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映画『東京家族』について

映画 『東京家族』 (その39)  『呐喊』 魯迅     朝吹真理子(4)

2013年08月31日 | 映画『東京家族』
我于是又很盼望下雪。
 わたしは、それからは雪の降るのが待ちどおしくなった。
闰土又对我说:
 ルントウはまたいうのだ。
“现在太冷,你夏天到我们这里来。我们日里到海边检贝壳去,红的绿的都有,鬼见怕也有,观音手也有。晚上我和爹管西瓜去,你也去。”
 「今は寒くてダメだが、夏になったら、おいらのところへ来るといいや。おいらは昼のうちは海岸へ貝拾いに行くんだ。赤いのもあるし、青いのもあるし、『鬼おそれ』もあるし、『観音さまの手』もあるよ。晩には父ちゃんといっしょに西瓜の番をしに行くのさ。おまえも行くかい?」
 “管贼么?”
 「どろぼうの番をするの?」
“不是。走路的人口渴了摘一个瓜吃,我们这里是不算偷的。要管的是獾猪,刺猬,猹。月亮地下,你听,啦啦的响了,猹在咬瓜了。你便捏了胡叉,轻轻地走去……”
 「そうじゃない。通りがかりの人が、のどがかわいて、西瓜を取って食ったって、そんなのは、おいらのほうじゃ、どろぼうなんて思やしない。番をするのは、穴ぐまや、はりねずみや、猹(チャー)さ。月の晩に、いいかい、カサ、カサって音がしたら、猹が西瓜を食っているんだ。そうしたら刺叉(さすまた)を小わきにかかえて、忍び足に近よって……」
我那时并不知道这所谓猹的是怎么一件东西 ―― 便是现在也没有知道 ―― 只是无端的觉得状如小狗而很凶猛。
 わたしはそのとき、その「猹」というのが、どんなものか見当もつかなかった ――今でも見当はつかない―― が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがしていた。  
“他不咬人么?”
 「食いつかないかい?」
“有胡叉呢。走到了,看见猹了,你便刺。这畜生很伶俐,倒向你奔来,反从胯下窜了。他的皮毛是油一般的滑……”
 「刺叉があるじゃないか。忍びよって、猹(チャー)を見つけたら突くのさ。あん畜生、とてもリコウだから、こっちへ向かってくるよ。そうして、股をくぐって逃げてしまうよ。なにしろ、毛が油みたいにすべっこいんだからなあ……」
  我素不知道天下有这么许多新鲜事: 海边有如许多五色的贝壳: 西瓜又这样危险的经历,我先前单知道他在水果店里卖罢了。
 天下にかくも多くの珍しいことがあろうとは、わたしは、今の今まで思ったこともなかった。海辺には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。わたしは今まで、西瓜といえば、水菓子屋に売っているものとばかり思っていた。





『呐喊』「故乡」 魯迅   /  『呐喊』「故郷」 魯迅  竹内好 訳 


















 「じきに冬だね」
 夜になるとすこし冷えると、永遠子が手をひらいたりとじたりさせていると、「とわちゃんの手はいつもつめたい」と貴子が手をかぶせた。そろそろ海鵜が三浦半島の突端の城ケ島まで冬を越しに来る。貴子は、海鵜をみたいとごねたことも、水族館に出かけたことも、すっかり忘れていた。
 「なんだかいろいろなことを忘れてる」
 「きこちゃん、ちいさかったもんね」
 それでも、いっしょに顕微鏡で雪の結晶をみた日のことは、はっきりとおぼえていると貴子は言った。
 「雪の結晶を?」
 「そう。顕微鏡でのぞいたでしょう。よくおぼえているの」
 「あの日、雪は降らなかった」
 「降ったよ」
 「あれは凍雨だったよ」
 「凍雨?」




  (「凍雨」にルビはないが、おそらく「こおりあめ」ではなく「とうう」だろう。文庫版『きことわ』p.122。)

     とう-う ① 冬の雨。寒雨。
          ② みぞれ。
          ③ 雨滴が空中で凍結し、氷粒となって降って来るもの。「あられ」に似て透明なもの。  『広辞苑 第六版』




 「だから結晶はみられなかった」
 もしかしたら雪になるかもしれないと昼食時に和雄が言ってから、永遠子は顕微鏡で雪の結晶を観察しようと、窓に気を配りながら過ごしていた。夕刻、たしかに空もようは変わった。降り出したのは雪ではなくて凍雨だった。
 「でも、きこちゃんのなかではほんとうのことになったんだね」
 貴子は髪や顔を濡らして軒で降り落ちる雪片を



    



     せっ-ぺん  雪の結晶がいくつか併合したもの。数百の単結晶が併合する場合もある。ぼたん雪など。  『同上』




 採取しようとする永遠子の手の赤みまで記憶していた。しかし、浮かびあがる正六角形の結晶を思い返そうとするとたちどころに像がとける。とうめいな幾何学模様は、永遠子といっしょにみていた図鑑で見知った画像なのかもしれなかった。六花、十二花とはしゃいだ永遠子の声しか記憶になかった。





   『きことわ』 朝吹真理子

























  朝发轫于苍梧兮,夕余至乎县圃;
  欲少留此灵琐兮,日忽忽其将暮。

  吾令羲和弭节兮,望崦嵫而勿迫;
  路漫漫其修远兮,吾将上下而求索。







  
  朝(あした)に軔(くるま)を蒼梧に発し
  夕(ゆうべ)にわれ県圃(けんぽ)に至れり。
  少(しば)らくこの霊琑(れいさ)に留まらんと欲するも、
  日は忽々(こつこつ)としてそれ将(まさ)に暮れんとす。

  われ羲和(ぎわ)をして節を弭(とど)めしめ、
  崦嵫(えんじ)を望んで迫(ちか)づくことなからしむ。
  路は漫々としてそれ修遠なり、
  われ将に上下して求め索(たず)ねんとす。

                   屈原




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映画 『東京家族』 (その38)  「流れ星 (季語、秋)」   朝吹真理子(3)

2013年08月28日 | 映画『東京家族』
 『尋ね人の時間』 「第二章 星の子供」 新井満 から


“ 月子が夜空を仰ぎ、
「月は、どこかな」
 と、言う。
 頭上に巨大な黒い天蓋があった。その内側に無数の星の小さな光が白く点滅していた。
しかし今夜は、空のどこにも月は見当たらない。
「お父さんがいると、月はやっぱり出ないんだね」
「お父さんのせいか」
「そうだよ。だから月の代りに、月子がここにいるんじゃないか」
 突然、月子が小さな声で叫んだ。夜空の一角を、長い尾を引いて星が流れていった。
「ねえ、お父さん。流れ星って何」
「星のかけらだな」
「どこから飛んで来るの」
「遠い宇宙の果ての果てからだな」
「月も、遠い宇宙の果ての果てから、飛んで来たの」
「そういう説もある」
「月は星の子供だね」
「どうして」
「だってかけらよりも大きいでしょ」
「なるほど」
「だから月子も、星の子供」
「星の子供か……」
 眼下の海面から冷たい風が吹き上げてきた。コートの裾が音立ててはためいた。
「そろそろ帰ろう」
 神島が月子の肩を叩いて歩きかけたとたん、
「あ」
 月子がまた叫んだ。
 振り返って空を見上げると、白く細長い光線が二筋、前後して闇の中へ消えて行くところだった。
「今夜は流れ星が多いな」
 神島の言葉に、月子はまじめな顔で、
「きっと、風が強いせいだね」
 と、言う。
 思わず神島は笑ってしまった。
 しかし、あるいはほんとうにその通りかもしれない……。そう思いながら、月子と手を結んだ。 ”



     『尋ね人の時間』 新井満







“ 星が落ちる。起きている人と眠っている人とのあいだに分け隔て無く夜がただ過ぎてゆく。ひたすら流星が落ちるのを目の前のこととしてただみあげていた。 ~  あれはどこからが夢だったのだろうか。 ”


     『きことわ』 朝吹真理子





  『けさのことば』 岡井隆


“  生も死も夢の両端流れ星 『やよこ猫』 照屋眞理子

 人間の、あるいは自分自身の「生と死」を思うのに季節はいらない。しかし「流れ星」をみる時、夢のように過ぎては消える光の発端に生を、終端に死を置いて考えてしまう。
 「青青と月日過ぎゆく祭り笛」 「生るるにふと似て死あり天の川」など連作のような句が並ぶ。
 作者は一九五一年生まれ。はじめ塚本邦雄に就いて作句、作歌した人。”


    「東京新聞 2013.8.26」



“ 荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは) ” 

        『おくのほそ道』 芭蕉




“ 火球のオレンジ色が風に流れ、タチウオやリュウグウノツカイにもみえる、永続痕をのこす。それが夜空の上から下へと垂直におちた。そうしたひかりは、眠りばなにまぶたの奥に散る、光源のわからないひかりに似ていた。 ”


“ 永遠子はベランダにでて、貴子はきちんと帰宅しただろうかと考えた。それぞれの心音とそれぞれの夢だけをかかえて夜は過ぎ、朝になる。明日はまた貴子に会う。葉山の家は無くなる。会わずにいてもまた会えばよいだけで、会わないでいた二十五年間も、会うためのひとつの準備であったのかもしれなかった。 ”


“ 横顔に朝陽がとうめいに射している。 ”


       『きことわ』

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映画 『東京家族』 (その37)  朝吹真理子(2)

2013年08月25日 | 映画『東京家族』

※ 前回の 朝吹真理子(1)で、『きことわ』のAmazonへのレビューを再録したが、思いがけず「コメント」が付いたので、今日、その返信を書いた。

 http://www.amazon.co.jp/review/R1B6PVNB3RAYV/ref=cm_cr_rev_detup_redir?_encoding=UTF8&asin=4101251819&cdForum=Fx1MFO0KI5QQILK&cdPage=1&cdThread=TxF5L71G4VJP1X&newContentID=Mx2NRHSN5CK3Z5&newContentNum=2&store=books#Mx2ZIWVBTGGH7NB


  すこしおもしろい文章になったようなので、私の返信コメントの部分を、ここにも載せておく。







コメントをありがとうございました!
 「冬物語」さん、というお名前は、シェークスピアからでしょうか? とてもいい響きがします。私も、もっとよく考えて名前を付ければよかったと後悔しています(笑)。
 『E2-E4』はほんとうに、くりかえし聴いているし、この小説の基本構造である「呼応」は、『18人の音楽家のための音楽』などのスティーヴ・ライヒの曲にも繋がります。「自然」は追求していけばいくほど、精緻で複雑極まりない姿を現すけれど、いたって「自然」にみえる。こんな音楽を教えてくれただけでも、『きことわ』は私にとって、星いつつでは足りない(笑)。
 「芥川賞」に言及しているレビューも見掛けましたが、私のなかでは、第99回受賞作の『尋ね人の時間』で時が止まっており、あるきっかけでこの『きことわ』に出会え、とてもよかったと思っています。
 最後に、私の書架に一冊だけあった『西脇順三郎詩集』(現代詩文庫 思潮社)から、「朝吹真理子」を探してみました(笑)。
 冬物語さんのレビューも、たのしみにしております!






1、 (覆された宝石)のやうな〔〕   (くつがへされた宝石)のやうな朝

2、  笛もパイプも〔〕かず長い間

3、  我は〔〕のミユソスを物語らんとする者である。

4、  化学はもう物〔〕学として説明する方がよい / ポエトリとは何事ぞ / 早く〔〕学をやるべきだ

5、  あのフランシス・ジャムの帽〔〕のつぶれ









夏の終りに薔薇の歌を歌った

男が心の破滅を歎いている

実をとるひよどりは語らない

この村でラムプをつけて勉強するのだ。

「ミルトンのように勉強するんだ」と

大学総長らしい天使がささやく。

だが梨のような花が藪に咲く頃まで

猟人や釣人と将棋をさしてしまつた。



 





        『現代詩文庫 西脇順三郎詩集』(思潮社)
















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写経 34. 『英語構文全解説』 山口俊治

2013年08月23日 | 写経(笑)
 
 うすうすと感じてはいたのだが、私は「英文法」が解っていない(笑)。

 そこで、書店へ行ってこの本を買ってきた。
 





 
 これは「英語という言語の根本的な理解を達成するため」に、非常によく考えつくされ、整理し、纏められた素晴らしい本だ。

 早くマスターして、マイケル・ムーア氏にツイートの連投をしてみたい(笑)。
 


 今日この本から写したいのは、英語の本文ではなくて、「補遺」と「あとがき」からである。



 “英語は名詞を中心に文を組み立て,そこに種々の修飾語句をつけ,原因・結果を理論的に追求するように表現していくような文体を好みます. 日本語のほうは,どちらかと言えば主語を明確に表さずに状況を汲み取って動詞を中心に柔らかく表現する傾向があります.”


 “映画のシナリオは生きた会話表現がふんだんに学べるばかりでなく,翻訳の面から見ても絶好の教材と言えましょう.
 『英語版 「男はつらいよ」“What a Life!”』(山田洋次作,W.Ross訳)(語学春秋社1975)の解説を担当したのですが,日本語特有の表現が英語ではどうなるか,興味津々ですね.

 「結構毛だらけ猫灰だらけ,尻のまわりは糞だらけ」が

 You're as fine as a cat with its fur full of catnip.The cat fell in the horse manure.

です. 頭韻(alliteration)の cat,catnip;fine,fur,full,fell などにも注目すると,結構,調子よく英訳されています. 翻訳は川幅の広い川を渡るようなものと言いましたが,まさにそうですね. 英語から日本語へと私の舟でもう一度渡り直すとしたら

 「結構,毛皮がマタタビだらけ,猫ちゃん馬糞に寝転んだ」

といったところでしょう.”

               (以上は、「補遺」から)



 “1936年,東京生まれ. 目白小学校(当時,国民学校)に入学した直後に太平洋戦争の開戦,やがて,B-29(Boeing社の爆撃機)による空襲が始まり,防空壕に潜む回数が増えてきました. その頃, 今思えば本当の命拾いをしました. 爆弾かと思った大音響とともにロッキード(Lockheed)戦闘機の流れ弾が二,三メートル傍らの古井戸に突き刺さったのでした. 映画「禁じられた遊び」で,いたいけな女の子が機銃掃射で両親を亡くすシーンと重なって頭にこびりついています.
 焼夷弾(後に John Hersey: Hiroshima を読み, Molotov's flower basket と呼ばれていたことを知りました)の炎を照り返すガラス窓が真っ赤に染まるようになり危険が身近に迫ったため,集団疎開で信州の雪深い渋・上林温泉に送られました. ほどなく3月10日の東京大空襲. 秩父山地の上空が異常な深紅に染まり,その下で10万に及ぶ人々が火中を逃げ惑った挙句に命を落とされたことなど想像もつかず,ただあの赤,赤だけが目に焼きつきました. 疎開中は痩せ細り,腹と背の皮がつくほどの餓えを体験し,米一粒,大豆一粒の有難さをとことん身に沁みて知りました. もちろん,将来,英語に縁をもつことになろうとは露ほども考えない,ただの飢えた子供でした.”




 “後に芥川賞を受賞された小説家・小島信夫先生の授業では,英国の小説家・モーム(William Somerset Maugham)の“The Summing Up”(邦訳名は「要約すると」)という essay が使われました.”




 “本郷キャンパスでは,英書よりさらにスマートな洋書(木製のペーパーナイフで1ページずつ読み進むフランス語の書物)を携えた大江健三郎氏(ノーベル賞作家)の若き姿がありました.”



              (以上は、「あとがき」から)















 今日の最後は、『男はつらいよ』の英訳です(笑)。

 W.Ross氏は『What a Life!』と訳しました。もちろんいいと思います。もうひとつ私は、こんな風に訳してみました。


 

『The Man always yearns for a Lady』 (男はいつもひとりの女性にあこがれる)



【2015.3.12 追記】

※ しばらくぶりでこの記事を見返したら、三人称単数現在の“s”がなかったので、付けておいた ^Ⅲ^)











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写経 33. 『レイテ戦記』 (3)

2013年08月21日 | 『レイテ戦記』

“Thou hast nor youth nor age / But as it were an after dinner sleep / Dreaming of both.


Here I am,an old man in a dry month,
Being read to by a boy,waiting for rain.
I was neither at the hot gates
Nor fought in the warm rain
Nor knee deep in the salt marsh,heaving a cutlass,
Bitten by flies,fought.”  『Gerontion』 T.S.Eliot




わたしはここにいきついた、老いた男が乾いたひと月のなか、
少年に生存の本性を読み上げさせつつ、雨を待っている。
わたしは暑き城門で
生ぬるい雨のなか戦ったことはなく
膝を湿った塩の沼地の深みにはめ、短剣を振りあげ、
飛ぶ虫の群れに刺され、戦ったことはさらにない。

 『ジェランション』 T.S.エリオット

(深瀬基寛訳を参考にして、石川訳。)


 


 『レイテ戦記』 大岡昇平  「第九章 海戦」から


 “この戦記の対象はレイテ島の地上戦闘であるが、(昭和十九年)十月二十四日から二十六日まで、レイテ島を中心として行われた、いわゆる比島沖海戦は、その後の地上戦闘の経過に、決定的な影響を与えているので、その概略を省くわけに行かない。
 これが日米海軍の最後の決戦となったことは周知の通りである。聯合艦隊は艦船の八割を挙げて出撃し、敗れた。レイテ島周辺の制海権は米国に帰し、同時に地上戦闘もまた決戦の意味を失ってしまうのだが、大本営は海戦の経過のうちに出現した航空特攻に望みをかけた。敵がわが抵抗に手を焼いて、戦争を止そうといい出すかもしれないという希望を、終戦ぎりぎりまで持ち続けた。”



 

 “しかし「武蔵」沈没は多くの悲惨事に充ちている。前代身聞の巨体が活動をはじめた時は、また意想外の事態も発生する。対空戦闘のため主砲も三式弾という対空焼夷弾を発射する。合図のブザーが鳴ると共に甲板上に増置された高角機関銃の射手たちは、適当な遮蔽物を見付けて避難しなければならないのだが、戦闘中でブザーの音が聞えなかったり、実際鳴らなかったりするから、多くの者が海上に吹き飛ばされた。発射後爆煙が艦上を傘のように蔽って、突込んで来る敵機が見えなくなった。
 空から降って来る人間の四肢、壁に張りついた肉片、階段から滝のように流れ落ちる血、艦低における出口のない死、などなど、地上戦闘では見られない悲惨な情景が生れる。海戦は提督や士官の回想録とは違った次元の、残酷な事実に充ちていることを忘れてはならない。

(以下、pp191-192にかけて、「海ゆかば水漬く屍」渡辺清 から引用。) 『レイテ戦記(上)』 大岡昇平 (中公文庫版)




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