ビリー・ホリデー自伝「奇妙な果実」を読んだ。代々木上原の独特の雰囲気の古本屋で買った本だ。1971年に油井正一&大橋巨泉の訳で出版されている。
日頃、ジャズ仲間からアメリカ国内での黒人差別に関して「黒人は白人のバンマスに話しもまともに出来ないんだぜ」と聞いていてもピンと来なかったが、ビリー・ホリデーの本を読むと、その凄まじさが具体的に想像出来た。想像出来て、気分が悪くなってくるほどだ。
ビリーの曾祖母は奴隷時代の人で、ビリーは主の子供を沢山産んだ曾祖母の子孫の一人。子供の時から大柄できれいで目立ったらしい。生まれた時は母親が13歳だったので伯母の家に預けられ虐められ、不良扱いされ、レイプされ感化院に入れられ、それでも逞しく成長しながら音楽を心の拠り所にしていく。ある時母親と二人その日の宿にも困る程の困窮した時に、ダンサーとして雇って貰おうとオーディションに行ったけれどダメで、ピアニストが「歌は歌えないか?」と一言助け船を出してくれて歌ってみせて、以来歌手になった。しかし、黒人が少しでも良い生活をしようとすると迫害される。白人と同じホテルに泊まれない。良いレストランでは入場を断られる。同行の白人バンドメンバーが抗議してくれて騒ぎになる。
ビリーの付き人に毛皮のコートを貸すと「お前がそんな良い恰好が出来る訳がない。盗んだのだろう」と殴られる。警察も全く信用出来ない。黒人に生まれた事で、毎日が闘いの連続だ。ドラッグのせいで何度も刑務所に入る。一旦足を踏み入れてしまった道から脱け出す辛さを語るビリー。イギリスでは当時から既に徐々に使用を減らす医学プログラムがあり、アメリカもそれをやってくれたらどんなに楽に、効果的にやめられかを語るビリー。闘いの中で逞しく這い上がり、突き落とされ、また這い上がり…騙されたり、辛酸を舐める思いをどれだけ繰り返したか分からないが、失意を乗り越えて、味わい深い歌を歌って人気を博した。
卑屈になる事なく常にプライドを高く保持してレディと渾名される。ニューオリンズという映画の中で“ニューオリンズを懐かしいとはどういう意味か分かる?”という歌を歌う女中役で出ているが、その歌に惹かれクラシック演奏会で歌ってしまう白人お嬢様歌手が主役に作られている。その女優、ドロシー・パトリックはビリーを毛嫌いして、大変感じが悪かったそうだ。しかし、私が買ったDVD には、キャスト:ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイ、ドロシー・パトリックの順に名前が書いてある。ビリーは「白いドレスを着て歌ったシーンが全部カットされていた」と書いているが、そのシーンがもし残っていたら見てみたいものだ。
そもそも”奇妙な果実”とは、リンチに遭った黒人が木からぶらさがっている様子の事だという。この歌はビリーの看板の歌となったが、歌うたびにビリーは酷い疲労感を覚えたと言う。彼女の父親(ビリーが生まれた時は15歳だった)が黒人ゆえに病院で診てもらえず、手遅れになって死んだ時の事とオーバーラップしたと言うのだ。
彼女自身、1959年44歳で死ぬ直前さえ、黒い肌の麻薬患者を理由に、ニューヨークのメトロポリタン病院で、長時間にわたり廊下に放置されていたそうだ。何とも、想像を超えた話だ。
彼女の死後、公民権運動が盛り上がりキング牧師の有名な"I Have a Dream" の演説でピークを迎えながらも「あれは、いつか暗殺されるだろう」と人々は囁き、それは恐ろしいことに現実となる。
21世紀になった今日、アメリカで初めてアフリカ系といわれる黒人の大統領候補が登場した。しかし、そのオバマ氏も「いつか暗殺されないだろうか・・?」と人々はひそひそ噂をしている、とオバマ支持のボボ・グリーン氏も言っていた。
私たち日本人は、身近にアフリカ系の人々と接する機会が少ないので、本音の部分を全否定する資格は無いかもしれないが、少なくとも、文化を含めて歴史を学ぶ事は大切だと思う。
日頃、ジャズ仲間からアメリカ国内での黒人差別に関して「黒人は白人のバンマスに話しもまともに出来ないんだぜ」と聞いていてもピンと来なかったが、ビリー・ホリデーの本を読むと、その凄まじさが具体的に想像出来た。想像出来て、気分が悪くなってくるほどだ。
ビリーの曾祖母は奴隷時代の人で、ビリーは主の子供を沢山産んだ曾祖母の子孫の一人。子供の時から大柄できれいで目立ったらしい。生まれた時は母親が13歳だったので伯母の家に預けられ虐められ、不良扱いされ、レイプされ感化院に入れられ、それでも逞しく成長しながら音楽を心の拠り所にしていく。ある時母親と二人その日の宿にも困る程の困窮した時に、ダンサーとして雇って貰おうとオーディションに行ったけれどダメで、ピアニストが「歌は歌えないか?」と一言助け船を出してくれて歌ってみせて、以来歌手になった。しかし、黒人が少しでも良い生活をしようとすると迫害される。白人と同じホテルに泊まれない。良いレストランでは入場を断られる。同行の白人バンドメンバーが抗議してくれて騒ぎになる。
ビリーの付き人に毛皮のコートを貸すと「お前がそんな良い恰好が出来る訳がない。盗んだのだろう」と殴られる。警察も全く信用出来ない。黒人に生まれた事で、毎日が闘いの連続だ。ドラッグのせいで何度も刑務所に入る。一旦足を踏み入れてしまった道から脱け出す辛さを語るビリー。イギリスでは当時から既に徐々に使用を減らす医学プログラムがあり、アメリカもそれをやってくれたらどんなに楽に、効果的にやめられかを語るビリー。闘いの中で逞しく這い上がり、突き落とされ、また這い上がり…騙されたり、辛酸を舐める思いをどれだけ繰り返したか分からないが、失意を乗り越えて、味わい深い歌を歌って人気を博した。
卑屈になる事なく常にプライドを高く保持してレディと渾名される。ニューオリンズという映画の中で“ニューオリンズを懐かしいとはどういう意味か分かる?”という歌を歌う女中役で出ているが、その歌に惹かれクラシック演奏会で歌ってしまう白人お嬢様歌手が主役に作られている。その女優、ドロシー・パトリックはビリーを毛嫌いして、大変感じが悪かったそうだ。しかし、私が買ったDVD には、キャスト:ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイ、ドロシー・パトリックの順に名前が書いてある。ビリーは「白いドレスを着て歌ったシーンが全部カットされていた」と書いているが、そのシーンがもし残っていたら見てみたいものだ。
そもそも”奇妙な果実”とは、リンチに遭った黒人が木からぶらさがっている様子の事だという。この歌はビリーの看板の歌となったが、歌うたびにビリーは酷い疲労感を覚えたと言う。彼女の父親(ビリーが生まれた時は15歳だった)が黒人ゆえに病院で診てもらえず、手遅れになって死んだ時の事とオーバーラップしたと言うのだ。
彼女自身、1959年44歳で死ぬ直前さえ、黒い肌の麻薬患者を理由に、ニューヨークのメトロポリタン病院で、長時間にわたり廊下に放置されていたそうだ。何とも、想像を超えた話だ。
彼女の死後、公民権運動が盛り上がりキング牧師の有名な"I Have a Dream" の演説でピークを迎えながらも「あれは、いつか暗殺されるだろう」と人々は囁き、それは恐ろしいことに現実となる。
21世紀になった今日、アメリカで初めてアフリカ系といわれる黒人の大統領候補が登場した。しかし、そのオバマ氏も「いつか暗殺されないだろうか・・?」と人々はひそひそ噂をしている、とオバマ支持のボボ・グリーン氏も言っていた。
私たち日本人は、身近にアフリカ系の人々と接する機会が少ないので、本音の部分を全否定する資格は無いかもしれないが、少なくとも、文化を含めて歴史を学ぶ事は大切だと思う。