文京区、春日町交差点。
近くでミーティングがあっての帰り道。横断歩道で一瞬止まり、後楽園を背にして、白山方向を写しました。
この界隈で私の人生は始まりました。生まれた病院は新宿ですけどね・・。
4歳になってすぐ引っ越ししたので、記憶はかなりカスカチョウ・・(すみません、笑って下さい)何十年も経っているので、記憶に残っていたとしても、ずいぶん変わっているので、自分が住んでいた実感はうすいのですが、それでも何か感じる。それが、何なのかな~、とずっと考えています。
高校3年の終わり頃に、アテネ・フランセの帰り道、御茶ノ水駅ホームから丸の内線の赤い車両見て、何だか分からない懐かしさを感じた事がありました。よく考えてみたら、春日町に住んでいた時のかすかな記憶に思い至りました。「そーか、これが懐かしいということか・・」と初めて思ったのでした。
その次に、大学生の頃、上野広小路の大きな交差点で横断歩道を歩きながら「知っている感覚」に出会いました。田舎と言っても過言ではない景色の中に住んでいるので、都会の景色の方が私にとっての”ふるさと”なのです。記憶喪失者な訳ではないけれど、記憶の根っこから繊維がほぐれてばらばら出て来るような感じに驚いたものです。
でもこれらは、ノスタルジーとは違う感じがします。4歳までの自分に特に投げかける気持ちは無いからです。
2~3年前に、久しぶりに御茶ノ水の周辺を歩いていて、アテネフランセ方向への道にさしかかった時に、高校時代から大学時代の自分を思い出して「あの頃は、現在の自分を想像もできなかったなー。いずれにしても大した者にはなっていないが・・」と思って、なかば切なく、なかば自嘲気味に感じたのはノスタルジーでした。
記憶の構造ってどうなってるのでしょうね?
一番最初の記憶は、この春日町(真砂町とも呼んでいた)のアパートで、「だってこの子がご飯食べないんですもの」と言って台所の布巾で、母が涙を拭いている場面でしたが、それも、何度か思い出しているうちに、思い出すトレーニングのようになってしまって、今では、本当に覚えているのかどうか怪しくなってしまいました。
春日町で白山通りを歩きながら、「この道だったかしら?」「こっちだったのかしら?」と小路を覗いて、いずれにしても変わってしまっているんだろうけど、でも、記憶の倉庫の床下収納庫を開けたような、不思議な、妙に惹かれる感覚が残りました。
この写真の右奧の一角に、アパートがあった筈なんですけどねー。
機会があったら突き止めてみたいと思ったりするんですが、なかなか・・。でも、行き当たって、古いアルバムに貼ってある、ちっちゃい女の子がそこに居たりしたら、コワイかもねー。”うる星やつら”の読み過ぎかな・・?
近くでミーティングがあっての帰り道。横断歩道で一瞬止まり、後楽園を背にして、白山方向を写しました。
この界隈で私の人生は始まりました。生まれた病院は新宿ですけどね・・。
4歳になってすぐ引っ越ししたので、記憶はかなりカスカチョウ・・(すみません、笑って下さい)何十年も経っているので、記憶に残っていたとしても、ずいぶん変わっているので、自分が住んでいた実感はうすいのですが、それでも何か感じる。それが、何なのかな~、とずっと考えています。
高校3年の終わり頃に、アテネ・フランセの帰り道、御茶ノ水駅ホームから丸の内線の赤い車両見て、何だか分からない懐かしさを感じた事がありました。よく考えてみたら、春日町に住んでいた時のかすかな記憶に思い至りました。「そーか、これが懐かしいということか・・」と初めて思ったのでした。
その次に、大学生の頃、上野広小路の大きな交差点で横断歩道を歩きながら「知っている感覚」に出会いました。田舎と言っても過言ではない景色の中に住んでいるので、都会の景色の方が私にとっての”ふるさと”なのです。記憶喪失者な訳ではないけれど、記憶の根っこから繊維がほぐれてばらばら出て来るような感じに驚いたものです。
でもこれらは、ノスタルジーとは違う感じがします。4歳までの自分に特に投げかける気持ちは無いからです。
2~3年前に、久しぶりに御茶ノ水の周辺を歩いていて、アテネフランセ方向への道にさしかかった時に、高校時代から大学時代の自分を思い出して「あの頃は、現在の自分を想像もできなかったなー。いずれにしても大した者にはなっていないが・・」と思って、なかば切なく、なかば自嘲気味に感じたのはノスタルジーでした。
記憶の構造ってどうなってるのでしょうね?
一番最初の記憶は、この春日町(真砂町とも呼んでいた)のアパートで、「だってこの子がご飯食べないんですもの」と言って台所の布巾で、母が涙を拭いている場面でしたが、それも、何度か思い出しているうちに、思い出すトレーニングのようになってしまって、今では、本当に覚えているのかどうか怪しくなってしまいました。
春日町で白山通りを歩きながら、「この道だったかしら?」「こっちだったのかしら?」と小路を覗いて、いずれにしても変わってしまっているんだろうけど、でも、記憶の倉庫の床下収納庫を開けたような、不思議な、妙に惹かれる感覚が残りました。
この写真の右奧の一角に、アパートがあった筈なんですけどねー。
機会があったら突き止めてみたいと思ったりするんですが、なかなか・・。でも、行き当たって、古いアルバムに貼ってある、ちっちゃい女の子がそこに居たりしたら、コワイかもねー。”うる星やつら”の読み過ぎかな・・?