現代の浦島太郎・ジェンキンスさんが、故郷に帰り、母親に再会するのを心より喜ぼう

2005年06月13日 21時44分59秒 | 北朝鮮問題
曽我さん夫妻が佐渡出発、14日渡米 (読売新聞) - goo ニュース

 曽我ひとみさんと夫のジェンキンスさん、それに2人に娘さんの一家4人が、佐渡を出発してアメリカのジェンキンスさんの故郷に向けて旅立った。待ちに待ったこのときが、やってきたのである。40年ぶりに90歳を越える母親との感激的な面会が間もなく実現する。曽我ひとみさんも夫のジェンキンスさんも、日本での生活ぶりを示すように、豊満な体型になり、夫婦水入らず、2人の娘にも見守られて、いかにも幸福な生活を送っていることを証明している。 そう言えば、浦島太郎が助けた亀に連れられて行った龍宮城が、朝鮮半島であったか、中国の旧満州であったか、定かではないけれど、少なくとも龍宮城から帰り、玉手箱を開いた浦島太郎のようにジェンキンスさんの顔の皮膚にシワ、頭髪は白髪に変わっている。だが、何歳になっても息子はいつまでも息子である。われわれも、母子の再会を心より喜ぼう。              
ジェンキンスさんは、米ソ東西冷戦の犠牲者であり、曽我ひとみさんは、奇形の国・北朝鮮の歪んだ政策の犠牲者である。
 ベトナム戦争では、ジェンキンスさんと同世代から日本で言うところの団塊の世代の米兵が、多数戦死した。平和憲法の下で育った日本の「戦争を知らない世代」と比較すると、国家意志により戦場に送られた数多くの若者たちの不幸は言語に絶する。折り重なった戦死者の遺体が、戦場の各地でまさに「ミンチ」状態となり、グチャグチォになっていたという。ベトナム戦争の激烈さを物語っている。
 「岸壁の母」ではないけれど、我が子を戦場に送った母親の心情は、洋の東西を超えて変わりはない。ジェンキンスさんの母親が、生きてわが息子と会える幸せは、長生きのお陰である。
 ジェンキンスさんは、アメリカのジャーナリストとの共著で、著書を発刊するという。共著者は、ジェンキンスさんの話を「火星の話を聞いているようだった」と感想を述べている。それほど、北朝鮮という国は、浮世馴れしているということのようである。およそ「人権」という言葉とは無縁の国である。
 自由と民主主義の国に育ったアメリカ人はもとより、日本人も北朝鮮の生活ぶりを正確に知ることはできないけれど、ジェンキンスさんの共著は、その実態の一角を垣間見るのに、大いに役立つ大変有意義な著書である。

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