廊下が寒い、真冬になりましたなー。
家の中をちょっと移動するにもオックウになる、フットワークの重くなる季節でんなあ。
半冬眠・・・。
・・してる場合か~
まだまだ許されません
前回の翌日の事です。
12月9日。
新宿のホテルに滞在中のアルティコスの面々と、10時半から、三丁目銅鑼をお借りしてリハーサル。
先ずは、今回お初の曲を1曲ずつ。始まりました、ヴィッレ先生の一党独占支配。去年もこうだったなー、と思いながら。「イクミ、ここはin Tempo。ここから急激にアッチェレランド。ここは遅くしない。」完全に一方的な“ご指示”が飛んで来るわけです。
う~ん、ここは緩めたいなあ、ここら辺から速くしたいなあ、と、同じピアソラの同じ曲でも、聴いているバージョンが違うらしく、イメージが違うのです。同じ“Adios Nonino‘ でも、いくつもライヴ演奏の録音が残っており、私は2001年にオウルンサロ音楽祭用に編曲した時に、4~5バージョンを聴き比べて美味しい所取りをして纏めたので、私には私なりの“決定版”があります。それに、なんで100% お手本どおりを目指しているの? おんなじ演奏を再現するだけなら、CD聴くのと同じじゃん! 「録音はこうだ!」と言いながらサムソン製のiPod もどきを聴かせる時の勝ち誇った態度はなんだ~!
・・などモロモロ、私にも言い分はありましたが、「これしか無い」と確信しているエネルギーに対して、「こうしたら、どうかな? 試してみる?」などと悠長にやっている時間も無く、彼の確固たる情熱の純粋さを尊重して、98% 譲りました。何しろ遠来のゲストですし。でも、時には「これは、私の好みじゃないけど、今回はアータに付いてってあげるワ!」くらいの事は、私の中学生英語で、色んな顔をしながら言わせてもらいやしたゼ。そうした時に見せるヴィッレの、ちょっと上気した、ちょっとハニカんだような笑顔が、けっこう可愛くて、許せたりするのです。これに味をしめて、3回くらい言ってやりました。
そう、同じスピードでも、馬車馬のようにどんどん突っ込んで行くか、遊び心が入る隙間を感じるかでは、テンポ感が違うのです。私は、「どーだ!」というテンポのテクニックを見せる“快速”だけでなく、どの瞬間にも心遊ばせる“味わい”の方を優先したいのに・・と、思う訳であります。ちょっとミスった曲は「もう、やりたくない」と言い張るし、若いんだな。蒼いよ、キミ! 40代後半にもなれば、きっと分かってくるかな。(たまたま昨日、BS百年インタビューで、小沢征爾さんが『熟成』の話をしていらして、流石に誰にでも分かりやすい話がお上手、と感心しました。)
でも、若い勢いも素晴らしく、価値があります。だから、憎まれ口でなく「今回のところは・・」というのは、私自身の中で、全く無理のない、腹に据えかねたようなモノではなく、半分以上納得して、仲良く演奏できました。
曲目プログラムに関しても、色々ありました。(「てんてん消し日和」参照)
私自身は、《芸術》というものを初めから意識するタイプではありません。その場に相応しく、聴いて下さる方が楽しめるものをやって、その中に“芸術性”を感じて頂ければ、それはそれで善し。「ワタクシはアーチストです。道を開けるよーに!」みたいな(かなり言い過ぎ)のは、合いませんなー。自分の中で、一番美しいものを表現したいときに、真心を純粋に表わせたら、それで充分。聴いて下さった方が喜んで下さったら、大喜び。「涙が出た」と言われたら、こっちも泣いちゃう・・という質なんです。
だから、お客様に楽しんで頂ける曲を入れたい! ミントンハウスは、私の仕切りですから、今回のNew レパートリーの中に何曲か入れさせて貰いました。
そして、トラディショナル・ジャズの殿堂である“ミントンハウス”では、タンゴ・バンドであろうと、1曲は必ずジャズのナンバーを演るお約束になっているので、この日ちょうど空いていらしたギタリストの阿部寛さんに、タンゴに1曲参加して頂き、ジャズ・ナンバーとして“スマイル”にも入って頂きました。
みんなでやれば、より愉しいー、ってことで、記念撮影。
他の写真は、http://mintonhouse.at.webry.info/200912/article_10.html で、ご覧頂けます。
つづく・・・。

家の中をちょっと移動するにもオックウになる、フットワークの重くなる季節でんなあ。

半冬眠・・・。

・・してる場合か~

まだまだ許されません

前回の翌日の事です。
12月9日。
新宿のホテルに滞在中のアルティコスの面々と、10時半から、三丁目銅鑼をお借りしてリハーサル。
先ずは、今回お初の曲を1曲ずつ。始まりました、ヴィッレ先生の一党独占支配。去年もこうだったなー、と思いながら。「イクミ、ここはin Tempo。ここから急激にアッチェレランド。ここは遅くしない。」完全に一方的な“ご指示”が飛んで来るわけです。
う~ん、ここは緩めたいなあ、ここら辺から速くしたいなあ、と、同じピアソラの同じ曲でも、聴いているバージョンが違うらしく、イメージが違うのです。同じ“Adios Nonino‘ でも、いくつもライヴ演奏の録音が残っており、私は2001年にオウルンサロ音楽祭用に編曲した時に、4~5バージョンを聴き比べて美味しい所取りをして纏めたので、私には私なりの“決定版”があります。それに、なんで100% お手本どおりを目指しているの? おんなじ演奏を再現するだけなら、CD聴くのと同じじゃん! 「録音はこうだ!」と言いながらサムソン製のiPod もどきを聴かせる時の勝ち誇った態度はなんだ~!
・・などモロモロ、私にも言い分はありましたが、「これしか無い」と確信しているエネルギーに対して、「こうしたら、どうかな? 試してみる?」などと悠長にやっている時間も無く、彼の確固たる情熱の純粋さを尊重して、98% 譲りました。何しろ遠来のゲストですし。でも、時には「これは、私の好みじゃないけど、今回はアータに付いてってあげるワ!」くらいの事は、私の中学生英語で、色んな顔をしながら言わせてもらいやしたゼ。そうした時に見せるヴィッレの、ちょっと上気した、ちょっとハニカんだような笑顔が、けっこう可愛くて、許せたりするのです。これに味をしめて、3回くらい言ってやりました。
そう、同じスピードでも、馬車馬のようにどんどん突っ込んで行くか、遊び心が入る隙間を感じるかでは、テンポ感が違うのです。私は、「どーだ!」というテンポのテクニックを見せる“快速”だけでなく、どの瞬間にも心遊ばせる“味わい”の方を優先したいのに・・と、思う訳であります。ちょっとミスった曲は「もう、やりたくない」と言い張るし、若いんだな。蒼いよ、キミ! 40代後半にもなれば、きっと分かってくるかな。(たまたま昨日、BS百年インタビューで、小沢征爾さんが『熟成』の話をしていらして、流石に誰にでも分かりやすい話がお上手、と感心しました。)
でも、若い勢いも素晴らしく、価値があります。だから、憎まれ口でなく「今回のところは・・」というのは、私自身の中で、全く無理のない、腹に据えかねたようなモノではなく、半分以上納得して、仲良く演奏できました。

曲目プログラムに関しても、色々ありました。(「てんてん消し日和」参照)
私自身は、《芸術》というものを初めから意識するタイプではありません。その場に相応しく、聴いて下さる方が楽しめるものをやって、その中に“芸術性”を感じて頂ければ、それはそれで善し。「ワタクシはアーチストです。道を開けるよーに!」みたいな(かなり言い過ぎ)のは、合いませんなー。自分の中で、一番美しいものを表現したいときに、真心を純粋に表わせたら、それで充分。聴いて下さった方が喜んで下さったら、大喜び。「涙が出た」と言われたら、こっちも泣いちゃう・・という質なんです。
だから、お客様に楽しんで頂ける曲を入れたい! ミントンハウスは、私の仕切りですから、今回のNew レパートリーの中に何曲か入れさせて貰いました。
そして、トラディショナル・ジャズの殿堂である“ミントンハウス”では、タンゴ・バンドであろうと、1曲は必ずジャズのナンバーを演るお約束になっているので、この日ちょうど空いていらしたギタリストの阿部寛さんに、タンゴに1曲参加して頂き、ジャズ・ナンバーとして“スマイル”にも入って頂きました。

みんなでやれば、より愉しいー、ってことで、記念撮影。

他の写真は、http://mintonhouse.at.webry.info/200912/article_10.html で、ご覧頂けます。
つづく・・・。