数多く設計した処理場でも建屋というのは少ないのです、なぜかというと処理
施設が大きくて、建屋というのは管理関係のものが多いのでめだたないのです。
大阪の津守にあるポンプ場の場合は地下35mからあったために基礎の底板
だけで3,0mもありました。
建物は上水と下水に分かれていて役80m×90m×地下30mほどの大きさでしたのでかんたんにいうと、この地下設備
は心斎橋の大丸をそのまま地下に沈めたぐらいでした、そして地上は3階建てですが27mからありました。
そのために地上に上がってくるのに7年近くかかりましたので、地上に上がってきてからが、また大変でした、あまり長くか
かっていたので建築としての申請を忘れてしまい、市役所から言われて大慌てで確認申請の段取りをしたことを覚えてい
ますが、それから大慌てで計画やら申請業務やらをやった記憶があります設計としては、1999年7月から翌年の2月ごろ
まで建物の設計やら申請にかかりました。
ただこの仕事日本の最大手の日建設計事務所の仕事のお手伝いでしたが、
担当者が途中から中国の人に代わりだんだんと支払いがえげつなくなってきて、
あほらしくなり図面を収めた後は一切この仕事にかかわらなくしました。
なぜかというと、当時はまだ図面がCADで書き始めた頃でしたが
CADで書くといくらでも縮尺が可能なために、それを悪用してA1の図面に
今まで書いてきているサイズの図面を4枚として入れて、支払いを1枚分の図面代として支払うということを、
この担当者が思いついたのです。
土木の図面というのはよく枚数で支払いの計算をするのですから、そんな計算をされると書き手がいなくなるのです
図面でなく積算のA4などの場合でも
同じように枚数で計算していくのです。
元請けの大手などはこのようにして下請の支払いを安くしているのです。
大体元請さんは5:5又は6:4ぐらいで下請けに発注するようですが
大手ほどその割合はきついようです今はどのようなシステムになっているのかわかりませんが・・・
今思えば此れだけの建物をバカみたいな金額でよく頑張ったものだと思います。
でも当時は若かったので事務所としては、大手の設計事務所また、
コンサルタントの仕事をすると他のところには「あ-創さんは、有名な大手の設計事務所に出入りしているからと」
ちいさな事務所でもよい評価を得られるからと言う事でがんばりました。
おかげでこの年になるまで小さいながらも約50年設計事務所をやってこれたと思っています。
そして最後かなと思う処理場の設計をこのたびやらせてもらうことになりました、先日書いた上富田にての
「梅の排水処理」場の設計の仕事。
今年いっぱいの楽しみの仕事にしたいと思っています。