我于是又很盼望下雪。
わたしは、それからは雪の降るのが待ちどおしくなった。
闰土又对我说:
ルントウはまたいうのだ。
“现在太冷,你夏天到我们这里来。我们日里到海边检贝壳去,红的绿的都有,鬼见怕也有,观音手也有。晚上我和爹管西瓜去,你也去。”
「今は寒くてダメだが、夏になったら、おいらのところへ来るといいや。おいらは昼のうちは海岸へ貝拾いに行くんだ。赤いのもあるし、青いのもあるし、『鬼おそれ』もあるし、『観音さまの手』もあるよ。晩には父ちゃんといっしょに西瓜の番をしに行くのさ。おまえも行くかい?」
“管贼么?”
「どろぼうの番をするの?」
“不是。走路的人口渴了摘一个瓜吃,我们这里是不算偷的。要管的是獾猪,刺猬,猹。月亮地下,你听,啦啦的响了,猹在咬瓜了。你便捏了胡叉,轻轻地走去……”
「そうじゃない。通りがかりの人が、のどがかわいて、西瓜を取って食ったって、そんなのは、おいらのほうじゃ、どろぼうなんて思やしない。番をするのは、穴ぐまや、はりねずみや、猹(チャー)さ。月の晩に、いいかい、カサ、カサって音がしたら、猹が西瓜を食っているんだ。そうしたら刺叉(さすまた)を小わきにかかえて、忍び足に近よって……」
我那时并不知道这所谓猹的是怎么一件东西 ―― 便是现在也没有知道 ―― 只是无端的觉得状如小狗而很凶猛。
わたしはそのとき、その「猹」というのが、どんなものか見当もつかなかった ――今でも見当はつかない―― が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがしていた。
“他不咬人么?”
「食いつかないかい?」
“有胡叉呢。走到了,看见猹了,你便刺。这畜生很伶俐,倒向你奔来,反从胯下窜了。他的皮毛是油一般的滑……”
「刺叉があるじゃないか。忍びよって、猹(チャー)を見つけたら突くのさ。あん畜生、とてもリコウだから、こっちへ向かってくるよ。そうして、股をくぐって逃げてしまうよ。なにしろ、毛が油みたいにすべっこいんだからなあ……」
我素不知道天下有这么许多新鲜事: 海边有如许多五色的贝壳: 西瓜又这样危险的经历,我先前单知道他在水果店里卖罢了。
天下にかくも多くの珍しいことがあろうとは、わたしは、今の今まで思ったこともなかった。海辺には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。わたしは今まで、西瓜といえば、水菓子屋に売っているものとばかり思っていた。
『呐喊』「故乡」 魯迅 / 『呐喊』「故郷」 魯迅 竹内好 訳
「じきに冬だね」
夜になるとすこし冷えると、永遠子が手をひらいたりとじたりさせていると、「とわちゃんの手はいつもつめたい」と貴子が手をかぶせた。そろそろ海鵜が三浦半島の突端の城ケ島まで冬を越しに来る。貴子は、海鵜をみたいとごねたことも、水族館に出かけたことも、すっかり忘れていた。
「なんだかいろいろなことを忘れてる」
「きこちゃん、ちいさかったもんね」
それでも、いっしょに顕微鏡で雪の結晶をみた日のことは、はっきりとおぼえていると貴子は言った。
「雪の結晶を?」
「そう。顕微鏡でのぞいたでしょう。よくおぼえているの」
「あの日、雪は降らなかった」
「降ったよ」
「あれは凍雨だったよ」
「凍雨?」
(「凍雨」にルビはないが、おそらく「こおりあめ」ではなく「とうう」だろう。文庫版『きことわ』p.122。)
とう-う ① 冬の雨。寒雨。
② みぞれ。
③ 雨滴が空中で凍結し、氷粒となって降って来るもの。「あられ」に似て透明なもの。 『広辞苑 第六版』
「だから結晶はみられなかった」
もしかしたら雪になるかもしれないと昼食時に和雄が言ってから、永遠子は顕微鏡で雪の結晶を観察しようと、窓に気を配りながら過ごしていた。夕刻、たしかに空もようは変わった。降り出したのは雪ではなくて凍雨だった。
「でも、きこちゃんのなかではほんとうのことになったんだね」
貴子は髪や顔を濡らして軒で降り落ちる雪片を
せっ-ぺん 雪の結晶がいくつか併合したもの。数百の単結晶が併合する場合もある。ぼたん雪など。 『同上』
採取しようとする永遠子の手の赤みまで記憶していた。しかし、浮かびあがる正六角形の結晶を思い返そうとするとたちどころに像がとける。とうめいな幾何学模様は、永遠子といっしょにみていた図鑑で見知った画像なのかもしれなかった。六花、十二花とはしゃいだ永遠子の声しか記憶になかった。
『きことわ』 朝吹真理子
朝发轫于苍梧兮,夕余至乎县圃;
欲少留此灵琐兮,日忽忽其将暮。
吾令羲和弭节兮,望崦嵫而勿迫;
路漫漫其修远兮,吾将上下而求索。
朝(あした)に軔(くるま)を蒼梧に発し
夕(ゆうべ)にわれ県圃(けんぽ)に至れり。
少(しば)らくこの霊琑(れいさ)に留まらんと欲するも、
日は忽々(こつこつ)としてそれ将(まさ)に暮れんとす。
われ羲和(ぎわ)をして節を弭(とど)めしめ、
崦嵫(えんじ)を望んで迫(ちか)づくことなからしむ。
路は漫々としてそれ修遠なり、
われ将に上下して求め索(たず)ねんとす。
屈原
わたしは、それからは雪の降るのが待ちどおしくなった。
闰土又对我说:
ルントウはまたいうのだ。
“现在太冷,你夏天到我们这里来。我们日里到海边检贝壳去,红的绿的都有,鬼见怕也有,观音手也有。晚上我和爹管西瓜去,你也去。”
「今は寒くてダメだが、夏になったら、おいらのところへ来るといいや。おいらは昼のうちは海岸へ貝拾いに行くんだ。赤いのもあるし、青いのもあるし、『鬼おそれ』もあるし、『観音さまの手』もあるよ。晩には父ちゃんといっしょに西瓜の番をしに行くのさ。おまえも行くかい?」
“管贼么?”
「どろぼうの番をするの?」
“不是。走路的人口渴了摘一个瓜吃,我们这里是不算偷的。要管的是獾猪,刺猬,猹。月亮地下,你听,啦啦的响了,猹在咬瓜了。你便捏了胡叉,轻轻地走去……”
「そうじゃない。通りがかりの人が、のどがかわいて、西瓜を取って食ったって、そんなのは、おいらのほうじゃ、どろぼうなんて思やしない。番をするのは、穴ぐまや、はりねずみや、猹(チャー)さ。月の晩に、いいかい、カサ、カサって音がしたら、猹が西瓜を食っているんだ。そうしたら刺叉(さすまた)を小わきにかかえて、忍び足に近よって……」
我那时并不知道这所谓猹的是怎么一件东西 ―― 便是现在也没有知道 ―― 只是无端的觉得状如小狗而很凶猛。
わたしはそのとき、その「猹」というのが、どんなものか見当もつかなかった ――今でも見当はつかない―― が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがしていた。
“他不咬人么?”
「食いつかないかい?」
“有胡叉呢。走到了,看见猹了,你便刺。这畜生很伶俐,倒向你奔来,反从胯下窜了。他的皮毛是油一般的滑……”
「刺叉があるじゃないか。忍びよって、猹(チャー)を見つけたら突くのさ。あん畜生、とてもリコウだから、こっちへ向かってくるよ。そうして、股をくぐって逃げてしまうよ。なにしろ、毛が油みたいにすべっこいんだからなあ……」
我素不知道天下有这么许多新鲜事: 海边有如许多五色的贝壳: 西瓜又这样危险的经历,我先前单知道他在水果店里卖罢了。
天下にかくも多くの珍しいことがあろうとは、わたしは、今の今まで思ったこともなかった。海辺には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。わたしは今まで、西瓜といえば、水菓子屋に売っているものとばかり思っていた。
『呐喊』「故乡」 魯迅 / 『呐喊』「故郷」 魯迅 竹内好 訳
「じきに冬だね」
夜になるとすこし冷えると、永遠子が手をひらいたりとじたりさせていると、「とわちゃんの手はいつもつめたい」と貴子が手をかぶせた。そろそろ海鵜が三浦半島の突端の城ケ島まで冬を越しに来る。貴子は、海鵜をみたいとごねたことも、水族館に出かけたことも、すっかり忘れていた。
「なんだかいろいろなことを忘れてる」
「きこちゃん、ちいさかったもんね」
それでも、いっしょに顕微鏡で雪の結晶をみた日のことは、はっきりとおぼえていると貴子は言った。
「雪の結晶を?」
「そう。顕微鏡でのぞいたでしょう。よくおぼえているの」
「あの日、雪は降らなかった」
「降ったよ」
「あれは凍雨だったよ」
「凍雨?」
(「凍雨」にルビはないが、おそらく「こおりあめ」ではなく「とうう」だろう。文庫版『きことわ』p.122。)
とう-う ① 冬の雨。寒雨。
② みぞれ。
③ 雨滴が空中で凍結し、氷粒となって降って来るもの。「あられ」に似て透明なもの。 『広辞苑 第六版』
「だから結晶はみられなかった」
もしかしたら雪になるかもしれないと昼食時に和雄が言ってから、永遠子は顕微鏡で雪の結晶を観察しようと、窓に気を配りながら過ごしていた。夕刻、たしかに空もようは変わった。降り出したのは雪ではなくて凍雨だった。
「でも、きこちゃんのなかではほんとうのことになったんだね」
貴子は髪や顔を濡らして軒で降り落ちる雪片を
せっ-ぺん 雪の結晶がいくつか併合したもの。数百の単結晶が併合する場合もある。ぼたん雪など。 『同上』
採取しようとする永遠子の手の赤みまで記憶していた。しかし、浮かびあがる正六角形の結晶を思い返そうとするとたちどころに像がとける。とうめいな幾何学模様は、永遠子といっしょにみていた図鑑で見知った画像なのかもしれなかった。六花、十二花とはしゃいだ永遠子の声しか記憶になかった。
『きことわ』 朝吹真理子
朝发轫于苍梧兮,夕余至乎县圃;
欲少留此灵琐兮,日忽忽其将暮。
吾令羲和弭节兮,望崦嵫而勿迫;
路漫漫其修远兮,吾将上下而求索。
朝(あした)に軔(くるま)を蒼梧に発し
夕(ゆうべ)にわれ県圃(けんぽ)に至れり。
少(しば)らくこの霊琑(れいさ)に留まらんと欲するも、
日は忽々(こつこつ)としてそれ将(まさ)に暮れんとす。
われ羲和(ぎわ)をして節を弭(とど)めしめ、
崦嵫(えんじ)を望んで迫(ちか)づくことなからしむ。
路は漫々としてそれ修遠なり、
われ将に上下して求め索(たず)ねんとす。
屈原