読売新聞発刊60周年にちなんで
私が中学1年のときに、近所に朝日新聞のアベノ販売所があり、そこで近所の先輩と言うか遊び仲間というかに誘われて新聞配達を始めました。
同じ長屋に住んでいた島田さんと同級生の鳥谷さんに誘われたと思い、今も名前だけはおぼえている、最近は、出来事をすぐに忘れるのに、遠い昔に覚えたナツメロは今も歌詞を覚えているのが不思議。
当時の中学1,2年の私たち長屋育ちのワンパクは皆、新聞配達をしていた。
そして中学3年になる前だったと思いますが、読売新聞が大阪に発刊される事になりましたが、アベノ筋に配達所がなかったということで、我が家の表の間を提供する事になり父と一緒に読売新聞の配達をすることになった。
父と二人三脚で早朝3時30分から起きだして寝ぼけマナコをこすりながら配達に走った、そして、夕方学校より飛んで帰って夕刊を配達した。
そのお陰で中学、高校と遠足と言うか、野外活動にはいけなかったが、高校の修学旅行は行きたかったのでその寸前にやめた。
実に5年にわたる新聞配達少年でした、そのために高校時代は「読みちやん」というニックネームをもらっていた。
先日読売新聞に11月25日に60周年を迎えると記事が出ていたのをみて父の事を思い出している次第です。
当時新聞配達用の自転車は白い色の自転車で、よそになくなにか特別な気持ちで走っていました、」自転車少年でした、今は車人間でどこに行くのも車になっていますが
その自転車に3人乗りしてひっくりかえり、一番下になりおでこを怪我した記憶も遠い思い出のひとつです。