のっけから初音登場
今度は真田の使者として兼続の前に…
信長という後ろ盾を失った真田家、単独では
もはや家の存続は無理なのです
結局、上杉家を頼り徳川に対抗せざるを得ません
それにしても使者として娘を使わすとは真田昌幸
もどうにかしていますよね
ドラマですから仕方がありませんが、実際にはあ
りえない事です。
「母の身分が低かったので忍びとして育てられた」
と初音は言っていましたが、それも有り得る話で
はありません
お姫様が忍びとして育てられるなんて、驚きを通
り越して呆れるばかり
真田幸村の姉という設定らしいのですが、どうも
今一ピンときません
信長→秀吉の使い走りをしていたかと思うと今度
は実家の真田の使者として登場するなんて…
それはともあれ、初音の役割が少しあらわになり
ましたね
「天下を掴もうとしている方の側に使え影から真田
家守る」のが初音の役目だった様です
そんな初音が恋心を抱いたのが兼続だったのです
弟の幸村には見透かされていましたが…
上杉の人質として旅発つ幸村に「困ったら兼続を頼れ」
と初音。
「姉上が惚れた男で御座いますか」と切り返す幸村。
どうやら幸村も姉上の事が好きな様ですね
いよいよ真田に徳川が攻めて来ました
義の国・上杉も真田との盟約通り援軍を出す事に…
7000の徳川軍に対し2000の真田軍、まともに勝負した
のでは勝ち目がありません
小よく大を征す、真田軍の真骨頂です
それはそうと
上田城での籠城戦、何気なく忍者も戦いに参加してい
ましたね
真田十勇士でしょうか??
せっかくなら猿飛佐助・霧隠才蔵・根津甚八・三好清
海入道なども出演させた方がこのドラマにはピッタリ
だと思った僕なのです
兼続の裁量で幸村まで真田に返す事になった様ですが、
はたして幸村は上杉に戻って来るのでしょうか??
やっぱり~
幸村は戻って来ましたね
「直江兼続の弟子になるべく戻ってまいりました!!」と幸村。
青春ドラマならではですね
少ししょっぱい脚本ですね
ところで
真田幸村、本名は信繁と言うのですが、幸村とは江戸時代
に入って講談などで使われるようになったといいます
幸村の幸も村も色んな説があるのですが、何れにしても江
戸時代に広がった名前なのは間違いない様です
父は知将・真田昌幸、中山道を通って関が原に向かった徳
川秀忠軍に降伏を迫られても従わず上田城に籠城
5万もの徳川軍を足止めにした名将ですね。
信繁という名の謂われは武田信玄の弟・典厩信繁にあやか
ってつけた名前だといいます。
昌幸ほどの武将が自分の子供の名に戴くくらいですから武
田信繁とはかなりの人物だったのです
生涯、兄の信玄の側近くに使え陰日向に武田を盛り立てて
きた信繁。
ある意味、義に殉じた武将だったのかも知れません。
あの有名な川中島の戦いで壮烈な戦死をした信繁。
文武両道に優れた武将の惜しまれる最後ですね
徳川家康から40万石で大名に取り立てるとの申し出を断り
最後まで豊臣に殉じた真田信繁もまた義の武将だったので
しょうね。
決して歴史上の主役とは言えませんが、二人の信繁、その
生き方には共通点がある様な気がしてなりません
サポグラ 6月号 のCMです →
今度は真田の使者として兼続の前に…
信長という後ろ盾を失った真田家、単独では
もはや家の存続は無理なのです
結局、上杉家を頼り徳川に対抗せざるを得ません
それにしても使者として娘を使わすとは真田昌幸
もどうにかしていますよね
ドラマですから仕方がありませんが、実際にはあ
りえない事です。
「母の身分が低かったので忍びとして育てられた」
と初音は言っていましたが、それも有り得る話で
はありません
お姫様が忍びとして育てられるなんて、驚きを通
り越して呆れるばかり
真田幸村の姉という設定らしいのですが、どうも
今一ピンときません
信長→秀吉の使い走りをしていたかと思うと今度
は実家の真田の使者として登場するなんて…
それはともあれ、初音の役割が少しあらわになり
ましたね
「天下を掴もうとしている方の側に使え影から真田
家守る」のが初音の役目だった様です
そんな初音が恋心を抱いたのが兼続だったのです
弟の幸村には見透かされていましたが…
上杉の人質として旅発つ幸村に「困ったら兼続を頼れ」
と初音。
「姉上が惚れた男で御座いますか」と切り返す幸村。
どうやら幸村も姉上の事が好きな様ですね
いよいよ真田に徳川が攻めて来ました
義の国・上杉も真田との盟約通り援軍を出す事に…
7000の徳川軍に対し2000の真田軍、まともに勝負した
のでは勝ち目がありません
小よく大を征す、真田軍の真骨頂です
それはそうと
上田城での籠城戦、何気なく忍者も戦いに参加してい
ましたね
真田十勇士でしょうか??
せっかくなら猿飛佐助・霧隠才蔵・根津甚八・三好清
海入道なども出演させた方がこのドラマにはピッタリ
だと思った僕なのです
兼続の裁量で幸村まで真田に返す事になった様ですが、
はたして幸村は上杉に戻って来るのでしょうか??
やっぱり~
幸村は戻って来ましたね
「直江兼続の弟子になるべく戻ってまいりました!!」と幸村。
青春ドラマならではですね
少ししょっぱい脚本ですね
ところで
真田幸村、本名は信繁と言うのですが、幸村とは江戸時代
に入って講談などで使われるようになったといいます
幸村の幸も村も色んな説があるのですが、何れにしても江
戸時代に広がった名前なのは間違いない様です
父は知将・真田昌幸、中山道を通って関が原に向かった徳
川秀忠軍に降伏を迫られても従わず上田城に籠城
5万もの徳川軍を足止めにした名将ですね。
信繁という名の謂われは武田信玄の弟・典厩信繁にあやか
ってつけた名前だといいます。
昌幸ほどの武将が自分の子供の名に戴くくらいですから武
田信繁とはかなりの人物だったのです
生涯、兄の信玄の側近くに使え陰日向に武田を盛り立てて
きた信繁。
ある意味、義に殉じた武将だったのかも知れません。
あの有名な川中島の戦いで壮烈な戦死をした信繁。
文武両道に優れた武将の惜しまれる最後ですね
徳川家康から40万石で大名に取り立てるとの申し出を断り
最後まで豊臣に殉じた真田信繁もまた義の武将だったので
しょうね。
決して歴史上の主役とは言えませんが、二人の信繁、その
生き方には共通点がある様な気がしてなりません
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