“Thou hast nor youth nor age / But as it were an after dinner sleep / Dreaming of both.
Here I am,an old man in a dry month,
Being read to by a boy,waiting for rain.
I was neither at the hot gates
Nor fought in the warm rain
Nor knee deep in the salt marsh,heaving a cutlass,
Bitten by flies,fought.” 『Gerontion』 T.S.Eliot
わたしはここにいきついた、老いた男が乾いたひと月のなか、
少年に生存の本性を読み上げさせつつ、雨を待っている。
わたしは暑き城門で
生ぬるい雨のなか戦ったことはなく
膝を湿った塩の沼地の深みにはめ、短剣を振りあげ、
飛ぶ虫の群れに刺され、戦ったことはさらにない。
『ジェランション』 T.S.エリオット
(深瀬基寛訳を参考にして、石川訳。)
『レイテ戦記』 大岡昇平 「第九章 海戦」から
“この戦記の対象はレイテ島の地上戦闘であるが、(昭和十九年)十月二十四日から二十六日まで、レイテ島を中心として行われた、いわゆる比島沖海戦は、その後の地上戦闘の経過に、決定的な影響を与えているので、その概略を省くわけに行かない。
これが日米海軍の最後の決戦となったことは周知の通りである。聯合艦隊は艦船の八割を挙げて出撃し、敗れた。レイテ島周辺の制海権は米国に帰し、同時に地上戦闘もまた決戦の意味を失ってしまうのだが、大本営は海戦の経過のうちに出現した航空特攻に望みをかけた。敵がわが抵抗に手を焼いて、戦争を止そうといい出すかもしれないという希望を、終戦ぎりぎりまで持ち続けた。”
“しかし「武蔵」沈没は多くの悲惨事に充ちている。前代身聞の巨体が活動をはじめた時は、また意想外の事態も発生する。対空戦闘のため主砲も三式弾という対空焼夷弾を発射する。合図のブザーが鳴ると共に甲板上に増置された高角機関銃の射手たちは、適当な遮蔽物を見付けて避難しなければならないのだが、戦闘中でブザーの音が聞えなかったり、実際鳴らなかったりするから、多くの者が海上に吹き飛ばされた。発射後爆煙が艦上を傘のように蔽って、突込んで来る敵機が見えなくなった。
空から降って来る人間の四肢、壁に張りついた肉片、階段から滝のように流れ落ちる血、艦低における出口のない死、などなど、地上戦闘では見られない悲惨な情景が生れる。海戦は提督や士官の回想録とは違った次元の、残酷な事実に充ちていることを忘れてはならない。
(以下、pp191-192にかけて、「海ゆかば水漬く屍」渡辺清 から引用。) 『レイテ戦記(上)』 大岡昇平 (中公文庫版)