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映画『東京家族』について

写経 17.「積分」(その9) 『好きになる数学入門 第6巻』 宇沢弘文

2013年05月30日 | 写経(笑)
2. 積分の計算を工夫する





 積分の公式  

 これまで出てきた積分の代表的な公式をあげておきます.
(いずれも,積分定数は省略し,被積分関数が定義できる範囲を考えます.)







つぎの積分を計算しなさい.




 解答




 つぎの積分を計算しなさい.



 解答























T.S.ELIOT   『THE WASTE LAND』(1922)から   (つづく)













































映画『ふたり』 劇場プログラムから
 


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映画 『東京家族』 (その22) 音楽

2013年05月27日 | 映画『東京家族』
 映画『珈琲時光』は、(故意に)忘れられた音楽家「江文也」を追う、ライターの陽子(一青窈)のストーリーが、ひとつの軸である。従って音楽は、江文也のピアノ曲が中心になっている。私はこの映画で初めて「江文也」の存在を知った。

 戦前の日本の西洋音楽界、その「華麗で精神的にゆたか」で「自由と創意を尊重する」文化があった事を、江には言及されていないが、最近読んだこの本で知った。この時代には、たくさんの事実が隠されている。




非常に優れた論考なので、この本も、いずれこのブログで詳しく紹介する。





 


 今日は、『東京家族』の音楽を担当された、久石譲氏の話である。久石氏はこの『東京家族』の音楽において、メロディアスで神話的に美しい、一連の宮崎駿監督作品などの方向とは、少し違った方法をとったように思われる。
 『東京物語』をDVDで見返してみると、意外なほどに音楽が歌っている事がわかる。しかし映画を観ている時も観終えた時も、音楽の印象は少なく、影のような距離で静かに映像に寄り添っている。これは音楽にとって不名誉な事ではまるでなく、逆に音楽技術者の最高度の仕事だ。
 
 山田監督は『東京家族』で、久石氏に初めて音楽を依頼した。これは何故か?









 これは、大林宣彦監督が新・尾道3部作・第1作として制作された『ふたり』(1991)の久石氏による主題曲である。「劇場プログラム」から筆写した。この奇跡のような映画は、大林監督と久石氏が初めて組んだ作品である。
 まだ固まっていない私の仮説だが、山田監督はこの『ふたり』の音楽の記憶も引用したのではないだろうか。


〔CAST〕

石田ひかり
中嶋朋子

柴山智加
中江有里
島崎和歌子
西山典子

入江若葉
藤田弓子
吉行和子
奈美悦子

増田恵子

富司純子


 『ふたり』 劇場プログラムから (女優のみ転載)


 さらに、この劇場プログラムには、「女子学生」のエキストラとして、141名の名前が記載されている。
 その全部をここに再録しようと思ったが、理性がぎりぎり止めた(笑)。
 しかしアイウエオ順で並んだその名簿を見ているうちに、不思議な事に気付いた。5番目に「井上陽子」という名前がある。これは『珈琲時光』における、一青窈の役名だ!




野口久光 画
























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映画 『東京家族』 (その21) 『珈琲時光』(1)

2013年05月22日 | 映画『東京家族』

















※ 2013.5.8(撮影日)

※ 扉の貼り紙 「当店は都合により、当分の間休業いたしております。珈琲店エリカ」
















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写経 16.「積分」(その8) 『好きになる数学入門 第6巻』 宇沢弘文

2013年05月22日 | 写経(笑)


T.S.ELIOT (つづく)





つぎの積分を計算しなさい.



解答


つぎの積分を計算しなさい.



解答



つぎの積分を計算しなさい.



解答



つぎの積分を計算しなさい.



解答



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映画 『東京家族』 (その20) 横尾忠則 (2)

2013年05月18日 | 映画『東京家族』
 横尾氏には、画集の『Y字路』だけでなく、写真集もある事を知った。

 『東京Y字路』 国書刊行会 (2009.10.10)。

 一葉一葉みていくと、不思議な事に気付く。人の気配は充満しているのに、人影がない。「あとがき」にその理由があった。

 “この東京の大都会には人を一人も存在させなかった。人を排除することで、虚構の風景を出現させたかった。つまり物語の幕が開く瞬間の登場人物の不在の舞台を見せたかった。物語の始めと終りを。”

 しかし、いずれも遠景ながら、よく見ると人は存在している。(024、025、027、028、029、041、046、048、059、065、073、096、100、134、136、139、140、148、152、181、186、193、249。139の交番と、181のカレー店の人物は例外的に近く大きいし、206の四角いミラーには横尾氏が、199には黒猫さえいる。)

 記憶と幻想の詩情が織り込まれた絵画の『Y字路』とは違い、この写真の『東京Y字路』は、ひとことで云うと、女性の裸の脚だと、私は思った。あまりにあられもない見方かもしれないが、証拠がある。077に現れる文字だけだったら明言はできないが、この写真集には表紙を含めて3葉だけ、写真集でありながら、デジタル的に彩色されている写真がある。この色感と、158に表示される文字を見てほしい。

 昌次の家も195にあり、そこは夜である。
 209には鬼子母神。一青窈と『珈琲時光』の影を追ってこの場所へ行く時は、ストロボの力を借りるにしても、月の夜にすると決めた。
 その場所には、もうひとりの映画監督の記憶も重なっている。


 “とつぜん、右手のシグナルばしらが、がたんとからだをゆすぶつて、上の白い横木を斜めに下の方へぶらさげました。これはべつだん不思議でもなんでもありません。
 つまりシグナルがさがつたといふだけのことです。一晩に十四(じふし)回もあることなのです。” 宮澤賢治 (1921.9.14)
 





 ※ 映画『東京家族』(その15)が、間違って重複してしまった。製本する時に直す(笑)。


 
 ※(この「東京」の放棄も検討された原子力事故が2011年に起こり、今も続いている。避難を呼びかける声があり、それは正しいが、物事には順番があり、福島の子供たちが先だと、私は考えている。)

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