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落語ブームはまだまだしぶといようで、近所の書店の落語コーナーはいまだ撤収されていない。文庫になっていたのなら読んでみましょうという事で・・・
でも、河出文庫相変わらず高いぞ。
世の中に「惜しい人を亡くした」と思う人々は多々ありますが、その言葉が一番似合ってしまう(残念な事です)のが2001年10月1日に亡くなられた志ん朝師匠。
没後5年以上経ってしまったのに、未だに惜しくって、香盤や高座に師の姿が無いのを、ふと不思議に思ったりしてしまいます。
私が一番熱心に寄席、落語会に通っていたのが昭和53年から54年。立川談志師に魅せられ中心に追っかけていましたが、その対極に位置する志ん朝師ももちろん大好きでした。この本でも談志、志ん朝の対比がありますが、朝さまあっての家元、家元あっての朝さまと言えます。
談春、志らく、志の輔の活躍が目立つ中、私としては志ん朝降臨の志ん輔も支持したい。
思い出しますあの時代、落語協会分裂騒動。あの騒動を境に志ん朝の芸が一皮も二皮も向けたとあります。談志も志ん朝もこの1978年を境に数年間が最も脂がのって魅力的だった頃だったんですね。
お馴染みのエピソーソが多いけれど、まったく知らないエピソードも沢山ありました。
特に志ん朝師匠を語る時に役者の話は欠かせない。個人的には役者としての志ん朝はTVも含めてほとんど見ていないので、芝居仲間とのエピソードを特に楽しく読みました。昨年亡くなられた実相寺昭雄監督、寺田農との交友は知りませんでした。
高座での羽織を脱ぐ仕草などを克明に文章化してあったり、それに続いて京須氏の声と口調に関する分析が出てきます。
どんな分析を読むより、志ん朝の落語を聞いてちょうだい。生は適わないけど沢山音源が残っていますので。
難しい分析よりも「ンと~ンィ」(ほんとうに)の声の表記だけで充分。なんですがね・・・
志ん生襲名についての志ん朝師の揺れる思いも興味深い。
もしも、なんて言うのは空しいけれど、もしも健在であれば今は68歳(まだ68歳!)正蔵をこぶ平が、小さんを三語楼が継いだ落語会。志ん朝は志ん生になっているかしら。まだ志ん朝のまま高座にあがっているだろうか。
志ん朝の襲名に関する揺れの中に小益の文楽襲名という事実は影響していないだろうか・・・なんて、無責任な落語ファンは思いを巡らし・・・
よく「間に合った」という言葉を使いますが、その意味から言うと私は辛うじて円生師匠に間に合った。
今の落語ブームをきっかけにファンになった若い方々、充分志ん朝師匠には間に合えたはずなのに・・・
80歳でよぼよぼの志ん朝まで、まだ12年ある。
「ン~、惜しいなぁ、どぉもぉ・・・ンと~ンィ」
でも、河出文庫相変わらず高いぞ。
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世の中に「惜しい人を亡くした」と思う人々は多々ありますが、その言葉が一番似合ってしまう(残念な事です)のが2001年10月1日に亡くなられた志ん朝師匠。
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没後5年以上経ってしまったのに、未だに惜しくって、香盤や高座に師の姿が無いのを、ふと不思議に思ったりしてしまいます。
私が一番熱心に寄席、落語会に通っていたのが昭和53年から54年。立川談志師に魅せられ中心に追っかけていましたが、その対極に位置する志ん朝師ももちろん大好きでした。この本でも談志、志ん朝の対比がありますが、朝さまあっての家元、家元あっての朝さまと言えます。
談春、志らく、志の輔の活躍が目立つ中、私としては志ん朝降臨の志ん輔も支持したい。
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思い出しますあの時代、落語協会分裂騒動。あの騒動を境に志ん朝の芸が一皮も二皮も向けたとあります。談志も志ん朝もこの1978年を境に数年間が最も脂がのって魅力的だった頃だったんですね。
お馴染みのエピソーソが多いけれど、まったく知らないエピソードも沢山ありました。
特に志ん朝師匠を語る時に役者の話は欠かせない。個人的には役者としての志ん朝はTVも含めてほとんど見ていないので、芝居仲間とのエピソードを特に楽しく読みました。昨年亡くなられた実相寺昭雄監督、寺田農との交友は知りませんでした。
高座での羽織を脱ぐ仕草などを克明に文章化してあったり、それに続いて京須氏の声と口調に関する分析が出てきます。
どんな分析を読むより、志ん朝の落語を聞いてちょうだい。生は適わないけど沢山音源が残っていますので。
難しい分析よりも「ンと~ンィ」(ほんとうに)の声の表記だけで充分。なんですがね・・・
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志ん生襲名についての志ん朝師の揺れる思いも興味深い。
もしも、なんて言うのは空しいけれど、もしも健在であれば今は68歳(まだ68歳!)正蔵をこぶ平が、小さんを三語楼が継いだ落語会。志ん朝は志ん生になっているかしら。まだ志ん朝のまま高座にあがっているだろうか。
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志ん朝の襲名に関する揺れの中に小益の文楽襲名という事実は影響していないだろうか・・・なんて、無責任な落語ファンは思いを巡らし・・・
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よく「間に合った」という言葉を使いますが、その意味から言うと私は辛うじて円生師匠に間に合った。
今の落語ブームをきっかけにファンになった若い方々、充分志ん朝師匠には間に合えたはずなのに・・・
80歳でよぼよぼの志ん朝まで、まだ12年ある。
「ン~、惜しいなぁ、どぉもぉ・・・ンと~ンィ」
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