◆このほど財団法人協和協会(半田晴久理事長、清原淳平専務理事兼事務局長)から講演の依頼があり、快諾した。日時は、6月30日(水)正午から2時半まで、会場は衆議院第一議員会館別棟一階第一会議室、講題は、「民主党政変 政界大再編」で、拙著最新刊(ごま書房新社刊)の題名と同じである。
◆財団法人協和協会は、岸信介元総理大臣が昭和49年に設立した大変由緒ある財団法人(総理府所管=現在、総務省所管)である。設立の趣旨は「各界の志ある指導者・経験者が、党派・利害・打算を超えて、真に国家的見地から、我が国立国の基礎をなす諸課題を検討して、世の中に貢献しよう」というもの。第二代会長は、福田赳夫元総理大臣、第三代会長は、桜内義雄元衆議院議長、第四代会長は、塩川正十郎元財務大臣。その後、江口一雄元衆議院議員が会長代行を務めている。
◆設立趣旨から日露戦争で有名な乃木希典陸軍大将が最晩年に残した「素行会」が思い浮かぶ。日本の将来を案じて、当時の指導層から華族、軍人、高級官僚、学者ら約300人をメンバーに選び、道を誤ることのないよう秘密裏に備えていた。素行とは、江戸時代に兵学者・古学者で知られた山鹿素行の名前である。孫子の兵法などを教えた。長州明倫館の軍学教授となった吉田松陰の軍学も山鹿素行の教えを基本にしていた。長州藩の支藩である長府藩の藩士であった乃木大将も、山鹿素行を尊敬していたのである。しかし、大日本帝国は大東亜戦争に敗北し、滅亡したので、「素行会」が十分に機能したとは言いがたい結末となった。乃木大将の思いは、結果的には裏切られたとも言える。
◆岸信介元総理大臣の家系も、長州藩士である。国を思う気概において、乃木大将と相通ずるものを強く感じる。その精神は、岸信介元総理大臣の書「以国家興亡為己任 置個人生死於度外」(国家の興亡を以って己の任と為し個人の生死を度外に置く)に表わされており、財団法人協和協会の基本精神として今日まで連綿として継がれ、かつ戦後64年を経て、日本の真の独立が求められているなかで、ますます強い光を放っている。残念なのは、政治家、財界人、高級官僚などの指導層に「国士」がほとんど見当たらなくなっていることである。それだけに日本の前途を再び誤らせないためにも、財団法人協和協会の果たす使命と役割は、極めて大きい。
◆財団法人協和協会は、岸信介元総理大臣が昭和49年に設立した大変由緒ある財団法人(総理府所管=現在、総務省所管)である。設立の趣旨は「各界の志ある指導者・経験者が、党派・利害・打算を超えて、真に国家的見地から、我が国立国の基礎をなす諸課題を検討して、世の中に貢献しよう」というもの。第二代会長は、福田赳夫元総理大臣、第三代会長は、桜内義雄元衆議院議長、第四代会長は、塩川正十郎元財務大臣。その後、江口一雄元衆議院議員が会長代行を務めている。
◆設立趣旨から日露戦争で有名な乃木希典陸軍大将が最晩年に残した「素行会」が思い浮かぶ。日本の将来を案じて、当時の指導層から華族、軍人、高級官僚、学者ら約300人をメンバーに選び、道を誤ることのないよう秘密裏に備えていた。素行とは、江戸時代に兵学者・古学者で知られた山鹿素行の名前である。孫子の兵法などを教えた。長州明倫館の軍学教授となった吉田松陰の軍学も山鹿素行の教えを基本にしていた。長州藩の支藩である長府藩の藩士であった乃木大将も、山鹿素行を尊敬していたのである。しかし、大日本帝国は大東亜戦争に敗北し、滅亡したので、「素行会」が十分に機能したとは言いがたい結末となった。乃木大将の思いは、結果的には裏切られたとも言える。
◆岸信介元総理大臣の家系も、長州藩士である。国を思う気概において、乃木大将と相通ずるものを強く感じる。その精神は、岸信介元総理大臣の書「以国家興亡為己任 置個人生死於度外」(国家の興亡を以って己の任と為し個人の生死を度外に置く)に表わされており、財団法人協和協会の基本精神として今日まで連綿として継がれ、かつ戦後64年を経て、日本の真の独立が求められているなかで、ますます強い光を放っている。残念なのは、政治家、財界人、高級官僚などの指導層に「国士」がほとんど見当たらなくなっていることである。それだけに日本の前途を再び誤らせないためにも、財団法人協和協会の果たす使命と役割は、極めて大きい。