
アテネフランセ文化センター 「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭」
「何故R氏は発作的に人を殺したか?」
Warum läuft Herr R. Amok?
R氏は、ある晩、突然、妻、妻の友人そして彼の子供を燭台で殴り殺し、自殺する。ありふれた日常生活が突如として惨劇へと転じていく物語が即興演技によって描かれる。
これは何だか薄ら寒くなる衝撃的な作品でした。
R氏の平凡な日常が家庭用ホームビデオで撮られたかのように淡々と長回しで撮影されていく。
最初の方ではソファで妻と馴れ初めを語り合いながらいちゃついたりして幸福そうだったのに・・・
R氏自身と妻、家庭、隣人、職場でのコミュニケーションの破綻ぶりは極めて病的。
しかしそれを異常なものとして笑えない自分が居る。
雪のなか一瞬子供を見失った際の姑の忠告。
子供の学校に呼び出された夫婦。教師から子供の問題点を指摘される。応対するのは妻ばかりで、無言のR氏。
子供に本を読み聞かせながら発音を矯正するR氏。
旧友を自宅に招いて話をしている、そのすぐそばに居る妻の退屈ぶり。
逆に妻の友人がスキーの話に興じている時はR氏は隣でテレビのボリュウム調整。
決して夫婦2人は、別の部屋に閉じこもるつもりは無い様子。狭い家でもなさのうなのに・・・
ホームパーティーで場の空気が読めないスピーチをする亭主をなじる妻。
映画が進むうちに確実におかしな方向へと迷走するR氏。
しかし、それでもあまりに唐突な衝動殺人。
R氏の心情を実感する事は極めて難解。
殺人シーンは無音で過激にならないような配慮がある。そこがまた不気味。子供を撲殺するシーンは隣室の影の中。
ホームビデオのような見にくい画像と読み取りずらい字幕スーパーが尚一層不気味さを誇張しているように思える。
このような手法で薄ら寒さを表現するファスビンダー。殺人シーンと自殺の発見シーンが仮に無かったとしても充分不気味で薄ら寒い。この監督にますます興味が沸く2本目でありました。
Rainer Werner Fassbinder Retrospektive 2008

「何故R氏は発作的に人を殺したか?」
Warum läuft Herr R. Amok?
R氏は、ある晩、突然、妻、妻の友人そして彼の子供を燭台で殴り殺し、自殺する。ありふれた日常生活が突如として惨劇へと転じていく物語が即興演技によって描かれる。
これは何だか薄ら寒くなる衝撃的な作品でした。

R氏の平凡な日常が家庭用ホームビデオで撮られたかのように淡々と長回しで撮影されていく。
最初の方ではソファで妻と馴れ初めを語り合いながらいちゃついたりして幸福そうだったのに・・・

R氏自身と妻、家庭、隣人、職場でのコミュニケーションの破綻ぶりは極めて病的。
しかしそれを異常なものとして笑えない自分が居る。

雪のなか一瞬子供を見失った際の姑の忠告。
子供の学校に呼び出された夫婦。教師から子供の問題点を指摘される。応対するのは妻ばかりで、無言のR氏。
子供に本を読み聞かせながら発音を矯正するR氏。
旧友を自宅に招いて話をしている、そのすぐそばに居る妻の退屈ぶり。
逆に妻の友人がスキーの話に興じている時はR氏は隣でテレビのボリュウム調整。
決して夫婦2人は、別の部屋に閉じこもるつもりは無い様子。狭い家でもなさのうなのに・・・
ホームパーティーで場の空気が読めないスピーチをする亭主をなじる妻。

映画が進むうちに確実におかしな方向へと迷走するR氏。
しかし、それでもあまりに唐突な衝動殺人。

R氏の心情を実感する事は極めて難解。
殺人シーンは無音で過激にならないような配慮がある。そこがまた不気味。子供を撲殺するシーンは隣室の影の中。
ホームビデオのような見にくい画像と読み取りずらい字幕スーパーが尚一層不気味さを誇張しているように思える。
このような手法で薄ら寒さを表現するファスビンダー。殺人シーンと自殺の発見シーンが仮に無かったとしても充分不気味で薄ら寒い。この監督にますます興味が沸く2本目でありました。

Rainer Werner Fassbinder Retrospektive 2008

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