化学的去勢とは、男性ホルモンの一種であるテストステロンを抑制する抗男性ホルモン剤の投与により性的欲求を抑制する薬物療法である。ポーランド、ロシア、エストニア、韓国、米国の一部の州などで行われている。
— ”ねこっち”(社会派大喜利) (@B1U3rgXOvpqqhB3) November 18, 2021
抗精神病薬内服すると性欲が無くなります。https://t.co/xIIE4oxUIL https://t.co/NLZI4YTggs pic.twitter.com/jgR2hJ5NcV
今回のテーマは人権侵害です。
私たち人間は
「100歳まで長生きすることが幸せ」なのでしょうか?
「病気をせず生きられることが幸せ」なのでしょうか?
それはつまり、野生の動物が動物園の檻の中で健康管理され食事や寝る場所を与えられ
野生では10年しか生きられない所30年生きることに価値があるとしているだけではないでしょうか?
〉ヒトにおいては高齢者の歯の残存数が少ないと認知症になりやすいことや糖尿病や心臓疾患・脳血管疾患と歯周病との関係性が明らかになってきたが、高齢化は動物園で飼育されている動物も同様
— クリプトン教育情報 (@KriptonEdu) November 16, 2021
麻布大学、よみうりランドと共同でアシカの歯周病を研究 https://t.co/2On9rg1DqT
人間の寿命は100年と言われています。
今の高齢者を見ていて長生きすることが幸せだと思いますか?
人生に目的がなく、日々の目標もなく「何か楽しいことはないか?」とやることを探している人ばかりです。
「心穏やかに生きたい」などということを言う若者が増えていますが、穏やかに生きようとするだけなら「全く欲を持たず、何もしなければいい、そうすれば餓死して死んでいくから」と思います。
しかし本来人間は「植物」のように、ただ一方的に自然の恵みだけを受けて一生を終えるようには設計されていません。
人間は死ぬまで知能を発達させるようにプログラムされています。
RAPT有料記事602(2021年11月1日)変化せず成長しない人は、希望のない空しい生を生きるしかない。しかし、常に変化し成長する人は、喜びと希望に満たされ、真の成功と繁栄の道を行くことができる。
ですから、知能の発達を止める、成長を止めた人たちは、「認知症」痴呆症のようになっていき、廃人のようになってしまうのです。
人間が知能の発達を止めないようにするためにはどうすれば良いのでしょうか?
それは「働き続けること」です。
働くとは何も金を得るために働くことだけではありません。
2つの意味があります。
1つ目に自分の肉体を維持するため
2つ目に自分の霊体を成長させるため
に働くのです。
つまり、「長生きするために生きることが目的ではない」
「健康を維持することが目的ではない」のです。ここを多くの人たちは履き違えています。
また「自己実現するために生きる」という考えも間違っています。
身勝手に生きる、本能のままに生きるのと同義となってしまう可能性があるからです。
人間は「神に向かって生きること」が正しい生き方=一番幸せな生き方なのです。
RAPT有料記事593(2021年9月27日)私たちの霊魂が神のようになれば、悩みも心配もなく、常に力に満ち溢れ、どんなことも成功できるようになる。だから、自分の霊の成長のために時間を惜しんで努力しなさい。
14歳中学生を77日間ベッドに拘束
— ”ねこっち”(社会派大喜利) (@B1U3rgXOvpqqhB3) November 20, 2021
摂食障害で入院の精神科に下った判決は 2021/7/8 https://t.co/ZmRkUZ2QdE 東京地裁は77日間の拘束のうち最後の17日間については必要性が認められず、違法だったと認定。賠償請求額2541万円のうち、精神的苦痛への慰謝料などとして110万円の支払いを命じた。
人間は自分の脳を成長させるために、霊を成長させるために、肉体を使う必要があります。
肉体が行ったことが脳や霊に影響を及ぼすからです。
例えば昆虫は脱皮を繰り返し成長していきます。
人間も細胞が新陳代謝しながら肉体が成長していきます。
肉体の成長が第二次性徴を境に止まりますから、もし人間が他の動物と同じような存在であるなら
第二次性徴以降の人間の存在理由はなくなってしまいます。
しかし実際どうでしょうか?
人生は20歳からではないでしょうか?
それはなぜかというと、人間だけは高度に発達した脳を持っているからです。
その脳を無限に使い続けること、発達し続けることが人間の幸せであり、人間が作られた目的なのです。
RAPT有料記事605(2021年11月13日)肉は神のようになれないが、霊は神のようになれる。だから霊を成長させれば、神のように苦手なものを全て克服して万能になり、この世でもあの世でも栄えることができる。
聖書には「人は神にかたどられて作られた」とありますが、それは見た目だけではありません。
脳機能も神にかたどられて作られているのです。
人間は長生きするために作られたとか人間は健康に生きるために作られたなどと書いてありません。
長生きや健康に生きることが悪いとは言っていませんが、それ自体が人生の目的ではないのです。
もし、現代医療、現代医学が、神の前に謙虚な立場をとっているならば、身体拘束や不要な延命治療といった苦行を味わうことはなかったでしょう。
しかし神に反逆する人間たちが考える思想、「人間は死んだら終わり」「永遠の無」「虚無の世界で生きる」という悪魔思想を元に生きるならば
「たとえ1分でも、いや1秒でも長生きさせてあげたい」(死んだら永遠の孤独、永遠の無の中に意識が閉じ込められてしまうという恐怖から)
と考えるのは自然な流れだと思います。
そうなったとき、現代医療が治療上必要だからという理由で身体拘束をしたり、長生きさせるために、本人の意思に反して延命治療などを行うことは理にかなっているのです。
しかし、治療上必要な倫理的配慮であったとしても身体拘束されたり過度な延命をされている人は幸せなのでしょうか?
違います。
価値観の押し売りなのです。押し付けがましい偽善行為なのです。
心肺停止をしている人に心臓マッサージ、胸骨圧迫を続けると5分もすれば肋骨骨折し、折れた肋骨が肺に突き刺さり、喀血します。
それ以上は昇圧剤を使って心臓を維持するしかありません。
それが本人のためなのでしょうか?
「健康でなければならない」というのは、「この世で終わりだから」という悪魔思想の強い不安の現れです。
死んでから行く世界が、未知であり、永遠の孤独、虚無の世界だと考えていれば、延命や痛みや死を遠ざけたいと考えるのは至極当然のことでしょう。
快楽享楽にふけって廃人になってしまう悪魔崇拝者たちは、ある意味人生の目的や答えを持たず、アルコールや薬物、性的堕落行為を行い、一時の感情に身を任せるだけで、ただただ現実から逃げているにすぎません。
そういった価値観から現代医学が生まれているため、いつまでたっても「押し付けがましい医療」は終わりません。
この身体拘束や延命治療の問題は、悪魔崇拝者たちの「死に対する恐怖」「人生の虚無感」から由来していると思います。
飼い主は一日でも長く生きてほしいと願うもの。腎不全の犬に、延命のための点滴を続けることがあります。症状が進めば、いくら点滴していても毒素が十分に排泄されず、QOLは下がっていきます。その時、点滴を止めることは死を意味します。苦痛からの解放と延命治療の中断は表裏一体の関係です。
— 動物の精神科医 奥田順之 (@okuoku_tamitami) October 30, 2021
このような獣医のツィートからも医療は「苦痛からの解放と延命治療の中断は表裏一体」と相反する矛盾に答えを持っていません。
本当の孤独感、つまり人間が霊的に孤独なら痛みに耐えられないでしょう。
そして痛み呼吸苦にもがき苦しむ人(動物)を見て耐えうることはできないでしょう。
神の存在しない知識、神の存在しない科学にどれだけの有益性や価値があるのでしょうか?一度考えてみると良いと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます