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映画『東京家族』について

『白楽天』 Arthur Waley 著 (続き)

2016年03月31日 | 写経(笑)
【2016.6.15 追記】
『金葉和歌集 二度本 春部巻頭~第五十首まで』

うちなびき春はきにけり山河の岩間の氷けふやとくらむ

春たちて木末(こずゑ)にきえぬ白雪はまだきに咲ける花かとぞ見る

いつしかとあけゆく空の霞めるは天(あま)の戸よりや春は立つらん

つらゝゐし細谷川のとけゆくは水上よりや春は立つらん

春のくる夜の間の風いかなれば今朝ふくにしも氷とくらん

いつしかと春のしるしに立つものは朝(あした)の原の霞なりけり

あらたまの年のはじめに降りしけば初雪とこそいふべかりけれ

朝戸あけて春の木末の雪みれば初花ともやいふべかるらん

朝まだきかすめる空の気色(けしき)にや常磐の山は春をしるらん

年ごとにかはらぬものは春霞たつたの山のけしきなりけり

梓弓はるのけしきになりにけり入佐(いるさ)の山に霞たなびく

鶯のなくにつけてや真金(まがね)吹く吉備の山人はるをしるらむ

今日よりや梅の立枝(たちえ)に鶯の声さとなるゝはじめなるらん

今日やさは雪うちとけて鶯の都へいづる初音なるらん

鶯の木伝(こづた)ふさまもゆかしきにいま一声は明けはてて鳴け

春雨は降りしむれども鶯の声はしほれぬ物にぞありける (源俊頼)

梅の花にほふあたりは避(よ)きてこそ急ぐ道をばゆくべかりけれ

梅が枝(え)に風やふくらん春の夜はおらぬ袖さへ匂ひぬるかな

今日こゝに見にこざりせば梅の花ひとりや春の風にちらまし

散りかゝる影は見ゆれど梅の花水には香(か)こそうつらざりけれ

限りありて散りははつとも梅の花香をば木末にのこせとぞおもふ

春日野の子の日の松はひかでこそ神さびゆかんかげにかくれめ

風ふけば柳の糸のかたよりになびくにつけて過ぐる春かな (白河院)

朝まだき吹きくる風にまかすればかたよりしけり青柳の糸

風ふけば波のあやをる池水に糸ひきそふる岸の青柳

糸鹿(いとか)山くる人もなき夕暮にこゝろぼそくも呼子鳥(よぶこどり)かな

声せずはいかで知らまし春霞へだつる空に帰るかりがね

今はとて越路に帰るかりがねは羽もたゆくや行きかへるらん

吉野山みねの桜や咲きぬらん麓のさとににほう春風

尋ねつる我をや春も待ちつらん今ぞさかりに匂ひましける

白河の流れひさしき宿なれば花の匂ひものどけかりけり

吹く風も花のあたりはこゝろせよ今日をばつねの春とやは見る

よろづ代の例(ためし)とみゆる花の色をうつしとゞめよ白河の水

年ごとに咲きそふ宿の桜花なをゆくすゑの春ぞゆかしき

春がすみたち帰るべき空ぞなき花の匂ひにこゝろとまりて (白河院)


(去歲歡遊何處去,曲江西岸杏園東。花下忘歸因美景
尊前勸酒是春風。各從微宦風塵裏,共度流年離別中。
今日相逢愁又喜,八人分散兩人同。白居易


白雲とおちの高嶺に見えつるは心まどはす桜なりけり

春ごとに松の緑に埋もれて風にしられぬはな桜かな

この春はのどかに匂へ桜花枝さしかはす松のしるしに

散らぬ間は花を友にてすぎぬべし春よりのちの知る人もがな

白雲にまがふ桜のこずゑにて千歳の春をそらにしるかな

よろづ代に見るべき花の色なれど今日の匂ひはいつかわすれむ

白雲にまがふ桜を尋ぬとてかゝらぬ山のなかりつるかな

よそにては岩こす滝と見ゆるかな峰の桜や盛りなるらむ

今日くれぬ明日もきてみむ桜花こゝろしてけふ春の山かぜ

鏡山うつろふ花を見てしより面影にのみたゝぬ日ぞなき

峰つゞき匂ふ桜をしるべにて知らぬ山路にかゝりぬるかな

桜花さきぬるときは吉野山たちものぼらぬ峰の白雲

斧の柄は木(こ)のもとにてや朽ちなまし春をかぎらぬ桜なりせば

散りつもる庭をぞ見まし桜花かぜよりさきに尋ねざりせば

山桜さきそめしよりひさかたの雲ゐに見ゆる滝の白糸 (源俊頼)






【2016.6.21 追記】

『詞花和歌集巻第一 春 全五十首』

こほりゐし志賀の唐崎うちとけてさゞ波よする春風ぞふく (大蔵卿匡房)

きのふかもあられふりしは信楽の外山のかすみ春めきにけり

ふるさとは春めきにけりみ吉野の御垣(みかき)が原をかすみこめたり

たまさかにわが待ちえたるうぐいすの初音をあやな人やきくらむ

雪きえばゑぐの若菜もつむべきに春さへはれぬ深山辺の里 (曽禰好忠)

春日野に朝なく雉のはねおとは雪のきえまに若菜つめとや

万代(よろづよ)のためしに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ (赤染衛門)

子の日すと春の野ごとにたづぬれば松にひかるゝこゝちこそすれ

吹きくれば香をなつかしみ梅の花ちらさぬほどの春風もがな

梅の花にほいを道のしるべにてあるじもしらぬ宿にきにけり

とりつなぐ人もなき野の春駒はかすみにのみやたなびかるらむ

真菰(まこも)草つのぐみわたる沢辺にはつながぬ駒もはなれざりけり

萌えいづる草葉のみかは小笠原駒のけしきも春めきにけり

佐保姫の糸そめかくる青柳をふきなみだりそ春のやまかぜ

いかなればこほりはとくる春風にむすぼゝるらむ青柳の糸

ふるさとの御垣(みかき)の柳はるばるとたが染めかけしあさみどりぞも

深山木のそのこずゑともみえざりしさくらは花にあらはれにけり

くれなゐの薄花ざくらにほはずはみな白雲とみてや過ぎまし (康資王母)

白雲はたちへだつれどくれなゐの薄花ざくらこゝろにぞ染む

白雲はさも立たばたてくれなゐのいまひとしほを君し染むれば (康資王母)

朝まだきかすみなこめそ山ざくらたづねゆくまのよそめにもみむ

白雲とみゆるにしるしみ吉野の吉野の山の花ざかりかも (大蔵卿匡房)

山ざくらおしむにとまるものならば花は春ともかぎらざらまし

九重にたつ白雲とみえつるは大内山のさくらなりけり

春ごとにこゝろをそらになすものは雲ゐにみゆるさくらなりけり

白河の春のこずゑをみわたせば松こそ花の絶え間なりけれ (源俊頼)

春くれば花のこずゑに誘はれていたらぬ里のなかりつるかな (白河院)

〔※参考歌〕 鶯の鳴きつる声に誘はれて花のもとにぞ我は来にける (大江千里)
〔※参考詩〕 鶯声誘引来花下 (白楽天


池水のみぎはならずはさくらばな影をも波におられましやは

いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほいぬるかな (伊勢大輔)

ふるさとにとふ人あらば山ざくら散りなむのちを待てとこたへよ

さくら花てごとにおりて帰るをば春の行くやと人はみるらん

春ごとにみる花なれど今年より咲きはじめたる心ちこそすれ

ふるさとの花のにほいやまさるらんしづ心なく帰る雁かな

なかなかに散るをみじとや思ふらん花のさかりに帰るかりがね

さくら花ちらさで千世も見てしがなあかぬこゝろはさてもありやと

さくら花かぜにし散らぬものならば思ふことなき春にぞあらまし (大中臣能宣)

さくら花ちりしく庭をはらはねば消えせぬ雪となりにけるかな

掃く人もなきふるさとの庭の面(おも)は花ちりてこそみるべかりけれ (源俊頼)

さくらさく木(こ)の下(した)水はあさけれど散りしく花の淵とこそなれ

ちる花もあはれとみずや石の上(いそのかみ)ふりはつるまでおしむこゝろを

我宿のさくらなれども散るときはこゝろにえこそまかせざりけれ

身にかへておしむにとまる花ならば今日やわが世のかぎりならまし (源俊頼)

庭もせに積れる雪とみえながらかほるぞはなのしるしなりける

散る花にせきとめらるゝる山川のふかくも春のなりにけるかな (大中臣能宣)

一重だにあかぬにほいをいとゞしく八重かさなれる山吹のはな

八重さけるかひこそなけれ山吹のちらば一重もあらじとおもへば

こぬ人をまちかね山のよぶこ鳥おなじこゝろにあはれとぞきく (肥後)

咲きしより散りはつるまでみしほどに花のもとにて二十日へにけり

〔※参考詩〕 花開花落二十日 一城之人皆若狂 (白楽天)

老いてこそ春のおしさはまさりけれいまいくたびも逢はじと思へば

おしむとてこよひかきおく言の葉やあやなく春のかたみなるべき







『太皇大后宮肥後 勅撰八代集入撰全歌集』

筑波山ふかくうれしと思ふかな浜名の橋にわたす心を
                         (以上 詞花和歌集)
                      
九重に八重山吹をうつしては井出のかはづの心をぞくむ

七夕のあまの羽衣かさねてもあかぬちぎりや猶むすぶらん

三室山おろすあらしのさびしきに妻よぶ鹿の声たぐふなり

ふりはへて人もとひこぬ山里はしぐればかりぞすぎがてにする

行く末をまつぞ久しき君がへむ千世(ちよ)のはじめの子の日と思へば

まだ知らぬ人をはじめて恋ふるかな思ふ心よ道しるべせよ

山里の芝をりをりに立つ煙(けぶり)人まれなりと空にしるかな

池もふり堤くづれて水もなしむべ勝間田(かつまた)の鳥のゐざらむ
                              (以上千載和歌集)

つらゝゐし細谷川のとけゆくは水上よりや春は立つらん

月を見て思ふ心のまゝならば行方も知らずあくがれなまし

白露と人はいへども野辺みれば置く花ごとに色ぞかはれる

ひを(氷魚)のよる川瀬に見ゆるあじろ木はたつ白波の打つにやあるらん

道もなくつもれる雪に跡たえて故里(ふるさと)いかに寂しかるらん

いつとなく風吹く空に立つちりの数もしられぬ君が御代(みよ)かな

思ひやれとはで日をふる五月雨のひとり宿もる袖のしづくを

教へおきて入りにし月のなかりせばいかで思ひを西にかけまし
                             (以上 金葉和歌集)

さ夜ふけて蘆(あし)のすゑこす浦風にあはれうちそふ浪のおとかな

おもかげの忘れぬ人によそへつゝ入るをぞしたふ秋の夜の月

万代(よろづよ)をふるにかひある宿なればみゆきと見えて花ぞ散りける

紫の雲の林を見わたせば法(のり)にあふちの花さきにけり

谷河のながれし清くすみぬればくまなき月のかげもうかびぬ
                             (以上 新古今和歌集)



『新古今和歌集 最終第二十巻「釈教歌」より最後の八首』

夢や夢うつゝや夢とわかぬかないかなる世にかさめんとすらん (赤染衛門)

つねよりもけふの煙(けぶり)のたよりにや西をはるかにおもひやるらん (相模)

けふはいとゞ涙にくれぬ西の山おもひ入日のかげをながめて (伊勢大輔)

教へおきて入りにし月のなかりせば西に心をいかでかけまし (肥後,切出し歌)

西へゆくしるべとおもふ月かげのそら頼めこそかひなかりけれ

たちいらで雲まをわけし月かげは待たぬけしきやそらに見えけん (西行法師)

むかし見し月の光をしるべにてこよひや君が西へゆくらん

闇はれて心のそらにすむ月は西の山べやちかくなるらん (西行法師)





※ さて「写経」も終へたので、太皇大后宮肥後さまの御霊は今夜現はれるであらうか?
  今後ブログの更新が止まつたら、黄泉の国へ連れ去られたと思つてほしい(笑)。







【2016.6.27 追記】
※ 御霊(ごりやう)は現はれなかつた(笑)。
  もつと真剣に「写経」せねばならぬ!



『連歌』

鮎を見て (読人不知)
何にあゆるを鮎といふらん

鵜舟にはとりいれし物をおぼつかな
 (匡房卿妹)


滝の音の夜まさりけるを聞きて (読人しらず)
夜おとすなり滝の白糸

くりかへし昼もわくとは見ゆれども (読人しらず)


田の中に馬の立てるを見て (永源法師)
田に食む駒はくろにぞありける

苗代の水にはかげと見えつれど (永成法師)

源頼光が但馬守にてありける時、館(たち)の前にけた川といふ川のある、上(かみ)より舟の下りけるを、蔀(しとみ)開くる侍(さぶらひ)して問はせければ、蓼(たで)と申す物を刈りてまかるなり、と言ふを聞きて、口遊(くちずさ)みに言ひける
蓼かる舟のすぐるなりけり (源頼光朝臣)

これを連歌にきゝなして
朝まだきから櫓の音のきこゆるは (相模母)







「きたなくも、うしろをば見する者かな。しばし引き返せ。物言はむ」 (源義家)
衣のたてはほころびにけり

年をへし糸の乱れの苦しさに (安倍貞任)



  『小学館版 学習まんが 日本の歴史(5)』


  『小学館版 学習まんが 日本の歴史(5)』






『梁塵秘抄』


佛は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、仄(ほの)かに夢に見えたまふ。

極楽浄土の東門は、難波の海にぞ對(むか)へたる、轉法輪所の西門に、念佛する人參(まい)れとて。

心の澄むものは、秋は山田の庵(いを)ごとに、鹿驚かすてふ引板(ひた)の声、衣しで打つ槌の音。

松の木陰に立ち寄りて、岩漏る水を掬(むす)ぶ間に、扇(あふぎ)の風も忘られて、夏無き年とぞ思ひぬる。





【2016.7.6 追記】

 【宇多源氏(重信系)の系図
第五十九代宇多天皇 →
敦実(あつざね)親王 →
源重信 →
源道方 →
源経信 →
源俊頼
https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E6%BA%90%E6%B0%8F%EF%BC%88%E9%87%8D%E4%BF%A1%E7%B3%BB%EF%BC%89

(2016.7.10 追記)
 この系図を見て不思議に思ったのが、白河院の信任が厚く『金葉和歌集』の撰者まで務めた源俊頼が、父である源経信やその前の先祖や親族に比べ、あまり出世していないことだ。これは藤原氏に近い立場をとっていた源経信が白河天皇に避けられた為、俊頼は政治的野心がないと白河院に示す意味で低い官職に甘んじる代わりに歌の世界の第一人者となる道を選んだのではないかと、今週わかった。
 俊頼の1105年は「木工頭」とあり、これはどんな官職か知らないけれど字面はあまり偉そうではなく、経信の最晩年の1116年に「大宰権帥」とあるのは、菅原道真を連想させて不吉である。




 『小学館版 学習まんが 日本の歴史(5)』
(2016.7.10 追記 ここまで)





『金葉和歌集(二度本)巻第二 夏部 全六十二首』

我のみぞいそぎたゝれぬ夏衣ひとへに春をおしむ身なれば

夏山の青葉まじりの遅桜はつはなよりもめづらしきかな

おしなべてこずゑ青葉になりぬれば松の緑もわかれざりけり (白河院)

たまがしはにはも葉広(はびろ)になりにけりこや木綿四手(ゆふしで)て神まつるころ (源経信)

ゆきの色をうばひてさける卯の花に小野の里人ふゆごもりすな

いづれをかわきてとはまし山里の垣根つゞきにさける卯の花

雪としもまがひもはてず卯の花はくるれば月の影かとも見ゆ

卯の花のさかぬ垣根はなけれども名にながれたる玉川の里

神山のふもとにさける卯の花はたが標(しめ)ゆひし垣根なるらん

賤(しづ)の女(め)が蘆火(あしび)たくやも卯の花の咲きしかゝればやつれざりけり (源経信)

み山いでてまだ里なれぬ時鳥(ほとゝぎす)たびのそらなる音(ね)をやなくらん

今日もまた尋ねくらしつ時鳥いかできくべき初音なるらん

時鳥すがたは水にやどれども声はうつらぬ物にぞありける

時鳥なきつとかたる人づての言の葉さへぞうれしかりける

ほとゝぎす音羽の山のふもとまで尋ねし声をこよひ聞くかな

年ごとに聞くとはすれどほとゝぎす声はふりせぬ物にぞありける

恋すてふなき名やたゝん時鳥まつにねぬ夜の数しつもれば

時鳥こゝろも空にあくがれて夜がれがちなるみ山辺の里

時鳥あかですぎぬる声によりあとなき空をながめつるかな

聞くたびにめづらしければ時鳥いつも初音の心地こそすれ

待ちかねて尋ねざりせば時鳥たれとか山のかひに鳴かまし (源俊頼)

おどろかす声なかりせば時鳥まだうつゝには聞かずぞあらまし

ほとゝぎす待つにかぎりてあかすかな藤の花とや人の見るらん (白河院)

まつ人の宿をば知らで時鳥をちの山辺を鳴きてすぐなり

時鳥ほのめく声をいづかたと聞きまどはしつ曙の空

宿ちかくしばしかたらへ時鳥まつ夜の数のつもるしるしに

時鳥まれになく夜は山彦のこたふるさへぞうれしかりける

山ちかく浦こぐ舟は時鳥なくわたりこそ泊りなりけれ

聞きもあへず漕ぎぞわかるゝ時鳥わがこゝろなる舟出ならねば

郭公(くわくこう,ほとゝぎす)くものたえまにもる月の影ほのかにも鳴きわたるかな

わぎもこに逢坂山の時鳥あくればかへる空になくなり

時鳥たづねるだにもあるものを待つ人いかで声を聞くらん

ほとゝぎす雲路にまどふ声すなりをやみだにせよ五月雨の空 (源経信)

菖蒲草ねたくも君はとはぬかなけふは心にかゝれと思ふに

よろづ代にかはらぬものは五月雨のしづくにかほる菖蒲なりけり (源経信)

菖蒲草ひく手もたゆくながき根のいかで安積(あさか)の沼におひけん

玉江にやけふの菖蒲をひきつらんみがける宿のつまにみゆるは

菖蒲草わが身のうきをひきかへてなべてならぬに生ひも出(い)でなん

菖蒲草よどのに生ふるものなればねながら人は引くにやあるらん

おなじくはとゝのへてふけ菖蒲草さみだれたらば漏りもこそすれ

あさましや見しふるさとの菖蒲草わがしらぬまに生ひにけるかな

さみだれに沼の岩垣みづこえて真菰かるべきかたもしられず

さみだれは日かずへにけり東屋(あづまや)のかやが軒端(のきば)のした朽つるまで

五月雨にたまえの水やまさるらん蘆(あし)の下葉のかくれゆくかな

五月雨にみづまさるらし沢田川まきの継橋うきぬばかりに

さみだれは小田の水口てもかけで水の心にまかせてぞ見る

五月雨にいりえの橋のうきぬればおろす筏のこゝちこそすれ

夏の夜のにはにふりしく白雪は月のいるこそ消ゆるなりけれ

里ごとにたゝく水鶏(くひな)のをとすなり心のとまる宿やなからん

夜もすがらはかなくたゝく水鶏かなさせる戸もなきしばの仮屋を

なつごろも裾野の草葉ふく風におもひもかけず鹿やなくらん

風ふけば蓮のうき葉に玉こえてすゞしくなりぬ蜩の声 (源俊頼)

さは水に火串(ほぐし)の影のうつれるを二(ふた)ともしとや鹿は見るらん

鹿たゝぬ葉山(はやま)が裾にともしゝていくよかひなき夜をあかすらん

さつきやみ花橘のありかをば風のつてにぞ空にしりける

やどごとに花橘ぞ匂ふなる一木(ひとき)がすゑを風はふけども

この里もゆうだちしけり浅茅生(あさぢふ)に露のすがらぬくさの葉もなし (源俊頼)

大井川いくせ鵜舟のすぎぬらんほのかになりぬ篝火(かゞりび)のかげ

たまくしげ二上山(ふたかみやま)のくもまより出づればあくる夏の夜の月

水無月のてる日の影はさしながら風のみ秋のけしきなるかな

夏の夜の月まつほどの手すさみに岩もる清水いくむすびしつ

禊(みそぎ)するみぎはに風の涼しきは一夜(ひとよ)をこめて秋やきぬらん


※ 青字はただ、白田八十一の好みなり。



【2016.7.10 追記】
Glorious our T’ang, majestic our Emperor,
Ninth in succession to illumine the world with his splendour――

巍巍我唐、
穆穆我皇。
纂承九葉、
照臨八方

『白楽天』 Arthur Waley 花房英樹 訳




 白居易は現在詩人として知られているが、言うまでもなく彼は唐代の政治家だった。この時代の政治家は、現在の行政官僚と裁判官をも合わせた統治者であり、その仕事の合間に白居易は詩を作り文章を書いた。というより、これは単に白居易が余暇の楽しみの目的だけでそれをしていたのではなく、唐の制度として、詩を作る能力が政治家にとって必要不可欠だったのだ。

“Of the various examinations which existed in theory at that time two only were currently taken, the Classical (ming-ching 明経) and the Literary (chin-shih 進士). The former included tests in five Classics; the latter demanded knowledge of only one Classic, but included the composition of fu (賦) and ordinary poems. In both examinations essays were written on general moral principles and on current administrative problems. The number of candidates who went in for the Classical Examination was very small. Only the officially recognized interpretations of the Classics were accepted, so that this examination was largely a test of memory. The Literary Examination on the other hand was regarded as a test of talent and originality, and those who passed it successfully looked down upon Classics men as mere drudges. Both Po (白)'s father and his grandfather had taken the Classical Examination, but it opened up very limited prospects of advancement, and Po Chü-i (白居易) himself naturally chose the Literary Examination, which gave scope to his talent for writing verse.”
『THE LIFE AND TIMES OF PO CHU-I 772-826 A.D.』 Arthur Waley

 現代の日本において、詩と政治は完全分業制になっている。これはその双方にとって不幸なことだと私は考える。政治の言葉は極端に貧しく、相手に到達する前に落下する。詩は現代社会から遊離し、浮遊している。三権分立を維持しながら此のふたつが融合する可能性、それを探る試みのひとつが、『白居易』を現在読む意味ではないか。








【2016.7.17 追記】
たなばたは空に知るらんさゝがにのいとかく許(ばかり)祭る心を

たなばたの飽かぬ別れもゆゝしきを今日しもなどか君が来ませる

朝戸開けてながめやすらん織女(たなばた)の飽かぬ別れの空を恋ひつゝ

渡守(わたしもり)はや舟隠せ一年(ひとゝせ)に二度(ふたゝび)来ます君ならなくに

織女(たなばた)のうら山(やま)しきに天河(あまのがは)今宵許(ばかり)は下りや立たまし

世をうみて我(わ)がかす糸はたなばたの涙の玉の緒とやなるらん

天河(あまのがは)河辺涼しきたなばたに扇の風を猶(なほ)やかさまし

天河(あまのがは)扇の風に霧晴れて空澄みわたる鵲(かささぎ)の橋
『拾遺和歌集巻第十七』







七月七日、烏鵲塡河、成橋而度織女。
『白氏六帖』


【2016.7.24 追記】
『和漢朗詠集より 螢』

明々仍在 誰追月光於屋上
皓々不消 豈積雪片於床頭


山經巻裏疑過岫
海賦篇中似宿流




草ふかくあれたる宿のともしびの風にきえぬは螢なりけり


つゝめどもかくれぬものは夏蟲の身よりあまれるおもひなりけり


















―『THE LIFE AND TIMES OF PO CHU-I 772-846 A.D.』 Arthur Waley

In the middle of autumn on the fifteenth night
A dazzling moon shone into my portico.
Wine was before me, but suddenly I could not drink;
I was thinking of those who have been my life’s delight.
Two there are with whom my heart is one;
Ts’ui and Ch’ien, who live beyond my reach;
There are those to whom my very soul is tied,
Yüan and Li, both so far away!
Some of them have flown on high to the blue clouds,
Some of them have fallen among the rivers and lakes.
Far or near, in favour or in banishment―
I have not seen them for four or five years. . . .
A cloudless night, the loveliest moment of the year,
These are things that cannot be had at will,
That cannot be recaptured; the impatient moon
Moment by moment sinks into the south-west.
We shall not be parted for ever, and yet―the pang
That you are not with me on such a night as this!







中秋三五夜,明月在前軒。
臨觞忽不飲,憶我平生歡。
我有同心人,邈邈崔與錢。
我有忘形友,迢迢李與元。
或飛青雲上,或落江湖間。
與我不相見,于今四五年。
我無縮地術,君非馭風仙。
安得明月下,四人來晤言。
良夜信難得,佳期杳無緣。
明月又不駐,漸下西南天。
豈無他時會,惜此清景前。

『效陶潛體詩』白居易









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『白楽天』 Arthur Waley 著

2016年03月31日 | 写経(笑)



 暫く振りに「写経」カテゴリーである(笑)。
 今回はドナルド・キーン先生が新聞の随筆で紹介して下さっていた東洋学者,Arthur Waley の著作をアマゾンのサイトで見ていたら、この白居易の評伝を見付け、それがあまりにも面白いので一気に読んでしまった。とは言っても勿論日本語訳の方で、Waley が英訳した白居易の詩を確認するために原書も買った。
 文庫本等の白居易の作品集には、その生涯についての解説が書かれていることもある。だが間違ってはいないのだろうが、どうにも眠くなってしまう。それに対してこの Waley の本が何故こんなに面白いのかについて、いくつかの解答が日本語で浮かんでいるが、それを英文で書いてアマゾンのレビューのページに載せてみよう、というのが今回の企画である。その準備として、何篇かの詩を「写経」していく。

 なお、白居易の詩は、このサイトからコピーした。
http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/txthuangye/home_4_2_9_1.html
http://www.xys.org/xys/classics/poetry/Tang/Bai-Juyi/baijuyi36.txt

これに漢和辞典と中国語辞典でピンイン(読み方)を附した。現代中国語は簡体字が使用されており原文の字とは違う。読み方も当時とは違うのだろうが、まあ、雰囲気はわかる。


〔第14章(最終章)から〕
At night I dreamt I stoutly climbed the hills,
Going out alone with my staff of holly-wood.
A thousand crags,a hundred hundred valleys―
In my dream-journey none were unexplored,
And all the while my feet never grew tired
And my step was strong as in my young days.
Can it be that when the mind travels backward
The body also returns to its old state?
And can it be,as between body and soul,
That the body may languish while the soul is still strong?
Soul and body,both are vanities;
Dreaming and waking,both alike unreal.
In the day my feet are palsied and tottering;
In the night my steps go striding over the hills.
As night and day are divided into equal parts
Between the two I get as much as I lose.




(続く)




【2016.4.3 追記】

〔第2章から〕
Companionless since spring came I have taken few walks;
From every pleasure,without you,more than half is gone.
To-day,above all,in the Apricot Garden,I found it hard to bear;
Everyone in the world seemed out for a walk―everyone except you.





 ちょうど桜の時分なので、『和漢朗詠集』っぽくしてみた(笑)。


恋ひわたる人に見せばや松の葉のしたもみぢする天の橋立 (金葉422)

石ばしる滝の水上はやくより音に聞きつゝ恋ひわたるかな (金葉419)

わが心春の山べにあくがれてながながし日を今日もくらしつ (新古今81)

恋ひわたる涙の川に身を投げむこの世ならでも逢ふ瀬ありやと (千載715)

さにつらふ妹を思ふと霞立つ春日もくれに恋ひわたるかも (万葉1911)

立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ (万葉4441)








【2016.4.6 追記】







〔第12章から〕
 He timed his departure so as to have the companionship of 劉禹錫 during the journey. And here I must digress again in order to give some account of this friend of Po’s, who from now onwards plays so important a part in his life. 劉禹錫, like 白居易, was born in 772. When in 805 power fell into the hands of Wang Shu-wen(eの上に記号有り)and Wang Pi, neither of whom were members of the hereditary governing class, 禹錫 believed that they had the interests of the common people at heart and threw in his lot with them. He was encouraged in this course by the fact that a friend whom he deeply respected, the great writer Liu Tsung-yuan(uの上に記号有り)(773-819), also supported the Wangs. When their brief regime fell and the traditional governing class came into its own again he was banished to a remote place in Hunan. The Chinese had in the ninth century the same complete confidence in the superiority of their own culture that Europeans had in the nineteenth. 劉禹錫 found that the shamans of the local aborigines were using in their ceremonies songs the words of which he considered barbarous and uncouth. He wrote new words in proper literary style, which it is said were used by local singers till long after his time.









〔@TakahiroBessho さんのツイートの写真から〕




























【2016.4.7 追記】
桜散る木(こ)の下(した)風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける (拾遺64)

雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ (古今86)

桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける (古今89)

朝ぼらけ下ゆく水は浅けれど深くぞ花の色は見えける (後撰130)

花の香に衣はふかくなりにけり木の下かげの風のまにまに (新古今111)

さくら色の庭の春風あともなし訪はばぞ人の雪とだにみん (新古今134)









【2016.4.13 追記】

〔第12章から〕
 Po mentions, as we have just seen, the copies of his Works which were in Japan. Of his immense popularity in that country I have already spoken, in connection with the traveller's tale that represented him as being eagerly awaited in a magic island in the East. At what date his poetry was first brought to Japan we do not know; but strangely enough on the very day that he wrote the note at the end of his Works, the Japanese Buddhist pilgrim Jikaku, feeling from China disguised as a layman, set out from Ch’ang-an(長安) with a copy Po’s Works in his luggage, and passed through Lo-yang(洛陽)a week or two later. For several centuries to come ‘The Literary Collection’ or even ‘The Collection’ without further qualification meant in Japan the Works of 白居易. The literature of the period abounds in references to them. For example, Murasaki, the authoress of the Tale of Genji, tells us in her diary that despite the prejudice against women studying Chinese, which was thought an unladylike occupation, ‘Since the summer before last, very secretly, in odd moments when there happened to be no one about, I have been reading with Her Majesty the two books of Ballads. There has of course been no question of formal lessons; Her Majesty has merely picked up a little here and there, as she felt inclined. All the same, I have thought is best to say nothing about the matter to anybody.’ The Ballads that she read with the Empress, to whom she was Lady-in-Waiting, were those contained in chapters three and four of 白居易’s Works as we have them to-day.
 In the Tale of Genji the numerous references to Chinese poetry are all to poems either by Po or by his friends 元稹 and 劉禹錫. The great eighth-century poets were barely known in Japan till far later. Li Po(李白)’s works were mentioned at the end of the ninth century, but were known only to a restricted circle. Tu Fu(杜甫)is not mentioned, I think, till fourteenth century. There was therefore at least a symbolic truth in the story that in a far-off island a very special niche was reserved for 白居易.


※ ネットに‘『源氏物語』における『白氏文集』引用の特色’という論文があったので、そのURLを貼っておく。

http://www.hokuriku-u.ac.jp/about/campus/libraryDATA/kiyo32/koku2.pdf



【2016.4.17 追記】
 前回の論文の参考文献、『白楽天全詩集』が図書館にあったので借りてきた。



 全集では「たけのこを食べる」というような意外な詩に出会えるから面白い。




 と同時に、訳者,佐久節氏の飄逸感あふれる文体が私は好きである。


 
 巻頭の文章で佐久氏は御自身の研究を謙遜されているけれど、この表現はちょっとどうかと私は思う(笑)。



【2016.4.18 追記】
 以前買っておいた Waley の『170 Chinese poems』をよく見たら、「たけのこを食べる」の詩も英訳されていた!



 この本の170篇の詩のうち58篇が白居易だが、現存71巻の膨大な『白氏文集』のなかから「たけのこを食べる」を選んだ Waley に限り無い親しみを覚える。比較するのは申し訳ないけれど、岩波文庫版の『白楽天詩選(上下)』にはこの詩は収録されておらず、Waley や佐久の瑞々しい訳とこれとの違いを考察することも論点のひとつになるはずだ。


   EATING BAMBOO-SHOOTS

My new Province is a land of Bamboo-groves:
Their shoots in spring fill the valleys and hills.
The mountain woodman cuts an armful of them
And brings them down to sell at the market.
Things are cheap in proportion as they are common;
For two farthings, I buy a whole bundle.
I put the shoots in a great earthen pot
And heat them up along with boiling rice.
The purple nodules broken, ―like an old brocade;
The white skin opened, ―like new pearls.
Now every day I eat them recklessly;
For a long time I have not touched meat.
All the time I was living at Lo-yang
They could not give me enough to suit my taste.
Now I can have as many shoots as I please;
For each breath of the south-wind makes a new bamboo!



【2016.4.20 追記】

 白髪を憂う詩があるのだから、これもあるのではないか、と思っていると果たしてあった。
 ^Ⅲ^)








【2016.4.24 追記】
『和漢朗詠集(偽)』
^Ⅲ^)


〔五弦弹〕

五弦弹,
五弦弹,
听者倾耳心寥寥
赵璧知君入骨爱
五弦一一为君调。
第一第二弦索索,
秋风拂松疏韵落。
第三第四弦泠泠,
夜鹤忆子笼中鸣。
第五弦声最掩抑,
陇水冻咽流不得。
五弦并奏君试听,
凄凄切切复铮铮。
铁击珊瑚一两曲,
冰泻玉盘千万声。
杀声入耳肤血寒,
惨气中人肌骨酸。
曲终声尽欲半日,
四坐相对愁无言。
座中有一远方士,
唧唧咨咨声不已。
自叹今朝初得闻,
始知孤负平生耳

唯忧赵璧白发生,
老死人间无此声。
远方士,
尔听五弦信为美,
吾闻正始之音不如是。

正始之音其若何?
朱弦疏越清庙歌。
一弹一唱再三叹,
曲淡节稀声不多
融融曳曳召元气,
听之不觉心平和。
人情重今多贱古
古琴有弦人不抚。
更从赵璧艺成来,
二十五弦不如五。

〔湖上望〕



〔藤〕
いづかたににほひますらん藤の花春と夏との岸をへだてて (千載118)

君にだにとはれでふれば藤の花たそがれ時も知らずぞ有ける (後撰139)

たごの浦にそこさへにほう藤なみをかざしてゆかむみぬ人のため (和漢朗詠集)

ときはなる松の名だてにあやなくもかゝれる藤のさきてちるかな (和漢朗詠集)

暮れぬとはおもふものから藤浪のさける宿には春ぞひさしき (新古今165)

みどりなる松にかゝれる藤なれどおのがころとぞ花はさきける (新古今166)



















【2016.4.27~ 追記】
 ここまでに出た本で今後自分が参照するために、詩の対照表を作っておくことにした。本の略称は以下の通りとする。

『THE LIFE AND TIMES OF PO CHU-I 772-846 A.D.』Arthur Waley (Kessinger Legacy Reprints) 
「PO」

『白楽天』A・ウェーリー 花房英樹 訳 (みすず書房)
「花房」

『白楽天全詩集1~4』佐久節 訳註 (日本図書センター)
「佐久」

『170 Chinese poems』Arthur Waley (Constable & Co Ltd)
「170 poems」


「第一章」

When flowers fall and birds sweetly sing
This southward journey suits your rustic mood.
The moon will be full when you cross the Ch'in-ling,
And spring in its beauty when you go along river of Shu.
花落鸟嘤嘤,南归称野情。
月宜秦岭宿,春好蜀江行。
乡路通云栈,郊扉近锦城。
乌台陟冈送,人别时荣。
(送武士曹归蜀 士曹即武中丞兄。)
(※ 原詩は前出のサイトからコピーした。)
「PO,11」「佐久,2巻-346」


(2016.5.4 追記)
 対照表の作成の難しいことが判明した。それは佐久本と、前出の原詩のサイトの詩の配列が違うからである。具体的には佐久本の第一巻と二巻、それに第三巻の初めの二章だけは完全に一致するが、その後と第四巻全ての詩の配列が全く違う。これは典拠が違うのが原因だろうけれど、私の関心は白居易の詩そのものにあり、文献がどうなっているのかを調べるのは煩雑で面倒だし優先順位は低い。それにこの原詩のサイトは、baijuyi10.txtで「感伤二」とすべき所を「感伤一」と間違っていたりして、ちょっと怪しい感じがしないでもない。

 けれども「写経」には明らかな効能がある。例えば平安期のある女性歌人の歌を集中して写した後にぼんやりと風呂に浸かっていると、急に歌を書いたその人の息遣いや身長から輪郭までがくっきりと、すぐ傍に佇んでいる存在の実体として感じられる時がある。この現象を客観的に見ればそれは歌の言葉に触発された私の想像にすぎないのだが、主観的には「霊」のようなものがまざまざと私の近くに来ている実感があるのも事実である。
 ただこれは女性歌人の場合ならいいのだけれど、夜中に突然白居易翁に出てこられても怖いし困る(笑)。
 とりあえず Waley 訳の続きを続ける


A keen wind blows on my pillow and mat;
The white dew wets my jacket and skirts.
This of all nights is a night for intimacy,
When the clock drips slow and the air of the sky is cold.
(2016.5.9 追記)
※前出の原詩のサイトが閉鎖されたので、今度はこのサイトから原詩をコピーする。
http://ourartnet.com/Sikuquanshu/Zhuanti/Shici/003/003.a.asp
清風吹枕席,白露濕衣裳。好是相親夜,漏遲天氣涼。
「PO,12」「佐久,2巻-345」

I am shut off from my old home,to long for it is no use;
The waters of Ch’s and the hills of Wu lie league on league between.
But to-day I am able through this kind friend to send to my dear brothers
Several lines of home-sick tears committed to a single wrapper.
故園望斷欲何如,楚水吳山萬里餘。
今日因君訪兄弟,數行鄉淚一封書。
「PO,12」「佐久,2巻-347」

Full in her face,the desert sand;full in her hair,the wind.
Her pencilled brows have lost their black,the rouge has melted from her cheeks.
Grief and pain and bitter toil have left so deep a mark
That now in the end she is very like what the painter made her in his picture.
滿面胡沙滿鬢風,眉銷殘黛臉銷紅。
愁苦辛勤憔悴盡,如今卻似畫圖中。
漢使卻回憑寄語,黃金何日贖蛾眉。
君王若問妾顏色,莫道不如宮裏時。
「PO,13」「佐久,2巻-445」

For a long time the business of getting a living
Has kept me from learning the Art of Guarding Life.
My years are few,but my disease are many;
How can I hope to last till old age?

「PO,13」「佐久,2巻-252」(原詩のサイトには無し)

(2016.5.11 追記)
 前回、最初に出た原詩のサイトが閉鎖されたと書いたが、これはトップページが削除されただけで、詩の本文のページは残っていた。このサイトのトップページには「検索機能」があって喜んで検索しようとしたが動かなかった(笑)。削除されるのも仕方ないだろう。
 整理するためにこれを「中国語Ⅰ」と名付ける。
http://www.xys.org/xys/classics/poetry/Tang/Bai-Juyi/

 「中国語Ⅱ」がこれである。
http://ourartnet.com/Sikuquanshu/Zhuanti/Shici/003/003.a.asp
 「中国語Ⅱ」は、細かい異同はあるが概ね巻二十まで、佐久本では第一巻~二巻、それと第三巻の第一章までが同じである。
 「中国語Ⅰ」もだいたい同じだが、「中国語Ⅰ」の方が「中国語Ⅱ」よりも、巻二十一以後に収録されている詩の数が多い。
 佐久本の第三巻と四巻は白氏文集の何処から引かれているのかを知るのは興味ある課題だが、値段,スペース等の問題で白氏文集の全十六巻を買う気には到底なれない。
http://www.meijishoin.co.jp/news/n3743.html

(2016.5.13 追記)








似錦如霞色。連春接夏開。禹錫
 (薔薇花聯句)『佐久本第四巻-p.837』

【2016.4.30 追記】

『枕草子 二十三段』
 ひるつかた、大納言殿、櫻の直衣(なほし)のすこしなよらかなるに、こきむらさきの固紋の指貫(さしぬき)、しろき御衣(ぞ)ども、うへにはこき綾のいとあざやかなるをいだしてまゐり給へるに、うへのこなたにおはしませば、戸口のまへなるほそき板敷にゐ給ひて、物など申したまふ。
 御簾のうちに、女房、櫻の唐衣どもくつろかにぬぎたれて、藤・山吹など色々このましうて、あまた小半蔀(こはじとみ)の御簾よりもおしいでたる程、晝の御座(ひのおまし)のかたには、御膳(おもの)まゐる足音たかし。警蹕(けいひち)など「おし」といふこゑきこゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、はての御盤とりたる藏人まゐりて、御膳(おもの)奏すれば、なかの戸よりわたらせ給ふ。御供に廂(ひさし)より、大納言殿、御送りにまゐり給ひて、ありつる花のもとにかへりゐ給へり。
 宮の御前の御几帳おしやりて、長押のもとに出でさせ給へるなど、なにとなくただめでたきを、さぶらふ人もおもふことなき心地するに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の(とつ宮どころ)」といふことを、いとゆるるかにうちいだし給へる、いとをかしう覺ゆるにぞ、げに千とせもあらまほしき御ありさまなるや。


【2016.5.15 追記】
『和漢朗詠集 夏夜(なつのよ)』

風吹枯木天雨
月照平沙夏夜霜 

風生竹夜窓間臥
月照松時臺上行 

空夜窓閑螢度後
深更軒白月明初 

夏の夜をねぬにあけぬといひおきし人はものをや思はざりけむ

ほとゝぎすなくやさつきのみじか夜もひとりしぬればあかしかねつも

夏の夜のふすかとすればほとゝぎすなくひとこゑにあくるしのゝめ


【2016.6.5 追記】



つれづれと音絶えせぬはさみだれの軒のあやめのしづくなりけり

さみだれのをやむけしきの見えぬかな庭たづみのみ数まさりつゝ

香をとめてとふ人あるをあやめ草あやしく駒のすさめざりける

筑摩江の底の深さをよそながら引けるあやめの根にて知るかな

ねやの上に根ざし留めよあやめ草たづねて引くもおなじよどのを

けふも今日あやめもあやめ変らぬに宿こそありし宿とおぼえね (後拾遺和歌集)










【2016.6.6 追記】
かけまくも あやに恐(かしこ)し 天皇(すめろき)の 神の大御代(おほみよ)に 田道間守(たぢまもり) 常世(とこよ)に渡り 八矛(やほこ)持ち 参ゐ出来(こ)し時 時じくの 香久(かく)の菓子(このみ)を 恐(かしこ)くも 残したまへれ 国も狭(せ)に 生(お)ひ立ち栄え 春されば 孫枝(ひこえ)萌いつつ ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花を 枝に手折りて 娘子(をとめ)らに つとにも遣りみ 白たへの 袖にも扱入(こき)れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫(ぬ)きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋付(づ)けば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末(こぬれ)は 紅(くれなゐ)に にほい散れども 橘の 成れるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けど その葉も枯れず 常盤(ときは)なす いやさかばえに 然れこそ 神の御代より 宜しなへ この橘を 時じくの 香久(かく)の菓子(このみ)と 名付けけらしも

橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲(ほ)し (萬葉集)







春過ぎて 夏来向(きむ)かへば あしひきの 山呼びとよめ さ夜中に 鳴くほととぎす 初声を 聞けばなつかし あやめ草 花橘(はなたちばな)を 貫き交じへ かづらくまでに 里とよめ 鳴き渡れども なほししのはゆ

橘の散る里に通ひなば山ほととぎすとよもさむかも

五月山(さつきやま)花橘にほととぎす隠(こも)らふ時に逢へる君かも

橘の下(した)吹く風のかぐはしき筑波(つくは)の山を恋ひずあらめかも (萬葉集)



「西湖晚歸,回望孤山寺,贈諸客」
柳湖松島蓮花寺,晚動歸橈出道場。盧橘子低山雨重,
棕櫚葉戰水風涼
煙波澹蕩搖空碧,樓殿參差倚夕陽。
到岸請君回首望,蓬萊宮在海中央。(白居易)

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『Ulysees』 Alfred Tennyson

2014年04月17日 | 写経(笑)
【参考記事】 『Oliver Stone on Okinawa - The Untold Story』 Jon Mitchell

  http://japanfocus.org/-Jon-Mitchell/3992  (The Asia-Pacific Journal, September 2, 2013.) (記事の下から3行に、『Ulysees』。)






It little profits that an idle king.
By this still hearth,among these barren crags,
Matched with an agèd wife,I mete and dole
Unequal laws unto a savage race,
That hoard,and sleep,and feed,and know not me.

I cannot rest from travel:I will drink
Life to less:all times I have enjoyed
Greatly,have suffered greatly,both with those
That loved me,and alone;on shore,and when
Through scudding drifts the rainy Hyades
Vext the dim sea:I am become a name;
For always roaming with a hungry heart
Much have I seen and known;cities of men
And manners,climates,councils,governments,
Myself not least,but honoured of them all;
And drunk delight of battle with my peers,
Far on the ringing plains of windy Troy.
I am a part of all that I have met;
Yet all experience is an arch wherethrough
Gleams that untravelled world,whose margin fades
For ever and for ever when I move.
How dull it is to pause,to make an end,
To rust unburnished,not to shine in use!
As though to breathe were life.Life piled on life
Were all too little,and of one to me
Little remains:but every hour is saved
From that eternal silence,something more,
A bringer of new things;and vile it were
For some three suns to store and hoard myself,
And this gray spirit yearning in desire
To follow knowledge like a sinking star,
Beyond the utmost bound of human thought.

 This is my son,mine own Telemachus,
To whom I leave the sceptre and the isle――
Well-loved of me,discerning to fulfil
This labour,by slow prudence to make mild
A rugged people,and through soft degrees
Subdue them to the useful and the good.
Most blameless is he,centred in the sphere
Of common duties,decent not to fail
In offices of tenderness,and pay
Meet adoration to my household gods,
When I am gone.He works his work,I mine.

 There lies the port;the vessel puffs her sail:
There gloom the dark broad seas.My mariners,
Souls that have toiled,and wrought,and thought with me――
That ever with a frolic welcom took
The thunder and the sunshine,and opposed
Free hearts,free foreheads――you and I are old;
Old age hath yet his honour and his toil;
Death closes all:but something ere the end,
Some work of noble note,may yet be done,
Not unbecoming men that strove with Gods.
The lights begin to twinkle from the rocks:
The long day wanes:the slow moon climbs:the deep
Moans round with many voices.Come,my friends,
'Tis not too late to seek a newer world.
Push off,and sitting well in order smite
The sounding furrows;for my purpose holds
To sail beyond the sunset,and the baths
Of all the western stars,until I die.
It may be that the gulfs will wash us down:
It may be we shall touch the Happy Isles,
And see the great Achilles,whom we knew.
Though much is taken,much abides;and though

We are not now that strength which in old days
Moved earth and heaven;that which we are,we are;
One equal temper of heroic hearts,
Made weak by time and fate,but strong in will
To strive,to seek,to find,and not to yield.













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写経 46. 『大岡信詩集 自選』 岩波書店

2013年10月24日 | 写経(笑)

 
 “こゑふるはせてきみはうたつた
  唇を発(た)つと こゑは素直に風と鳥に化合した”


 “冬の光はそのやうにして
  土の皮膜をつかむ弧となり
  コトバはそのやうにして
  手足に液をゆきわたらす流体となる”


 “たとへば雲に翔ぶ鳥の
  わかれては逢ふ
  空の道
  かな”




      『大岡信詩集 自選』 「春 少女に」「悲歌と祝禱」「草府にて」から


 


 





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写経 45. 『現代語訳 吾妻鏡』 「建保元年(1213年)八月十八日」 五味文彦・本郷和人 編 (吉川弘文館)

2013年10月18日 | 写経(笑)
 


     『小学館版 学習まんが 日本の歴史 第8巻 (南北朝時代, 室町時代前期) あおむら純』 「二条河原の落書」



“十八日、丙戌(ひのえいぬ)。晴れ。子(ね)の刻に将軍家(源実朝)が(御所の)南面にお出ましになった。その時灯は消えて人は寝しずまり、静かで音もなかった。ただ月明かりや虫の音に物思いにふけるばかりである。御歌数首を独吟された。丑(うし)の刻になって、夢のようなことに、若い女が一人、前庭を走って通った。何度も尋ねられたもののついに名乗らず、とうとう門外に来た時、急に光る物があった。あたかも松明(たいまつ)の光のようであった。

 宿直(とのい)の者を通じて陰陽少允(おんみょうしょうじょう)(安倍)親職を召した。親職は衣がはだけたまま急いで参上した。(実朝は)直接、事の次第を仰った。そこで(親職が)勘申して言うには、「特別な異変ではありません。」という。しかし南庭で招魂祭を行われ、今夜召されていた御衣を親職に賜った。” 『現代語訳 吾妻鏡 第7巻』 吉川弘文館




     “ひいきは小学館” 『synchroniciteen』 相対性理論




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