナー 既婚者
子供 息子
石田 衣良(いしだ いら、1960年3月28日[1] - )は、日本の小説家。本名は石平庄一[2](いしだいらしょういち[要出典])。ペンネームの由来は本名「石平(いしだいら)」を分割したもの
経歴
1960年(昭和35年)生まれ。東京都江戸川区出身[3]。姉が2人いる[要出典]。子どものころから本を読むことが好きで、図書館から朝に借りた本を夕方返しに行き、また別の本を借りるということを毎日繰り返していた[3]。特に好きであったのはハヤカワ文庫や東京創元社のSF・ミステリで、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフが好きだったという[4]。
1984年に成蹊大学経済学部を卒業[2][5]。その後はフリーター生活を送っていたが、母親の他界をきっかけに就職を決意し[4]、広告制作プロダクション・広告代理店にコピーライターとして勤務した後、33歳の時にフリーのコピーライターとなる。
36歳の時に小説家になることを決意し[4]、数々の新人賞に応募。1997年、それまで応募したことのなかったミステリーの賞に応募したところ、第36回オール讀物推理小説新人賞を受賞。そのデビュー作が「池袋ウエストゲートパーク」である。以後、『4TEEN フォーティーン』で第129回(2003年上半期)直木賞を、2006年、『眠れぬ真珠』で第13回島清恋愛文学賞を受賞する。同年、映画『LOVE MY LIFE』に出演した。
時事問題や社会的に問題となった事件などに触発されて執筆を決意することが多く、『うつくしい子ども』は神戸連続児童殺傷事件が、『約束』は大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件が、『ブルータワー』はアメリカ同時多発テロ事件が、それぞれ執筆のきっかけとなっている[4]。
2013年8月、雷田四位(らいだしい)というペンネームを使って初の電子書籍限定書き下ろしライトノベル作品『SAKASHIMA -東島進駐官養成高校の決闘』を書籍投稿サイト「E★エブリスタ」で9月11日から半年間連載することを発表した[6][7]。
2015年、有料メルマガを配信する「夜間飛行」より、月2回、第2・4金曜日に小説やエッセイなどを配信するウェブ個人誌『小説家と過ごす日曜日』を創刊[8]。
人物
石田自身のアピールエピソードによれば、日頃の言動に対しては、朴訥、力まない、冷めた、気取った、と様々な評価があり、好みが分かれるという。書くテーマは幅広いが、中でも女性の書き方については定評があるという意見があると述べている[9]。
批評家として
批評家としては、作品の内容ではなく、作家に対する個人的な印象で批評を行っている。
例えば、映画「君の名は。」に対しては「(監督の新海誠は)楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです」と雑誌で批評している。この雑誌記事は新海の目に留まり「なぜ面識もない方に僕の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされなければならないのか…。笑」と評価された。[10]
社会評論家として
2006年10月31日、MSN毎日インタラクティブで連載していたコラム「石田衣良の白黒つけます!!」にて、「中国、韓国と仲良くした方がいい? しなくてもいい?」というアンケートで「しなくてもいい」という回答が57.2%と過半数を占めたことから、「応募しなかった多数のサイレント・マジョリティを考慮にいれて…(中略)…中国・韓国とは仲良くしたほうがいい」と結論付けた。
2012年1月1日、NEWSポストセブンの取材で「今の日本ほど、世界の中で潰れちゃってかまわない国はないかな」「日本が無くなって世界の人が困るのは漫画とゲームが消えることぐらいでしょう」と述べた。
・・・・・・・(転載ここまで)
彼の出世作は「池袋ウエストゲートパーク」です。
で、この作品はドラマ化されさらにヒットしました。
・・・・・・・(『池袋ウエストゲートパーク』(いけぶくろウエストゲートパーク))
2000年4月14日から6月23日まで毎週金曜日21:00 - 21:54[1]に、TBS系で放送された日本のテレビドラマ。主演は長瀬智也。脚本は宮藤官九郎。チーフ演出は堤幸彦。通称およびドラマ内での愛称は「I.W.G.P.」概要
原作は石田衣良の小説『池袋ウエストゲートパーク』だが、キャラクター設定が大きく異なるほか、本ドラマでは小ネタを随所に織り込む演出が行われた。
放送終了後、窪塚洋介、山下智久、妻夫木聡、坂口憲二、小雪、佐藤隆太、阿部サダヲら出演者の人気が急上昇した事に加え、深夜での再放送が高視聴率であったことも手伝って、「もう一度みたい」という声が多く寄せられた。やや過激な表現が多かったためか、地方局等での再放送は、深夜帯に行われていることが多かった。この作品を機に、酒井若菜、森下愛子、佐藤、窪塚などはその後の宮藤脚本作品の多くに出演するようになった(窪塚は映画が中心)。また、阿部を始めとする脚本家の宮藤と同じ劇団「大人計画」所属俳優の出演も多い。イチゴの回・士(サムライ)の回・スープの回では川崎麻世が本人役で出演している。
当時、一部で流行ファッションであったB-BOYが日本中に広がるきっかけともなった。
2003年3月28日にはスペシャル版の「スープの回」が放映された。『ラストサムライ』の撮影と被ってしまった渡辺謙や小雪、また一部のレギュラー俳優陣は出演していないが、『木更津キャッツアイ』の5人(友情出演)やRIZE、クレイジーケンバンドのメンバーが出演した。マコトの実父親役の横山剣は前年末にリリースされた「タイガー&ドラゴン」のサビをドラマ内で披露。後にそのままのタイトルでドラマ『タイガー&ドラゴン』が放送された。
・・・・・・・(転載ここまで)
任侠、やくざ小説をドラマでコミカルに描いて社会現象を起こした、そのとき新進気鋭の脚本家であった「宮藤官九郎」に白羽の矢がたったわけですね。
ちなみにタイガー&ドラゴンもやくざが落語家を目指すドラマです。
・・・・・(タイガー&ドラゴン (テレビドラマ))
内容
子供の頃に両親が借金を苦に自殺し、「笑い」を忘れてしまったヤクザの山崎虎児は、ひょんなことから浅草で落語家の林屋亭どん兵衛の高座を聞いて感動し、三顧の礼を行い必死の思いで弟子入りを志願する。
どん兵衛は虎児が属する新宿流星会の組長から400万円の借金をしていた。そこで虎児は、噺をひとつ習得するごとに10万円の「授業料」(ドラマの途中から20万円に値上げ)をどん兵衛に支払い、それをそのまま「返済金」として虎児に支払うという奇妙な契約をどん兵衛と交わすことになる。
こうして林屋亭門下「林屋亭小虎」として、落語の修業を積んでゆくこととなった虎児。ヤクザと落語家という二足のわらじを履く生活を始めたが、根っからのヤクザである虎児に笑いの才能が無く困っているところに、かつて「落語の天才」だったが、過去のとある事件で廃業し、現在は裏原宿でダサくて売れない洋服店「ドラゴンソーダ」を立ち上げて店主となっているどん兵衛の次男・谷中竜二と出会うことに。
古典落語の演目をベースにした一話完結の形式で進行する。まず前半部分で本編ストーリーの題材となる演目をどん兵衛が寄席の高座で演じ、更に寸劇形式で噺を再現して内容を分かりやすくし、後半部分で小虎が同じ演目を本編とリンクした形にアレンジして演じる。
連続ドラマになってからは各ストーリーを貫く軸として、林屋亭の過去のエピソードや虎児・竜二らやゲストらが各自のアイデンティティーを探し求める姿が描かれていった。また、落語家一門、ヤクザ一家、一般家庭など形はさまざまであるが、根底に流れるテーマは「家族」ということが特色であると言える。
・・・・・・・(転載ここまで)
私はかつて福祉事業をやりたいと志していたたため、NHKのハートネットTVなどは観ていたのですが、いつも彼が出演されていました。
広告代理店出身の小説家らしいのですが、私自身彼の作品を読んだことがありませんので、どのような作風なのかしりませんでしたが、このたび上映される映画のPRを読んで、吐き気がしたため、「このような危険人物が、人生相談をしていいのか?とはなはだしく疑問に感じました。
かつて、作家で人生相談をやっていた有名人北方謙三さんは『《中心読者は高校生~大学生。性に関する悩みは多く、「ソープに行け!」とのアドバイス(?)は、連載の代名詞として語り継がれている》作家・北方謙三さんが語る』で有名ですが、石田衣良はそのレベルではないかと感じます。
では、まず元記事となる映画PRを転載いたします。
・・・・・・・・(「娼年」原作者・石田衣良「カップルで見た後、ラブホに行って!」とアピール2018年4月3日 12:00)
松坂桃李の主演作「娼年」の原作者・石田衣良氏と舞台版・映画版を手がけた三浦大輔監督が、4月2日に都内で行われたトークイベントに出席した。
無気力な毎日を送っていた大学生・森中領(松坂)が、会員制ボーイズクラブのオーナー、御堂静香(真飛聖)に見いだされ、“娼夫リョウ”として女性たちの欲望と向き合っていくさまを描く。
石田氏は、原作小説を世に放った17年前を振り返り「小説でも、セックスシーンは一切腰を引いていない。とにかく書くのが楽しかったなあ。子どものころからの妄想が、初めて役に立ちました」とジョーク交じりに語りつつ、「今の日本は、あまりにも貧しすぎませんか。20年前の日本には、“セックスレス”なんて言葉はなかった。性が貧しくなって、みんながとげとげしい顔で電車に乗る時代になってしまった。こんな時代に、しっとりする恋愛映画を見てほしい」と熱を込める。「三浦さんは、女性に対してファンタジーを持っていない。そこがすごく良かった」と三浦監督の手腕を称賛し、絵コンテやビデオコンテを事前に用意し、綿密に計算されたなかで撮影されたセックスシーンを、「ボリショイ・バレエみたいに細かい振り付けを入れている」と評した。
話は主演の松坂にも及び、「ジャニーズ系の子だと、濁りがあるじゃないですか。松坂くんのように、元々無色透明な人じゃないと、どんどん汚れていってしまうんですよね」(石田氏)、「舞台版を行う前は、松坂くんにそういう(R18作品の)イメージがなかった分、若干の不安はあったんです。でも舞台を経て、今では彼しか考えられない。撮影では、女性陣が松坂くんについていけば感情がのるようになっていた。すごかったですよ」(三浦監督)と、共に松坂の表現力・存在感を褒めちぎった。
原作小説には、続編となる「逝年」があり、三浦監督が「(映画版も)もしかしたら続編があるかもしれない」と発言すると、客席からは悲鳴が上がった。観客の反応に笑顔を浮かべた三浦監督は、「この映画は、幅広い方に見ていただかないと意味がない。普段映画館に行かない方も来てくれたら、日本映画が面白いことになる」と力強く語った。
対する石田氏は、「カップルで映画館に来て、見た後に飲みながら、『本当はこんなことしたかった』と本作をネタに話し合って、その後にラブホに行ってほしい」と“理想の見方”を指南し、場内を笑いに包んでいた。
「娼年」は、4月6日から全国公開。R18+(18歳未満入場不可)指定。
(映画.com速報)
・・・・・・・(転載ここまで)
熟年離婚を加速させた映画「失楽園」のような作品ですね。
・・・・・・・(『失楽園 (渡辺淳一)』
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『失楽園』(しつらくえん)は、渡辺淳一の恋愛小説、また、それを原作とした映像作品。小説は1995年9月から翌年10月にかけて『日本経済新聞』に掲載され[1]、1997年2月に講談社から単行本として刊行された[2]。上下巻を合わせた年間発行部数は267万部、その後300万部を突破した
概要
不倫を主題とし、一般向け新聞連載ではあまり例のない性描写が含まれている。映画・テレビドラマ化され、「失楽園」というタイトルが流行語にもなった。有島武郎の心中事件をモチーフとしている
・・・・・・・(転載ここまで)
この作品のモデルとなった『有島武郎』ですが、薩摩藩出身の東京小石川(現・文京区)に旧薩摩藩郷士で大蔵官僚・実業家の有島武の長男として生まれる。となっています。
有島家自体、華麗なる一族ですから、彼らをモチーフにした美化した小説を書けば、「即採用」となるわけでしょう。
華麗なる一族の性的堕落を美化して書いたのが「渡辺淳一」で、その作品を失楽園というミルトンの作品から拝借して使ったのでしょうか?
官能小説が、文学的だといわれる狂った時代です。
続いて、石田衣良の作品レビューについて見ていきましょう。
・・・・・・・(エロ過ぎる石田衣良!大人の恋愛小説7選エロスの昏い深淵にタッチする近現代文学まとめ)
石田衣良と聞いてまず最初に思いつくのは、池袋ウエストゲートパークシリーズだろうか。2000年に宮藤官九郎の脚本でドラマ化され、長瀬智也が池袋のトラブルシューター・マコトを、窪塚洋介がカリスマ的な街のギャングのリーダー・キングを演じ、当日あまりの面白さに夢中になって見ていた。
2003年に『4TEEN フォーティーン』で直木賞を受賞した石田衣良はセックスや人との関わりに関心が薄い若者の草食化を憂いているようで、実はけっこう前から、かなりエロティックな小説をたくさん書いている。
どの作品でも官能的なシーンがたっぷりと綴られていて、ときにエグいものもあるのだが、さすがは石田衣良。ピュアな心や性による成長など、行為自体よりも心の動きに重きを置いている感じがして、女性にも読みやすいエロスなのではないかと思う。大人の恋愛小説と銘打っている作品もあり、女性向けのAVのように(ちゃんとみたことないけど)必然性があって行為があるという流れがよいのかもしれない。
石田衣良のセックススローガンは「好きな人とたくさん」だそうだ。不特定多数の人とするよりも、一人と回数を重ねるほうがよりよいセックスにたどり着けるらしい。
図書館に通ってはエロティックな小説の素晴らしいセックスシーンを読み、夜にオナニーをするのが習慣の中学生2年生の男子が経験したある夏の出来事や死期の迫ったオヤジが入院中の病室にこれまで関係を持った女性を招いてあるお願いをする話など、いろいろなシュチュエーションの様々な性が描かれている。「蝶をつまむ」というタイトルの短編が収録されているのだが、“蝶”を比喩に使うとは驚いた。
短編「文字に溺れて」より
あからさまな視覚情報よりも、活字は数十倍も素晴らしかった。繰り返し読み、イメージをふくらませ、自分がその状況に没入できるのだ。言葉なら肉体の表面も、心の奥深くも自由にいききできる。絶対に思われる男女の壁さえ越えられる。ただの粘膜の接触ならセックスなどたいしたことはない。(中略)あの最中に心と体を何百回往復できるのか。エッチはそれが全てなのだ。
MILK著者: 石田 衣良出版社:文藝春秋発行年:2015
よくもまぁ、こんなにもバリエーションに飛んだ話が書けるなぁと感心した。長い間セックスをしていなかったり、久しぶりにするセックスにまつわるストーリーが多いように思うのだが、これは著者が日本人のセックスレスを憂いているからかもしれない。また著者のセックス哲学なのか、登場人物によって語られているセックスの例えが面白い。
慶介は一度か二度寝たくらいで、ヘタクソとか相性が悪いとか平然と口にする若い女が苦手だった。セックスは時間と手間をかけて、ゆっくりと磨き上げていくものだ。(中略)慶介は自分たちのセックスを長篇映画のようだと思う。たいていの映画でヒーローが勝利を収めるように、最終的な決着は決められている。けれど、そこに至るまでの過程は毎回異なるのだ。おたがいにアイディアをだしあい、相手の反応を読みながら手順を変えていく。ふたりで作る一度きりの長編映画である。
松坂桃李&高岡早紀×三浦大輔で舞台化 → そして映画化娼年
娼年
著者: 石田 衣良
出版社:集英社
発行年:2001
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池袋ウエストゲートパーク第1作目とほぼ同時期のかなり初期の作品。2001年に直木賞の候補になっている。
平凡な毎日に退屈していた20歳の大学生リョウがボーイズクラブの女性オーナーにスカウトされて娼夫として働くことになり、仕事で出会う様々な女性たちから性の奥深さを学んでいく。リョウが仕事で出会う女性たちの年齢は幅広く、女性の性欲がこんなにも描かれている作品は珍しいかも。
2016年8月下旬より松坂桃李が主演をつとめる舞台「娼年」が上演される。舞台は「娼年」と続編の「逝年」2作品両方をあわせた内容でクラブオーナーを演じるのは高岡早紀、脚本・演出を務めるのは演劇ユニット「ポツドール」主宰の三浦大輔だ。存分に官能的な舞台になりそうで楽しみだ。三浦は第50回岸田國士戯曲賞を受賞した舞台作品「愛の渦」を自ら脚本・監督を手掛け実写映画化したことでも話題になった。「愛の渦」については以前にこの記事(二階堂ふみ、門脇麦のWデート報道に興奮した理由)で触れている。
2018年4月6日に映画『娼年』が公開となる。舞台と同じく三浦大輔が脚本・演出をつとめ、主演は松坂桃李だ。クラブオーナー役をはじめ女性キャストは舞台とは異なるが、伝説と言われた舞台が映画となるのだ。性の極限を描いたセンセーショナルな内容や大きなスクリーンでリョウと女性の絡む様子をマジマジと観られるのは垂涎の極みと言えるのではないだろうか。(追記:2018年3月19日)
逝年
著者: 石田 衣良
出版社:集英社
発行年:2011
性をもう一度見直したい人に。宇宙を目指しながら分解するロケットのごとき作品。 by.へっぽこ侍
「娼年」の続編。前作から数ヶ月後のストーリーだが、精神的にかなり成長したリョウが彼を娼夫へと導いた女性オーナーに代わってクラブの運営をする。リョウが新たにスカウトした性同一性障害のアユム(体は女で心は男)の話がよいアクセントになっていて、久しぶりに再会したオーナーに対するリョウの想いがまっすぐで痛々しくもある。
肌があうのは天国か地獄か
夜の桃
夜の桃
著者: 石田 衣良
出版社:新潮社
発行年:2011
ネット広告に特化した制作会社の社長である雅人は40代半ばで4年の付き合いになる秘密の恋人がいる。結婚して12年になる妻とも週に1度は体を重ねでおり、仕事も順調で2人の女性との充実した性生活にも満足している。しかし、ある若い女と運命的に出会ってしまったことでバランスがとれなくなってしまう。
(二十歳年した、会社の部下、しかも処女)
数えあげれば危険このうえない三条件を重ねもった相手だった。それがたった一度のセックスで、運命的に肌があってしまったのだ。雅人にはそれが天国なのか、地獄なのかわからなかった。ただあの泥沼から抜け出せそうにないと感じるだけである。
1週間の夏季休暇を雅人は妻、愛人、新しい恋人、それぞれと1泊ずつの旅行をするのだ。妻とは彼女の実家の鹿児島へ、愛人とは都内のホテルのスパ付きプラン、恋人とは高級温泉旅館へ、なかなかに中年男性の妄想を小説にしたような内容だが、3人の女性との半年間に渡るセックスライフがたっぷりと綴られている。
石田衣良は女なのではと疑いたくなる
眠れぬ真珠
眠れぬ真珠
著者: 石田 衣良
出版社:新潮社
発行年:2008
45歳の銅版画家の咲世子は湘南の別荘地の自宅兼アトリエに暮らすバツイチ。更年期障害に悩まされながら、作品を作り続けている。行きつけのカフェで出会った17歳年下の新顔ウエイターの素樹によって、女としても作家としても新境地を切り開いていく。
素樹とのセックスはそれ以前に咲世子が交際していた妻のある画商の男とのセックスと全く異なるものとして描かれていて、その対比も面白い。
奪うセックスと分けあうセックス。人はよくセックスなんて誰としても同じだと悪しざまにいうことがある。だが、そんな人は、おいしい料理をたべても、素晴らしい絵を見ても、理解などできないだろう。
ほんのちいさな違いのなかに無限の変化を読み取ること。動物だってしているセックスのなかに、ちいさな工夫を加えて、快楽のバリエーションを導きだすこと。そこに人の性の見事さはある。
主人公は年を重ねた中年期の女性、本当に石田衣良が書いたのかと疑いたくなるほどに、彼女の気持ちや行動が瑞々しく可愛らしく、描かれているのだ。2006年度の島清恋愛文学賞を受賞しており、選考委員のひとりである小池真理子は文庫本の解説で「ヒロインの描写は男性作家のものとは思えないリアリティと迫力がある」と評していたのだが、確かにその通りだと思った。
なぜ女は破滅的なセックスを繰り返すのか
水を抱く
水を抱く
著者: 石田 衣良
出版社:新潮社
発行年:2013
医療機器メーカーの営業マンである29歳の俊也は、いまどきの草食系男子。彼女にフラれた勢いで、ネットで知り合ったセックス依存症の32歳の女性・ナギに出会い、彼女に強烈に惹かれてしまう。
新宿には何度も遊びにきたことがあった。けれど、こんな店は想像もつかなかった。初対面の相手に硬くなったペニスを見せながら挨拶し、相手の女性はバストをむきだしにして挨拶を返してくる。
俊也はナギによって自分でも知らなかった性の扉を開くことになるのだが、2人はなかなか最後までしないのだ。それでも互いを大切な存在として感じ、ナギの心の傷が明らかになっていく。俊也のクライアントである医者の変態っぷりがすごかった。でも、こんな医者いそうだなぁ。
・・・・・・・・(転載ここまで)
レビューだけ読んでいても単なる性欲まみれのポルノ小説作家の作品にしか思えないのは、私が文学に精通していないからでしょうか?
仮に、このようなものが高尚な文学だと言われるなら、人間とはいつも性のことしか考えていない生き物になってしまいます。
24時間、365日、性のことばかり考えているのならそれこそ、動物以下の存在になってしまいます。
動物でも毎日盛りがあるわけではなく、繁殖期だけしか盛りは来ないですから。
性的堕落をさせようと躍起になっているとしか思えませんね。
彼がNHKで担当出演していた番組です。
・・・・・・・(Our Voices 「恋愛」 LGBT×薬物依存(1)2012年5月7日(月曜)再放送2012年5月14日(月曜)
アンコール放送2012年8月13日(月曜)再放送2012年8月20日(月曜))
放送内容
“生きづらさ”を抱える人たちの声を伝える、全く新しい福祉番組、「ハートネットTV Our Voices(アワーボイス)」。
第1回目のテーマは「恋愛」。LGBTと薬物依存の人たちが語る恋バナです!
「愛」「夢」「友情」…。あらゆる人の人生に深い関わりがあるテーマを、さまざまな生きづらさと向き合ってきた“マイノリティ”が語り合う。
第1回目は「恋愛」。「LGBT(レズビアン/ゲイ/バイセクシュアル/トランスジェンダー)×薬物依存」のクロストークでお送りします。体は女性で、心と体の性別が一致しないことに苦しみ恋ができないでいる若者。「愛される」という感覚がずっと分からなかったという薬物依存症の女性。それぞれの恋愛について取材したVTRを紹介しながら、LGBTと薬物依存の当事者たちが、スタジオで熱いトークを繰り広げていきます。
“マイノリティ”が語りあう「恋愛」。そこから見えてくるのは、愛する気持ちをどう伝えればいいのか、相手を・自分をどう愛せばいいのかといった、普遍的な「愛」にまつわる物語です。
※性暴力被害、摂食障害、LGBT、HIV、統合失調症、薬物依存など、“マイノリティ”とされる人たちの思いを、自分たち自身の声で伝えてもらい続けた番組「ハートをつなごう」。「Our Voices」は、その後を継ぐ番組でもあります
・・・・・・(転載ここまで)
同性愛と薬物依存をネタに、愛、夢、友情を語り合う。善も悪もごちゃまぜにして、世の中をどうしたいのでしょうか?
ポルノ小説作家ですから、適役なのですが「多様性を認めること=善も悪もごちゃまぜにする、悪に寛容になる』と摩り替えてしまっています。
ポルノの蔓延でどのようになっていくのか?社会が荒廃していくことについて以下の記事を転載いたします。
・・・・・・(性の乱れが文明を崩壊させる。その原理について。)
先日、ジョディ・フォスターが同性婚をしたというニュースを見て、憤りに駆られた私です。
同性婚をしたジョディ・フォスターにも怒りを覚えましたが、それと同時に、それを華やかに報道したメディアにも腹が立ちました。
背後にそのような性的な乱れを起こしたい勢力がいるということです。まさにユダヤ金融資本の連中は映画や音楽などの娯楽産業を通して、その計画を見事なまでに遂行してきました。
今では性産業というものがどこもかしこも満ちあふれ、ちょっと小説や漫画を開けば、テレビや映画を観れば、性的な表現が目に入ってきます。日本のポップスはまだその影響を免れいるという感じがしますが、アメリカやメディアごり押しの韓国のポップスは性的な誘惑に充ち満ちています。
一応、テレビでは視聴者の苦情によって男女の裸が露骨に出てくることはなくなりましたが、性的な話をネタにした話はあちこちで当たり前のように出てきます。
昔に比べて性的な表現に対して人々は寛容になり、性的に解法されていくことが時代の流れであり、時代の進歩であるかのように思い込んでいます。
しかし、はっきりと言います。かつて繁栄を極めた古代のローマなどがなぜ崩壊したのか知っていますか。一般に言われているのはモラルの崩壊です。モラルの崩壊によって人々は安逸主義に陥り、生産性を失い、真面目に仕事もせず、生活も乱れていった結果、国家全体が衰退していったのです。
文明が進歩していないときには、人というのは衣・食・住という人間の生活に欠かせないものを手に入れるためだけにほとんどの時間を費やして暮らします。しかし、文明が進歩することによって、それらを容易に手に入れられるようになり、衣・食・住とは関係のない仕事に従事できるようになります。その結果、さらなる文明の進歩がどんどん加速していくわけです。現在の日本がまさにそのようになっています。今の日本人の多くが、食べるために農作業をしたり狩りをしたりする必要はなく、じっくりとパソコンに向かって仕事したり、工場で働いたりした後、特に時間もかけずに簡単に食べたり飲んだりして、時間を過ごすことができます。
要するに、人間の本能的な欲求を満たすためだけに生きる時間というものが極めて縮小されているわけです。食欲の場合は食べればすぐに空腹が満たされるので何も問題はありません。しかし、性欲の場合は、人間だれしも経験するように、一度その欲望に取り憑かれてしまうと、その間はなかなか他のことに手がつかなくなる上、しかも食欲を満たすのと違って、その欲望を満たすのはそれほど簡単なことではありません。例え満たされたとしても、続けて欲を煽られれば、その後も際限なく性的なものを求めてしまうこともあります。
特に若い頃に性的なものをどんどん吸収してしまうと、大人になってからもその欲を抑える術が身につかず、性的なものばかりに溺れて生きるようになります。当然、性的な行為をいくら繰り返しても、何ら生産することはできず、それどころかその人の頭脳や心はどんどん蝕まれていくばかりです。物事を効率よく考えることができなくなり、モラルに対する考え方も低下してしまいます。人間としての精神レベル、頭脳のレベルが低下してしまうわけです。
しかし、なぜかこの部分について言及する人はこの世に余りいません。煙草や麻薬などと違って、特に目立った後遺症が残るということがないからでしょうか。それに、性的な行為をしなければ子孫が埋めなくなるわけですし、世間ではずっと少子化が騒がれています。セックスレスの夫婦がこれ以上増えると困ると考える人もいるのかも知れません。
しかし、少子化について考える前に、この世に性的な欲求不満ばかりを抱えた人間が増え、それによって国の生産性が低下し、モラルが低下していったならば、その国はもはや衰退していく運命となります。退廃的な雰囲気に満たされた低俗な国家に成り下がってしまいます。今や世間では、芸能人などの間でもできちゃった婚が当たり前のようになっていますが、結婚できたならばまだしも、結婚できない者どうしもいるわけですし、片親のいない子供が増えることもまた国家にとってみればプラスどころかマイナスです。そんな人が増えたところで、国家としてはただの悲劇です。
昔ポルノと呼ばれていた「恥ずかしい」映像・絵画・小説が、今は堂々とお茶の間に入ってきています。その「恥ずかしさ」を人々はなんとかごまかしつつ、時代の進歩だと言い訳して楽しんでいます。その結果、国家の性は乱れに乱れ、今では同性愛者なるものが次から次へと生まれているというのが現状です。メディアもまた同性愛者たちを次々と登場させ、本来ならマイノリティーであるはずのものをマジョリティの位置にまで押し上げようとしています。
日本の国家全体のモラルを低下させ、生産性を低下させようと企む人々が背後にいるということです。初代ロスチャイルドが提唱した25項目の「世界革命行動計画」の一部を引用します。
〈引用〉
8、酒類、ドラッグ、退廃的道徳、あらゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用することで、 諸国家の若者の道徳心を低下させなければならない。 賄賂もペテンも裏切り行為も、それが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない。
9、そうすることで服従と主権を確保できるなら、何がなんでも躊躇うことなく財産を奪い取る権利が自分達にはある。平和的征服の道を進む我々の国家は、盲従を生じさせる「恐怖」を維持するための目的に適う方策で置き換える権利を有する。
10、我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。 今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。 ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、 その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない。 これは我々の旗を掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉である。 「自由・平等・博愛」のための場など自然界に存在しない。 ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。 それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。
〈引用おわり〉
生産性やモラルの低下した人間は、決して自らの意志でビジネスを起こしたり、または人の上に立って指導したり指揮したりすることはできません。もしそれをやったとしても、低次元のことしかできません。その結果、彼らは他の人たちの支配下に置かれることになります。つまり奴隷となるわけです。
ユダヤ人たちは今まさにこの日本民族を乗っ取ろうとしています。日本民族を自らの支配下に置き、奴隷として働かせようとしています。その結果、この日本には長時間労働を強いるブラック企業が蔓延するようになってしまいました。「社畜」という言葉も今では当たり前のように使われるようになってしまいました。目の前にユダヤ人の顔が見えないから、人々はただ経営者や日本政府のみを批判しますが、その背後にはユダヤ金融資本がいるということを分かってください。それは紛れもない事実であり、その構造については、このブログでもさんざん取り上げてきた通りです。
私たちは人間としての崇高さを保たなければなりません。しかし、幸いにも日本人のモラルは欧米人のように低下しているとは私は思っていません。まだまだ健全な精神をもっています。しかし、様々な性的なものが、文化・芸術という形をとって今でもそちこちで若者たちの精神を蝕んでいます。それがこの世の現実です。その現実を無視してはいけません。私たちは先ず自分から自分自身の心を守り、そして周りの人々の心を守っていかなければならないのです。
〈参考リンク〉
アカデミー賞女優ジョディ・フォスターが同性婚。性の乱れはどこまで進むのか。
・・・・・・(転載ここまで)
メディアの目的はとことん庶民を堕落させることを目標としています。
そのためには、芸能、音楽、文化芸術、学問などありとあらゆる分野を使って堕落させようと頑張っています。
なぜ、堕落させることを目標と掲げているのか?
堕落した人生を生きた人間の末路はどうなるでしょうか?
性的刺激に負けて、性的欲求がエスカレートしていき、不倫や性犯罪を求め重ねていくたびに、社会性が希薄となり、食べていくだけの仕事もできない、犯罪、裏切り、欲まみれのカオスの社会で、自分の命が狙われているのではないか?とびくびくしながら生きていかなくてはならなくなります。
そして、結果的に「絶望」が待ち受けているのです。
そして、絶望した人間はどうかんがえるでしょうか?
「こんなに苦しんで、絶望する人生を歩むのなら”いっそ生まれてこなければ良かった”」
と産んでくれた両親やましてや人間を創造した創造主までをも逆恨みするからに他なりません。
まさに、「絶望=生き地獄を味あわせること」が目的なのです。
このような考えを助長するような作家は世に出るべきではありません。
また、ポルノ映画を堂々と宣伝するメディアの感覚もどうかしています。
彼のラジオでの発言がとんでもありません。
・・・・・・・(作家の石田衣良さんが3月23日放送の「5時に夢中!」(TOKYO MX)で子どもと本の関わり方について言及した。)
石田衣良「子どものうちから残酷なもの、やらしいものを与えた方がいい」 残酷な昔話を読み聞かせるべきか問題作家の石田衣良さんが3月23日放送の「5時に夢中!」(TOKYO MX)で子どもと本の関わり方について言及した。
番組では、タレントの小倉優子さんがバラエティ番組で、昔話『桃太郎』について「桃太郎は鬼を成敗しないで話し合ってほしい」と発言したことが取り上げられた。ネットでは「昔話や童話は意外と残酷な話が多い」と子どもに読み聞かせるべきか否かが議論になっている。
これに対して石田さんは「お母さんの気持ちもわかりますけど」と前置きした上で、
「残酷なもの、厳しいもの、やらしいものとかは子どものうちからちょっとずつ与えた方がいいと思います」
と自身の意見を述べた。
残酷な話は「ワクチンと一緒。きれいなものだけでまとめる方が怖い」
・・・・・・(転載ここまで)
やらしいものを与えて何になるのでしょうか?
堕落させたいだけですから仕方ありませんが、完全に狂っていますね。
道徳的退廃が産み出すものは、絶望しかありません。
仕事とはいえ、官能映画に出演しなくてはいけない俳優も可愛そうで仕方ありません。
私達は動物的に生きるのでなく、もっと理知的に生きられるようにしたいものです。
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