翌日は、本来の目的の、伯父の三回忌の当日です。
6時に起きて、7時朝食、8時に駅に向かいました。
倉敷から山陽本線で福山まで40分。それから福塩線というローカル線に乗り換えて30分。戸手という駅で下車。迎えに来てくれた従兄弟のプリウスで、伯父の家へ。
曹洞宗の中興寺のご住職が、全体の流れを説明して下さり、所々に法話や解説が入る他は、もっぱら全員で配られたお経を音読します。一瞬「脳トレのようだ」と頭によぎったりしながら、息継ぎの場所を考えながら(ブレスしていると置いていかれる)集中して、読み続けます。
50分程で、一通りの法要が終わって、お墓参り。
コケに滑って転ばないように気をつけながら直径10cm位の石を踏みしめ、一族のお墓を目指して上ります。伯母が用意してくれた虫除けシートのお陰で、腕は大丈夫でしたが、足は蚊の餌食になっていました。
お線香を一人1本ずつ立て、ご住職が短いお経を唱えてくださり、記念写真を撮って、今度はお寺へ。
去年改修したという本堂に上がって、全員でお焼香をした後、本堂の案内をして下さり、普通は見られない奥の部屋も見せて下さいました。中興寺は700年前に鎌倉の建長寺から分かれた、歴史あるお寺だそうですが、建物は350年経っていて、茅葺き用の柱や梁なのに、明治以降に瓦を乗せた為に構造上危なくなって、去年改修工事をしたのだそうです。
代々のご住職の古いお位牌や、高僧の像などご説明を聞いているうちに、「そうか、檀家に支えられて存続しているのだから、実情を公開する必要性があるのだ」と気がつきました。伯母も「寄付したから、見せてくれるんやわね」とコソッと言っていました。
本質を外さずに、現代の日本社会に活きた仏教のあり方として、努力されているのを感じました。
再び伯父の家に戻り、いよいよお会食。
写真のお膳が20くらい並びました。かなりの量でしたがどんどん口に運び、一年ぶりに会った、年の近い四国の従兄弟たちの近況を聞いたり、思い出話をしたり、短い時間を貪るように過ごしました。
そして、音楽好きだった伯父を偲んで、私が伴奏をして、全員で歌を歌いました。『千の風になって』『遥かな友に』『椰子の実』の3曲。全員でお経を音読した時に負けないくらいの、一族としての絆があったように思いました。
本当に音楽が好きだった伯父は、遠く離れていても、沢山いる甥や姪の中でも、私についての話を結構していた、と従姉妹の旦那さんから聞いて、以前に達筆で手紙をくれた事など思い出しました。私が小学生の時に夏休みに来た時にすでにあったグランドピアノ。その伯父のピアノを弾く事ができて良かったと思いました。
慌ただしく四国組が帰り、「みんな元気で幸せでいて欲しい」と心から願いながら、私たちも家路につきました。
帰りの上り新幹線の新神戸付近で、弟一家が今日から神戸へ遊びに行くと言っていた事を思い出しました。ちょうど近くを通っている事を知らせようと義妹にメールを送ったら、「私たちの新幹線は、まだ掛川を過ぎた辺りです」という返事。
「夕焼け見えてる?」とメールすると、「夕焼け見えてます。恐らく岐阜羽島付近ですれ違うかも」という返事が返って来ました。
のぞみ号同士のすれ違いって、本当に物凄いスピードなので、16両ずつのすれ違いでも2秒もかからず、お互いを揺すり合って通り過ぎるものですが、それでも、家族が乗っている新幹線だと思うと、他の新幹線とは違う、特別な新幹線に思えるから不思議です。
相手の名古屋到着時間を知らせてきたので、その時点からの中間の一を計算して、19痔21分頃にすれ違いそうだと分かりました。
そして、
「これかな?」
弟から 「今、通り過ぎた?」「うん、今、木曽川の鉄橋を過ぎた」
「ちょうどこちらも鉄橋だわ。やったね!」
全く、密かな、ウチだけの喜びではありましたが、何だか嬉しくて、ずっと覚えておきたい想い出となりました。
岡山駅で買った“あなご弁当”“さわら弁当”“ままかり弁当”を3人で分けっこして頂いたのですが、どれも美味しく、『終わり良ければ全て良し』 愉しい旅となりました。
6時に起きて、7時朝食、8時に駅に向かいました。
倉敷から山陽本線で福山まで40分。それから福塩線というローカル線に乗り換えて30分。戸手という駅で下車。迎えに来てくれた従兄弟のプリウスで、伯父の家へ。
曹洞宗の中興寺のご住職が、全体の流れを説明して下さり、所々に法話や解説が入る他は、もっぱら全員で配られたお経を音読します。一瞬「脳トレのようだ」と頭によぎったりしながら、息継ぎの場所を考えながら(ブレスしていると置いていかれる)集中して、読み続けます。
50分程で、一通りの法要が終わって、お墓参り。
コケに滑って転ばないように気をつけながら直径10cm位の石を踏みしめ、一族のお墓を目指して上ります。伯母が用意してくれた虫除けシートのお陰で、腕は大丈夫でしたが、足は蚊の餌食になっていました。
お線香を一人1本ずつ立て、ご住職が短いお経を唱えてくださり、記念写真を撮って、今度はお寺へ。
去年改修したという本堂に上がって、全員でお焼香をした後、本堂の案内をして下さり、普通は見られない奥の部屋も見せて下さいました。中興寺は700年前に鎌倉の建長寺から分かれた、歴史あるお寺だそうですが、建物は350年経っていて、茅葺き用の柱や梁なのに、明治以降に瓦を乗せた為に構造上危なくなって、去年改修工事をしたのだそうです。
代々のご住職の古いお位牌や、高僧の像などご説明を聞いているうちに、「そうか、檀家に支えられて存続しているのだから、実情を公開する必要性があるのだ」と気がつきました。伯母も「寄付したから、見せてくれるんやわね」とコソッと言っていました。
本質を外さずに、現代の日本社会に活きた仏教のあり方として、努力されているのを感じました。
再び伯父の家に戻り、いよいよお会食。
写真のお膳が20くらい並びました。かなりの量でしたがどんどん口に運び、一年ぶりに会った、年の近い四国の従兄弟たちの近況を聞いたり、思い出話をしたり、短い時間を貪るように過ごしました。
そして、音楽好きだった伯父を偲んで、私が伴奏をして、全員で歌を歌いました。『千の風になって』『遥かな友に』『椰子の実』の3曲。全員でお経を音読した時に負けないくらいの、一族としての絆があったように思いました。
本当に音楽が好きだった伯父は、遠く離れていても、沢山いる甥や姪の中でも、私についての話を結構していた、と従姉妹の旦那さんから聞いて、以前に達筆で手紙をくれた事など思い出しました。私が小学生の時に夏休みに来た時にすでにあったグランドピアノ。その伯父のピアノを弾く事ができて良かったと思いました。
慌ただしく四国組が帰り、「みんな元気で幸せでいて欲しい」と心から願いながら、私たちも家路につきました。
帰りの上り新幹線の新神戸付近で、弟一家が今日から神戸へ遊びに行くと言っていた事を思い出しました。ちょうど近くを通っている事を知らせようと義妹にメールを送ったら、「私たちの新幹線は、まだ掛川を過ぎた辺りです」という返事。
「夕焼け見えてる?」とメールすると、「夕焼け見えてます。恐らく岐阜羽島付近ですれ違うかも」という返事が返って来ました。
のぞみ号同士のすれ違いって、本当に物凄いスピードなので、16両ずつのすれ違いでも2秒もかからず、お互いを揺すり合って通り過ぎるものですが、それでも、家族が乗っている新幹線だと思うと、他の新幹線とは違う、特別な新幹線に思えるから不思議です。
相手の名古屋到着時間を知らせてきたので、その時点からの中間の一を計算して、19痔21分頃にすれ違いそうだと分かりました。
そして、
「これかな?」
弟から 「今、通り過ぎた?」「うん、今、木曽川の鉄橋を過ぎた」
「ちょうどこちらも鉄橋だわ。やったね!」
全く、密かな、ウチだけの喜びではありましたが、何だか嬉しくて、ずっと覚えておきたい想い出となりました。
岡山駅で買った“あなご弁当”“さわら弁当”“ままかり弁当”を3人で分けっこして頂いたのですが、どれも美味しく、『終わり良ければ全て良し』 愉しい旅となりました。