法隆寺金堂
前回、斗拱など、寺院の屋根の構造物をどのように中国語に訳すと良いかをまとめました。その中でも紹介しましたが、法隆寺の建造物はたいへん貴重な飛鳥時代の建物で、中国から伝わった南北朝時代から隋、唐の建築様式が、どのように日本で取り入れられたか、その実物を見ることのできる場となっています。
今回は、法隆寺の金堂と五重塔について、中国語で説明する時の訳し方について、見ていきたいと思います。
■金堂
【日】法隆寺金堂は、飛鳥時代の建造物で、二層屋根の入母屋造り、後世に下層の周囲に裳階(もこし)が取り付けられたので、見かけ上、三層の屋根になっています。
【中】法隆寺金堂是在7世纪,飞鸟时代建筑,重檐九脊顶,后代在下面又加了一圈抱厦,所以看起来有三层檐。
ここの部分を少し解説します。
・重檐九脊顶
「重檐」は「屋顶重叠下檐」で、屋根の軒が二層(或いは何層か)に重なっていること。
入母屋造りは、通常は「歇山顶」xiēshāndǐngと言いますが、別称として、「九脊顶」
jiǔjǐdǐngと言います。宋代にこう呼ばれました。
下の絵は、入母屋造の屋根を表したものです。
この図の如く、「屋脊」、屋根の棟が、「正脊」(大棟)が1本、「垂脊」(降り棟)が4本、 「戗脊」qiāngjǐ(隅棟)が4本あります。棟が合計9本あるので、「九脊顶」と言います。
ちなみに、降り棟が「垂脊」から「戗脊」に下りる時、その間で一旦傾きが止まり、あたかもそこで一休みするような形状であるので「歇山顶」(「歇」は一休みするとの意味)という呼び名があります。
・抱厦
裳階。裳階(もこし)は、仏教寺院のお堂、塔などで、軒下壁面に付いた庇(ひ)状構造物。別名:雨打(ゆた)。本来の屋根の下にもう一重屋根をかけるかたちで付けられます。
尚、蛇足ですが、中世以降、盛んに使用される唐破風も、「抱厦」と訳します。「龟头屋」という言い方もあります。唐破風は見た目、亀が首を出したように見えることから、こういうのでしょう。
法隆寺金堂の組物
【日】金堂の屋根には尾垂木が用いられていますが、尾垂木の下を支えるのは通常の肘木ではなく、雲肘木を用いています。
【中】金堂屋顶采用了昂,但昂的下面并不是使用常见的华栱,而是使用云形栱。
上の写真が、通常の「华栱」huágǒngです。「昂」ángは尾垂木。「华栱」は「抄」chāoとも言います。一手先斗拱は「出一跳斗栱」、簡単に言う時は「单抄」、二手先斗拱は「出两跳斗栱」、「双抄」という言い方になります。
軒を支える丸桁(がぎょう)の下の雲肘木
【日】斗拱の一番上側の肘木も、通常見られる肘木ではなく、雲肘木を使用しています。
【中】斗栱的跳头上也不是常见的令栱,使用云形栱。
「令栱」lìnggǒngはこのように、丸桁(がぎょう。「檐檩」yánlǐn)をすぐ下で支える肘木です。
「跳头」tiàotóuというのは、一手先、二手先と斗拱を何層か重ねる時、「华栱」や「昂」が外に飛び出ることを言います。
尾垂木の下を頭に桝(「斗」)を載せて踏ん張っている獅子もユーモラスです。この獅子は、屋根の補強に後世に取り付けられたそうです。
龍の彫り物のある柱
【日】第二層の龍が巻き付いた柱は、後世の修理時に取り付けられたものです。
【中】第二层的缠龙柱是后代修理时追加的。
この龍の柱は2層目の屋根の四隅に建っていて、柱に彫られた龍は、登り龍が2本、降り龍が2本です。江戸時代に大屋根の軒が垂れ下がってこないよう、補強材として建てられたようです。
龍の柱と高欄
【日】第二層の高欄には人字形割束(にんじけいわりづか)が使用されています。中国では、敦煌壁画や古い時代の磚や石の建造物で、人字形割束が広く使われていましたが、木造建築の実物は残っていません。
【中】第二层勾栏上还保存有人字栱。在中国,虽然敦煌壁画及早期砖石建筑中,人字栱应用广泛,然而木造建筑已没有存在。
敦煌莫高窟275窟壁画(北凉)
大同雲崗石窟(北魏)
【日】大同雲崗石窟の北魏時代の建物の形態の中に、既に人字形割束が現れています。
【中】大同云冈石窟北魏时期的建筑形象中就已经出现了人字栱
雲崗石窟高欄
【日】金堂の高欄の様式は、雲崗石窟の中に同様のものを見つけることができます。
【中】金堂勾栏的样式在云冈石窟也能找到相同的
ここで、高欄の模様は、「卍崩しの高欄(まんじくずしのこうらん)」、中国語で言うと、「卍wàn字搞乱花样的勾栏」です。
■五重塔
【日】法隆寺五重塔は金堂同様、飛鳥時代の建築で、金堂と東西に並び、高さ32メートル余り、五層で、後代に一番下層の周囲に裳階が取り付けられたので、六層の屋根となっています。
【中】法隆寺五重塔也与金堂一样,飞鸟时代的建筑,与金堂东西并列,高32米余,五级(层),后代在最下面加了一圈副阶(「抱厦」),有六层(级)檐。
「副阶」fùjiēは裳階のことですが、金堂では「抱厦」と言ったので、合わせても良いような気がしますが、「抱厦」はメインの建物から突き出た部屋。「副阶」は建物のぐるりを覆う回廊のイメージです。
上の写真のような塔の一番下層の周りに回廊が付けられるデザインが、中国の塔ではよく見られます。これが「副阶」です。しかし、法隆寺の場合、裳階の構造は金堂も五重塔も同じ形状に見えますので、「抱厦」と言っても良いと思います。
「级」jíは階段や階層を数える量詞で、「七级宝塔」(七重の塔)などという言い方ができますが、「层」や「重」を使っても差し支えないと思います。
【日】五重塔の斗拱の構造は金堂と同じく、尾垂木と雲肘木が使われています。
【中】五重塔的枓栱结构与金堂相同,都使用昂和云形栱。
【日】五重塔の屋根は、垂木を平行に配置しています。
【中】五重塔屋顶采用平行布椽。
「椽」chuánは垂木です。このように平行に垂木を配置してしまうと、隅の方の垂木は、軒の重みを十分支えることができないので、垂木の上に桔木(はねき)という補強材を入れ、軒が垂れ下がらないようにしていました。桔木は跳木とも書き、梃子(てこ)の原理で軒先をはね上げて支える木材です。
上の図が、屋根を支える構造です。桔木は放射状に取り付けられました。尚、唐の元祖の中国では、屋根の隅の垂木は扇上に並べられる形であったそうです。日本では、これ以降、後世になっても、垂木の傾き方向へ平行な配置が続きます。
五重塔最上階
【日】五重塔の二層~四層は何れも柱と柱の間が3間ですが、第五層は2間で、偶数の間を使っています。一般に寺院の建物の間は奇数を使い、偶数は大変珍しいです。
【中】五重塔二~四层都是三开间, 第五层是两开间。一般寺院的建筑采用单数开建,偶数开间是很少见的。
「开间」kāijiānとは、柱と柱のあいだ、間(ま)のことです。
中国では、建物の柱と柱のあいだ、間は、奇数にするのが一般的です。法隆寺の五重塔は、2~4層は3間ですが、一番上の5層目は2間となっています。最下層は、入り口の扉を入れて5間です。
上の写真は興福寺の五重塔(室町時代)ですが、上から下まで全て3間です。
また、後世の塔は、上から下まで、屋根の大きさがほぼ画一になってきます。
法隆寺の近くの法起寺の三重塔も、このように最上階のみ2間にしています。古い時代の塔は、上層から下層へ屋根を大きくしているので、外観上のバランスもあるのでしょうが、間を敢えて偶数にしたのは、何か特別な意思が働いたのかもしれません。
五重塔相輪
【日】五重塔の相輪、下には四本の鎌が取り付けられています。
【中】五重塔的塔刹,下面安装四把镰刀。
「塔刹」tǎshāは相輪です。「镰刀」liándāoは鎌。
鎌は、雷を威嚇し、塔に雷が落ちないようにとの呪いの意味が込められているそうです。元々、鎌倉時代に五重塔が落雷の被害に遭った時、4本の鎌を取り付けられ、1947年に堺の刀工が制作した鎌に取り換えられたそうです。
以上、法隆寺の金堂、五重塔の特徴と、それを中国語でどう言うかについて、見てきました。おそらく、ガイドの時にここまで細かく紹介することは、時間的にもできないでしょうが、質問を受けた時のために、知識として持っておくと良いと思います。
今回は、金堂と五重塔を見てきましたが、法隆寺については、あと、同じ西院伽藍の中門と回廊について、次回に紹介をしたいと思います。
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