昨日に続いてトンボ玉の事
私がこのトンボ玉を研究されて作られておられる藤村さんと知り合いになり、色々と話を
聞いていくうちに、自分の工房を建てたいとのお話になり、どのようなものを建てるのが良いか
という事から、大きさ予算、構造と決めていき、平面プランもその段階から話し合っていきました。
鉄筋コンクリートの2階建てで将来3階建てに増築できるようにとの希望で平面計画をしました、
夕陽が丘の比較的地盤の良いところでしたので、べた基礎の3階建ての計画ですがとりあえずは、
3階部分は庭園としました、今でいう緑化で土を40センチほど入れました。
その数年後このあたりのマンション計画で残念ながら売却されて、今は藤井寺のほうにお住まいを
変えられましたそして今は友人の息子と孫さんが後を継いでおられるようです。
そのお父さんが作られた日本でも最高のトンボ玉が「小桜トンボ」
「乾隆小桜とんぼ」について
清朝に乾隆という時代がありました、清朝の最盛期で、工芸も隆盛を極め玉器やガラス器も
すぐれたものが作られました、瑠璃敞のガラス器の美しさは遠く欧州の人たちを驚かせたと
いわれていました。
その乾隆時代に造られた玉に小桜トンボという玉があります、小さな5弁の花模様が全体に
散りばめられた美しい玉です。
その玉が我が国に入ってきたのが、二百年余り前のことです、我が国の工人達はその美に
魅せられ同じ球を造ろうと努力しましたが、どうしても造ることができず、似たような花で
玉を造り、小桜トンボと名付ました、しかし花の造り方と、花弁の白の鮮やかさが全く異り
一見してそれと判別できます。
1978年 小桜トンボの説明書 藤村琢磨工房主
藤村英雄敬
追記、トンボ玉とは、ガラス工芸に詳しい由水常雄氏が1980年に書かれておられる
「トンボ玉という本から」
古代人の美玉を求める強い愛着心が文明の土地で作られた
科学技術の粋ともいえるガラス製の美玉=トンボ玉を、文明果つる未開の奥地にまで、
道なき道を通り抜けて伝播させていったのであったという。
江戸中期に書かれたものによると
地は瑠璃、或いは白きに赤き花の散らし紋あり。
物の如く見えて、至極うつくし
つまり瑠璃色や白色の素地に赤い花柄の散らし文様がついている玉という事。