”武蔵野タンゴを聴く会”主催『タンギッシモ・ライブ・コンサート』クラビノーバをプリウスで運搬して伺いました。去年は無理矢理調律して下さった現場のアプライト・ピアノを弾いたし、その前はコミセンで骨董品ピアノを弾いたし、井の頭通りに入いり損なって迷子になったのは一昨年でしたか・・。今回は地図をよく予習して行ったのでバッチリ。予定より30分早く着きました。
写真は、本番が始まる少し前、客席の皆さんを撮らせて頂きました。
エレピ、バンドネオン譜が乗った譜面台も写っています。会場は、三鷹のパブで、カラオケ用の大きな液晶モニターが壁にかかリ、その下のステージは使われないアプライト・ピアノが置いてありますが、バンドネオンとエレピとがなんとか乗る広さ。客席は左右にソファが広がっていて、上手寄りの一部の方は、ステージが見にくいようです。でも、どんな会場でも、喜んで聴いて下さる方がいらしたら、タンゴやらせて頂きますよ。
主宰者で司会進行の渡邊士郎さんから「岡本さんが一番お好きなバンドネオン奏者は、リベルテーラーなのでは?」と質問をされて、我がバンマス、岡本昭さんは「リベルテーラーもいいんだけれど、私が一番尊敬しているのは、何と云ってもトロイロです。トロイロは、他の人には無い”神秘的”な響きというものがありました。そして、日本でそれに近い雰囲気を持っていたのが前田照光さんです」と答えていらっしゃいました。
本番後の打ち上げティータイムにバンマスの姿は無く、足柄山へとっととお帰りになってしまいましたが、話題にその続きの話が出ました。昭和30年代のタンゴ・ブーム当時、誰が”日本一”だったか?
当時、数多くあるタンゴ・バンドの中でトップバンドとして一世を風靡した”早川真平とオルケスタ・ティピカ東京に所属したトップ・プレイヤーの中で、岡本さんはいつも「前田さんが最高だった」とおっしゃるのを何回も聞いたことがありますが、渡邊さんのお話では「前田さんに聞くと、『ポンちゃん(岡本さんのニックネーム)が一番だったね』と言われるんですよね」
なんて麗しいお話でしょう!
「一番、指がよくまわって技術的に優れていたのが岡本さんで、前田さんはアルゼンチン・タンゴを良く理解していて、歌わせるのが一番上手いと言われていたようですね」と渡邊さんの談。
岡本さんは、その前田さんから「色々学んだ」こともあり、それも含めて、今日ご一緒させて頂いて感じる”ありがたみエキス”になっているのだろうと思います。
70代になった時に、そんなエキスのある人間でいられるだろうか・・と考えると、もう遅いか?
せめて少しは、人を喜ばせられる存在でいたいが・・。

写真は、本番が始まる少し前、客席の皆さんを撮らせて頂きました。

エレピ、バンドネオン譜が乗った譜面台も写っています。会場は、三鷹のパブで、カラオケ用の大きな液晶モニターが壁にかかリ、その下のステージは使われないアプライト・ピアノが置いてありますが、バンドネオンとエレピとがなんとか乗る広さ。客席は左右にソファが広がっていて、上手寄りの一部の方は、ステージが見にくいようです。でも、どんな会場でも、喜んで聴いて下さる方がいらしたら、タンゴやらせて頂きますよ。
主宰者で司会進行の渡邊士郎さんから「岡本さんが一番お好きなバンドネオン奏者は、リベルテーラーなのでは?」と質問をされて、我がバンマス、岡本昭さんは「リベルテーラーもいいんだけれど、私が一番尊敬しているのは、何と云ってもトロイロです。トロイロは、他の人には無い”神秘的”な響きというものがありました。そして、日本でそれに近い雰囲気を持っていたのが前田照光さんです」と答えていらっしゃいました。
本番後の打ち上げティータイムにバンマスの姿は無く、足柄山へとっととお帰りになってしまいましたが、話題にその続きの話が出ました。昭和30年代のタンゴ・ブーム当時、誰が”日本一”だったか?
当時、数多くあるタンゴ・バンドの中でトップバンドとして一世を風靡した”早川真平とオルケスタ・ティピカ東京に所属したトップ・プレイヤーの中で、岡本さんはいつも「前田さんが最高だった」とおっしゃるのを何回も聞いたことがありますが、渡邊さんのお話では「前田さんに聞くと、『ポンちゃん(岡本さんのニックネーム)が一番だったね』と言われるんですよね」
なんて麗しいお話でしょう!
「一番、指がよくまわって技術的に優れていたのが岡本さんで、前田さんはアルゼンチン・タンゴを良く理解していて、歌わせるのが一番上手いと言われていたようですね」と渡邊さんの談。
岡本さんは、その前田さんから「色々学んだ」こともあり、それも含めて、今日ご一緒させて頂いて感じる”ありがたみエキス”になっているのだろうと思います。
70代になった時に、そんなエキスのある人間でいられるだろうか・・と考えると、もう遅いか?

