日本語の作文とも共通しますが、良い文というのは、細かいところまで配慮の行き届いた文だと思います。ここではそれを文が“周密”であると表現しています。具体的には:1.修飾語をうまく使う。2.書き漏れが無いよう気をつける。3.対比表現などの表現技法を使う。4.文中の各成分が互いに呼応するよう気をつける。それでは具体的に例を挙げながら見ていきましょう。
二 周密
(ことばの使い方が緻密で、細かいところまで心配りがされていること)
文を推敲する時、文のつながりや流れに注意するだけでなく、文の組立てがしっかりしていて細かいところまで心配りがされているか注意しなければならない。
(一) 修飾語に注意する
文の組立てを正確でしっかりしたものにするには、修飾語を慎重に選択し使用しなければならない。修飾語は文の中で主に描写と限定の働きをする。文のちょっとした違い、特別な意味合いは、しばしば修飾語を通して表現される。例えば“事情”ということばの範囲は広く、意味は漠然としている。前に修飾語の“很小的”を付けると、“事情”の性質を表すことになる。更に修飾語“一件”を加えると、“很小的事情”の数量が確定する。更に修飾語“去年冬天発生的”を加えると、“一件很小的事情”が発生した時間を指し示す。このことから、修飾語は文を細密、正確に磨き鍛える(“錘煉”)上で、たいへん有用である。
更に例えば:
(1) 人民是什麼?在中国,在現階段,是工人階級,農民階級,城市
小資産階級和民族資産階級。
“人民”というのは一つの歴史範疇であり、異なる国、異なる歴史の段階により、“人民”の包含する内容はそれぞれ異なる。ここで言っているのは新中国が成立したばかりの時代の“人民”の含む範囲である。したがって“在中国”、“在現階段”という修飾語を加えることで、文全体がより厳密で正確になっている。
文によっては必要な修飾語が欠けているため、意味がはっきりと表現されていないものがある。
(2) 我們做青年工作的同志必須堅決支持青年的要求,維護青年的利益。
“要求”と“利益”の前に必要な修飾成分が欠けており、意味がはっきりと伝わらない。それぞれ修飾成分を加え、“支持青年的合理要求,維護青年的正当利益”と言えば、ずっと正確で厳密になる。
(3) 她十几年来利用業余時間読完了高中和大学的全部課程。
“大学”にはいろいろな学部、学科の専攻があり、“読完大学的全部課程”と言っても意味がはっきりしない。“全部課程”の前に“有関専業的”という修飾成分を加えることで、表現が正確で緻密になる。
(二) 書き漏れがないように注意する
一つの文に、必要な成分が欠けていたり、成分が不完全であると、当然意味の正確な伝達に影響する。意味の表現を緻密で正確にするため、文の中の必要な成分が粗略に扱われる(“苟簡”gou3jian3)のを防がなければならない。
以前、ある刊行物の投稿規定(“稿約”)に、次のような一文があった。
“来稿一律退還,油印、複写或鉛印的稿本不退。”
この文は内容の表現が不十分である。“来稿一律退還”(応募原稿は一律返却する)、それでは人々は投稿して何をするのだろうか?応募原稿は一律返却するのに、どうして“油印、複写或鉛印的稿本不退”(インク印刷、コピー、活版印刷した原稿は返却しない)のだろうか?明らかに必要な成分が欠けている。次のようにすると、意味がはっきりする。
“来稿如不採用,除油印、複写或鉛印的稿本不退外,其余一律退還。”
また例えば:
(4) 普通学校在業余学校兼職或兼課的,由業余学校另給一定報酬。
“兼職或兼課的”のは“普通学校”の教師である。この文の主語には、必要な中心語が欠けている。“普通学校”の後ろに、“的教師”を加えなければならない。
(5) 在運動会期間,記者們写下一篇篇通訊報道,向人們介紹運動員們平時
如何刻苦鍛煉,今天又怎様以堅韌ren4不抜的毅力創造了好成績。
・堅韌不抜 jian1ren4bu4ba2 堅忍不抜。どこまでも耐え抜くこと。
“介紹”は名詞を賓語として伴わなければならないが、“鍛煉”、“創造”という動詞で終わっているため、文が完結していない。ここでは“成績”の後ろに“的事迹”、或いは“的情況”を加えることにより、“運動員們”以下が一つの名詞句となり、こうしてはじめて文全体が完結する。
(6) 插図中闖王、尚炯、高夫人等形象個性鮮明真実生動,莫不是因為
∥画家把理解原著精神和深入到米脂、商洛山一帯去体験生活,積累
大量速写素材,在生活中探求人物形象和画面∥的縁故。
・闖王 chuang3wang2 ここでは李自成のこと。米脂は陝西省最北部の内蒙古自治区との境界地区の黄土高原にあり、李自成の故郷である。
・速写 スケッチ
この文は、倒置型の複文で、因果関係の構造になっている。“插図中闖王、尚炯、高夫人等形象個性鮮明真実生動”は結果であり、“是……縁故”はその原因である。この原因を表す分句の中の“画家把……画面”は“縁故”の修飾語である。この修飾語は主述詞組であるが、構造に欠陥がある。ここで述べられているのは“画家”のことであるが、介詞“把”による長い名詞句で表わされている“人物形象和画面”をどうするのか、という動作の記述が欠けている。“画面”の後ろに“結合起来”というような動詞を加えてやれば、文の構造が完全なものになる。
ここから、文の構造が完全かどうかは、意味の表現が十分なされているかどうかということに重大な関係があることが分かる。構造の複雑な長文の場合は、特に文の構造が完全であるかどうかに注意しなければならない。
(三) 全ての文の表現は“周密”であること
ことばで客観的な事物を反映する時、できるだけ各文が表現する意味が全面的で細かいところまで配慮(“周密”)し、人に鮮明で強い印象を与えるようにしなければならない。例えば:
(7) 我們対于落后的人們的態度,不是軽視他們,看不起他們,而是親近
他們,説服他們,鼓励他們前進。我們対于在工作中犯過錯誤的人們,除了
不可救薬者外,不是采取排斥態度,而是采取規勧態度,使之翻然改進,
棄旧図新。
・翻然 きっぱりと
・棄旧図新 [成語]古いものを捨てて新しく脱皮する。誤った道を抜け出し新しい道を歩む
ここでは二つの文が何れも“不是……而是……”と正反両面から道理を述べており、論理が“周密”であるので、読む人に強い印象を与えることができる。
このような“周密”な表現方式は、政治論文などでよく使われる。こうした表現は、並列構造の複文や、単文の並列構造の中で使われる。使われる形式は主に三つある。
一つは、肯定と否定の併用の形式。例えば“不是……而是……”、或いは“是……而不是……”といった文型である。
二つ目は連合複文で、通常“又……又……”、“不但……而且……”、“不僅……反而……”といった文型である。時には、接続詞“同時”、或いは“一方面……另一方面”といった関連語句を用いて接続することもある。
三つ目は対比性のある語句を用いる方法で、特に反義語を使って言いたいことを表すことがある。例えば:
(8) 我們的路線是正確的発展路線,一方面要反対陳旧的保守的観点,
另一方面又要反対空洞的不切実際的大計劃。這就是財政経済工作中
両条戦線上的斗争。
(9) 不応該肯定我們的一切,只応該肯定正确的東西,同時,也不応該
否定我們的一切,只応該否定錯誤的東西。在我們的工作中間成績是
主要的,但是缺点和錯誤也還不少。
(四) 文の成分がきちんと呼応(“照応”)していること
文が“周密”で“厳謹”(いささかも疎かなところがない)であるには、文の各成分の関係や配置が適切でなければならない。先ず前提説明があり、後ろでそれを引き継ぎ呼応する(“前有交代,后有照応”)。このような文の表現する意味は完全でまとまっており、“渾然一体”となっている。例えば:
(10) 過了好一陣,他発現我頭低在胸前,肩膀抽動,使用双手抓住我的
肩膀猛烈地揺着説:難過有什麼用?流涙有什麼用?他們倒下,我們活着
的人再継続干!這就叫前仆后継!這就叫前仆后継!
・抽動 けいれんする。ひきつる
・前仆后継 qian2pu2hou4ji4 [成語]先人の屍を乗り越えて行く
(11) 有時,望着莽莽蒼蒼的大地,我騎着思想的野馬奔馳到很遠的地方,
然后,才又収住繮jiang1縄,緩歩回到眼前燦爛的現実中来。
・莽莽蒼蒼 mang3mang3cang1cang1 広々として果てしがない
・繮縄 jiang1sheng 手綱
例(10)は、前の文で“我頭低在胸前,肩膀抽動”と言い、続いて後ろの文では“難過有什麼用?流涙有什麼用?”と言っているが、これら両者は呼応していない。前の文で描写が無いと、後ろの文で言っても結論にならない。後ろの文で呼応が無いと、前の文の描写は行き場を失う。一方、例(11)では、前の文で“騎着思想的野馬奔馳”と言い、後ろの文で“収住繮jiang1縄,緩歩回到眼前燦爛的現実中来”と言っており、お互いに呼応しており、文の意味が完全で、よく配慮されている。
文中の成分の呼応に注意を払われないと、しばしば文の意味は相互矛盾を引き起こすことがある。例えば:
(12) 那一条条小泥路的甬道辺,書声琅琅,飄蕩在静謐的校園上空。
・甬道 yong3dao4 (庭の中などの)れんがを敷いたり石畳の小道
・琅琅 lang2lang2 明るく澄んだ読書の声。朗朗
・飄蕩 piao1dang4 (空中や水中を)漂う
・静謐 jing4mi4 静謐(せいひつ)。静かである。ひっそりしている。
(13) 您在這新的長征路上将如何前進呢?是退却,是躊躇,還是勇往直前呢?
例(12)では、最初に“小泥路”とあるのに、続いて“甬道”が出てくるのは、自己矛盾を起こしている。“書声琅琅”と言ってから“静謐的校園”と言うのもおかしい。これらは、文の成分がちゃんと呼応していないことで発生した間違いである。例(13)では、最初に“如何前進”と言っているのに、後に“退却”、“躊躇”といったことばが出てくるのは、前後の関係が途切れてしまっており、互いに呼応していない。これらの文はもちろん表現が周密で完全な文と言うことができない。
呼応(“照応”)は文の内部の成分の組立ての上だけでなく、文と文の間の引き継ぎ(“交代”)や呼応の上でも出現する。
冰心の《小桔灯》の出だしの部分で、彼女はある友人の家に行ったところ、友人の部屋に至るまでの情景は次のようなものだった。
“一段陰暗的仄仄ze4ze4的楼梯,進到一間有一張方卓和几張竹凳deng4、
墻上装着一架電話的屋子,再進去就是我的朋友的房間,和外間只隔着
一幅布簾。”
続いて、彼女はこう書いている。
“過了一会,又听聴見有人在挪nuo2動那竹凳deng4子。我掀xian1開簾子,
看見一個小姑娘……正在登上竹凳,想去摘墻上的聴話器。”
ここで作者はいくつかの物を取り上げている:竹凳deng4、電話、布簾。これらが皆呼応し、文の組立てにいささかも疎かなところが無く、表現はたいへん周密である。
(14) 従从双龍洞到冰壺洞有石級。平時没有鍛錬,爬了三五十級就
気呼呼的,両条腿一歩重一歩了,両旁的樹木山石也無心看了。
爬爬歇歇直到冰壺洞口,也没有数一共多少級,大概有三四百級吧。
・石級 石段
・気呼呼 息が荒くなってぜえぜえいう
この一節は、前後の文の呼応がたいへん緊密である。先ず“平時没有鍛錬”と言い、続いて“爬了三五十級就気呼呼的”と言っている。だから“爬爬歇歇”(休み休み登り)、結果、“没有数一共多少級”(全部で何段も登らなかった)のである。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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二 周密
(ことばの使い方が緻密で、細かいところまで心配りがされていること)
文を推敲する時、文のつながりや流れに注意するだけでなく、文の組立てがしっかりしていて細かいところまで心配りがされているか注意しなければならない。
(一) 修飾語に注意する
文の組立てを正確でしっかりしたものにするには、修飾語を慎重に選択し使用しなければならない。修飾語は文の中で主に描写と限定の働きをする。文のちょっとした違い、特別な意味合いは、しばしば修飾語を通して表現される。例えば“事情”ということばの範囲は広く、意味は漠然としている。前に修飾語の“很小的”を付けると、“事情”の性質を表すことになる。更に修飾語“一件”を加えると、“很小的事情”の数量が確定する。更に修飾語“去年冬天発生的”を加えると、“一件很小的事情”が発生した時間を指し示す。このことから、修飾語は文を細密、正確に磨き鍛える(“錘煉”)上で、たいへん有用である。
更に例えば:
(1) 人民是什麼?在中国,在現階段,是工人階級,農民階級,城市
小資産階級和民族資産階級。
“人民”というのは一つの歴史範疇であり、異なる国、異なる歴史の段階により、“人民”の包含する内容はそれぞれ異なる。ここで言っているのは新中国が成立したばかりの時代の“人民”の含む範囲である。したがって“在中国”、“在現階段”という修飾語を加えることで、文全体がより厳密で正確になっている。
文によっては必要な修飾語が欠けているため、意味がはっきりと表現されていないものがある。
(2) 我們做青年工作的同志必須堅決支持青年的要求,維護青年的利益。
“要求”と“利益”の前に必要な修飾成分が欠けており、意味がはっきりと伝わらない。それぞれ修飾成分を加え、“支持青年的合理要求,維護青年的正当利益”と言えば、ずっと正確で厳密になる。
(3) 她十几年来利用業余時間読完了高中和大学的全部課程。
“大学”にはいろいろな学部、学科の専攻があり、“読完大学的全部課程”と言っても意味がはっきりしない。“全部課程”の前に“有関専業的”という修飾成分を加えることで、表現が正確で緻密になる。
(二) 書き漏れがないように注意する
一つの文に、必要な成分が欠けていたり、成分が不完全であると、当然意味の正確な伝達に影響する。意味の表現を緻密で正確にするため、文の中の必要な成分が粗略に扱われる(“苟簡”gou3jian3)のを防がなければならない。
以前、ある刊行物の投稿規定(“稿約”)に、次のような一文があった。
“来稿一律退還,油印、複写或鉛印的稿本不退。”
この文は内容の表現が不十分である。“来稿一律退還”(応募原稿は一律返却する)、それでは人々は投稿して何をするのだろうか?応募原稿は一律返却するのに、どうして“油印、複写或鉛印的稿本不退”(インク印刷、コピー、活版印刷した原稿は返却しない)のだろうか?明らかに必要な成分が欠けている。次のようにすると、意味がはっきりする。
“来稿如不採用,除油印、複写或鉛印的稿本不退外,其余一律退還。”
また例えば:
(4) 普通学校在業余学校兼職或兼課的,由業余学校另給一定報酬。
“兼職或兼課的”のは“普通学校”の教師である。この文の主語には、必要な中心語が欠けている。“普通学校”の後ろに、“的教師”を加えなければならない。
(5) 在運動会期間,記者們写下一篇篇通訊報道,向人們介紹運動員們平時
如何刻苦鍛煉,今天又怎様以堅韌ren4不抜的毅力創造了好成績。
・堅韌不抜 jian1ren4bu4ba2 堅忍不抜。どこまでも耐え抜くこと。
“介紹”は名詞を賓語として伴わなければならないが、“鍛煉”、“創造”という動詞で終わっているため、文が完結していない。ここでは“成績”の後ろに“的事迹”、或いは“的情況”を加えることにより、“運動員們”以下が一つの名詞句となり、こうしてはじめて文全体が完結する。
(6) 插図中闖王、尚炯、高夫人等形象個性鮮明真実生動,莫不是因為
∥画家把理解原著精神和深入到米脂、商洛山一帯去体験生活,積累
大量速写素材,在生活中探求人物形象和画面∥的縁故。
・闖王 chuang3wang2 ここでは李自成のこと。米脂は陝西省最北部の内蒙古自治区との境界地区の黄土高原にあり、李自成の故郷である。
・速写 スケッチ
この文は、倒置型の複文で、因果関係の構造になっている。“插図中闖王、尚炯、高夫人等形象個性鮮明真実生動”は結果であり、“是……縁故”はその原因である。この原因を表す分句の中の“画家把……画面”は“縁故”の修飾語である。この修飾語は主述詞組であるが、構造に欠陥がある。ここで述べられているのは“画家”のことであるが、介詞“把”による長い名詞句で表わされている“人物形象和画面”をどうするのか、という動作の記述が欠けている。“画面”の後ろに“結合起来”というような動詞を加えてやれば、文の構造が完全なものになる。
ここから、文の構造が完全かどうかは、意味の表現が十分なされているかどうかということに重大な関係があることが分かる。構造の複雑な長文の場合は、特に文の構造が完全であるかどうかに注意しなければならない。
(三) 全ての文の表現は“周密”であること
ことばで客観的な事物を反映する時、できるだけ各文が表現する意味が全面的で細かいところまで配慮(“周密”)し、人に鮮明で強い印象を与えるようにしなければならない。例えば:
(7) 我們対于落后的人們的態度,不是軽視他們,看不起他們,而是親近
他們,説服他們,鼓励他們前進。我們対于在工作中犯過錯誤的人們,除了
不可救薬者外,不是采取排斥態度,而是采取規勧態度,使之翻然改進,
棄旧図新。
・翻然 きっぱりと
・棄旧図新 [成語]古いものを捨てて新しく脱皮する。誤った道を抜け出し新しい道を歩む
ここでは二つの文が何れも“不是……而是……”と正反両面から道理を述べており、論理が“周密”であるので、読む人に強い印象を与えることができる。
このような“周密”な表現方式は、政治論文などでよく使われる。こうした表現は、並列構造の複文や、単文の並列構造の中で使われる。使われる形式は主に三つある。
一つは、肯定と否定の併用の形式。例えば“不是……而是……”、或いは“是……而不是……”といった文型である。
二つ目は連合複文で、通常“又……又……”、“不但……而且……”、“不僅……反而……”といった文型である。時には、接続詞“同時”、或いは“一方面……另一方面”といった関連語句を用いて接続することもある。
三つ目は対比性のある語句を用いる方法で、特に反義語を使って言いたいことを表すことがある。例えば:
(8) 我們的路線是正確的発展路線,一方面要反対陳旧的保守的観点,
另一方面又要反対空洞的不切実際的大計劃。這就是財政経済工作中
両条戦線上的斗争。
(9) 不応該肯定我們的一切,只応該肯定正确的東西,同時,也不応該
否定我們的一切,只応該否定錯誤的東西。在我們的工作中間成績是
主要的,但是缺点和錯誤也還不少。
(四) 文の成分がきちんと呼応(“照応”)していること
文が“周密”で“厳謹”(いささかも疎かなところがない)であるには、文の各成分の関係や配置が適切でなければならない。先ず前提説明があり、後ろでそれを引き継ぎ呼応する(“前有交代,后有照応”)。このような文の表現する意味は完全でまとまっており、“渾然一体”となっている。例えば:
(10) 過了好一陣,他発現我頭低在胸前,肩膀抽動,使用双手抓住我的
肩膀猛烈地揺着説:難過有什麼用?流涙有什麼用?他們倒下,我們活着
的人再継続干!這就叫前仆后継!這就叫前仆后継!
・抽動 けいれんする。ひきつる
・前仆后継 qian2pu2hou4ji4 [成語]先人の屍を乗り越えて行く
(11) 有時,望着莽莽蒼蒼的大地,我騎着思想的野馬奔馳到很遠的地方,
然后,才又収住繮jiang1縄,緩歩回到眼前燦爛的現実中来。
・莽莽蒼蒼 mang3mang3cang1cang1 広々として果てしがない
・繮縄 jiang1sheng 手綱
例(10)は、前の文で“我頭低在胸前,肩膀抽動”と言い、続いて後ろの文では“難過有什麼用?流涙有什麼用?”と言っているが、これら両者は呼応していない。前の文で描写が無いと、後ろの文で言っても結論にならない。後ろの文で呼応が無いと、前の文の描写は行き場を失う。一方、例(11)では、前の文で“騎着思想的野馬奔馳”と言い、後ろの文で“収住繮jiang1縄,緩歩回到眼前燦爛的現実中来”と言っており、お互いに呼応しており、文の意味が完全で、よく配慮されている。
文中の成分の呼応に注意を払われないと、しばしば文の意味は相互矛盾を引き起こすことがある。例えば:
(12) 那一条条小泥路的甬道辺,書声琅琅,飄蕩在静謐的校園上空。
・甬道 yong3dao4 (庭の中などの)れんがを敷いたり石畳の小道
・琅琅 lang2lang2 明るく澄んだ読書の声。朗朗
・飄蕩 piao1dang4 (空中や水中を)漂う
・静謐 jing4mi4 静謐(せいひつ)。静かである。ひっそりしている。
(13) 您在這新的長征路上将如何前進呢?是退却,是躊躇,還是勇往直前呢?
例(12)では、最初に“小泥路”とあるのに、続いて“甬道”が出てくるのは、自己矛盾を起こしている。“書声琅琅”と言ってから“静謐的校園”と言うのもおかしい。これらは、文の成分がちゃんと呼応していないことで発生した間違いである。例(13)では、最初に“如何前進”と言っているのに、後に“退却”、“躊躇”といったことばが出てくるのは、前後の関係が途切れてしまっており、互いに呼応していない。これらの文はもちろん表現が周密で完全な文と言うことができない。
呼応(“照応”)は文の内部の成分の組立ての上だけでなく、文と文の間の引き継ぎ(“交代”)や呼応の上でも出現する。
冰心の《小桔灯》の出だしの部分で、彼女はある友人の家に行ったところ、友人の部屋に至るまでの情景は次のようなものだった。
“一段陰暗的仄仄ze4ze4的楼梯,進到一間有一張方卓和几張竹凳deng4、
墻上装着一架電話的屋子,再進去就是我的朋友的房間,和外間只隔着
一幅布簾。”
続いて、彼女はこう書いている。
“過了一会,又听聴見有人在挪nuo2動那竹凳deng4子。我掀xian1開簾子,
看見一個小姑娘……正在登上竹凳,想去摘墻上的聴話器。”
ここで作者はいくつかの物を取り上げている:竹凳deng4、電話、布簾。これらが皆呼応し、文の組立てにいささかも疎かなところが無く、表現はたいへん周密である。
(14) 従从双龍洞到冰壺洞有石級。平時没有鍛錬,爬了三五十級就
気呼呼的,両条腿一歩重一歩了,両旁的樹木山石也無心看了。
爬爬歇歇直到冰壺洞口,也没有数一共多少級,大概有三四百級吧。
・石級 石段
・気呼呼 息が荒くなってぜえぜえいう
この一節は、前後の文の呼応がたいへん緊密である。先ず“平時没有鍛錬”と言い、続いて“爬了三五十級就気呼呼的”と言っている。だから“爬爬歇歇”(休み休み登り)、結果、“没有数一共多少級”(全部で何段も登らなかった)のである。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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