◆私は、厚生省記者クラブ(厚生記者会)に所属していた昭和56年当時、広報室長(後に社会保険庁長官)に「菅直人という政治家はどういう人物か」と訊ねられたことがある。菅さんは、前年のダブル選挙で初当選していた。3回落選しても「ネバーギブアップ」、4度目の正直で、国政壇上に登った。そのころ厚生省では、薬事審議会が丸山ワクチンをガンに有効な特効薬として認可すべきか否かをめぐって審議していた。日本医科大学の丸山千里教授が発明したことから「丸山ワクチン」と呼ばれていた。しかし、東大医学部人脈が中心の審議会は、これを認可せず、いまだに治験薬として使用できるに止まっている。菅さんは、この「丸山ワクチン」に対する厚生省の姿勢を問題にしていたようである。この動きに厚生省は、警戒し神経を尖らせていたようである。私は、菅さんが選挙に携わった市川房枝参院議員の改選に当たり、選挙情勢の取材を担当し、東京・代々木の婦選会館に出入りして市川さんから話をよく聞いていたので、広報室長に知っている限りのことを解説した。
◆菅さんに対する警戒心が、現実化したのは、菅さんが厚生大臣として厚生省に乗り込んだときだった。薬害エイズ被害をめぐり、被害状況を集めたいわゆる「軍司ファイル」が厚生省の一室から発見されるが、菅さんがそのファイル提出を求めたのに対して、当時の多田宏次官が、厚生大臣がそこまで厚生省を敵視する菅さんに「水臭いではないか」と言って提出を拒否していた。多田次官は、内閣参事官として首相官邸に出向していたことがあり、温厚な厚生官僚てあり、親しくしてもらっていた関係で、私は、気の毒に感じていた。だが、被害者が現実に出ていた以上、菅さんの追及は、当然であった。これらの動きを整理して、私は「がんばれ菅直人」(同文書院刊)という本を出版してもらった。このころ菅さんをまるで秘書のように助けていたのが、菅さんがつくった「プロジェクトチーム」で中心に働いていた枝野幸男衆院議員だった。
◆菅さんは、小沢一郎さんが党首をしていた自由党と合併する際の民主党代表だった。このころ、総選挙に向けて、菅さんは、日本で初めてマニフェストを作成し、このなかに、菅さんが信条としている「最小不幸社会」という哲学を仕込んでいた。最大多数の最大幸福という言葉を弱者の側面から捉え直したような概念である。私は「日本改革」(KKベストセラーズ刊)という本を書き、このなかで詳しく紹介した。だが、かなりネガティブな響きのある言葉なので、あまり注目されなかった。それはともかくとして、小沢さんにとって、鳩山由紀夫さんと菅さんとは、恩人である。その意味で、小沢さんには、二人を総理大臣にする義務があった。それを菅政権誕生によって果たそうとしている。
◆菅さんは、自らの政権を樹立して、経済成長戦略を打ち出し、景気回復と雇用対策を大々的に推進する構えを示している。当然、基礎には「最小不幸社会」という哲学が据えられているはずである。菅さんの政治歴は、もともとが市民運動家なるが故に異色である。だが、その素顔や実績は、あまり知られていない。そこで、「『菅直人』という政治家」というタイトルで書籍にまとめて紹介しようと考えている。皆さん、いかがでしようか。
◆菅さんに対する警戒心が、現実化したのは、菅さんが厚生大臣として厚生省に乗り込んだときだった。薬害エイズ被害をめぐり、被害状況を集めたいわゆる「軍司ファイル」が厚生省の一室から発見されるが、菅さんがそのファイル提出を求めたのに対して、当時の多田宏次官が、厚生大臣がそこまで厚生省を敵視する菅さんに「水臭いではないか」と言って提出を拒否していた。多田次官は、内閣参事官として首相官邸に出向していたことがあり、温厚な厚生官僚てあり、親しくしてもらっていた関係で、私は、気の毒に感じていた。だが、被害者が現実に出ていた以上、菅さんの追及は、当然であった。これらの動きを整理して、私は「がんばれ菅直人」(同文書院刊)という本を出版してもらった。このころ菅さんをまるで秘書のように助けていたのが、菅さんがつくった「プロジェクトチーム」で中心に働いていた枝野幸男衆院議員だった。
◆菅さんは、小沢一郎さんが党首をしていた自由党と合併する際の民主党代表だった。このころ、総選挙に向けて、菅さんは、日本で初めてマニフェストを作成し、このなかに、菅さんが信条としている「最小不幸社会」という哲学を仕込んでいた。最大多数の最大幸福という言葉を弱者の側面から捉え直したような概念である。私は「日本改革」(KKベストセラーズ刊)という本を書き、このなかで詳しく紹介した。だが、かなりネガティブな響きのある言葉なので、あまり注目されなかった。それはともかくとして、小沢さんにとって、鳩山由紀夫さんと菅さんとは、恩人である。その意味で、小沢さんには、二人を総理大臣にする義務があった。それを菅政権誕生によって果たそうとしている。
◆菅さんは、自らの政権を樹立して、経済成長戦略を打ち出し、景気回復と雇用対策を大々的に推進する構えを示している。当然、基礎には「最小不幸社会」という哲学が据えられているはずである。菅さんの政治歴は、もともとが市民運動家なるが故に異色である。だが、その素顔や実績は、あまり知られていない。そこで、「『菅直人』という政治家」というタイトルで書籍にまとめて紹介しようと考えている。皆さん、いかがでしようか。