不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Blog 81

映画『東京家族』について

『101歳 反戦の遺言』 鎌田慧(2016.8.23 東京新聞)

2016年08月24日 | 映画『東京家族』








 「わが身をわがペンで刺しつらぬいていない文章は、なにが書かれていようと、どのように書かれていようと、ヒマつぶし以外の役に立たない。」(『詞集たいまつⅡ』)
 ―『反骨のジャーナリスト』 鎌田慧




『紀念劉和珍君』 魯迅
『劉和珍(リゥホーチェン)君を紀念して』 魯迅
(四)
我在十八日早晨,才知道上午有群眾向執政府請願的事;下午便得到噩耗,說衛隊居然開槍,死傷至數百人,而劉和珍君即在遇害者之列。但我對於這些傳說,竟至於頗為懷疑。我向來是不憚以最壞的惡意,來推測中國人的,然而我還不料,也不信竟會下劣凶殘到這地步。況且始終微笑著的和藹的劉和珍君,更何至於無端在府門前喋血呢?

然而即日證明是事實了,作證的便是她自己的屍骸。還有一具,是楊德群君的。而且又證明著這不但是殺害,簡直是虐殺,因為身體上還有棍棒的傷痕。

但段政府就有令,說她們是「暴徒」! 但接著就有流言,說她們是受人利用的。

慘象,已使我目不忍視了;流言,尤使我耳不忍聞。我還有什麼話可說呢?我懂得衰亡民族之所以默無聲息的緣由了。沉默呵,沉默呵!不在沉默中爆發,就在沉默中滅亡。




























  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

President Obama’s 2016 / Summer Playlist / Songs for the Nighttime

2016年08月16日 | 映画『東京家族』
President Obama’s 2016
Summer Playlist
Songs for the Nighttime










1.
If I Have My Way
Chrisette Michele





2.
Espera (Nobel Peace Prize Performance)
Esperanza Spalding





3.
Tell it like it is
Aaron Neville





4.
In the Morning / Alright
Ledisi





5.
Trapped by a thing called love
Denise Lasalle





6.
Lady
D'Angelo





7.
So Very Hard to Go
Tower Of Power





8.
Midnight Sun
Carmen McRae





9.
Cucurrucucu Paloma
Caetano Veloso





10.
Green Aphrodisiac
Corinne Bailey Rae





11.
I'll Be There For You / You're All I Need
Mary J. Blige / Method Man





12.
Lover Man
Billie Holiday





13.
Criminal
Fiona Apple





14.
Acid Rain
Chance The Rapper





15.
My Funny Valentine
Miles Davis





16.
Do You Feel Me
Anthony Hamilton





17.
I Get Lonely
Janet Jackson





18.
Lean In
Lizz Wright





19.
All Day Music
War





20.
Say Yes
Floetry











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

President Obama’s 2016 / Summer Playlist / Songs for the Daytime

2016年08月15日 | 映画『東京家族』
President Obama’s 2016
Summer Playlist
Songs for the Daytime








1.
LoveHate Thing
Wale



2.
Smooth Sailin’
Leon Bridges



3.
Elevator Operator
Courtney Barnett



4.
Home
Edward Sharpe & The Magnetic Zeros



5.
Many the Miles
Sara Bareilles



6.
Tightrope (Live at the White House 2014)
Monáe



7.
Classic Man
Jidenna



8.
So Ambitious
Jay-Z feat. Pharrell Williams



9.
Me gustas tu
Manu Chao



10.
Forever Begins
Common



11.
The Man
Aloe Blacc



12.
As We Enter
Nas & Damian "Jr. Gong" Marley


“Like true Obamas, unfold the drama”
http://www.azlyrics.com/lyrics/nas/asweenter.html

13.
Sinnerman
Nina Simone




14.
U Got The Look
Prince Featuring Sheena Easton



15.
Rock Steady
Aretha Franklin



16.
Good Vibrations
The Beach Boys



17.
Don't Owe You A Thang
Gary Clark Jr.



18.
Man Like That
Gin Wigmore



19.
Ⅱ B. S.
Charles Mingus




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『天皇のイングリッシュ』 保阪正康 廣済堂新書(2015年12月25日 第1版1刷) 

2016年08月07日 | 映画『東京家族』
※ しばらく前に新聞の書評欄で紹介されていた本。著者の意見はそれとして、私の知らなかった少年時代の天皇陛下の逸話が多数載る好著。


〔pp. 54-56〕
 “終戦時の皇太子十一歳。玉音放送は疎開先の栃木県の日光で聞いている。その後に、皇太子は(昭和)天皇に手紙を書き送っている。戦争に負けたことの感想と、「自分は一所懸命この日光で勉強をしている」と伝えている。
 昭和天皇はこの返事をしたためた手紙を村井長正侍従に託した。その内容をいま知ることができるのは、村井侍従が日光へ運ぶ途中に読んで筆写したという事情による。
 (中略)


 手紙をありがたう しつかりとした精神をもつて 元気で居ることを聞いて喜んで居ます。
 国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど 先生とあまりにちがつたことをいふことになるので ひかへて居つたことを ゆるしてくれ 敗因について一言いはしてくれ
 我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである
 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
 明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて退くことを知らなかつたからです
 戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなつたので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである
穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所あつたら きいてくれ
寒くなるから 心体を大切に勉強なさい
(昭和二十一年)九月九日      父より明仁へ

(『天皇百話 下の巻』 鶴見俊輔、中川六平編 筑摩書房)”


〔第三章〕



   





【2016.8.9 ~ 2016.9.28 追記】


“われ等はゆかむこころ楽しく” 齋藤茂吉 (昭和二十二年)
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s22.html




(昭和二十三年)
うらうらとかすむ春べになりぬれど山には雪ののこりてさむし 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s23.html

(昭和二十四年)
庭のおもにつもるゆきみてさむからむ人をいとどもおもふけさかな 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s24.html

(昭和二十五年)
志づかなるむらに入り来つ日おもてのひろばあかるきわかくさのいろ 折口信夫

ふるさとに露をふくめる若草を見るはいつぞも加州に老いて 吉橋宗平
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s25.html

(昭和二十六年)
月かげもあはくのこりてあさみどりすがすがしくもあけそむるそら 皇后陛下御歌

朝餌かふ小鳥のこぼす粟の実もかげ皆もてる空のかがやき
 五島鹿之右衛門
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s26.html

(昭和二十八年)
しもにけぶる相模の海の沖さして舟ぞいでゆく朝の寒きに 御製

荒潮のうなばらこえて船出せむ広く見まはらむとつくにのさま 皇太子殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s28.html

(昭和二十九年)
ほのぼのと夜はあけそめぬ静かなる那須野の林鳥の声して 御製

軽やかに林過ぎ行く朝心鳥のなく音をふとまねびけり 尾上八郎
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s29.html

(昭和三十年)
すみとほる泉の底は苔青みわき出づる水音なく流る 皇太子殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s30.html

(昭和三十一年)
冬しらぬ国にも春のいろみえてけふかもかすむ沖のはつしま 谷崎潤一郎

春浅み藪かげの道おほかたはすきとほりつつ消えのこる雪
 湯川秀樹
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s31.html

(昭和三十二年)
大磯かはた茅が崎かやみの夜を海のあなたに光るともしび 皇后陛下御歌

天地(あめつち)のそきへのきはみ照りわたるおほきともしび太陽あがる 金田一京助
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s32.html

(昭和三十三年)
つぎつぎにかたちをかへて白雲のあを空とほくながれゆく見ゆ 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s33.html

(昭和三十四年)
たそがれのみそらの色の美しさ窓に見ながら北極をとぶ 宣仁親王妃喜久子殿下お歌

わが窓を常にすがしく吹きゆきぬ比叡おろしも愛宕おろしも 吉井勇
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s34.html

(昭和三十五年)
光たらふ春を心に持ちてよりいのちふふめる土になじみ来 皇太子妃殿下お歌

 【たらひ(足らひ)】
①〔四段〕《タリ(足)アヒ(合)の約》 (いろいろな条件が)すべてそなわる。欠けることなくそろう。
②〔名詞〕 満ち足りること。 

 【ふふみ(含み)】 
①〔四段〕 ふくむ。
②花や葉がまだ開ききらない。   『岩波古語辞典』

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s35.html

(昭和三十六年)
若菜つみし香にそむわが手さしのべぬ空にあぎとひ吾子はすこやか 皇太子妃殿下お歌

 【あぎとひ】〔四段〕
②小児などが片言でものを言う。
③小児が声を立てて笑う。   『岩波古語辞典』

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s36.html

(昭和三十七年)
安房の崎にわが立ち見れば伊豆の島つちは相呼ぶ海原のうへ 土屋文明
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s37.html

(昭和三十八年)
那須の山そびえてみゆる草原にいろとりどりの野の花はさく 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s38.html

(昭和三十九年)
汚れなき白紙のごとくわれはあらむ罪を問はるる人さばく日に 深見多喜三郎

捕虜となりて紙すくすべををそはりしシャムの泉の水清かりし 永井與左衛門
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s39.html

(昭和四十年)
吹上と赤坂の空を飛びかひしおほづるの姿いまも目にみゆ 皇后陛下御歌

この丘に草萌ゆるとき近みかも土のほぐれにきぎすいこへる 皇太子妃殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s40.html

(昭和四十一年)
日日のこのわがゆく道を正さむとかくれたる人の声をもとむる 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s41.html

(昭和四十二年)
ふるさとの讃岐の海の巌(いは)かげに魚つり呆(ほ)けし少年の日よ 南原繁

深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり 堀口大学
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s42.html

(昭和四十三年)
思ひ出はよみがへりくる名月に映えわたりたるティグリスの川 崇仁親王殿下お歌

たゆたひて藻の浮くさまも澄みてみゆ尾瀬の小川の浅き水底 崇仁親王妃百合子殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s43.html

(昭和四十四年)
埋め立てて遠くなりたる海苔場より帰る舟見ゆ星の明りに 森田正治

暁にかがやく星を朝刊星とよびて吾が子は新聞くばる 鈴木直二
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s44.html

(昭和四十五年)
朝なあさな色とりどりのばらの花きりてささぐるみつくゑの上に 皇后陛下御歌

慰霊の日の摩文仁(まぶに)の丘の岩陰にさびさびとして昼顔の咲く 國吉有慶
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s45.html

(昭和四十六年)
鴨川の堤のほとりなつかしもをさなきころにすみしかの家 皇后陛下御歌

家に待つ吾子みたりありて粉雪降るふるさとの国に帰りきたりぬ
 皇太子妃殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s46.html

(昭和四十七年)
岩木嶺の雪解を待ちて百はなのひとときににほふ津軽野を恋ふ 正仁親王妃華子殿下お歌

夜勤終へてもどる野道の星明り初雪降りし伊吹山見ゆ 對月慧見
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s47.html

(昭和四十八年)
つぶらなるまなここらして吾子は言ふしゅろの葉の柄にとげのありしと 皇太子殿下お歌

さ庭べに夏むらくさの香りたち星やはらかに子の目におちぬ 皇太子妃殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s48.html

(昭和四十九年)
神殿へすのこの上をすすみ行く年の始の空白み初む 皇太子殿下お歌

浄闇に遷り給ひてやすらけく明けそむるらむ朝としのびぬ 皇太子妃殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s49.html

※ 第六十回式年遷宮(昭和四十八年)

(昭和五十年)
我が庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々 御製

星かげのかがやく空の朝まだき君はいでます歳旦祭に 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s50.html

(昭和五十一年)
みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平らけき世に思ふ命たふとし 皇太子殿下お歌

いたみつつなほ優しくも人ら住むゆうな咲く島の坂のぼりゆく 皇太子妃殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s51.html

(昭和五十二年)
苦しき時は海を見よとふ父の声潮鳴る浜に立てば思ほゆ 柴田澄江
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s52.html

(昭和五十三年)
母宮のひろひたまへるまてばしひ焼きていただけり秋のみそのに 御製

わがための写経を母さりげなく箪笥の奥に入れて給ひき 雍仁親王妃勢津子殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s53.html

(昭和五十四年)
春の潮けぶりて湾に満ちくるを睦月(むつき)の朝の丘に見おろす 岡野弘彦

炎天の国崎(くざき)の丘のひとところ神の贄(にへ)とし鰒(あはび)干されゐる 谷分道長
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s54.html

(昭和五十五年)
紅のしだれざくらの大池にかげをうつして春ゆたかなり 御製

四年にもはや近づきぬ今帰仁(なきじん)のあかき桜の花を見しより 皇太子殿下お歌

満開の桜の下の軍旗祭兄上いませり遠き遠き日 戸田正子

征く朝に母と仰ぎし山桜今もかがよふわがまなうらに 辻井倫夫

桜咲く頃に征きしと言ひしのみ耐え来し長き月日は言はず 林ケイ子

桜咲くこぬれにわれを抱き上げし出征の日の父のおもかげ 百瀬浩

髪切りて粟餅売りし彼の丘の桜咲きゐむ遠き撫順よ 坪井鈴子

桜咲く羅南の街をみんなみに征きしその日も遠くなりたり 両角保秀

馬産地のここより馬は征きにけり銅像の馬の背に桜散る 渡邊曻

父のなき吾を思ひて満開の桜見てゐき面接の前 是永豊春

盲ひゆくわれの眼(まなこ)にこの春の終りの桜おぼろに白し 碕山作一

山のべの桜は咲けり日もすがら代田(しろた)に余る水あふれつつ
 東長二
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s55.html

(昭和五十六年)
はろばろと海わたり来し鶴群(たづむら)の地(つち)に降りむと鳴く音(ね)やさしき 岡野弘彦
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s56.html

(昭和五十七年)
車窓よりはるけく望む奥浜名湖東名の橋清(さや)かに浮かぶ 皇太子殿下お歌

花栗の瀬戸にかかりし橋望み潮乗りこえし舟人偲ぶ
 徳仁親王殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s57.html

(昭和五十八年)
凪ぎわたる朝明の海のかなたにはほのぼのかすむ伊豆の大島 御製

島人のたつき支へし黄八丈の染めの草木をけふ見つるかな 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s58.html

(昭和五十九年)
宇宙はるか撮りし地球にさみどりの淡き弧なして列島浮ぶ 寺中道子 
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s59.html

(昭和六十年)
遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s60.html

(昭和六十一年)
さしのべて手にうくる水のつめたきに心やすらふ泉のほとり 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s61.html

(昭和六十二年)
わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s62.html

(昭和六十三年)
お木曳(きひき)の車の音色高らかに響きわたりぬ初夏の伊勢路に 徳仁親王殿下お歌

夏去りし碓氷の山路の九十九折(つづらをり)わが御する車峠に向ふ 文仁親王殿下お歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s63.html

(平成二年昭和天皇を偲ぶ歌会御製御歌及び詠進歌)
空晴れてふりさけみれば那須岳はさやけくそびゆ髙原のうへ 昭和天皇御製

父君を見舞ひて出づる晴れし日の宮居の道にもみぢばは照る 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h02.pdf

(平成三年)
いつの日か森とはなりて陵を守らむ木木かこの武蔵野に 皇后陛下御歌

昼たけて野鳥の森に鳴き交はす小鳥らの声我も歌はむ 文仁親王妃紀子殿下

角笛は森の木霊を誘へり木々さやさやと湖岸(うみぎし)に鳴る 清子内親王殿下

内宮の森のしづけさにしみとほりただ大君の馬車の行く音 憲仁親王妃久子殿下

ものなべて往きては還りまためぐる森のことはり知るや知らずや 梅原猛

時越えて鎮守の森はしづかなり木蔭に在りて聴く風の音
 清水美和子
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h03.pdf

(平成四年)
白樺の堅きつぼみのそよ風に揺るるを見つつ新年思ふ 御製

葉かげなる天蚕はふかく眠りゐて櫟(くぬぎ)のこずゑ風渡りゆく 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h04.pdf

(平成五年)
ひさびさに晴れし東京の空遠く富士の高嶺はくきやかにみゆ 正仁親王殿下

習志野の野営の夜空思ひ出づその地に近くいま獨り住む 田谷鋭
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h05.pdf

(平成六年)
君と見る波しづかなる琵琶の湖さやけき月は水面おし照る 皇太子妃殿下
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h06.pdf

(平成七年)
読みすすむ防人歌にあらはれて分きても親しふるさとびとは 田谷鋭
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h07.pdf

(平成八年)
山荒れし戦の後の年々に苗木植ゑこし人のしのばる 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h08.pdf

(平成九年)
たましひの満ちて姿の冴ゆるまで盆の踊りの夜ふけにけり 岡野弘彦
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h09.pdf

(平成十年)
ルワンダへ長くつらなる土の道あゆむ人らに幸多くあれ 皇太子妃殿下

寒椿あかきに逢へば花恋ひのこころ永劫(えごふ)に朝の道ゆく 安永蕗子
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h10.pdf

(平成十一年)
富士を背に青海原を泳ぎきり芋粥うまし三津の浜べに 崇仁親王殿下

大麦は愛のごとくに熟れながらボヘミアの野の青き起き伏し 岡井隆
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h11.pdf

(平成十二年)
大いなる世界の動き始まりぬ父君のあと継ぎし時しも 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h12.pdf

(平成十三年)
父母の愛でましし花思ひつつ我妹と那須の草原を行く  御製

見ゆるものみなうつくしき春の夜や月下の湖(うみ)にそよぐ水草 安永蕗子
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h13.pdf

(平成十四年)
光返(かへ)すもの悉(ことごと)くひかりつつ早春の日こそ輝かしけれ 皇后陛下御歌

春の日のあまねく照らす那須の野にはるりんだうは青ふかく咲く 正仁親王殿下
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h14.pdf

(平成十五年)
坂のある町が好きだと言ふ君の声柔らかく耳に響けり 関弘子

自らも発光しつつ煌ける街を照らして満月昇る 久保田幸子
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h15.pdf

(平成十六年)
宿題の『幸福論』にとり組みし夏の記憶は青葉のにほひ 久保田幸枝

人みなのおのが幸さち詠みいでしうた選びをへ年あらたまる 岡野弘彦
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h16.pdf

(平成十七年)
戦(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づかの難(かた)き日を生きし人々 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h17.pdf

(平成十八年)
やはらかき春の日差しに笑まふなる小さき草の花見むと思へや 森岡貞香

お母さんすぐおこるけどすぐ笑ふでもまたおこるそのくり返し 川阪友未
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h18.pdf

(平成十九年)
務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり 御製

年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて
 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h19.pdf

(平成二十年)
炬火台に火は燃え盛り彼方なる林は秋の色を帯び初む 御製

日本の火が見えるぞと甲板(デッキ)より伝声あれば皆立ち上がる 陶山弘一
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h20.pdf

(平成二十一年)
生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ 皇后陛下御歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h21.pdf

(平成二十二年)
父君に夜露の中をみ供してみ園生を行けば蛍光りぬ 正仁親王殿下

焼きつくす光の記憶の消ゆる日のあれよとおもひあるなと思ふ 久保田幸枝
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h22.pdf

(平成二十三年)
紅葉(もみぢ)する深山(みやま)に入りてたたずめば木々の葉ゆらす風の音(と)聞こゆ 皇太子殿下
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h23.pdf

(平成二十四年)
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる 御製

人々の想ひ託されし遷宮の大木岸にたどり着きけり 眞子内親王殿下
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h24.pdf

(平成二十五年)
伊勢の宮み代のさかえと立たすなり岩根(いはね)にとどく心(しん)のみ柱 岡野弘彦

安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む 金澤憲仁
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h25.pdf

(平成二十六年)
悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり 皇太子妃殿下
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h26.pdf

(平成二十七年)
夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h27.pdf

(平成二十八年)
戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ 御製
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h28.pdf


【平成二十九年 歌会始の詠進要領】
http://www.kunaicho.go.jp/event/eishin.html
“① 平成29年歌会始のお題は、「野」と定められました。
 お題は「野」ですが、歌に詠む場合は「野」の文字が詠み込まれていればよく、「野火(のび)」,「視野(しや)」のような熟語にしても差し支えありません。
② 消印が9月30日までのものを有効とします。”

※ 私も今回詠進させていただきたいと思ふので、落撰が確定した時点でここに自作を発表する(笑)。











【堀河院百首和歌】
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0020-42601&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%A0%80%E6%B2%B3%E9%99%A2%E7%99%BE%E9%A6%96%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=5

http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0020-42601&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%A0%80%E6%B2%B3%E9%99%A2%E7%99%BE%E9%A6%96%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=9

よし山積もれる雪の消ゆくはまたふるとしに春や立つ覧



【堀河院百首和歌 お題「野」】
霜枯れの野原の浅茅(あさぢ)結び置かん又帰り来ん道のしるべに  公実

すがる臥(ふす)野中の草や深からん行かふ人の笠の見えぬは  匡房
  ※ すがる → 鹿の異称

浜風の吹上の小野の浅茅原浪よるからに玉ぞ散りける  国信

秋の野を心のまゝに分けゆけばおのが色々咲ける花かな  師頼

梓弓入野の草の深ければ朝行く人の袖ぞ露けき  顕季

宮城野の千々(ちゞ)の草葉を結び置(おき)て花見ん程は絶ず通はん  顕仲

月清みあけのの原の夕露にさゝめ分(わけ)来る衣さぬれぬ  仲実

さまざまに心ぞとまる宮木野の花の色々虫の声々  俊頼

見わたせば嵯峨も枯野と成にけり今や小倉に紅葉散る覧  師時

旅人のゆくほど遠き武蔵野は草さへ深く成にける哉  顕仲

昔見し道尋ぬれどなかりけりぬるでまじりの猪名(ゐな)の伏原  基俊

宮城野の秋の萩原分(わけ)ゆけば上(うは)葉の露に袖ぞ濡れぬる  永縁

ともかくも人に磐手(いはで)の野辺に来て千種(ちくさ)の花をひとり見る哉  隆源

わが背子がかりにのみ来る粟津野に鶉鳴く也(なり)草隠(がく)れつゝ  肥後

身にしみて思ほゆる哉霜枯れの野道は更に行(ゆき)もやられず  紀伊

いにしへの布留野の道を尋(たづね)来て清水を猶もむすびつる哉  河内

※ 観念のみで作る歌は良くない気がするので、やはり日光へ吟行することにした。田母沢御用邸記念公園と日光植物園へは必ず行くが、そのほかは現地で適当に決める。

(2016.9.15 追記)
 雨が多かったり、完全に休みの日が少なかったりして、まだ日光へ行けてゐない。ぎりぎりまで粘るつもりであるが、行けなかったら仕方ない。平成三十年は陛下が皇太子殿下に譲位されて新元号元年となる可能性があるので、その時には必ずお祝ひの歌を詠進させていただく(笑)。
 今回の「野」といふお題が今年の一月に発表されたとき、私は「Field」といふ明るいイメージの英語訳が浮かんだが、Arthur Waley の万葉歌の英訳を見ると、それは「Moor」となってをり、「野」はかなり影を帯びたイメージの言葉なのである。だから新年のお祝ひとしては作歌するのが少し難しいお題でもある。だがまだ日にちは残ってをり、新しい習字道具も揃へたことでもあり、最善を尽くす。

【Field】n

(a)野,原,野原,原野《⇒CAMPESTRAL a》
ride through forests and fields.
(b)《海・水・空などの》一面の広がり
a field of sea 海原 ⇒ICE FIELD.
(c) 《都市周辺の》原っぱ.
(d )《生垣・溝・土手などで区画した》畑,田畑,圃場(ほじょう),牧草地,草刈場
a field of wheat 小麦畑.
(e )《鉱物などの》産地

【Moor】n
《heather の生えた》荒れ地,荒野 《英国では 特に grouse の狩猟場》;
猟鳥獣保護区;
≪英では方≫ 湿原,湿地;
≪方≫ 泥炭 (peat).  『リーダーズ英和辞典第3版』







(2016.9.28 追記)
 此の度はお題「野」の作歌につき、各方面から多大なるご教示を賜り、誠に有り難う御座います。深く感謝いたします。ただ結論を先に申しますと、歌はできませんでした(笑)。締切りは過ぎますが、「野」の構想はいくつかあるので引き続き歌になるよう考へていきます。この稿を一旦閉ぢるにあたり、昭和四十二年の召人、南原繁の歌を何首か引いておきます。

アスファルトのまだ敷きのこる武蔵の黝(くろ)き土のうへ恋(こほ)しみてゆく (昭和十七年)

武蔵のかぐろき土に麦の青のびゆく春にあへらく思ほゆ (昭和十九年)

わが庭のひともと杏子(あんず)の花満ちて咲きたるゆふべわれ晴々し (昭和十一年)

受難曲ききてかへり来る夜の空のうつくしくして月傾(かたぶ)きぬ (昭和十二年)

生(しやう)ありて 子らと来てあそぶ 草原 春日うららかに 照りてゐるかも (昭和十六年)

美しきものはわが見て善きものは読みてぞ置かむ明日は死すとも (昭和二十年)

阿讃(あさん)の 山々は霞み 玉藻よし さぬきの平に 麦青く萌ゆ
『形相』, 『ふるさと』 南原繁








「長歌」 『教育基本法

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

 第一条(教育の目的) 
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 第二条(教育の方針) 
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

 第三条(教育の機会均等) 
〔1〕すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
〔2〕国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

 第四条(義務教育) 
〔1〕国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
〔2〕国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

 第五条(男女共学) 
男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

 第六条(学校教育) 
〔1〕法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
〔2〕法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。
 
 第七条(社会教育) 
〔1〕家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
〔2〕国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

 第八条(政治教育) 
〔1〕良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
〔2〕法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

 第九条(宗教教育) 
〔1〕宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
〔2〕国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 第十条(教育行政) 
〔1〕教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
〔2〕教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 第十一条(補則) 
この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

 附 則
この法律は、公布の日から、これを施行する


昭和22年3月31日法律第25号










(2016.10.11 追記)
『明治天皇』 ドナルド・キーン著 から

 “この時期(明治六年)、天皇の最大の楽しみは恐らく軍事演習への参加だった。明治六年四月二十九日、天皇は自ら近衛兵を率い、下総国(しもうさのくに)千葉郡大和田村に行幸した。その朝六時、天皇は騎馬で皇居を出発した。喇叭(ラッパ)が吹奏され、近衛四大隊が捧銃(ささげつつ)して敬礼した。天皇は剣を高く掲げ、行軍開始の合図をした。行軍は数回の小憩をはさんで七里二十八町余(約三十キロ)に及んだ。大和田村の広野に天幕を張り、天皇は将校、供奉官らと共に野営した。
 その夜は風雨が強く、天幕は今にも倒壊しそうだった。近衛都督(このえととく)陸軍元帥だった西郷隆盛が天皇の安否を気づかって幕舎に駆けつけると、天皇は泰然として、「ただ雨の漏るに困難す」と西郷に応えた。この有名な逸話は天皇と西郷の親密な間柄を示すものと解釈され、現代の学者も喜んでこれを認めている。天皇は悪天候に見舞われたにもかかわらず、大和田村が「曠野の演武」に適していると判断し、(兵を習す)新操練場の名にふさわしく、この地に「習志野原(ならしののはら)」の名を与えた。”





(2016.10.28 追記)
『歌集 形相』 南原繁、より一首。

御成婚 
(昭和十三年)十月二十二日三笠宮殿下高木百合子姫と御結婚。

けふよりは御二人(おんふたり)にしてひとつなるみいのち永久(とは)に幸(さきは)ひたまはむ





三笠宮崇仁親王殿下お歌

はるかなるふじにのみ見し白雪をけさはふみゆくまなびやへのみち (昭和二十四年)

武蔵野はいまだも広し人なくて林にかかる日の大いなる (昭和二十九年)

北雲は連峯の遠に止まりてテヘラン平野天すみわたる (昭和三十三年)

四方の海波いと高き島國にひたすら祈る世界平和を (昭和五十八年)

渋滞に進まぬ車列横に見てペダルは軽し高原の道 (昭和六十三年)











(2016.10.31 ~ 2016.11.5 追記)
‘The Lantern Bearers’ Rosemary Sutcliff
(邦題『ともしびをかかげて』 猪熊葉子 訳)


〔著者のことばから〕
“今日のイギリスの学校で教えられる歴史は、一昔まえにくらべれば、ずっとひらけて進んだものになりました。しかしいまだに歴史の教科書の大半は、一〇六六年十月十四日以降について念を入れて書くべきだという態度で書かれているように思われます。”


〔第4章から〕
 “ウラスフィヨルドのは、族長ハンファースの色をぬった家のそばにむらがっていた。一日のはじめに、荒野を越してさしてくる光も、一日のおわりに海から入江のほうへとさしてくる入り日の光も、シカの枝角(えだづの)でかざられたこの家の切妻(きりづま)を照らした。どの農家も、少しばかりの庭さきには、納屋やミツバチの巣箱、風にいためつけられたわずかなリンゴの木などがあった。
 家々のむこうに麦畑と牧場があり、さらにそのむこうは荒野だった。ブラニの家は、ほかの家とおなじように、長い納屋のような建物で、厚い草ぶき屋根をいただいているので、家はあたたかだった。草ぶき屋根は、春秋のはやてをふせぐために、アクイラの手首ほどもふとさのあるヒースをなってつくった綱でしめてあった。”

 “The settlement of Ullasfjord clustered about the painted Hall of Hunfirth the Chieftain, whose antler-crested gables caught the first light that slid over the moors at the day’s beginning, and the last sunlight up the firth from the open sea at the day’s end; each farmhouse in its own garth with its outbuildings and bee-skeps and few wind-torn apple trees. Beyond them was the cornland and the rough pasture, and beyond again was the wild. The farmstead of Bruni, like most of the rest, was a long, barnlike building, warm under deep turf thatch that was held down against the spring and autumn gales by ropes of twisted heather as thick as Aquila’s wrist.”

※ 猪熊氏は何故、“the cornland and the rough pasture” を、“麦畑と牧場”と訳したのであらうか?

【cornland】n トウモロコシ農地[生産好適地].

【pasture】n 牧草地,放牧地,牧場,牧野;牧草;放牧;

【rough】a 〈土地などが〉起伏に富む,荒れた (wild)

『リーダーズ英和辞典第3版』

※ “Beyond them was the cornland and the rough pasture, and beyond again was the wild.”

 それらのむこうは玉蜀黍の畑と荒れた牧草地であり、もっとむこうは未開の荒野であった。 (Sirota 81 訳)




〔第8章から〕
“月光がうすれ、急速に夜明けが近づいてきた。巻雲(けんうん)が、まだ姿をあらわさぬ太陽の光を受けて輝きはじめていた。頭上を一群の野生のカモが、雲でまだらの朝の空高く飛んでいった。”



〔From Chapter 16.〕
“But I shall not know where that place is,” Aquila said, suddenly saddened by the quickness with which things passed. Things, and people.




〔From Chapter 22.〕
  He looked up at the old damson tree, and saw the three stars of Orion’s belt tangled in the snowy branches. Someone, maybe Ness, had hung out a lantern in the colonnade, and in the starlight and the faint and far-most fringe of the lantern glow it was as though the damson tree had burst into blossom; fragile, triumphant blossom all along the boughs.




(2016.12.24 追記)
http://www.city.iida.lg.jp/namiki/about/info11.html
“今日の問題「リンゴの木」

 長野県の飯田市が、大火で市街の大半を焼失したのは、昭和22年のことだが、それから6年間かかって、やっとほぼ復旧した。
 復旧計画は、防火を主眼として、広い道路と、各所に設けられた消火用池が目立っている。それはいいとして、市街を縦貫する一番広い防火帯道路の中央に緑地帯が設けられ、そこにリンゴの木が植えられている。言いたいのはこのリンゴの木のことだ。
 リンゴの苗木を緑地帯に植えたのは、中学生たちである。植えるときには、これを笑う市民が多かった。街の真ん中にリンゴの木を植えたって、たちまちその実を盗みとられるに決まっているじゃないか、というわけである。
 この市民の冷笑に対して、中学生たちは別の立場を持っていた。街の真ん中にリンゴの熟した実が赤く輝いていて、誰もこっそり盗まないような、そんな美しい都市をつくりたい。そのためにこそ、リンゴの木を植えるのだ、というのが中学生の答えだった。
 苗木が植えられ、中学生たちが入れ替わり立ち替わり、水をやり肥料をやり、世話をし続けた。そうするうちに、やがて市民の中にも、折りにふれて世話をするものが現れるようになってきた。今ではリンゴの木はずっと大きくなっている。今年の春あたりは花をつけるかもしれない。
 ただそれだけの話である。別に理屈をこねたいわけではない。飯田の街を訪れ、リンゴの木を眺めていると、敗戦後の日本の、新しい国づくりのやり方について、いろいろと考えさせられたことであった。
(「朝日新聞」昭和29年1月28日号)”















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする