鳩山前首相は、「先楽後憂」の凡相で「間」を使えずに終わり、菅首相は「イラ菅」のまま終わるのか?

2010年06月12日 17時37分10秒 | 政治
◆読売新聞の6月12日付け朝刊4面「政治面」に、「鳩山前首相『国民新党は立派』という囲み記事が掲載されている。鳩山前首相がBS朝日の番組収録で漏らした恨み節である。社民党が沖縄普天間飛行場の移設問題で連立政権を離脱し、これが鳩山政権崩壊の引き金になったと思い込んでいる。社民党の福島瑞穂代表への怨念は、相当深そうである。菅直人首相は、この問題には冷淡で、仙谷由人官房長官に至っては、読売新聞の2面「総合面
の「主要閣僚に聞く」というインタビュー記事のなかで、「21世紀の東アジアの平和と繁栄という観点や、沖縄の地政的な地位と日米同盟の重要性を踏まえた上で、沖縄の方々にどこまで犠牲的な環境を甘受していただけるのか(ということだ)」と酷いことを言っている。戦後65年も我慢を強いられてきた沖縄県民には、もはや「甘受」ということはあり得ないのに、呑気なことを言っている。ことほど左様に、実態的には、政府から切り捨てられ、見捨てられていくことが確実になっている。鳩山前首相のように「一歩出す勇気」を持った首相は、もう二度と現れないだろう。鳩山前首相を「うそつき」呼ばわりして、政権から追放した損失は計り知れない。沖縄県民の苦難は、おそらく半世紀は続くことになる。
◆しかし、鳩山前首相が、国家最高指導者として期待外れであったのは、紛れもない事実である。いまごろ改めて言っても詮方ないことではあるけれど、為政者は、「先憂後楽」の姿勢が不可欠である。東京・小石川の徳川光圀公(水戸黄門)ゆかりの旧水戸藩邸の日本庭園にある咸徳亭内には「先憂後楽」としたためられた書が掛けられている。それ故にこの日本庭園は後楽園と名づけられている。君子たる為政者は、民に先んじて世の中を憂い、民が平和と繁栄を楽しむことができるようになった後に楽しむという意味である。ところが、鳩山前首相夫妻は、就任早々からパーティや観劇の後、記者団から感想を聞かれて、「楽しかったです」と答え、まさに「先楽」を当然のように味わっていた。そのツケを「8ヶ月天下」という短命政権によって支払わされたとも言える。
◆ところで、私は鳩山政権誕生前の平成21年7月25日付で、「友愛革命」(共栄書房)と題する本を出していた。この第6章のなかで、「総理大臣とは『器ならず』」という孔子の言葉を解説した。一国の宰相は、「器」というのではなく、「器をよく使う君子」でなければならないという意味である。また、中国史における幕賓中の幕賓といわれた李克(魏の文侯の幕賓)が教えた「宰相に求められる5つの条件」について記した。人物を洞察する5つの観点である。幕賓とは、「客分」「食客」「顧問」「社外重役」、つまりは、パーソナル・アドバイザーのことである。文侯は、幕賓を数多く抱え、幾多のピンチに遭遇するその「ここぞ」という時に、いつもはゴロゴロしている幕賓たちに救われている。私はこの本を数十冊、鳩山由紀夫事務所に謹呈したが、果たして読まれたかどうかは、不明であった。
◆もう一つ重要なことで、鳩山前首相は大きなミスをしていた。それは孫子の説く「間は国の宝、千金を惜しむな」という教えである。「間」とは、間者、いうなればスパイのことである。「間」には、「5間(郷間、内間、反間、死間、生間)」があり、鳩山前首相は、これらを思う存分、駆使する術を知らず、本物の情報収集を怠ったのである。それは、普天間飛行場の移設先問題ではっきり表れた。側近の牧野聖修衆院議員(静岡1区)が持ち込んだ「徳之島住民が米海兵隊の訓練地の受け入れを望んでいる」というウソ情報をすっかり信じてしまったのである。鳩山前首相は自ら現地入りして調べないまでも、鹿児島県や沖縄県の地元伽記者や放送記者を密かに招いて、「民情」についてよく聞くべであった。「官房機密費」は、「間」をよく使うべきであり、千金を惜しんではならないのである。このことは、菅直人首相にも当て嵌まる。鳩山前首相は、「先楽後憂」の凡相で終わり、再びイラつき始めているという菅首相は「イラ菅」のまま奇人相で終わるのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする