志村けんは、若くて綺麗な女性が好きであった。現在、良識ある人の間では女性に対し、これらの形容詞を使ってはならないことになっている。しかし彼は構わなかった。良い悪いで言えば「悪」である。世の男は女性の痛みに気付けていない。自分では充分に気を付けているつもりであっても、実はまったく足りていない。だから全ての男性諸氏は私も含め、余程それを自覚して考え続けねばならない。けれどもその一方、根源的問題として、美しい花を称揚してはならないのだろうか? またその両立の道はないのであろうか?
志村けんは喜劇人として間違いなく花があったし、時にそれは「華」とも記される、表現者が必ず持っていなければならない資質である。これは年齢や性別を超えていて、その奥底から光る華の反射が、私たち一人びとりの一般人の心にも花を分け与えてくれる。
新聞報道によると志村けんは、山田洋次監督の新作『キネマの神様』で映画初主演をする予定で、クランク・イン直前だったそうだ。その全ては幻となり春の紅雨、突然の幕切れであった。
『キネマの天地』(1986)
『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020)
『キネマの神様』(永野芽郁)
『全員集合』
志村けんは喜劇人として間違いなく花があったし、時にそれは「華」とも記される、表現者が必ず持っていなければならない資質である。これは年齢や性別を超えていて、その奥底から光る華の反射が、私たち一人びとりの一般人の心にも花を分け与えてくれる。
新聞報道によると志村けんは、山田洋次監督の新作『キネマの神様』で映画初主演をする予定で、クランク・イン直前だったそうだ。その全ては幻となり春の紅雨、突然の幕切れであった。
『キネマの天地』(1986)
『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020)
『キネマの神様』(永野芽郁)
『全員集合』