炒腰花
腰には腰の花がある
1970年代、上海の街頭文化の中で、あまり健康的でない流行語に「腰花」があり、それにはまた「大腰花」と「小腰花」の区別があり、早押しクイズで「大腰花は豚の腎臓炒め(炒猪腎)、小腰花はアヒルの砂袋を乾したもの(鴨肫干)」と回答しても、それは間違いだと判定することはできないが、ここで言う「腰花」とは、当時のモダンな男女が街をぶらぶらする時のお決まりの動作であった。「大腰花」は若い男が女の腰を引き寄せること。「小腰花」は若い女性が男の手をを引くことである。「腰花」の大小は男女の関係の深さを反映しており、もし「大腰花」が盛りであれば、ゴールインが近いであろう。
当時を振り返ってみると、「腰花」という幸薄い名前は、実際にはほころびが生じていた。「大腰花」は、或いは女性の腰の間に確かに男の一方の腕がからみつくことで、辛うじて成り立ったが、手をつなぐ、或いは腕を引くことを「小腰花」と言っても、「腰」とは身体のどことも接していない。手をつなぐ、腕を引くとは、「挽」wǎn、引っ張ることである。参考に『紅灯記』(文革時代の革命京劇のひとつで、抗日戦争期の共産党地下工作者、李玉和一家の人々の活躍を描いた)で、一家の人々が処刑場に行く前の李玉和の感情の高ぶりに溢れた台詞を見てみよう。「おれたち、母さんを連れて(挽着奶奶)一緒に行こう!」これが「小腰花」だと言えるだろうか。少し花を添えないといけない。また実事求是的には、(「腰」ではなく)成都の大排档のメニューの「肘花」の名を付けるべきだ。要するに、修辞学上は全然ダメ(够嗆gòu qiàng)で、本当に「熗腰花」(熗qiàngで「嗆」と発音が同じ。「熗」はさっと茹でたり油で炒めてから調味料を加えて味をつける調理法)の状態だ。動作は確かに最も形容し難く、とりわけ動作の名詞化は難しいのだが、けれども「腰花」の失敗は、別に上海語がこの方面で良い表現を欠いていることを表しているのではない。「腰花」と同じ時期、弄堂(北京の胡同に当る、上海の横町)での花の季節にチンピラ共がずっと苦心惨憺練習してきた、あのレスリングの勝負手、左手を出して頸を締め付け、右手を出して直接相手の股ぐら(胯下)を取る。この上海版の「大背胯」(背負い投げのような技)、名付けて「抄卵大背包」と言う。
「腰花」のおもしろみは、ひょっとすると「抄」chāo(すばやく掴み取る)と「炒」chǎo(炒める)が同音であるところから出ているのかもしれないが、たとえそうであっても「吃」(食べること)を以て「吃」を言い、「腰」について「腰」を論じるのは、甚だ事実性を欠いている。「腰花」の主な材料は豚の腎臓で、またの名を「腰子」(上海語で腎臓病のことを「腰子病」と言う。例えば張愛玲『金鎖記』の中で、「三妹妹、身体の具合はどう?腰子病は最近出てないの?」というふうに使う)と言うが、しかしこの腰はかの腰に非ず、若い男女が肩を抱き合って一緒に歩くことの形容が「腰花」であり、つい、食べたことがある、或いは調理したことのある 腰花が「皮が裂け肉が砕け」、「腎臓が破裂する」恐怖を連想させてしまうのを避けられない。
男女間の「腰花」のことはしばらく置くとして、食卓の上の「腰花」はやっぱりとても美味しいし、とても見た目が良い。 腰花の炒めものは、元々山東人が生み出したと言われている。清代の初め、山東の名士、王士禎は『食憲鴻秘』の中で「炒腰子」と記載している。「腰子(豚の腎臓)を薄く切り、背面に切り込みを入れ、薄い酒にしばらく浸すと、すぐに沸騰したお湯でさっと茹で、水を切って、煮立った油で炒め、刻みネギ、山椒の粉末、生姜のヘタ、油、酢を加えて煮込む。それにニラ、タケノコの細切り、セロリを加え、一緒に炒める。」泌尿器官を花が開くよう処理するには、そのコツは専ら「背界花紋」(背面に切り込みの紋様を入れること)とごく短時間で熱した油で強火で調理するところにある。先ず豚の腎臓を真ん中から二枚に開き、腰臊(または「白騒筋」と言い、すなわち尿腺)を取り除き、開いた面に斜めに刃を入れる方法で斜め十字のうねり紋様を入れ、料理本の説明では、刃を入れる間隔は3.5から4ミリ、刃を入れる深さは腎臓の厚みの3/4、腎臓との挟角は45°から50°の間である。傾きが大きくなればなるほど、挟角は小さくなり、紋様が長くなり、見た目がきれいである。紋様が短いと、美観が損なわれる。熱した油で炒めると、赤い身が白くなり、一皿のきれいな「腰花」が、或いは満開の花の如く、或いはよく熟した麦の穂のようになる。熱いうちに召し上がれ。
背界花紋
「腰花」の法は、実に広東人の「炒魷魚」(烏賊炒め)と同じである。烏賊炒めにも、脆い物へ刃を入れる効用はよく考えられていて、烏賊には斜め十字の切れ込みは入っていないが、鍋から取り出しても烏賊の身が巻いてしまうことがない。労使関係での「炒魷魚」という言い方がどうして広東語から始まったのか分からないが、山東籍の社長が社員を解雇する時、更に他人が自分の布団(舗蓋巻)を持っていくのを禁止しないといけなかったのではないだろうか。(舗蓋巻(丸く巻かれた布団)を見れば、それが首になった社員の持ち物だと分かる)
機能の上で、身体の中の窒素を含む廃棄物を取り除く役割を担っているので、それゆえ腎臓は組織の特性上、他の器官に比べてよりコリコリ歯触りが良いだけでなく、その生臭さは、ネギ、生姜、ニラ、山椒で鎮めなければならなかった。炒腰花の美味しさは正にここにあり、それは一種正邪の判別が難しく、半ば人間、半ばもののけのような味覚で、「見た目が立派な上流社会」と「働かないと生きていけない下層社会」との都市と農村の結合部分に咲き誇る「悪の花」である。1970年代の風習では、外地から上海に来た人たちと、地元の保守的な人たちが南京路や匯海路で大小の「腰花」をゆらゆら揺すぶることに対し、お互いに目くばせし合えば、気持ちももうほぼ出来上がっていただろう。翻って今日の匯海路では、もはや花は花たり得ず、当時街を闊歩したプレイボーイ、プレイガールたちも、誰一人腰を見せることが無くなり、残ったのは人の目に触れる「腰花」で、ただ匯海路の 弄堂にある「呉越人家」というレストランで出す蝦仁腰花麺と第二食品店の稲香村(伝統的な食品店)の鴨肫干があるだけだ。
鴨肫干
出典:沈宏非著『飲食男女』(2004年江蘇文芸出版社)
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