釣り人の思い出としての魚拓は今は亡きOACにおられた天満の大井巌さん
クエ🎣一筋の方でした。
私の手元に大井さんのつられた魚拓が1枚長年あったのですが、どこかに紛れ込んでいるのか見当たらない、在籍していた全関西磯連当時にたまってきた魚拓を処分していく中で捨てるに忍びなくいただいたのですが・・・
昭和52年(1977年)に産報出版から出された「別冊フイッシング」に特集で「釣りバカ一代記」として大井さんのことが書かれておられます。当時で61歳、1年に258日は磯にいるといわれていた。
離島の開拓者として有名な豊中の森岡さんとはまた違う方向でクエばかりを狙って遠征されている方です。
今はもうこのような方は出てこないとおもいますが、この「別冊」のような本はもうないでしょう。私にとっての貴重な本の一冊です。
この本以外には「井ノ口和男氏の離島の大物釣り」に志賀吉秀氏の新しいグレ釣り」「藤沢淳一郎氏の磯つり」「三木武夫氏の釣り三昧」に「佐古田修一氏の現代釣り名人列伝」などが大事な蔵書としてあります。
このような本をどこかに残してもらえたらと思っています、淡路のじやのひれの社長が釣りの貴重な資料を残す建物を作られていて以前に私も竹竿を持っていきおいていただいてますのでいずれはそこにと思っています。
この大井さんのことをこの別冊から書き写したく思います
この大井さんは聞くところによると天満でパチンコ屋をされておられたのですが,すべてを奥さんに任せて月のうちの20日は釣りに行っていたという
本人さん曰く、「ワシは釣りだけが趣味や、その代わりほかのことは一切しないとそしてクエ専門に釣りをされていたという。
この当時で20キロ以上のクエを150本は上げていたという。 有名なのは昭和48年3月に奄美の皆津崎での148㎝で56,7キロです。
この大井さんは森岡さんと知り合ってから大物釣りに狂ったようです。
伊豆の銭洲えの1番乗りを目指したのですが、海が荒れていて上がれずにおるうちに森岡さんに先を越されたという、この当時森岡さんとはよく遠征されていたという。
