(223)鴨山の岩根しまける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ 人麻呂
(224)今日今日と我(あ)が待つ君は石川の峡(かひ)に交じりてありといはずやも 依羅娘子(よさみのをとめ)
【峡(かひ)】→ 原文「貝」
http://www.berrys-cafe.jp/pc/book/n684490/31/
(225)直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ちわたれ見つつ偲はむ 依羅娘子
(226)荒波に寄り来る玉を枕に置き我ここにありと誰(たれ)か告げけむ 丹比真人(たぢひのまひと)
(227)天(あま)ざかる鄙(ひな)の荒野(あらの)に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし (作者未詳)
『万葉集(一)』 岩波文庫
【2016.9.18 追記】
(223)Arthur Waley 訳
Perhaps my Sister does not know that I am prostrate on the rock-peaks of Kamo Mountain and may be keeping on waiting for me.
寧楽宮(ならのみや)
(228)妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに蘿(こけ)生(む)すまでに
(229)難波潟潮干(しほひ)なありそね沈む沈みにし妹が姿を見まく苦しも
(230)梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟(たばさ)み 立ち向かふ 高円(たかまと)山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾(たまほこ)の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白たへの 衣ひづちて 立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 音(ね)のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇(すめろき)の 神の皇子の 出でましの 手光(たひ)の光そ ここだ照りたる
(231)高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
(232)三笠山野辺行く道はこきだくもしげく荒れたるか久にあらなくに
萬葉集巻第二
【2016.9.19 追記】
(220)玉藻(たまも)よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)と共に 足り行かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来たる 中の湊ゆ船浮(う)けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波さわく いさなとり 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶(かぢ)引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 廬(いほ)りて見れば 波の音の しげき浜辺(はまへ)を しきたへの 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉鉾(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは
(221)妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや
(222)沖つ波来(き)寄る荒磯(ありそ)をしきたへの枕とまきて寝(な)せる君かも
“われわれは古人と必ずしも別の世界に住んでいるわけではない。” ―『水底の歌』 梅原猛
(224)今日今日と我(あ)が待つ君は石川の峡(かひ)に交じりてありといはずやも 依羅娘子(よさみのをとめ)
【峡(かひ)】→ 原文「貝」
http://www.berrys-cafe.jp/pc/book/n684490/31/
(225)直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ちわたれ見つつ偲はむ 依羅娘子
(226)荒波に寄り来る玉を枕に置き我ここにありと誰(たれ)か告げけむ 丹比真人(たぢひのまひと)
(227)天(あま)ざかる鄙(ひな)の荒野(あらの)に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし (作者未詳)
『万葉集(一)』 岩波文庫
【2016.9.18 追記】
(223)Arthur Waley 訳
Perhaps my Sister does not know that I am prostrate on the rock-peaks of Kamo Mountain and may be keeping on waiting for me.
寧楽宮(ならのみや)
(228)妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに蘿(こけ)生(む)すまでに
(229)難波潟潮干(しほひ)なありそね沈む沈みにし妹が姿を見まく苦しも
(230)梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟(たばさ)み 立ち向かふ 高円(たかまと)山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾(たまほこ)の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白たへの 衣ひづちて 立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 音(ね)のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇(すめろき)の 神の皇子の 出でましの 手光(たひ)の光そ ここだ照りたる
(231)高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
(232)三笠山野辺行く道はこきだくもしげく荒れたるか久にあらなくに
萬葉集巻第二
【2016.9.19 追記】
(220)玉藻(たまも)よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)と共に 足り行かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来たる 中の湊ゆ船浮(う)けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波さわく いさなとり 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶(かぢ)引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 廬(いほ)りて見れば 波の音の しげき浜辺(はまへ)を しきたへの 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉鉾(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは
(221)妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや
(222)沖つ波来(き)寄る荒磯(ありそ)をしきたへの枕とまきて寝(な)せる君かも
“われわれは古人と必ずしも別の世界に住んでいるわけではない。” ―『水底の歌』 梅原猛