毎週土日の午後開催されている新宿三丁目の銅鑼LIVE に、一昨日の土曜日は、私が所属する”田部フレンズ”が出演する日でした。私は仕事があって遅刻し、2ステージ目だけ参加したのですが、私たちの他に、3バンドが演奏していたようです。
最後に演奏したのは、アルバート式クラリネットの専門家の渡辺毅さんと、普段は”デキシー・キングス”で普通のボエーム式クラリネットやテナーサックス奏者として活躍している白石幸司さん(通称キンちゃん)による、2クラリネットとピアノ、ギター、ベースのリズムセクションでした。キンちゃんは、私が初めてジャズの仕事を依頼された時に、一緒にやって頂いたメンバーの一人で、より親近感のあるプロの奏者です。(しかも男前)この日は、なんとキンちゃんも、アルバート式を一緒に吹くというのです。渡辺さんのクラと同じ、スペリオパイプの歌口のような色のマウスピースを付けていました。
それで、曲目もニューオリンズのスピリチュアル系の曲などをやっていました。キンちゃんも、流石にいつもの軽やかな動きのフレーズではなく、所々に音を張ってアルバート式らしい響きをさせていましたが、結局、キンちゃんらしい品の良さが隠せません。音程もバッチリで、聴いていて気持ちが良いのですが、渡辺さんの演奏を聴くと、ニューオリンズらしいアルバート式の”味”や”コク”のようなモノが際だって聞こえ、とても違うのが面白かったです。
ニューオリンズ・スタイルの”民族性”を改めて、感じました。音程は、悪いより良い方が良いに決まっているのですが、”民族音楽”の”味”となると、きちんと吹く事より、”確信”を持って表現する事の方が、より重要に思われます。
これは、タンゴに於いても同じ。しょせん、日本人でありながら、外国人のスピリットに傾倒して、模倣する立場としては、”その気”になって、”確信”を持って(持ったつもりになって)やるしか道はありません。
ところで、クラシック音楽も、”西ヨーロッパ地方の民族音楽”なんです。学生時代の民族音楽学の授業で北沢方邦先生が、そうおっしゃった時の事を思い出しました。ロマン派の後半の”民族楽派”でなくても、モーツァルトもベートーヴェンも、バッハだって、その当時の市井のメロディを借りてきて作曲しているし、それぞれの生きている時代に空中に漂っていた音楽を無視して、作曲できる筈は無いのです。だから、モーツァルトの作品を弾く時は、モーツァルトの時代の空気をイメージする必要があり、ベートーヴェンしかり、他の作曲家しかり、です。
でも、クラシック音楽は”普遍性”をはっきりと認識したジャンルであり、それ故に、グローバルに、”民族を越えて参加できる音楽”であり、だから日本人である私でも、私なりにやれるのだ、と考えるに至って、やって来ました。
そこで、オールド・ジャズですが、ジョージ・ルイス・スタイルとか、ベニー・グッドマン風とか、サッチモ風、ファッツ・ワーラー風ストライド・ピアノとか、色々スタイルで云われたり分類されたりしているようですが、その中にも、”普遍性”を感じる事ができます。それって、結局、”良いものは良い”っていう事なのかな・・?
昨日の日曜日、西荻窪のミントンハウスというライブハウスで、いつもお世話になっている銅鑼の大将のバンド、”キャナル・ストリート・ジャズ・バンド”に、上山実くんの代役で初出演させて頂きました。飛び入りでは、毎月のように”阿部寛トリオ”の時に弾かせて頂いていますが、昨日、いわば”ミントン・デビュー”をした事になります。そろそろ、”良い演奏”をジャズでも目指さないといけない段階になって来た気がします。
最後に演奏したのは、アルバート式クラリネットの専門家の渡辺毅さんと、普段は”デキシー・キングス”で普通のボエーム式クラリネットやテナーサックス奏者として活躍している白石幸司さん(通称キンちゃん)による、2クラリネットとピアノ、ギター、ベースのリズムセクションでした。キンちゃんは、私が初めてジャズの仕事を依頼された時に、一緒にやって頂いたメンバーの一人で、より親近感のあるプロの奏者です。(しかも男前)この日は、なんとキンちゃんも、アルバート式を一緒に吹くというのです。渡辺さんのクラと同じ、スペリオパイプの歌口のような色のマウスピースを付けていました。
それで、曲目もニューオリンズのスピリチュアル系の曲などをやっていました。キンちゃんも、流石にいつもの軽やかな動きのフレーズではなく、所々に音を張ってアルバート式らしい響きをさせていましたが、結局、キンちゃんらしい品の良さが隠せません。音程もバッチリで、聴いていて気持ちが良いのですが、渡辺さんの演奏を聴くと、ニューオリンズらしいアルバート式の”味”や”コク”のようなモノが際だって聞こえ、とても違うのが面白かったです。
ニューオリンズ・スタイルの”民族性”を改めて、感じました。音程は、悪いより良い方が良いに決まっているのですが、”民族音楽”の”味”となると、きちんと吹く事より、”確信”を持って表現する事の方が、より重要に思われます。
これは、タンゴに於いても同じ。しょせん、日本人でありながら、外国人のスピリットに傾倒して、模倣する立場としては、”その気”になって、”確信”を持って(持ったつもりになって)やるしか道はありません。
ところで、クラシック音楽も、”西ヨーロッパ地方の民族音楽”なんです。学生時代の民族音楽学の授業で北沢方邦先生が、そうおっしゃった時の事を思い出しました。ロマン派の後半の”民族楽派”でなくても、モーツァルトもベートーヴェンも、バッハだって、その当時の市井のメロディを借りてきて作曲しているし、それぞれの生きている時代に空中に漂っていた音楽を無視して、作曲できる筈は無いのです。だから、モーツァルトの作品を弾く時は、モーツァルトの時代の空気をイメージする必要があり、ベートーヴェンしかり、他の作曲家しかり、です。
でも、クラシック音楽は”普遍性”をはっきりと認識したジャンルであり、それ故に、グローバルに、”民族を越えて参加できる音楽”であり、だから日本人である私でも、私なりにやれるのだ、と考えるに至って、やって来ました。
そこで、オールド・ジャズですが、ジョージ・ルイス・スタイルとか、ベニー・グッドマン風とか、サッチモ風、ファッツ・ワーラー風ストライド・ピアノとか、色々スタイルで云われたり分類されたりしているようですが、その中にも、”普遍性”を感じる事ができます。それって、結局、”良いものは良い”っていう事なのかな・・?
昨日の日曜日、西荻窪のミントンハウスというライブハウスで、いつもお世話になっている銅鑼の大将のバンド、”キャナル・ストリート・ジャズ・バンド”に、上山実くんの代役で初出演させて頂きました。飛び入りでは、毎月のように”阿部寛トリオ”の時に弾かせて頂いていますが、昨日、いわば”ミントン・デビュー”をした事になります。そろそろ、”良い演奏”をジャズでも目指さないといけない段階になって来た気がします。