『改革幻想』 竹田茂夫 「2014.7.17.東京新聞」
“政府の規制改革会議が先月出した第二次答申は、相変わらず改革幻想に満ちたものだ。成長を至上の政策目標とし、市場を効率性に、企業を創意と革新に等値する思考法は、市場や企業のダークな裏面を見まいとする姿勢と表裏一体だ。
答申は、将来の保険診療への組み入れを前提とせず、自由診療(患者申し出療養)を拡大しようともくろんでいる。しかし、医者と患者の間の情報格差や承認期間の極端な短縮から、医療過誤や裁判が頻発することは明らかではないか。
しかも、病院が富裕層の選択の自由に対応すれば、保険診療がおろそかになり、医療格差が拡大する。サプリも米国流に企業の判断だけで効能を宣伝できるようになれば、消費者はモルモット扱いだ。市場原理とは副作用を伴う劇薬なのだ。
財界代表の製薬最大手トップが、契約自由の雇用慣行(いつでも解雇可能)を求めて旗を振る間に、足元では臨床研究をねじ曲げて降圧剤を宣伝し、大もうけしていた事実が発覚した。実地に企業性善説が誤りであることを示してくれたのだ。
政府の審議会などに集まる人々のもう一つの特徴は、強権で制度改革を一挙にやってしまおうという傾向だ。新自由主義的な経済政策を初めて実施したのは、チリの軍事独裁政権下でのシカゴ学派(市場原理主義)だったことを想起すべきではないか。(法政大教授)”
【シカゴ学派】 (Chicago School)
① シカゴ大学を中心とする社会学者の一派。特に第一次大戦後から1930年代半ば頃まで隆盛。スモール・トマス(W.I.Thomas 1863-1947)・パーク・バージェス(E.W.Burgess 1886-1966)らが中心。実証的方法によって、人種・家族・スラム・職業・宗教などを分析。都市社会学・都市生態学・社会病理学を育てた。
② 経済問題の解決に際し、市場機構の有効性を前提とし、政府介入による方法を極力否定する経済学派。シカゴ大学教授だったフリードマンがその代表。→マネタリズム。
『広辞苑第六版』
竹田先生が書かれている「シカゴ学派」は、もちろん②の意味だが、私が今読んでいる Norman Ware は、①の時代の研究者だ。カナダで1886年に生まれ、博士号をシカゴ大学で1913年に取得。解説には、“A child of the Progressive movement” と書かれている。卒業後はトロントの“University Settlemant”で働き、その後戦争。第一次大戦後の1924年米国に帰化。もっとも、経済学と社会科学は、Connecticut 州の Wesleyan 大学で研究しているので、「シカゴ学派」とはいえないかもしれない。
シカゴといえば、オバマ大統領が海外の都市で演説する時、「シカゴは私のホームタウンだが、みなさん方の民族のコミュニティもあって……」などとマクラをふることがある。つまりオバマ大統領にとっての「シカゴ」は、林家こん平の「チャーザー村」のようなものなのである(笑)。それは冗談だが、いつか、シカゴを中心にミシガン湖一周の旅をしてみたいものである。レンタカーはもちろんフォードである(笑)。
「チリのシカゴ学派」の件も、少しずつ調べていく。
【2014.7.26. 追記】
『詳説 世界史研究』 木下康彦,木村靖二,吉田寅 編 (山川出版社) より
“チリでは,1970年9月の大統領選挙で社共両党を中心とした人民連合が勝利した。
1960年代のチリは「進歩のための同盟計画」の優等生といわれ,改良主義的な政策を実行した。
ところが,60年代末にはインフレ,経済成長の停滞,外資による独占などで改革は後退していった。
人民連合のアジェンデ政権はこの経験を踏まえ,最低賃金引き上げによる国民所得の拡大と社会福祉の充実,アメリカ系銅山企業の国有化,農地改革の完全実施などの政策を実施した。
アジェンデ政府は議会主義下で社会主義の実現をめざした世界初の政府であり,多元主義と自由のなかでの社会主義の実現を目標に掲げた政府として注目された。
しかし,社共両党の対立,商店主などの中間層の離反,それにアメリカの干渉が加わった。
アメリカは強大な経済力を利用してチリ経済の混乱をひきおこし,さらに多国籍企業ITT(国際電信電話公社)やCIAの策謀などで,1973年の軍事クーデターに協力した。
ピノチェット軍事政権 Pinochet (1915~2006, 任1974~90)は人民連合派に弾圧を加え,国有企業の民間払い下げをおこなって自由主義経済に復帰したが,経済成長は大きく後退した。”
【2014.9.28 追記】
『大転換と大分岐』竹田茂夫 (2014.9.25 東京新聞)
“市場経済の理解に資する二つの著作がある。ともに自発的交換を中心に据える経済学に根本的な疑問を呈する。
ひとつは評価の定まった K・ポラニーの『大転換』で、激動の十九世紀の英国社会が議論の舞台だ。本来、労働・土地・貨幣は商品ではないのに、市場経済に不可欠であるため、強引に商品の形をまとわせる。大衆から生存権を奪って、労働力を売るしかない状況を生み出した構造的な暴力こそ、市場経済への大転換の前提だと説く。
現代でも、労働規制緩和や福祉切り詰め、資源と環境を無視する成長志向(原発は究極の環境破壊)、金融危機の頻発と税金による尻拭いで分かるように、ポラニーの見方は意義を失わない。
他方、 K・ポメランツ著『大分岐』(未訳)はこう問題を立てる。なぜ西欧は揚子江デルタや、日本の関東や畿内などの当時の先進地域の停滞から分岐し、産業革命に成功し、世界の覇権を握ったのか。その理由は、確立した所有権など市場の制度が優れていたからではないという。
西欧は植民地の奴隷労働で綿花や砂糖を生産したが、他の地域は農地や燃料供給の森林の生態学的限界を労働強化で克服するほかなく(勤勉革命)、成長は頭打ちになった。奴隷制の制度的な暴力と植民地への生態学的な圧力の転移こそ西欧の優位の理由なのだ。(法政大教授)”
『大転換』 K・ポラニー http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E8%A8%B3-%E5%A4%A7%E8%BB%A2%E6%8F%9B-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC/dp/4492371079/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1411895690&sr=1-1&keywords=%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC
『大分岐』 K・ポメランツ http://www.amazon.co.jp/The-Great-Divergence-Princeton-Economic/dp/0691090106/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1411895896&sr=1-1&keywords=Pomeranz
【2014.10.1 追記】
『ショック・ドクトリン』 ナオミ・クライン(幾島幸子,村上由見子 訳,岩波書店) 第2章から
シカゴ学派の創設者の一人であるフランク・ナイトは、個々の経済理論は議論の余地のある仮説ではなく、「システムの神聖な特性」であるという考え方を学生に「吹き込む」ことが教授の使命であると考えていた。このシカゴ学派の神聖なる教えの中核には、需要、供給、インフレーション、失業といった経済に影響を与えるさまざまな力は、自然の力と同様、固定した不変のものだという考えがあった。シカゴ学派の講義や教科書で想定されている真の自由市場においては、これらの力は完全な均衡状態にあり、供給と需要はちょうど月の引力と潮の干満のような関係にあるとされた。フリードマンの提唱した厳格なマネタリズムによれば、経済が激しいインフレーションに陥るのはおしなべて、市場の自由に任せればおのずから均衡が生まれるところを、政策立案者が誤ってシステムに過剰なマネーを流入っさせたことに起因するという。生態系がそれ自身の力でバランスを保っているように、市場もまたそもままにしておけば、生産される商品の数も、その価格も、それを生産する労働者の賃金も適正になり、十分な雇用と限りない創造性、そしてゼロインフレというまさに地上の楽園が出現するというのである。
ハーバード大学の社会学者ダニエル・ベルによれば、急進的な自由市場経済学を特徴づけるのは、この理想化されたシステムへの愛である。彼らの考える資本主義は「精巧な時計のように寸分の狂いのない」「この世のものとは思われないほどの絶妙なしかけ」であり、「その素晴らしさは、小鳥が飛んできてついばもうとするほど本物そっくりのブドウを描いたアペレス(古代ギリシアの画家)の有名な絵画を思い起こすほどだ」という。
フリードマンとその同僚たちにとっての課題は、現実世界の市場が彼らが熱狂的に思い描いた理想どおりになるということを、どうやって証明するかにあった。フリードマンは常に、経済学を物理学や化学のような厳密な科学として扱っていることを自負していた。だが自然科学の場合、要素の振る舞いを指摘して理論を証明することができるのに対し、あらゆる「歪み」が取り除かれればその社会は完全に健全で豊かなものになるというフリードマンの主張は証明不能である。なぜなら、この世界には完全な自由放任という基準に当てはまる国など、どこにも存在しないからだ。自分たちの理論を中央銀行や商務省で検証することはかなわないため、フリードマンらは社会科学研究棟の地下にある作業室で複雑で巧妙な方程式やコンピューターモデルを作成することで、良しとしなければならなかった。
フリードマンは数字やシステムが好きだったことから、経済学の道に進んだ。自伝によれば、高校時代、幾何学の教師が黒板にピタゴラスの定理を書いたときに啓示のようなひらめきを感じた。その教師はこの定理の美しさを説明するのに、ジョン・キーツの「ギリシアの壷に寄せて」から「「美は真実であり、真実は美だ」と――この世で知ることのできるのはそれだけであり、知るべきこともこれしかない」という一節を引用したという。フリードマンは、これと同じすべてを包み込む美しいシステムに対する熱狂的な愛を、簡潔さとエレガンス、そして厳密さの探求とともに、数世代にわたる経済学者たちに伝えたのだ。
すべての原理主義の教義がそうであるように、シカゴ学派はその信奉者たちにとって、自己完結した世界だった。まず出発点は、自由市場は完璧な科学的システムであり、個々人が利益に基づく願望に従って行動することによって、万人にとって最大限の利益が生み出されるという前提にある。すると必然的に、自由市場経済内部で何かまずいこと(インフレ率や失業率の上昇など)が起きるのは市場が真に自由ではなく、なんらかの介入やシステムを歪める要因があるからだ、ということになる。したがって結論は常に同じだった――基礎的条件をより厳格かつ完全に適用することである。
O Attic shape! Fair attitude! with brede
Of marble men and maidens overwrought,
With forest branches and the trodden weed;
Thou, silent form, dost tease us out of thought
As doth eternity: Cold Pastoral!
When old age shall this generation waste,
Thou shalt remain, in midst of other woe
Than ours, a friend to man, to whom thou say'st,
‘Beauty is truth, truth beauty, ―that is all
Ye know on earth, and all ye need to know.'
――『Ode on a Grecian Urn』 John Keats
【2014.10.2 追記】
『見えざる深層国家』 竹田茂夫 (2014.10.2 東京新聞)
“ 先週、オバマ政権はイスラム国への空爆をシリアにまで広げた。議会の同意なき空爆は行政権力の逸脱であり、世界の文明秩序の保護者を自任する「帝国の奢り」でもあると憲法学者は批判する。中東の戦乱が一層泥沼化するリスクも高い。さらに、核兵器廃絶の理想を掲げてきたオバマ政権は、裏では今後十年間で三十兆円以上もの核装備更新を始めた。金融では、ウォール街の重鎮に刑事罰でバブルの責任を問うことなく司法長官は辞任する。
リベラル派や進歩派の期待を担って生まれた同政権に何が起きているのか。
国家中枢を知悉(ちしつ)するある議会スタッフは、議会や大統領府などの表層の国家の背後に、深層国家が隠れているという。9・11以後肥大化した諜報機関や防衛関連官庁、戦争でもうける防衛産業、国家の諜報の外注先の民間会社や契約社員(八十五万人以上が機密情報に接近できる)、ウォール街とワシントンの間の回転ドアを行き来する法律家たち、それにシリコンバレーの大手IT企業等の緩やかな連携と暗黙の了解が深層国家だ。議員にさえ秘密の裁判所も備えている。一人の若き契約社員の捨て身の内部告発でその実態が暴かれたのだ。
日本の原子力ムラが国民の意思を無視するように、米国の深層国家も民主的制御を受け付けない。(法政大教授)”
―『NIXON』 Oliver Stone
May 9. 1970 4:00 AM
“Change always comes slowly.”
―『ショック・ドクトリン』 ナオミ・クライン (第2章)
“1970年、チリでは大統領選挙で人民連合のサルバドール・アジェンデが勝利し、”
―『ショック・ドクトリン』 ナオミ・クライン (第3章)
“大統領政庁が炎上するなか、布に覆われたアジェンデの遺体が担架で運び出され、”
【2014.10.13 追記】
『アブナイ政権』 竹田茂夫 (2014.10.9 東京新聞)
“国際的にアブナイ極右政権とみられている安倍政権は経済運営でも火薬庫を抱えている。
規制委の疑わしいお墨付きで原発を再稼動させても、地震や火山爆発で過酷事故が再び起きれば政権は維持できない。黒田日銀の量的緩和は円安と株価上昇で政権を支え、インフレ期待で投資の喚起を狙う大ばくちだが、長期金利が上昇し始めると打つ手がない。
たとえば、大規模災害が起きれば財政窮迫の予想だけで国債価格は暴落し(金利急騰)、国債利払い費暴騰が財政危機を招く。そうなれば政治的独立性を自ら捨てた日銀はいまさら国債引き受けを拒否できない。超インフレと資本逃避(国内資産投売りと外資への乗り換え)がそれに続く。この破局劇が始まれば誰も止められない。暴力的手段だけが残される。
企業減税や農業・医療・労働の規制打破の成長戦略はどうか。規制緩和すれば企業家精神という機会仕掛けの神が成長をもたらすという物語だが、成長率を底上げする製造業の国内回帰や外資の国内投資が起きるとは到底思われない。
憂慮すべきは消費税増税・福祉削減・時間外ただ働きがもたらす深刻な社会的コスト(格差拡大、生活者の疲弊)だ。原発が核廃棄物を出すように、成長戦略も国内総生産(GDP)に反映しない負の外部性を国民に押し付ける。(法政大教授)”
【2014.11.13 追記】
『ドイツのエコ発電』 竹田茂夫 (2014.11.13 東京新聞)
“日本とドイツ、二つの経済大国は対照的な電力ビジョンの下にある。日本では最近、九州電力をはじめとする五電力会社がエコ発電(太陽光や風力等の再生可能電力)の買い入れ停止、つまり送電網への接続の凍結を発表した。
二年前にエコ電力普及のため固定買い取り制度ができたわけだが、今回の凍結は情報開示なしの一方的な凍結であり、エコ電力排除の意図を想定せざるをえない。
この背後には現政権の原発再稼動の方針がある。原発は技術面でも、コスト面でも、将来世界への倫理的義務の観点からも破綻が明らかであるのに、今年四月の「エネルギー基本計画」でベースロード電源と位置づけられた。原発関連の特殊権益と核武装の夢を捨てきれない保守政治家が結託した結果であろう。
他方、ドイツはチェルノブイリ事故以降、国民の厳しい議論を経て2000年に再生可能エネルギー法を制定し、曲折はあるものの八年後の脱原発の完了やより長期的な脱化石燃料と温暖化ガス削減の目標に向かって着実に歩みを進めている。
両国の違いはなにか。表面的には送電網が電力会社の管理下にあるか,あるいは社会共通資本として開放されているかの違いであるが、最終的には反核世論を政治にくみ上げる経路に日本では深刻な問題があることによる。 (法政大教授)”
【2014.12.8 追記】
『カネの腐食作用』 竹田茂夫 (2014.12.4 東京新聞)
“日本の大企業を束ねる経団連が政治献金を再開する。民主政治のコスト負担と企業の社会貢献が目的だというが、本音は解雇の金銭解決、残業代ゼロ、派遣法改正等で安倍政権を支援することにある。
企業は個人に還元できない「社会的実在」であり、大企業は政治的にも社会的にも影響力が大きい。だが、これから企業は自然的個人と同じ政治的権利を持つべきだということにはならない。
企業やスーパーリッチな個人に無制限の政治献金を認めるとどうなるか。四年前に米国連邦最高裁の超保守派判事らはリベラル派を五対四で押し切って、政治資金団体への無制限の企業寄付を認める判断を下した。かれらの論拠は企業にも言論の自由があるというものだが、法理上でも実際のカネの腐食作用の面からも批判されてきた。
さらに今年、富裕な個人の政治献金を総枠で無制限に認める判決も下した。結果は反対派追い落としのどぎついテレビ広告の氾濫だ。カネとイメージによる世論操作は、熟議民主主義の理想、つまり卓越した議論の説得力による公共的意思決定の対極にある。
カネは民主主義を腐敗させる。十年間の取材に基づいた『原発利権を追う』はいかに電力会社と原子力ムラが日本の政治風土を腐らせてきたか、多くの実例を挙げている。 (法政大教授)”
【2014.12.26 追記】
『拷問の責任』 竹田茂夫 (2014.12.25 東京新聞)
“今月九日、米国議会上院委員会は中央情報局(CIA)の拷問に関する報告書要約版を発表した。アブグレイブ監獄の流出写真から周知の事実だが、拷問は情報所得には無用であるとの委員会の糾弾の姿勢が明確だ。
その翌日、ブラジルでかつての軍事独裁政権の人権抑圧(反対派の拉致・拷問・虐殺)の報告書が公表され、記者会見でルセフ大統領は涙を見せた。彼女自身が拷問を受けたからだ。当時、南米では軍事政権が次々に成立し、現在のチリとウルグアイの大統領も拷問された経験を持つ。
二つの報告書には深い関連がある。CIAは冷戦の経験から、1960年代のベトナム戦争で捕虜の心身両面の人格崩壊を狙った尋問マニュアルを作ったが、それを南米独裁政権の支援やテロとの闘いにも応用したのだ(A・マッコイ『拷問問題』未訳)。拷問は極秘扱いだが、米国のリアルポリティークの一環だった。
米国の一流紙が、拷問を合法化したブッシュ政権元幹部の刑事訴追を社説で主張している。ナチスの秘密警察という暗い過去を持ち、今回は自国民がCIAに拉致・拷問されたドイツでも同じ動きがある。
日本の憲兵隊や特高の拷問は小林多喜二の作品などで知られているが、戦後誰がどう責任をとるべきだったか、日本人は無関心と沈黙を守っている。(法政大教授)”
『The CIA's Secret Research on Torture』 Alfred W. McCoy
http://www.amazon.co.jp/CIAs-Secret-Research-Torture-Psychologists-ebook/dp/B00OQT8R0G/ref=sr_1_16?s=english-books&ie=UTF8&qid=1419596237&sr=1-16&keywords=torture
『DEC. 21, 2014 The New York Times, EDITORIAL』
http://www.nytimes.com/2014/12/22/opinion/prosecute-torturers-and-their-bosses.html?smid=tw-share&_r=0
【2015.1.29 追記】
『ウォール街リベラル』 竹田茂夫 (2015.1.15 東京新聞)
“オバマ米政権の親ビジネス路線には批判が多い。バブルの責任追及ではウォール街の大物を訴追できず、金融規制強化への抵抗には妥協する。民主党内の反対論を尻目に太平洋圏の自由貿易協定を推進する。
政権の要、ガイトナー元財務長官やフロマン米国通商代表などのメンター(相談役)はロバート・ルービン氏だ。ウォール街ですご腕をふるって投資銀行トップに上りつめ、クリントン政権では金融の規制緩和を進めつつ財務長官などの重責を果たし、ついに巨大銀行の経営者に舞い降りたという経歴だ。今でも人脈と金脈の両面で民主党に影響力を持つ。
この人物、一筋縄では理解できない。なぜ政界に身を転じたのか、大富豪なのになぜ民主党なのか。答えは市場へのスタンスにある。ビジネスでは割り切ってカネもうけに徹し、社会正義への満たされぬ思いは政界進出や慈善行為で果たす。金融や市場経済は機会平等の透明な制度、公正な競技場であり、結果に問題があれば政治的に手直しすればよい。政治哲学再興の書、ジョン・ロールズ『正義論』も同じ前提に立つ。
だが思い違いだ。カネは価値中立的であるどころか、人の心を単色に染め上げる。競争の結果を左右する市場ルールは強者に有利で、カネは政治に介入し政治権力に姿を変える。(法政大教授)”
“A Theory of Justice” John Rawls
http://www.amazon.co.jp/Theory-Justice-Original-Oxford-Paperbacks/dp/0674017722/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1422536445&sr=8-2&keywords=a+theory+of+justice
『運命と希望』 竹田茂夫 (2015.1.22 東京新聞)
“かつて民主党政権がTPP(環太平洋連携協定)参加を打ち出した際に、幹部の一人がこうつぶやいた。「グローバル化とTPPは避けられない日本の運命だ」
現政権下では、大勢に逆らっても仕方がないという感覚は深く国民に浸透する。経済学者も(内容はともかく)格差拡大を資本主義の法則や矛盾という不可避性の用語で表現することがある。
確かに、グローバル化や格差拡大は無数の人々の生活向上の夢、世界史的な技術革新の波、強力な利潤追求衝動などが絡み合う、あらがいがたい流れのように見える。
だが、背後には、大企業や富裕層に有利な法制度などのルールの束があり、ルールを支えるのは特定の理念や無意識の思い込みだ。例えば、最近報道された富の一極集中(世界の富の約半分を上位1%のスーパーリッチが保有する)は運命や法則ではなく、各国の偏った税制と国際規制の不在の結果だ。
二十日夜の一般教書演説でオバマ大統領は、富裕層から中間層への富と所得の再分配を図る大胆な税制改革を提起した。共和党の反対で実現不可能なことは承知の上で、次の大統領選を念頭に民主党内進歩派の主張を一部取り入れてリベラル色を強調したわけだ。
こうして、格差解消を妨げている理念と勢力をあぶりだし、中間層が希望をもつことが可能になる。(法政大教授)”
【2015.2.27 追記】
『暴力と資本主義』 竹田茂夫 (2015.2.26 東京新聞)
“ハーバード大学で長年、「米国資本主義の歴史」を教える S.ベッカート氏の近著『綿の帝国』(未訳)は刮目すべき大作だ。膨大な資料を基に綿(綿花・木綿)を通して五大陸に亘る資本主義の歴史を展開する。焦点を二つに絞ろう。
まず、資本主義の暴力性だ。現代経済学では市場参入で当事者全員の利得が向上すると教えるが、実態はまるで違う。産業革命の技術で綿の一大生産拠点になった米国南部では、土地を土着部族から奪い輸入奴隷を労働力に充当して、プランテーションの市場収益性が確保されたのだ。さらに南北アメリカ植民地化の際のジェノサイド(民族大虐殺)、大航海時代に私掠船、武装した東インド会社等によるアジアの植民地化など、歴史は暴力に溢れている。著者は奴隷制や強制労働等の暴力は資本主義の歴史的逸脱ではなく、その中核だとさえいう。
第二点。資本主義の本質は土地・労働力・技術等の絶えざる新結合だが、現代の大手アパレル製造販売は、国境を越えて生産関係を再編しコスト削減を図る。先進国から中国へ、中国から最貧国へ工場は移る。その結果が一昨年のバングラデシュの裁縫工場ビルの倒壊だ。
中央アジアの児童労働などもあるが、現代資本主義の暴力は市場原理と企業組織を通して、意図せざる結果として生じる。(法政大教授)”
Empire of Cotton: A Global History Sven Beckert
http://www.amazon.co.jp/Empire-Cotton-History-Sven-Beckert/dp/0375414142/ref=sr_1_fkmr0_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1425047925&sr=1-1-fkmr0&keywords=imperial+cotton%E3%80%80Beckert
Empire of Cotton: A New History of Global Capitalism Sven Beckert
http://www.amazon.co.jp/Empire-Cotton-History-Global-Capitalism/dp/024101171X/ref=sr_1_fkmr0_3?s=english-books&ie=UTF8&qid=1425047925&sr=1-3-fkmr0&keywords=imperial+cotton%E3%80%80Beckert
【2015.3.5 追記】
『魔の山』 竹田茂夫 (2015.1.29 東京新聞)
“先週、スイスのリゾート地、ダボスで恒例の会議があった。欧米などから著名な企業家や政治家を招いて世界の焦眉の問題を論じ合う。会議のテーマから世界の支配層や富裕層の関心事がうかがえる。
成長の伴うコストとして格差を擁護する主張は少数派になり、大方の参加者に共通するのは、グローバルな規模で拡大する一方の格差が特権的地位と富を道連れに資本主義を破壊してしまうのではないかという恐怖感だ。欧米のピケティブームは怖いもの見たさにも支えられている。だが、資本主義の法則などと大上段に振りかぶらなくても支配と格差は現前にある。
日本の非正規層差別は語りつくされたが、現政権は対策を講じる気配さえみせない。つい先日ギリシャの左派勢力が政権を奪ったのも、犠牲を払い続けた庶民のやむにやまれぬ反撃だ。欧州連合を牛耳るエリート官僚や経済優等生ドイツの政治家らが、債務返済の神聖な義務を旗印にギリシャに押し付けた緊縮財政と構造改革が耐えがたい苦痛を生んだのだ。
ダボスの結核療養所で延々と続けられる高踏な議論にうんだ若き主人公が、戦争で騒然とする下界に下りていく所で小説『魔の山』は終わる。格差という病におかされて発熱する現代の資本主義は議論ではなく、現実の対策を求めている。(法政大教授)”
【2015.3.12 追記】
『ギリシャ危機の深層』 竹田茂夫 (2015.3.5 東京新聞)
“ギリシャは経済規模で欧州連合(EU)の2%を占めるだけの小国だが、その債務危機は教訓や予兆や多面的な意味をはらんでいる。二つの大戦で膨大な死と破壊を経験した欧州は、政治的統合と共通通貨ユーロで歴史的実験を始めたわけだが、これが揺らいでいる。
ギリシャは積み上がった公的債務=大半がEU・欧州中銀・国際通貨基金(IMF)への債務=の返済のために、この三者のトロイカによって緊縮財政と構造改革(公務員解雇、国家資産売却、賃金と年金の切り下げなど)を強制された結果、失業率は25%に上がり、国内総生産(GDP)は危機前から25%以上縮小して、医療・福祉サービスの破綻などの社会的危機を経験しつつある。
他方、経済大国ドイツの世論は強硬だ。先月末のドイツ議会の討論が示唆的で、保守政界の重鎮の財務相も、連立与党の社会民主党も、猶予はするものの全額の債務返済は譲らない。だが、これが不可能なことは周知の事実だ。人々の生活や生命よりも市場と金融の論理を優先する新自由主義が、自他ともに厳格なドイツ人という虚像にすり替えられている。
トロイカとドイツによる実現不可能な要求。ユーロ圏残存と経済主権回復という切実だが両立不可能な国民的願望をすくいあげたギリシャ左派政権。ギリシャ危機は不条理劇のように進行している。(法政大教授)”
“チキンレース” https://www.youtube.com/watch?v=u7hZ9jKrwvo
『理由なき反抗』 “Rebel Without a Cause(原題)” “… denn sie wissen nicht, was sie tun(独語題)”
『チキンレースと資本論』 竹田茂夫 (2015.3.12 東京新聞)
“青春映画『理由なき反抗』に、二台の車を崖に向かって爆走させるチキンレースのシーンが出てくる。転落を恐れて、先に運転席から飛び降りた方が弱虫(チキン)で負けというわけだ。この遊びはゲーム理論で「瀬戸際戦略」と命名され、国際紛争のお手軽な説明図式になった。
欧米のメディアはギリシャ左派政権の財務省がゲーム理論研究者であったことに注目して、欧州連合(EU)や欧州中銀への対決姿勢をチキンレースに持ち込むものと解釈する。ドイツの保守派高級紙は、四十歳のギリシャ新首相を無知で無謀な若者にたとえる。この映画の独語タイトルは「知らずにやってしまう」(無分別の意)と訳せるが、ほぼ同じ言い回しが『資本論』にある。
市場交換の当事者は、自分の行為が社会全体にどう作用するか知らないし、知らずに済む。市場は幻想(商品への物神崇拝)を生み出しつつ、資源配分の機能を果たすことをマルクスは指摘したのだ。保守派経済学の大御所、ハイエクは同じ事態を市場の情報効率性として称揚する。価格情報さえ流布すれば、誰も実情を把握しなくても、市場全体はうまくいくという。
EUなどは市場の論理を振りかざして緊縮財政を構造改革をギリシャに強要したが、その結果は社会の破綻だ。知らずに行うのはどちらなのか。(法政大教授)”
【2014.11.9 追記】
“フリードマンは人間として最低の人間なんですね。” 宇沢弘文 (2010年10月の講演)
https://www.youtube.com/watch?v=XqOKulQ8SCo
(9:50~)
【2014.11.10 追記】
宇沢先生はこの講演で、日本現代史に起きたひとつひとつの事象が、はっきりと繋がっているという見方をされている。その論理は近いうちに文字起こしをしてから検討するが、昨今「川内(せんだい)原発の再稼動に市と県が同意した」というニュースがあり、その大きな理由は地方経済の疲弊だという。では何故、地方経済は疲弊したのか? この答えも講演で語られている。
もうひとつは私の、「フリードマン経済学の誤謬は、その少年時代にキーツの詩を誤読したことに始まる」という仮説を、その後に書いてみる。
“政府の規制改革会議が先月出した第二次答申は、相変わらず改革幻想に満ちたものだ。成長を至上の政策目標とし、市場を効率性に、企業を創意と革新に等値する思考法は、市場や企業のダークな裏面を見まいとする姿勢と表裏一体だ。
答申は、将来の保険診療への組み入れを前提とせず、自由診療(患者申し出療養)を拡大しようともくろんでいる。しかし、医者と患者の間の情報格差や承認期間の極端な短縮から、医療過誤や裁判が頻発することは明らかではないか。
しかも、病院が富裕層の選択の自由に対応すれば、保険診療がおろそかになり、医療格差が拡大する。サプリも米国流に企業の判断だけで効能を宣伝できるようになれば、消費者はモルモット扱いだ。市場原理とは副作用を伴う劇薬なのだ。
財界代表の製薬最大手トップが、契約自由の雇用慣行(いつでも解雇可能)を求めて旗を振る間に、足元では臨床研究をねじ曲げて降圧剤を宣伝し、大もうけしていた事実が発覚した。実地に企業性善説が誤りであることを示してくれたのだ。
政府の審議会などに集まる人々のもう一つの特徴は、強権で制度改革を一挙にやってしまおうという傾向だ。新自由主義的な経済政策を初めて実施したのは、チリの軍事独裁政権下でのシカゴ学派(市場原理主義)だったことを想起すべきではないか。(法政大教授)”
【シカゴ学派】 (Chicago School)
① シカゴ大学を中心とする社会学者の一派。特に第一次大戦後から1930年代半ば頃まで隆盛。スモール・トマス(W.I.Thomas 1863-1947)・パーク・バージェス(E.W.Burgess 1886-1966)らが中心。実証的方法によって、人種・家族・スラム・職業・宗教などを分析。都市社会学・都市生態学・社会病理学を育てた。
② 経済問題の解決に際し、市場機構の有効性を前提とし、政府介入による方法を極力否定する経済学派。シカゴ大学教授だったフリードマンがその代表。→マネタリズム。
『広辞苑第六版』
竹田先生が書かれている「シカゴ学派」は、もちろん②の意味だが、私が今読んでいる Norman Ware は、①の時代の研究者だ。カナダで1886年に生まれ、博士号をシカゴ大学で1913年に取得。解説には、“A child of the Progressive movement” と書かれている。卒業後はトロントの“University Settlemant”で働き、その後戦争。第一次大戦後の1924年米国に帰化。もっとも、経済学と社会科学は、Connecticut 州の Wesleyan 大学で研究しているので、「シカゴ学派」とはいえないかもしれない。
シカゴといえば、オバマ大統領が海外の都市で演説する時、「シカゴは私のホームタウンだが、みなさん方の民族のコミュニティもあって……」などとマクラをふることがある。つまりオバマ大統領にとっての「シカゴ」は、林家こん平の「チャーザー村」のようなものなのである(笑)。それは冗談だが、いつか、シカゴを中心にミシガン湖一周の旅をしてみたいものである。レンタカーはもちろんフォードである(笑)。
「チリのシカゴ学派」の件も、少しずつ調べていく。
【2014.7.26. 追記】
『詳説 世界史研究』 木下康彦,木村靖二,吉田寅 編 (山川出版社) より
“チリでは,1970年9月の大統領選挙で社共両党を中心とした人民連合が勝利した。
1960年代のチリは「進歩のための同盟計画」の優等生といわれ,改良主義的な政策を実行した。
ところが,60年代末にはインフレ,経済成長の停滞,外資による独占などで改革は後退していった。
人民連合のアジェンデ政権はこの経験を踏まえ,最低賃金引き上げによる国民所得の拡大と社会福祉の充実,アメリカ系銅山企業の国有化,農地改革の完全実施などの政策を実施した。
アジェンデ政府は議会主義下で社会主義の実現をめざした世界初の政府であり,多元主義と自由のなかでの社会主義の実現を目標に掲げた政府として注目された。
しかし,社共両党の対立,商店主などの中間層の離反,それにアメリカの干渉が加わった。
アメリカは強大な経済力を利用してチリ経済の混乱をひきおこし,さらに多国籍企業ITT(国際電信電話公社)やCIAの策謀などで,1973年の軍事クーデターに協力した。
ピノチェット軍事政権 Pinochet (1915~2006, 任1974~90)は人民連合派に弾圧を加え,国有企業の民間払い下げをおこなって自由主義経済に復帰したが,経済成長は大きく後退した。”
【2014.9.28 追記】
『大転換と大分岐』竹田茂夫 (2014.9.25 東京新聞)
“市場経済の理解に資する二つの著作がある。ともに自発的交換を中心に据える経済学に根本的な疑問を呈する。
ひとつは評価の定まった K・ポラニーの『大転換』で、激動の十九世紀の英国社会が議論の舞台だ。本来、労働・土地・貨幣は商品ではないのに、市場経済に不可欠であるため、強引に商品の形をまとわせる。大衆から生存権を奪って、労働力を売るしかない状況を生み出した構造的な暴力こそ、市場経済への大転換の前提だと説く。
現代でも、労働規制緩和や福祉切り詰め、資源と環境を無視する成長志向(原発は究極の環境破壊)、金融危機の頻発と税金による尻拭いで分かるように、ポラニーの見方は意義を失わない。
他方、 K・ポメランツ著『大分岐』(未訳)はこう問題を立てる。なぜ西欧は揚子江デルタや、日本の関東や畿内などの当時の先進地域の停滞から分岐し、産業革命に成功し、世界の覇権を握ったのか。その理由は、確立した所有権など市場の制度が優れていたからではないという。
西欧は植民地の奴隷労働で綿花や砂糖を生産したが、他の地域は農地や燃料供給の森林の生態学的限界を労働強化で克服するほかなく(勤勉革命)、成長は頭打ちになった。奴隷制の制度的な暴力と植民地への生態学的な圧力の転移こそ西欧の優位の理由なのだ。(法政大教授)”
『大転換』 K・ポラニー http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E8%A8%B3-%E5%A4%A7%E8%BB%A2%E6%8F%9B-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC/dp/4492371079/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1411895690&sr=1-1&keywords=%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC
『大分岐』 K・ポメランツ http://www.amazon.co.jp/The-Great-Divergence-Princeton-Economic/dp/0691090106/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1411895896&sr=1-1&keywords=Pomeranz
【2014.10.1 追記】
『ショック・ドクトリン』 ナオミ・クライン(幾島幸子,村上由見子 訳,岩波書店) 第2章から
シカゴ学派の創設者の一人であるフランク・ナイトは、個々の経済理論は議論の余地のある仮説ではなく、「システムの神聖な特性」であるという考え方を学生に「吹き込む」ことが教授の使命であると考えていた。このシカゴ学派の神聖なる教えの中核には、需要、供給、インフレーション、失業といった経済に影響を与えるさまざまな力は、自然の力と同様、固定した不変のものだという考えがあった。シカゴ学派の講義や教科書で想定されている真の自由市場においては、これらの力は完全な均衡状態にあり、供給と需要はちょうど月の引力と潮の干満のような関係にあるとされた。フリードマンの提唱した厳格なマネタリズムによれば、経済が激しいインフレーションに陥るのはおしなべて、市場の自由に任せればおのずから均衡が生まれるところを、政策立案者が誤ってシステムに過剰なマネーを流入っさせたことに起因するという。生態系がそれ自身の力でバランスを保っているように、市場もまたそもままにしておけば、生産される商品の数も、その価格も、それを生産する労働者の賃金も適正になり、十分な雇用と限りない創造性、そしてゼロインフレというまさに地上の楽園が出現するというのである。
ハーバード大学の社会学者ダニエル・ベルによれば、急進的な自由市場経済学を特徴づけるのは、この理想化されたシステムへの愛である。彼らの考える資本主義は「精巧な時計のように寸分の狂いのない」「この世のものとは思われないほどの絶妙なしかけ」であり、「その素晴らしさは、小鳥が飛んできてついばもうとするほど本物そっくりのブドウを描いたアペレス(古代ギリシアの画家)の有名な絵画を思い起こすほどだ」という。
フリードマンとその同僚たちにとっての課題は、現実世界の市場が彼らが熱狂的に思い描いた理想どおりになるということを、どうやって証明するかにあった。フリードマンは常に、経済学を物理学や化学のような厳密な科学として扱っていることを自負していた。だが自然科学の場合、要素の振る舞いを指摘して理論を証明することができるのに対し、あらゆる「歪み」が取り除かれればその社会は完全に健全で豊かなものになるというフリードマンの主張は証明不能である。なぜなら、この世界には完全な自由放任という基準に当てはまる国など、どこにも存在しないからだ。自分たちの理論を中央銀行や商務省で検証することはかなわないため、フリードマンらは社会科学研究棟の地下にある作業室で複雑で巧妙な方程式やコンピューターモデルを作成することで、良しとしなければならなかった。
フリードマンは数字やシステムが好きだったことから、経済学の道に進んだ。自伝によれば、高校時代、幾何学の教師が黒板にピタゴラスの定理を書いたときに啓示のようなひらめきを感じた。その教師はこの定理の美しさを説明するのに、ジョン・キーツの「ギリシアの壷に寄せて」から「「美は真実であり、真実は美だ」と――この世で知ることのできるのはそれだけであり、知るべきこともこれしかない」という一節を引用したという。フリードマンは、これと同じすべてを包み込む美しいシステムに対する熱狂的な愛を、簡潔さとエレガンス、そして厳密さの探求とともに、数世代にわたる経済学者たちに伝えたのだ。
すべての原理主義の教義がそうであるように、シカゴ学派はその信奉者たちにとって、自己完結した世界だった。まず出発点は、自由市場は完璧な科学的システムであり、個々人が利益に基づく願望に従って行動することによって、万人にとって最大限の利益が生み出されるという前提にある。すると必然的に、自由市場経済内部で何かまずいこと(インフレ率や失業率の上昇など)が起きるのは市場が真に自由ではなく、なんらかの介入やシステムを歪める要因があるからだ、ということになる。したがって結論は常に同じだった――基礎的条件をより厳格かつ完全に適用することである。
O Attic shape! Fair attitude! with brede
Of marble men and maidens overwrought,
With forest branches and the trodden weed;
Thou, silent form, dost tease us out of thought
As doth eternity: Cold Pastoral!
When old age shall this generation waste,
Thou shalt remain, in midst of other woe
Than ours, a friend to man, to whom thou say'st,
‘Beauty is truth, truth beauty, ―that is all
Ye know on earth, and all ye need to know.'
――『Ode on a Grecian Urn』 John Keats
【2014.10.2 追記】
『見えざる深層国家』 竹田茂夫 (2014.10.2 東京新聞)
“ 先週、オバマ政権はイスラム国への空爆をシリアにまで広げた。議会の同意なき空爆は行政権力の逸脱であり、世界の文明秩序の保護者を自任する「帝国の奢り」でもあると憲法学者は批判する。中東の戦乱が一層泥沼化するリスクも高い。さらに、核兵器廃絶の理想を掲げてきたオバマ政権は、裏では今後十年間で三十兆円以上もの核装備更新を始めた。金融では、ウォール街の重鎮に刑事罰でバブルの責任を問うことなく司法長官は辞任する。
リベラル派や進歩派の期待を担って生まれた同政権に何が起きているのか。
国家中枢を知悉(ちしつ)するある議会スタッフは、議会や大統領府などの表層の国家の背後に、深層国家が隠れているという。9・11以後肥大化した諜報機関や防衛関連官庁、戦争でもうける防衛産業、国家の諜報の外注先の民間会社や契約社員(八十五万人以上が機密情報に接近できる)、ウォール街とワシントンの間の回転ドアを行き来する法律家たち、それにシリコンバレーの大手IT企業等の緩やかな連携と暗黙の了解が深層国家だ。議員にさえ秘密の裁判所も備えている。一人の若き契約社員の捨て身の内部告発でその実態が暴かれたのだ。
日本の原子力ムラが国民の意思を無視するように、米国の深層国家も民主的制御を受け付けない。(法政大教授)”
―『NIXON』 Oliver Stone
May 9. 1970 4:00 AM
“Change always comes slowly.”
―『ショック・ドクトリン』 ナオミ・クライン (第2章)
“1970年、チリでは大統領選挙で人民連合のサルバドール・アジェンデが勝利し、”
―『ショック・ドクトリン』 ナオミ・クライン (第3章)
“大統領政庁が炎上するなか、布に覆われたアジェンデの遺体が担架で運び出され、”
【2014.10.13 追記】
『アブナイ政権』 竹田茂夫 (2014.10.9 東京新聞)
“国際的にアブナイ極右政権とみられている安倍政権は経済運営でも火薬庫を抱えている。
規制委の疑わしいお墨付きで原発を再稼動させても、地震や火山爆発で過酷事故が再び起きれば政権は維持できない。黒田日銀の量的緩和は円安と株価上昇で政権を支え、インフレ期待で投資の喚起を狙う大ばくちだが、長期金利が上昇し始めると打つ手がない。
たとえば、大規模災害が起きれば財政窮迫の予想だけで国債価格は暴落し(金利急騰)、国債利払い費暴騰が財政危機を招く。そうなれば政治的独立性を自ら捨てた日銀はいまさら国債引き受けを拒否できない。超インフレと資本逃避(国内資産投売りと外資への乗り換え)がそれに続く。この破局劇が始まれば誰も止められない。暴力的手段だけが残される。
企業減税や農業・医療・労働の規制打破の成長戦略はどうか。規制緩和すれば企業家精神という機会仕掛けの神が成長をもたらすという物語だが、成長率を底上げする製造業の国内回帰や外資の国内投資が起きるとは到底思われない。
憂慮すべきは消費税増税・福祉削減・時間外ただ働きがもたらす深刻な社会的コスト(格差拡大、生活者の疲弊)だ。原発が核廃棄物を出すように、成長戦略も国内総生産(GDP)に反映しない負の外部性を国民に押し付ける。(法政大教授)”
【2014.11.13 追記】
『ドイツのエコ発電』 竹田茂夫 (2014.11.13 東京新聞)
“日本とドイツ、二つの経済大国は対照的な電力ビジョンの下にある。日本では最近、九州電力をはじめとする五電力会社がエコ発電(太陽光や風力等の再生可能電力)の買い入れ停止、つまり送電網への接続の凍結を発表した。
二年前にエコ電力普及のため固定買い取り制度ができたわけだが、今回の凍結は情報開示なしの一方的な凍結であり、エコ電力排除の意図を想定せざるをえない。
この背後には現政権の原発再稼動の方針がある。原発は技術面でも、コスト面でも、将来世界への倫理的義務の観点からも破綻が明らかであるのに、今年四月の「エネルギー基本計画」でベースロード電源と位置づけられた。原発関連の特殊権益と核武装の夢を捨てきれない保守政治家が結託した結果であろう。
他方、ドイツはチェルノブイリ事故以降、国民の厳しい議論を経て2000年に再生可能エネルギー法を制定し、曲折はあるものの八年後の脱原発の完了やより長期的な脱化石燃料と温暖化ガス削減の目標に向かって着実に歩みを進めている。
両国の違いはなにか。表面的には送電網が電力会社の管理下にあるか,あるいは社会共通資本として開放されているかの違いであるが、最終的には反核世論を政治にくみ上げる経路に日本では深刻な問題があることによる。 (法政大教授)”
【2014.12.8 追記】
『カネの腐食作用』 竹田茂夫 (2014.12.4 東京新聞)
“日本の大企業を束ねる経団連が政治献金を再開する。民主政治のコスト負担と企業の社会貢献が目的だというが、本音は解雇の金銭解決、残業代ゼロ、派遣法改正等で安倍政権を支援することにある。
企業は個人に還元できない「社会的実在」であり、大企業は政治的にも社会的にも影響力が大きい。だが、これから企業は自然的個人と同じ政治的権利を持つべきだということにはならない。
企業やスーパーリッチな個人に無制限の政治献金を認めるとどうなるか。四年前に米国連邦最高裁の超保守派判事らはリベラル派を五対四で押し切って、政治資金団体への無制限の企業寄付を認める判断を下した。かれらの論拠は企業にも言論の自由があるというものだが、法理上でも実際のカネの腐食作用の面からも批判されてきた。
さらに今年、富裕な個人の政治献金を総枠で無制限に認める判決も下した。結果は反対派追い落としのどぎついテレビ広告の氾濫だ。カネとイメージによる世論操作は、熟議民主主義の理想、つまり卓越した議論の説得力による公共的意思決定の対極にある。
カネは民主主義を腐敗させる。十年間の取材に基づいた『原発利権を追う』はいかに電力会社と原子力ムラが日本の政治風土を腐らせてきたか、多くの実例を挙げている。 (法政大教授)”
【2014.12.26 追記】
『拷問の責任』 竹田茂夫 (2014.12.25 東京新聞)
“今月九日、米国議会上院委員会は中央情報局(CIA)の拷問に関する報告書要約版を発表した。アブグレイブ監獄の流出写真から周知の事実だが、拷問は情報所得には無用であるとの委員会の糾弾の姿勢が明確だ。
その翌日、ブラジルでかつての軍事独裁政権の人権抑圧(反対派の拉致・拷問・虐殺)の報告書が公表され、記者会見でルセフ大統領は涙を見せた。彼女自身が拷問を受けたからだ。当時、南米では軍事政権が次々に成立し、現在のチリとウルグアイの大統領も拷問された経験を持つ。
二つの報告書には深い関連がある。CIAは冷戦の経験から、1960年代のベトナム戦争で捕虜の心身両面の人格崩壊を狙った尋問マニュアルを作ったが、それを南米独裁政権の支援やテロとの闘いにも応用したのだ(A・マッコイ『拷問問題』未訳)。拷問は極秘扱いだが、米国のリアルポリティークの一環だった。
米国の一流紙が、拷問を合法化したブッシュ政権元幹部の刑事訴追を社説で主張している。ナチスの秘密警察という暗い過去を持ち、今回は自国民がCIAに拉致・拷問されたドイツでも同じ動きがある。
日本の憲兵隊や特高の拷問は小林多喜二の作品などで知られているが、戦後誰がどう責任をとるべきだったか、日本人は無関心と沈黙を守っている。(法政大教授)”
『The CIA's Secret Research on Torture』 Alfred W. McCoy
http://www.amazon.co.jp/CIAs-Secret-Research-Torture-Psychologists-ebook/dp/B00OQT8R0G/ref=sr_1_16?s=english-books&ie=UTF8&qid=1419596237&sr=1-16&keywords=torture
『DEC. 21, 2014 The New York Times, EDITORIAL』
http://www.nytimes.com/2014/12/22/opinion/prosecute-torturers-and-their-bosses.html?smid=tw-share&_r=0
【2015.1.29 追記】
『ウォール街リベラル』 竹田茂夫 (2015.1.15 東京新聞)
“オバマ米政権の親ビジネス路線には批判が多い。バブルの責任追及ではウォール街の大物を訴追できず、金融規制強化への抵抗には妥協する。民主党内の反対論を尻目に太平洋圏の自由貿易協定を推進する。
政権の要、ガイトナー元財務長官やフロマン米国通商代表などのメンター(相談役)はロバート・ルービン氏だ。ウォール街ですご腕をふるって投資銀行トップに上りつめ、クリントン政権では金融の規制緩和を進めつつ財務長官などの重責を果たし、ついに巨大銀行の経営者に舞い降りたという経歴だ。今でも人脈と金脈の両面で民主党に影響力を持つ。
この人物、一筋縄では理解できない。なぜ政界に身を転じたのか、大富豪なのになぜ民主党なのか。答えは市場へのスタンスにある。ビジネスでは割り切ってカネもうけに徹し、社会正義への満たされぬ思いは政界進出や慈善行為で果たす。金融や市場経済は機会平等の透明な制度、公正な競技場であり、結果に問題があれば政治的に手直しすればよい。政治哲学再興の書、ジョン・ロールズ『正義論』も同じ前提に立つ。
だが思い違いだ。カネは価値中立的であるどころか、人の心を単色に染め上げる。競争の結果を左右する市場ルールは強者に有利で、カネは政治に介入し政治権力に姿を変える。(法政大教授)”
“A Theory of Justice” John Rawls
http://www.amazon.co.jp/Theory-Justice-Original-Oxford-Paperbacks/dp/0674017722/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1422536445&sr=8-2&keywords=a+theory+of+justice
『運命と希望』 竹田茂夫 (2015.1.22 東京新聞)
“かつて民主党政権がTPP(環太平洋連携協定)参加を打ち出した際に、幹部の一人がこうつぶやいた。「グローバル化とTPPは避けられない日本の運命だ」
現政権下では、大勢に逆らっても仕方がないという感覚は深く国民に浸透する。経済学者も(内容はともかく)格差拡大を資本主義の法則や矛盾という不可避性の用語で表現することがある。
確かに、グローバル化や格差拡大は無数の人々の生活向上の夢、世界史的な技術革新の波、強力な利潤追求衝動などが絡み合う、あらがいがたい流れのように見える。
だが、背後には、大企業や富裕層に有利な法制度などのルールの束があり、ルールを支えるのは特定の理念や無意識の思い込みだ。例えば、最近報道された富の一極集中(世界の富の約半分を上位1%のスーパーリッチが保有する)は運命や法則ではなく、各国の偏った税制と国際規制の不在の結果だ。
二十日夜の一般教書演説でオバマ大統領は、富裕層から中間層への富と所得の再分配を図る大胆な税制改革を提起した。共和党の反対で実現不可能なことは承知の上で、次の大統領選を念頭に民主党内進歩派の主張を一部取り入れてリベラル色を強調したわけだ。
こうして、格差解消を妨げている理念と勢力をあぶりだし、中間層が希望をもつことが可能になる。(法政大教授)”
【2015.2.27 追記】
『暴力と資本主義』 竹田茂夫 (2015.2.26 東京新聞)
“ハーバード大学で長年、「米国資本主義の歴史」を教える S.ベッカート氏の近著『綿の帝国』(未訳)は刮目すべき大作だ。膨大な資料を基に綿(綿花・木綿)を通して五大陸に亘る資本主義の歴史を展開する。焦点を二つに絞ろう。
まず、資本主義の暴力性だ。現代経済学では市場参入で当事者全員の利得が向上すると教えるが、実態はまるで違う。産業革命の技術で綿の一大生産拠点になった米国南部では、土地を土着部族から奪い輸入奴隷を労働力に充当して、プランテーションの市場収益性が確保されたのだ。さらに南北アメリカ植民地化の際のジェノサイド(民族大虐殺)、大航海時代に私掠船、武装した東インド会社等によるアジアの植民地化など、歴史は暴力に溢れている。著者は奴隷制や強制労働等の暴力は資本主義の歴史的逸脱ではなく、その中核だとさえいう。
第二点。資本主義の本質は土地・労働力・技術等の絶えざる新結合だが、現代の大手アパレル製造販売は、国境を越えて生産関係を再編しコスト削減を図る。先進国から中国へ、中国から最貧国へ工場は移る。その結果が一昨年のバングラデシュの裁縫工場ビルの倒壊だ。
中央アジアの児童労働などもあるが、現代資本主義の暴力は市場原理と企業組織を通して、意図せざる結果として生じる。(法政大教授)”
Empire of Cotton: A Global History Sven Beckert
http://www.amazon.co.jp/Empire-Cotton-History-Sven-Beckert/dp/0375414142/ref=sr_1_fkmr0_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1425047925&sr=1-1-fkmr0&keywords=imperial+cotton%E3%80%80Beckert
Empire of Cotton: A New History of Global Capitalism Sven Beckert
http://www.amazon.co.jp/Empire-Cotton-History-Global-Capitalism/dp/024101171X/ref=sr_1_fkmr0_3?s=english-books&ie=UTF8&qid=1425047925&sr=1-3-fkmr0&keywords=imperial+cotton%E3%80%80Beckert
【2015.3.5 追記】
『魔の山』 竹田茂夫 (2015.1.29 東京新聞)
“先週、スイスのリゾート地、ダボスで恒例の会議があった。欧米などから著名な企業家や政治家を招いて世界の焦眉の問題を論じ合う。会議のテーマから世界の支配層や富裕層の関心事がうかがえる。
成長の伴うコストとして格差を擁護する主張は少数派になり、大方の参加者に共通するのは、グローバルな規模で拡大する一方の格差が特権的地位と富を道連れに資本主義を破壊してしまうのではないかという恐怖感だ。欧米のピケティブームは怖いもの見たさにも支えられている。だが、資本主義の法則などと大上段に振りかぶらなくても支配と格差は現前にある。
日本の非正規層差別は語りつくされたが、現政権は対策を講じる気配さえみせない。つい先日ギリシャの左派勢力が政権を奪ったのも、犠牲を払い続けた庶民のやむにやまれぬ反撃だ。欧州連合を牛耳るエリート官僚や経済優等生ドイツの政治家らが、債務返済の神聖な義務を旗印にギリシャに押し付けた緊縮財政と構造改革が耐えがたい苦痛を生んだのだ。
ダボスの結核療養所で延々と続けられる高踏な議論にうんだ若き主人公が、戦争で騒然とする下界に下りていく所で小説『魔の山』は終わる。格差という病におかされて発熱する現代の資本主義は議論ではなく、現実の対策を求めている。(法政大教授)”
【2015.3.12 追記】
『ギリシャ危機の深層』 竹田茂夫 (2015.3.5 東京新聞)
“ギリシャは経済規模で欧州連合(EU)の2%を占めるだけの小国だが、その債務危機は教訓や予兆や多面的な意味をはらんでいる。二つの大戦で膨大な死と破壊を経験した欧州は、政治的統合と共通通貨ユーロで歴史的実験を始めたわけだが、これが揺らいでいる。
ギリシャは積み上がった公的債務=大半がEU・欧州中銀・国際通貨基金(IMF)への債務=の返済のために、この三者のトロイカによって緊縮財政と構造改革(公務員解雇、国家資産売却、賃金と年金の切り下げなど)を強制された結果、失業率は25%に上がり、国内総生産(GDP)は危機前から25%以上縮小して、医療・福祉サービスの破綻などの社会的危機を経験しつつある。
他方、経済大国ドイツの世論は強硬だ。先月末のドイツ議会の討論が示唆的で、保守政界の重鎮の財務相も、連立与党の社会民主党も、猶予はするものの全額の債務返済は譲らない。だが、これが不可能なことは周知の事実だ。人々の生活や生命よりも市場と金融の論理を優先する新自由主義が、自他ともに厳格なドイツ人という虚像にすり替えられている。
トロイカとドイツによる実現不可能な要求。ユーロ圏残存と経済主権回復という切実だが両立不可能な国民的願望をすくいあげたギリシャ左派政権。ギリシャ危機は不条理劇のように進行している。(法政大教授)”
“チキンレース” https://www.youtube.com/watch?v=u7hZ9jKrwvo
『理由なき反抗』 “Rebel Without a Cause(原題)” “… denn sie wissen nicht, was sie tun(独語題)”
『チキンレースと資本論』 竹田茂夫 (2015.3.12 東京新聞)
“青春映画『理由なき反抗』に、二台の車を崖に向かって爆走させるチキンレースのシーンが出てくる。転落を恐れて、先に運転席から飛び降りた方が弱虫(チキン)で負けというわけだ。この遊びはゲーム理論で「瀬戸際戦略」と命名され、国際紛争のお手軽な説明図式になった。
欧米のメディアはギリシャ左派政権の財務省がゲーム理論研究者であったことに注目して、欧州連合(EU)や欧州中銀への対決姿勢をチキンレースに持ち込むものと解釈する。ドイツの保守派高級紙は、四十歳のギリシャ新首相を無知で無謀な若者にたとえる。この映画の独語タイトルは「知らずにやってしまう」(無分別の意)と訳せるが、ほぼ同じ言い回しが『資本論』にある。
市場交換の当事者は、自分の行為が社会全体にどう作用するか知らないし、知らずに済む。市場は幻想(商品への物神崇拝)を生み出しつつ、資源配分の機能を果たすことをマルクスは指摘したのだ。保守派経済学の大御所、ハイエクは同じ事態を市場の情報効率性として称揚する。価格情報さえ流布すれば、誰も実情を把握しなくても、市場全体はうまくいくという。
EUなどは市場の論理を振りかざして緊縮財政を構造改革をギリシャに強要したが、その結果は社会の破綻だ。知らずに行うのはどちらなのか。(法政大教授)”
【2014.11.9 追記】
“フリードマンは人間として最低の人間なんですね。” 宇沢弘文 (2010年10月の講演)
https://www.youtube.com/watch?v=XqOKulQ8SCo
(9:50~)
【2014.11.10 追記】
宇沢先生はこの講演で、日本現代史に起きたひとつひとつの事象が、はっきりと繋がっているという見方をされている。その論理は近いうちに文字起こしをしてから検討するが、昨今「川内(せんだい)原発の再稼動に市と県が同意した」というニュースがあり、その大きな理由は地方経済の疲弊だという。では何故、地方経済は疲弊したのか? この答えも講演で語られている。
もうひとつは私の、「フリードマン経済学の誤謬は、その少年時代にキーツの詩を誤読したことに始まる」という仮説を、その後に書いてみる。