JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

坂口安吾 「肝臓先生」

2007-03-11 | BOOK
終戦直後、沢山の作品を出し、太宰治、石川淳らとともに新文学の旗手とされていた坂口安吾。読んでみれば必ずその魅力に嵌ってしまうだろうという予感を抱きつつも、若い時分に読んだのは「堕落論」。「白痴」も読んだかしら。たったそれだけ。
90年代にちくま文庫から全集が出た時も興味深々いづれは・・・と思っていました。今では古本屋でしか求める事ができなくなってしまいました。
現在、文庫で読める安吾の作品は数が限られています。
今の時代で発行して、辛うじて商業ベースに乗りそうな物が選りすぐられているのでしょう。
しかし、今回この数編を読んでみて、文庫化されない現代では古典と成り果て、通じにくいであろう作品こそ、読んでみたくなっちゃいました。これは高見順なんかにも言える事なんですが・・・
図書館に行けば全集がありますけどもね・・・

魔の退屈
私は海をだきしめていたい
ジロリの女
行雲流水
肝臓先生

現代でも辛うじてという意味では後半3作品が秀逸。

口語体で綴られる「行雲流水」
当時の新作落語のような出だし。
「お尻をヒッパタかれたパンスケ」ってのが良いです。

なかでも「ジロリの女」です。
-ゴロー三船とマゴコロの手記-
いつだって女には不自由しない主人公にはまったく感情移入しにくいのだけれど、彼は冒頭で言う
ジロリの女、キリキリ意地っぱりの敏腕家という姐さん芸者。女将。その手に限って美人が多いけれど、恋愛対象には成り得ない。
「おのずから恋愛感情に自制や限定をつくるものか、こいつ美人だな、と思っても、夢中になるような心にならない。恋愛、恋愛感情というものは、無軌道に自由奔放なものではなしに、おのずから制限があるものだ」
そんな主人公が金龍姐さんとの事でジロリの女でも手をつくして口説けば物になると知って人生が大きく変る。
金龍姐さんとの話も充分面白いけれど、その後の人生がもうハチャメチャ。手当たり次第って感じ。
多分、いつの日かこの作品は再読するでしょう。それくらい好みの物でした。

一転、「肝臓先生」は感動作品。いや、もちろんユーモアにあふれるギャグ満載なんですが。
「カンゾー先生」として映画になっていますが、多分このシチュエーションを借りて膨らませ、孤島の医師の生涯を感動的に撮った物と想像します。
なんでもかんでも肝臓炎にしてしまい人呼んで「肝臓先生」
赤城風雨先生がある年の恩師の謝恩会での挨拶で「肝臓肥大蔓延説」を説くと次々に賛同する大先生たち。この場面はちょっとした爽やかな感動があります。

足をつかって町中を走り回った1人の医者が戦時中に居て、戦災のためにあっけない最後を迎えてしまう。
そこに残った肝臓の像と詩
道行く人よ耳をすませ
いつの世も肝臓先生の慈愛の言葉はこの道の上に絶ゆることはなかるべし
闘え!闘え!闘え!

古い坂口安吾の作品の中に現代中南米文学の痴れ物ぶりを見て楽しめました。



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