『金葉和歌集 二度本 春部巻頭~第五十首まで』
うちなびき春はきにけり山河の岩間の氷けふやとくらむ
春たちて木末(こずゑ)にきえぬ白雪はまだきに咲ける花かとぞ見る
いつしかとあけゆく空の霞めるは天(あま)の戸よりや春は立つらん
つらゝゐし細谷川のとけゆくは水上よりや春は立つらん
春のくる夜の間の風いかなれば今朝ふくにしも氷とくらん
いつしかと春のしるしに立つものは朝(あした)の原の霞なりけり
あらたまの年のはじめに降りしけば初雪とこそいふべかりけれ
朝戸あけて春の木末の雪みれば初花ともやいふべかるらん
朝まだきかすめる空の気色(けしき)にや常磐の山は春をしるらん
年ごとにかはらぬものは春霞たつたの山のけしきなりけり
梓弓はるのけしきになりにけり入佐(いるさ)の山に霞たなびく
鶯のなくにつけてや真金(まがね)吹く吉備の山人はるをしるらむ
今日よりや梅の立枝(たちえ)に鶯の声さとなるゝはじめなるらん
今日やさは雪うちとけて鶯の都へいづる初音なるらん
鶯の木伝(こづた)ふさまもゆかしきにいま一声は明けはてて鳴け
春雨は降りしむれども鶯の声はしほれぬ物にぞありける (源俊頼)
梅の花にほふあたりは避(よ)きてこそ急ぐ道をばゆくべかりけれ
梅が枝(え)に風やふくらん春の夜はおらぬ袖さへ匂ひぬるかな
今日こゝに見にこざりせば梅の花ひとりや春の風にちらまし
散りかゝる影は見ゆれど梅の花水には香(か)こそうつらざりけれ
限りありて散りははつとも梅の花香をば木末にのこせとぞおもふ
春日野の子の日の松はひかでこそ神さびゆかんかげにかくれめ
風ふけば柳の糸のかたよりになびくにつけて過ぐる春かな (白河院)
朝まだき吹きくる風にまかすればかたよりしけり青柳の糸
風ふけば波のあやをる池水に糸ひきそふる岸の青柳
糸鹿(いとか)山くる人もなき夕暮にこゝろぼそくも呼子鳥(よぶこどり)かな
声せずはいかで知らまし春霞へだつる空に帰るかりがね
今はとて越路に帰るかりがねは羽もたゆくや行きかへるらん
吉野山みねの桜や咲きぬらん麓のさとににほう春風
尋ねつる我をや春も待ちつらん今ぞさかりに匂ひましける
白河の流れひさしき宿なれば花の匂ひものどけかりけり
吹く風も花のあたりはこゝろせよ今日をばつねの春とやは見る
よろづ代の例(ためし)とみゆる花の色をうつしとゞめよ白河の水
年ごとに咲きそふ宿の桜花なをゆくすゑの春ぞゆかしき
春がすみたち帰るべき空ぞなき花の匂ひにこゝろとまりて (白河院)
(去歲歡遊何處去,曲江西岸杏園東。花下忘歸因美景,
尊前勸酒是春風。各從微宦風塵裏,共度流年離別中。
今日相逢愁又喜,八人分散兩人同。白居易)
白雲とおちの高嶺に見えつるは心まどはす桜なりけり
春ごとに松の緑に埋もれて風にしられぬはな桜かな
この春はのどかに匂へ桜花枝さしかはす松のしるしに
散らぬ間は花を友にてすぎぬべし春よりのちの知る人もがな
白雲にまがふ桜のこずゑにて千歳の春をそらにしるかな
よろづ代に見るべき花の色なれど今日の匂ひはいつかわすれむ
白雲にまがふ桜を尋ぬとてかゝらぬ山のなかりつるかな
よそにては岩こす滝と見ゆるかな峰の桜や盛りなるらむ
今日くれぬ明日もきてみむ桜花こゝろしてけふ春の山かぜ
鏡山うつろふ花を見てしより面影にのみたゝぬ日ぞなき
峰つゞき匂ふ桜をしるべにて知らぬ山路にかゝりぬるかな
桜花さきぬるときは吉野山たちものぼらぬ峰の白雲
斧の柄は木(こ)のもとにてや朽ちなまし春をかぎらぬ桜なりせば
散りつもる庭をぞ見まし桜花かぜよりさきに尋ねざりせば
山桜さきそめしよりひさかたの雲ゐに見ゆる滝の白糸 (源俊頼)
【2016.6.21 追記】
『詞花和歌集巻第一 春 全五十首』
こほりゐし志賀の唐崎うちとけてさゞ波よする春風ぞふく (大蔵卿匡房)
きのふかもあられふりしは信楽の外山のかすみ春めきにけり
ふるさとは春めきにけりみ吉野の御垣(みかき)が原をかすみこめたり
たまさかにわが待ちえたるうぐいすの初音をあやな人やきくらむ
雪きえばゑぐの若菜もつむべきに春さへはれぬ深山辺の里 (曽禰好忠)
春日野に朝なく雉のはねおとは雪のきえまに若菜つめとや
万代(よろづよ)のためしに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ (赤染衛門)
子の日すと春の野ごとにたづぬれば松にひかるゝこゝちこそすれ
吹きくれば香をなつかしみ梅の花ちらさぬほどの春風もがな
梅の花にほいを道のしるべにてあるじもしらぬ宿にきにけり
とりつなぐ人もなき野の春駒はかすみにのみやたなびかるらむ
真菰(まこも)草つのぐみわたる沢辺にはつながぬ駒もはなれざりけり
萌えいづる草葉のみかは小笠原駒のけしきも春めきにけり
佐保姫の糸そめかくる青柳をふきなみだりそ春のやまかぜ
いかなればこほりはとくる春風にむすぼゝるらむ青柳の糸
ふるさとの御垣(みかき)の柳はるばるとたが染めかけしあさみどりぞも
深山木のそのこずゑともみえざりしさくらは花にあらはれにけり
くれなゐの薄花ざくらにほはずはみな白雲とみてや過ぎまし (康資王母)
白雲はたちへだつれどくれなゐの薄花ざくらこゝろにぞ染む
白雲はさも立たばたてくれなゐのいまひとしほを君し染むれば (康資王母)
朝まだきかすみなこめそ山ざくらたづねゆくまのよそめにもみむ
白雲とみゆるにしるしみ吉野の吉野の山の花ざかりかも (大蔵卿匡房)
山ざくらおしむにとまるものならば花は春ともかぎらざらまし
九重にたつ白雲とみえつるは大内山のさくらなりけり
春ごとにこゝろをそらになすものは雲ゐにみゆるさくらなりけり
白河の春のこずゑをみわたせば松こそ花の絶え間なりけれ (源俊頼)
春くれば花のこずゑに誘はれていたらぬ里のなかりつるかな (白河院)
〔※参考歌〕 鶯の鳴きつる声に誘はれて花のもとにぞ我は来にける (大江千里)
〔※参考詩〕 鶯声誘引来花下 (白楽天)
池水のみぎはならずはさくらばな影をも波におられましやは
いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほいぬるかな (伊勢大輔)
ふるさとにとふ人あらば山ざくら散りなむのちを待てとこたへよ
さくら花てごとにおりて帰るをば春の行くやと人はみるらん
春ごとにみる花なれど今年より咲きはじめたる心ちこそすれ
ふるさとの花のにほいやまさるらんしづ心なく帰る雁かな
なかなかに散るをみじとや思ふらん花のさかりに帰るかりがね
さくら花ちらさで千世も見てしがなあかぬこゝろはさてもありやと
さくら花かぜにし散らぬものならば思ふことなき春にぞあらまし (大中臣能宣)
さくら花ちりしく庭をはらはねば消えせぬ雪となりにけるかな
掃く人もなきふるさとの庭の面(おも)は花ちりてこそみるべかりけれ (源俊頼)
さくらさく木(こ)の下(した)水はあさけれど散りしく花の淵とこそなれ
ちる花もあはれとみずや石の上(いそのかみ)ふりはつるまでおしむこゝろを
我宿のさくらなれども散るときはこゝろにえこそまかせざりけれ
身にかへておしむにとまる花ならば今日やわが世のかぎりならまし (源俊頼)
庭もせに積れる雪とみえながらかほるぞはなのしるしなりける
散る花にせきとめらるゝる山川のふかくも春のなりにけるかな (大中臣能宣)
一重だにあかぬにほいをいとゞしく八重かさなれる山吹のはな
八重さけるかひこそなけれ山吹のちらば一重もあらじとおもへば
こぬ人をまちかね山のよぶこ鳥おなじこゝろにあはれとぞきく (肥後)
咲きしより散りはつるまでみしほどに花のもとにて二十日へにけり
〔※参考詩〕 花開花落二十日 一城之人皆若狂 (白楽天)
老いてこそ春のおしさはまさりけれいまいくたびも逢はじと思へば
おしむとてこよひかきおく言の葉やあやなく春のかたみなるべき
『太皇大后宮肥後 勅撰八代集入撰全歌集』
筑波山ふかくうれしと思ふかな浜名の橋にわたす心を
(以上 詞花和歌集)
九重に八重山吹をうつしては井出のかはづの心をぞくむ
七夕のあまの羽衣かさねてもあかぬちぎりや猶むすぶらん
三室山おろすあらしのさびしきに妻よぶ鹿の声たぐふなり
ふりはへて人もとひこぬ山里はしぐればかりぞすぎがてにする
行く末をまつぞ久しき君がへむ千世(ちよ)のはじめの子の日と思へば
まだ知らぬ人をはじめて恋ふるかな思ふ心よ道しるべせよ
山里の芝をりをりに立つ煙(けぶり)人まれなりと空にしるかな
池もふり堤くづれて水もなしむべ勝間田(かつまた)の鳥のゐざらむ
(以上千載和歌集)
つらゝゐし細谷川のとけゆくは水上よりや春は立つらん
月を見て思ふ心のまゝならば行方も知らずあくがれなまし
白露と人はいへども野辺みれば置く花ごとに色ぞかはれる
ひを(氷魚)のよる川瀬に見ゆるあじろ木はたつ白波の打つにやあるらん
道もなくつもれる雪に跡たえて故里(ふるさと)いかに寂しかるらん
いつとなく風吹く空に立つちりの数もしられぬ君が御代(みよ)かな
思ひやれとはで日をふる五月雨のひとり宿もる袖のしづくを
教へおきて入りにし月のなかりせばいかで思ひを西にかけまし
(以上 金葉和歌集)
さ夜ふけて蘆(あし)のすゑこす浦風にあはれうちそふ浪のおとかな
おもかげの忘れぬ人によそへつゝ入るをぞしたふ秋の夜の月
万代(よろづよ)をふるにかひある宿なればみゆきと見えて花ぞ散りける
紫の雲の林を見わたせば法(のり)にあふちの花さきにけり
谷河のながれし清くすみぬればくまなき月のかげもうかびぬ
(以上 新古今和歌集)
『新古今和歌集 最終第二十巻「釈教歌」より最後の八首』
夢や夢うつゝや夢とわかぬかないかなる世にかさめんとすらん (赤染衛門)
つねよりもけふの煙(けぶり)のたよりにや西をはるかにおもひやるらん (相模)
けふはいとゞ涙にくれぬ西の山おもひ入日のかげをながめて (伊勢大輔)
教へおきて入りにし月のなかりせば西に心をいかでかけまし (肥後,切出し歌)
西へゆくしるべとおもふ月かげのそら頼めこそかひなかりけれ
たちいらで雲まをわけし月かげは待たぬけしきやそらに見えけん (西行法師)
むかし見し月の光をしるべにてこよひや君が西へゆくらん
闇はれて心のそらにすむ月は西の山べやちかくなるらん (西行法師)
※ さて「写経」も終へたので、太皇大后宮肥後さまの御霊は今夜現はれるであらうか?
今後ブログの更新が止まつたら、黄泉の国へ連れ去られたと思つてほしい(笑)。
【2016.6.27 追記】
※ 御霊(ごりやう)は現はれなかつた(笑)。
もつと真剣に「写経」せねばならぬ!
『連歌』
鮎を見て (読人不知)
何にあゆるを鮎といふらん
鵜舟にはとりいれし物をおぼつかな (匡房卿妹)
滝の音の夜まさりけるを聞きて (読人しらず)
夜おとすなり滝の白糸
くりかへし昼もわくとは見ゆれども (読人しらず)
田の中に馬の立てるを見て (永源法師)
田に食む駒はくろにぞありける
苗代の水にはかげと見えつれど (永成法師)
源頼光が但馬守にてありける時、館(たち)の前にけた川といふ川のある、上(かみ)より舟の下りけるを、蔀(しとみ)開くる侍(さぶらひ)して問はせければ、蓼(たで)と申す物を刈りてまかるなり、と言ふを聞きて、口遊(くちずさ)みに言ひける
蓼かる舟のすぐるなりけり (源頼光朝臣)
これを連歌にきゝなして
朝まだきから櫓の音のきこゆるは (相模母)
「きたなくも、うしろをば見する者かな。しばし引き返せ。物言はむ」 (源義家)
衣のたてはほころびにけり
年をへし糸の乱れの苦しさに (安倍貞任)
『小学館版 学習まんが 日本の歴史(5)』
『小学館版 学習まんが 日本の歴史(5)』
『梁塵秘抄』
佛は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、仄(ほの)かに夢に見えたまふ。
極楽浄土の東門は、難波の海にぞ對(むか)へたる、轉法輪所の西門に、念佛する人參(まい)れとて。
心の澄むものは、秋は山田の庵(いを)ごとに、鹿驚かすてふ引板(ひた)の声、衣しで打つ槌の音。
松の木陰に立ち寄りて、岩漏る水を掬(むす)ぶ間に、扇(あふぎ)の風も忘られて、夏無き年とぞ思ひぬる。
【2016.7.6 追記】
【宇多源氏(重信系)の系図】
第五十九代宇多天皇 →
敦実(あつざね)親王 →
源重信 →
源道方 →
源経信 →
源俊頼
https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E6%BA%90%E6%B0%8F%EF%BC%88%E9%87%8D%E4%BF%A1%E7%B3%BB%EF%BC%89
(2016.7.10 追記)
この系図を見て不思議に思ったのが、白河院の信任が厚く『金葉和歌集』の撰者まで務めた源俊頼が、父である源経信やその前の先祖や親族に比べ、あまり出世していないことだ。これは藤原氏に近い立場をとっていた源経信が白河天皇に避けられた為、俊頼は政治的野心がないと白河院に示す意味で低い官職に甘んじる代わりに歌の世界の第一人者となる道を選んだのではないかと、今週わかった。
俊頼の1105年は「木工頭」とあり、これはどんな官職か知らないけれど字面はあまり偉そうではなく、経信の最晩年の1116年に「大宰権帥」とあるのは、菅原道真を連想させて不吉である。
『小学館版 学習まんが 日本の歴史(5)』
(2016.7.10 追記 ここまで)
『金葉和歌集(二度本)巻第二 夏部 全六十二首』
我のみぞいそぎたゝれぬ夏衣ひとへに春をおしむ身なれば
夏山の青葉まじりの遅桜はつはなよりもめづらしきかな
おしなべてこずゑ青葉になりぬれば松の緑もわかれざりけり (白河院)
たまがしはにはも葉広(はびろ)になりにけりこや木綿四手(ゆふしで)て神まつるころ (源経信)
ゆきの色をうばひてさける卯の花に小野の里人ふゆごもりすな
いづれをかわきてとはまし山里の垣根つゞきにさける卯の花
雪としもまがひもはてず卯の花はくるれば月の影かとも見ゆ
卯の花のさかぬ垣根はなけれども名にながれたる玉川の里
神山のふもとにさける卯の花はたが標(しめ)ゆひし垣根なるらん
賤(しづ)の女(め)が蘆火(あしび)たくやも卯の花の咲きしかゝればやつれざりけり (源経信)
み山いでてまだ里なれぬ時鳥(ほとゝぎす)たびのそらなる音(ね)をやなくらん
今日もまた尋ねくらしつ時鳥いかできくべき初音なるらん
時鳥すがたは水にやどれども声はうつらぬ物にぞありける
時鳥なきつとかたる人づての言の葉さへぞうれしかりける
ほとゝぎす音羽の山のふもとまで尋ねし声をこよひ聞くかな
年ごとに聞くとはすれどほとゝぎす声はふりせぬ物にぞありける
恋すてふなき名やたゝん時鳥まつにねぬ夜の数しつもれば
時鳥こゝろも空にあくがれて夜がれがちなるみ山辺の里
時鳥あかですぎぬる声によりあとなき空をながめつるかな
聞くたびにめづらしければ時鳥いつも初音の心地こそすれ
待ちかねて尋ねざりせば時鳥たれとか山のかひに鳴かまし (源俊頼)
おどろかす声なかりせば時鳥まだうつゝには聞かずぞあらまし
ほとゝぎす待つにかぎりてあかすかな藤の花とや人の見るらん (白河院)
まつ人の宿をば知らで時鳥をちの山辺を鳴きてすぐなり
時鳥ほのめく声をいづかたと聞きまどはしつ曙の空
宿ちかくしばしかたらへ時鳥まつ夜の数のつもるしるしに
時鳥まれになく夜は山彦のこたふるさへぞうれしかりける
山ちかく浦こぐ舟は時鳥なくわたりこそ泊りなりけれ
聞きもあへず漕ぎぞわかるゝ時鳥わがこゝろなる舟出ならねば
郭公(くわくこう,ほとゝぎす)くものたえまにもる月の影ほのかにも鳴きわたるかな
わぎもこに逢坂山の時鳥あくればかへる空になくなり
時鳥たづねるだにもあるものを待つ人いかで声を聞くらん
ほとゝぎす雲路にまどふ声すなりをやみだにせよ五月雨の空 (源経信)
菖蒲草ねたくも君はとはぬかなけふは心にかゝれと思ふに
よろづ代にかはらぬものは五月雨のしづくにかほる菖蒲なりけり (源経信)
菖蒲草ひく手もたゆくながき根のいかで安積(あさか)の沼におひけん
玉江にやけふの菖蒲をひきつらんみがける宿のつまにみゆるは
菖蒲草わが身のうきをひきかへてなべてならぬに生ひも出(い)でなん
菖蒲草よどのに生ふるものなればねながら人は引くにやあるらん
おなじくはとゝのへてふけ菖蒲草さみだれたらば漏りもこそすれ
あさましや見しふるさとの菖蒲草わがしらぬまに生ひにけるかな
さみだれに沼の岩垣みづこえて真菰かるべきかたもしられず
さみだれは日かずへにけり東屋(あづまや)のかやが軒端(のきば)のした朽つるまで
五月雨にたまえの水やまさるらん蘆(あし)の下葉のかくれゆくかな
五月雨にみづまさるらし沢田川まきの継橋うきぬばかりに
さみだれは小田の水口てもかけで水の心にまかせてぞ見る
五月雨にいりえの橋のうきぬればおろす筏のこゝちこそすれ
夏の夜のにはにふりしく白雪は月のいるこそ消ゆるなりけれ
里ごとにたゝく水鶏(くひな)のをとすなり心のとまる宿やなからん
夜もすがらはかなくたゝく水鶏かなさせる戸もなきしばの仮屋を
なつごろも裾野の草葉ふく風におもひもかけず鹿やなくらん
風ふけば蓮のうき葉に玉こえてすゞしくなりぬ蜩の声 (源俊頼)
さは水に火串(ほぐし)の影のうつれるを二(ふた)ともしとや鹿は見るらん
鹿たゝぬ葉山(はやま)が裾にともしゝていくよかひなき夜をあかすらん
さつきやみ花橘のありかをば風のつてにぞ空にしりける
やどごとに花橘ぞ匂ふなる一木(ひとき)がすゑを風はふけども
この里もゆうだちしけり浅茅生(あさぢふ)に露のすがらぬくさの葉もなし (源俊頼)
大井川いくせ鵜舟のすぎぬらんほのかになりぬ篝火(かゞりび)のかげ
たまくしげ二上山(ふたかみやま)のくもまより出づればあくる夏の夜の月
水無月のてる日の影はさしながら風のみ秋のけしきなるかな
夏の夜の月まつほどの手すさみに岩もる清水いくむすびしつ
禊(みそぎ)するみぎはに風の涼しきは一夜(ひとよ)をこめて秋やきぬらん
※ 青字はただ、白田八十一の好みなり。
【2016.7.10 追記】
Glorious our T’ang, majestic our Emperor,
Ninth in succession to illumine the world with his splendour――
巍巍我唐、
穆穆我皇。
纂承九葉、
照臨八方。
『白楽天』 Arthur Waley 花房英樹 訳
白居易は現在詩人として知られているが、言うまでもなく彼は唐代の政治家だった。この時代の政治家は、現在の行政官僚と裁判官をも合わせた統治者であり、その仕事の合間に白居易は詩を作り文章を書いた。というより、これは単に白居易が余暇の楽しみの目的だけでそれをしていたのではなく、唐の制度として、詩を作る能力が政治家にとって必要不可欠だったのだ。
“Of the various examinations which existed in theory at that time two only were currently taken, the Classical (ming-ching 明経) and the Literary (chin-shih 進士). The former included tests in five Classics; the latter demanded knowledge of only one Classic, but included the composition of fu (賦) and ordinary poems. In both examinations essays were written on general moral principles and on current administrative problems. The number of candidates who went in for the Classical Examination was very small. Only the officially recognized interpretations of the Classics were accepted, so that this examination was largely a test of memory. The Literary Examination on the other hand was regarded as a test of talent and originality, and those who passed it successfully looked down upon Classics men as mere drudges. Both Po (白)'s father and his grandfather had taken the Classical Examination, but it opened up very limited prospects of advancement, and Po Chü-i (白居易) himself naturally chose the Literary Examination, which gave scope to his talent for writing verse.”
『THE LIFE AND TIMES OF PO CHU-I 772-826 A.D.』 Arthur Waley
現代の日本において、詩と政治は完全分業制になっている。これはその双方にとって不幸なことだと私は考える。政治の言葉は極端に貧しく、相手に到達する前に落下する。詩は現代社会から遊離し、浮遊している。三権分立を維持しながら此のふたつが融合する可能性、それを探る試みのひとつが、『白居易』を現在読む意味ではないか。
【2016.7.17 追記】
たなばたは空に知るらんさゝがにのいとかく許(ばかり)祭る心を
たなばたの飽かぬ別れもゆゝしきを今日しもなどか君が来ませる
朝戸開けてながめやすらん織女(たなばた)の飽かぬ別れの空を恋ひつゝ
渡守(わたしもり)はや舟隠せ一年(ひとゝせ)に二度(ふたゝび)来ます君ならなくに
織女(たなばた)のうら山(やま)しきに天河(あまのがは)今宵許(ばかり)は下りや立たまし
世をうみて我(わ)がかす糸はたなばたの涙の玉の緒とやなるらん
天河(あまのがは)河辺涼しきたなばたに扇の風を猶(なほ)やかさまし
天河(あまのがは)扇の風に霧晴れて空澄みわたる鵲(かささぎ)の橋
『拾遺和歌集巻第十七』
七月七日、烏鵲塡河、成橋而度織女。
『白氏六帖』
【2016.7.24 追記】
『和漢朗詠集より 螢』
明々仍在 誰追月光於屋上
皓々不消 豈積雪片於床頭
山經巻裏疑過岫
海賦篇中似宿流
草ふかくあれたる宿のともしびの風にきえぬは螢なりけり
つゝめどもかくれぬものは夏蟲の身よりあまれるおもひなりけり
―『THE LIFE AND TIMES OF PO CHU-I 772-846 A.D.』 Arthur Waley
In the middle of autumn on the fifteenth night
A dazzling moon shone into my portico.
Wine was before me, but suddenly I could not drink;
I was thinking of those who have been my life’s delight.
Two there are with whom my heart is one;
Ts’ui and Ch’ien, who live beyond my reach;
There are those to whom my very soul is tied,
Yüan and Li, both so far away!
Some of them have flown on high to the blue clouds,
Some of them have fallen among the rivers and lakes.
Far or near, in favour or in banishment―
I have not seen them for four or five years. . . .
A cloudless night, the loveliest moment of the year,
These are things that cannot be had at will,
That cannot be recaptured; the impatient moon
Moment by moment sinks into the south-west.
We shall not be parted for ever, and yet―the pang
That you are not with me on such a night as this!
中秋三五夜,明月在前軒。
臨觞忽不飲,憶我平生歡。
我有同心人,邈邈崔與錢。
我有忘形友,迢迢李與元。
或飛青雲上,或落江湖間。
與我不相見,于今四五年。
我無縮地術,君非馭風仙。
安得明月下,四人來晤言。
良夜信難得,佳期杳無緣。
明月又不駐,漸下西南天。
豈無他時會,惜此清景前。
『效陶潛體詩』白居易