鉄道写真とコンパクトデジタルカメラ・一眼レフデジカメ・ミラーレス一眼の「勝手に鉄道写真館」

主にコンパクトデジカメ(コンデジ)でデジカメ鉄道写真研究家の板井岳太が撮影(一眼も使用)した鉄道写真等を掲載しています。

九条山駅

2006年03月26日 08時54分24秒 | 京津・石坂線

撮影日:1997/08/27
撮影場所:80形車内 ※地図を表示

昭和11年に設置された駅でした。開業当時は「天文台下」という駅名でした。その天文台はさらに車で数分登って行った所にあります。



撮影日:1997/08/29
撮影場所:80形車内 ※地図を表示

三条-御陵間で唯一の高床ホームで、準急も停車できるホームでしたが、準急は停車しませんでした。



撮影日:1997/09/10
撮影場所:九条山駅 ※地図を表示

1997年の京都市営地下鉄東西線の開業により廃止になりました。なお、この駅に対応する地下鉄の駅はなく、バスの本数も大幅に減少し、このあたりは交通の便がかなり悪くなってしまいました。

蹴上駅

2006年03月25日 00時16分23秒 | 京津・石坂線

撮影日:1997/09/29
撮影場所:蹴上駅 ※地図を表示

大正元年に設置された駅でした。1997年の京都市営地下鉄東西線の開業により廃止になりました。なお、この駅に対応する地下鉄の駅は「蹴上」です。



撮影日:1997/08/29
撮影場所:80形車内 ※地図を表示

この駅から大津側は専用軌道で山登りとなっていました。

東山三条駅

2006年03月21日 20時19分52秒 | 京津・石坂線

撮影日:1997/08/02
撮影場所:東山三条駅 ※地図を表示

この駅が開設されたのが大正元年ということですから、京津線開業時からある駅(当時は「古川町」という駅名)ということになります。ただし、この頃は「京津電気軌道」という鉄道で、この駅から蹴上付近までは現在の三条通よりも北側を走っていました。



撮影日:1997/08/27
撮影場所:80形車内 ※地図を表示

1997年の京都市営地下鉄東西線の開業により廃止になりました。なお、この駅に対応する地下鉄の駅は「東山」です。



撮影日:1997/08/29
撮影場所:80形車内 ※地図を表示

この駅は三条から歩いて10分もかからず、昼間は15分間隔での運転でしたが、京津三条-東山三条間で乗車する乗客も結構いました。

京津三条駅

2006年03月21日 15時19分27秒 | 京津・石坂線

撮影日:1997/10/13
撮影場所:旧京津三条駅 ※地図を表示

大正12年に開設された駅でした。開設当時は「三条大橋」という駅名でした。その後、京阪三条駅と統合され「三条」に改称されました。そして京阪本線が地下化されてからは、「京津三条」に改称されました。



撮影日:1997/10/13
撮影場所:旧京津三条駅 ※地図を表示

1997年の京都市営地下鉄東西線の開業により廃止になりました。なお、この駅に対応する地下鉄の駅は「三条京阪」で、この辺りのバス停と同じ名称になりました。



撮影日:1997/10/13
撮影場所:旧京津三条駅 ※地図を表示

廃止後しばらくの間、80形1編成が留置されたままになっていました。



撮影日:1997/08/27
撮影場所:京津三条駅 ※地図を表示

写真は京阪本線地下化後にできた改札口です。



撮影日:1997/08/27
撮影場所:京津三条駅 ※地図を表示

京阪本線地下化以前は、本線と京津線の乗換えは平面で移動できました。急行で三条に到着した場合は、隣のホームに両側の扉が開いている特急が停まっていて、特急車内を通るのが近道でした。しかも、そのホームの中間付近には踏切と階段があり、列車が停まっていないときには、そこを通ることができました。

男山ケーブル

2006年03月19日 15時05分04秒 | 京阪

撮影日:1997/12/25
撮影場所:八幡市駅 ※地図を表示

八幡市と男山山上の間(0.4km)を結ぶケーブルカーです。男山山上には石清水八幡宮があり、初詣の時期にはケーブルカーも大変混雑しますが、それ以外の時期は閑散としています。ちなみに、ケーブルカーに乗っても男山山上から石清水八幡宮までは、かなり歩かなければならないので、地元の人はケーブルカーに乗らずに歩いて登ります。

京阪9000系

2006年03月19日 14時23分23秒 | 京阪

撮影日:1997/08/02
撮影場所:出町柳駅 ※地図を表示

1997年3月のダイヤ改正時に登場しました。外観はブルーのラインが入っていること以外は、7200系と全く同じです。しかし、客室は7200系とは異なりセミクロスシートになっています。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:樟葉駅 ※地図を表示

平日の朝のラッシュ時の特急用として登場しましたが、現在は昼間でも特急の3本に1本は9000系になっています。



撮影日:1997/12/25

登場時には7200系と同等の車内案内表示器が設置されていましたが、これも7200系と同様に文字表示以外の部分は撤去されつつあります。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

8両編成のうち4両がロングシート化された編成もあります。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

9000系はかなり中途半端で、昼間の特急としてはグレードが低く、ラッシュ時の特急としては収容人員が少ないです。

京阪8000系

2006年03月18日 23時25分09秒 | 京阪

撮影日:1997/09/26
撮影場所:出町柳駅 ※地図を表示

平成元年の鴨東線(三条~出町柳)の開通にあわせて誕生した特急用車両です。現在、京阪電鉄の所有している特急用塗装の特急車両は1編成を除いて全て8000系になっています。

カード式電話と京阪特急名物のテレビカーがあります。そのテレビも平成4年からは衛星放送も受信可能となりました。さらに、1997年からはダブルデッカー車(2階建車両)も連結されるようになりました。料金不要の特急としては最高の設備を誇っているといえます。



撮影日:1997/11/16
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

登場時は7両編成でしたが、ダブルデッカー車の連結により全て8両編成になりました。現在では、特急は全て8両編成となっています。

以前は希に臨時の急行や普通などとして運転されることがありましたが、9000系が登場してからは朝ラッシュ時の定期列車の普通や準急・急行にも使用されています。



撮影日:1997/11/16
撮影場所:八幡市-淀 ※地図を表示

写真はダブルデッカー車連結する前の編成です。



撮影日:1997/11/16
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

特別料金不要の転換クロスシート列車は他にもありますが、この8000系のように車端部のシートも転換できるものは無いと思います。ただし、8000系でもダブルデッカー車は転換しないシートがあります。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

8000系や3000系はダブルデッカー車が連結されていますが、京阪は景色の良い場所を走りませんので、わざわざダブルデッカー車に乗る意味はあまりありません。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

最近の特急の停車駅増加・9000系の特急運用の機会の増加・9000系の一部ロングシート化という状況を考えると、今後2扉転換クロスシート車が登場することは考えにくいです。

京阪7200系

2006年03月18日 00時30分54秒 | 京阪

撮影日:1997/12/25
撮影場所:八幡市駅 ※地図を表示

1995年に登場したVVVF制御の通勤型車両です。7000系とは正面のイメージも内装もかなり異なっています。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

側窓は、スイッチで開閉できるパワーウインドゥになっています。

出入り口上部には、現在の走行区間や停車駅を路線図上に点灯したり、列車種別や次の停車駅等各種の情報を蛍光表示管で文字表示する車内案内表示器を備えていました。しかし、現在は走行区間や停車駅の路線図上への表示は廃止されています。乗換え表示している他社線が変更になるたびに、パネルを作りかえるわけにはいかず、シールで対応していたのが対応しきれなくなったためだと思われます。

車内の色彩構成は、シートがブルーグリーンとパープルブルー、床は赤みかげの石目調になっていました。しかし、現在のシートはダークブルー単色に変更されています。登場時のシートは色がハゲて白っぽくなっているのが目立つため変更したものと思われます。いずれにしても、他の従来の車両とイメージがかなり異なります。



撮影日:1996/01/29
撮影場所:樟葉駅 ※地図を表示

登場時は8両編成でしたが、その後7両編成のものが増備されました。また1998年秋頃の大阪-宇治間直通列車「宇治快速」運転時には、5両編成で運転されていたこともありました。

京阪7000系

2006年03月12日 00時30分36秒 | 京阪

撮影日:1998/05/04
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

平成元年に登場した、VVVF制御車です。VVVF制御であることと前面のイメージ以外は、6000系とあまり大きな違いがありません。登場時は4両編成と6両編成がありました。そのため、4両編成のものは宇治線でも見ることができました。現在は全て7両編成になっています。



撮影日:1991/12/24
撮影場所:関目駅 ※地図を表示

7000系のうちの1編成の京都寄りの先頭から3両は、6000系VVVF先行試験車両であったため、6000系と全く同じ形をしています。

なお、この写真は橋桁に車が衝突して大阪方面の各停線が運休になったときに、取り残されたときのものです。ちなみに、この7000系の前には5000系が止まっていました。このとき、京都方面と大阪方面の急行線は運行可能であったため、淀屋橋行きの普通は守口から京橋までノンストップで運転されていました。

京阪6000系

2006年03月11日 00時45分15秒 | 京阪

撮影日:1997/11/16
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

昭和58年に登場したアルミカーです。600V/1500V複電圧対応車両として製造されました。従来の京阪電車の車両のイメージを変える左右対称の大きな2枚窓と曲面ガラスのマスクが特徴です。



撮影日:1997/08/02
撮影場所:出町柳駅 ※地図を表示

登場時は4両編成オール電動車でしたが、その後付随車を中間に3両入れて7両編成になりました。現在は全てが8両編成になっています。7両から8両になるにあたって増結された中間車は7000系と同じものだったので、その車両だけ他の車両と少し異なっています。

4両編成時代には、宇治線でも見かけることができました。今では、昼間の枚方市~出町柳間の急行廃止に伴い、昼間は枚方市~淀屋橋間でしか運行されていません。

朝ラッシュ時のK特急や特急で使われることがあるため、女性専用車両の表示も付いています。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

以前は1編成(7両編成)だけVVVF制御を採用したものがありました。ただし、1編成の電動車全て(4両)がVVVF制御を採用していたのではなく、その半分(2両)だけに採用されていました。しかし現在、そのVVVF制御を採用していた半分は7000系に改番され、残った半分には7000系と同じ形をした新造車両(VVVFではなく、型番も6000系になっている)が連結されていますので、VVVF制御を採用している6000系はなくなってしまいました。



撮影日:1989/12/17
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

鶴見緑地で花博(EXPO'90「国際花と緑の博覧会」)が開催されていたころ、1編成だけ特別な塗装が施されました(「みず号」)。

京阪5000系

2006年03月05日 21時26分51秒 | 京阪

撮影日:1997/12/25
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

昭和45年に登場したアルミカーです。この頃はまだアルミの加工技術があまり良くなかったのか、曲面が少なく丸みのない車両で、他の形式とかなりイメージが異なります。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:樟葉駅 ※地図を表示

日本初の5扉車ということになります。ただ5扉で運行されるのは朝のラッシュ時だけで、それ以外の時間帯は3扉で運転されます。5000系は、ラッシュ時の停車時分短縮の決め手として登場したのですが、この形式以降5扉車は登場していないことを考えると、あまり効果がなかったと考えられます。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

1998年頃からリフレッシュ工事が施され、天井や壁面、シート等の配色がその当時の7200系や9000系に準じたものになりました。また、制御装置やブレーキ装置も一新されました。なお、車内案内表示装置はその当時の7200系や9000系のものと違っていて、電光表示の文字が少し大きくなっています。現在、全て7両編成で運転されています。

京阪3000系

2006年03月05日 10時26分49秒 | 京阪

撮影日:1997/12/25
撮影場所:八幡市駅 ※地図を表示

昭和47年に登場した特急専用車両です。登場時、基本的には6両または7両編成で運転されていたのですが、3両と3両または3両と4両に分割可能であったので、先頭車両は電気連結器を備えていました。8000系の登場と前後して、6両編成の3000系には8000系の付随車を1両連結して7両編成にして運転していました。その後、カード式電話を備え、電気連結器を廃止して7両固定編成になった3000系も登場しました。

しかし、8000系の増備とともに徐々に姿を消し、現在は1編成しか残っていません。この1編成は改造が施され、ダブルデッカー車が連結されています。現在は8000系と同じ編成構成になっています。

写真は7両のダブルデッカー連結時のものです。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

現在はダブルデッカー付編成に一般車両を一両増結して8両編成になっています。これにより8000系も含めて特急用車両は全て8両編成になり、8両編成の正面に表示されていた「8」のマークが特急用車両には表示されなくなりました。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

3000系のダブルデッカー車の座席配置やシートの転換が8000系のものと異なります。



撮影日:1996/03/21
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

写真はダブルデッカー連結7両編成時のものです。

現在は8両編成となったため、車両運用上は8000系と区別がありません。そのため、朝のラッシュ時や深夜は普通や急行でも使用されことがあります。特急以外での運用時は、京阪特急のシンボルである正面の鳩マークの部分には、種別と行き先が表示されます。しかし、3000系が特急以外に使用される確率はかなり低いので、正面に種別と行き先が表示されている姿を目撃することはめったにありません。回送の表示であれば結構見かけることがあります。

ちなみにこの写真を撮影した場所には、現在では高速道路が上部を交差していて、このような構成の写真は撮影できなくなっています。



撮影日:1990/03/30
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

写真はダブルデッカー連結前のもので、7両固定編成になったときのものです。まだこのときは、3両目と4両目の間には運転席が残っていましたが、その一部の機器は撤去され、カード式電話ボックスになっていました。

この後のダブルデッカー連結編成では、テレビカーの位置を8000系に合わせたため、7両編成に2両あったテレビカーが1両に減りました。

この頃8000系が増備されていましたが、不必要になった3000系はほとんどが廃車になりました。一部の車両(ほとんどが先頭車両)は富山地方鉄道や大井川鉄道へと移っていきました。その写真も撮ってありますので、今後掲載していく予定です。

京阪2400系

2006年03月04日 23時49分07秒 | 京阪

撮影日:1998/05/04
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

2400系は昭和44年11月、関西初の冷房通勤車としてデビューしました。2400系の屋根上の冷房機器は、他の形式のものに比べると数が多く高さも高いので、良く目立ちます。その後、正面や内装に改造が加えられましたが、屋根上の冷房機器はそのままでした。



撮影日:1989/10/12
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

現在は、全て7両で運転されています。

京阪2200系

2006年03月04日 23時33分16秒 | 京阪

撮影日:1990/03/30
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

2200系は、淀屋橋延長による旅客増に対応して、昭和39年に登場しました。京阪で最初にスカートをはいた車両です。当初は冷房装置がありませんでしたが、1500V昇圧準備工事とともに取り付けられました。その後さらに改造が加えられ、正面に種別・行き先表示器が付けられましたが、内装はほとんど変わりませんでした。



撮影日:1990/03/30
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

昭和60年には京阪最初の8両編成も登場し、その後は8両または7両で運転されていました。しかし、昼間の急行廃止伴い結局は全て7両編成になってしまいました。

なお、鶴見緑地で花博(EXPO'90「国際花と緑の博覧会」)が開催されていたころ、1編成だけ特別な塗装が施されました。

京阪1900系

2006年03月04日 16時12分27秒 | 京阪

撮影日:1997/11/16
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

昭和38年に登場した車両です。登場した当時は特急専用車両で、2つ扉のクロスシートでした。3000系の登場により、3つ扉でロングシートの通勤車両に改造されました。この2つ扉から3つ扉への改造のとき、一部の車両では両開き扉が取り付けられました。そのために、車両中央の扉だけが両開き扉になっていものが存在します。さらにその後、改造が施され現在に至っています。現在、特急車両以外では、この形式以外に片開き扉の車両はありません。

1900系には、昭和38年に新造された車両と1810系を改番して1900系になった車両とがあります。このうち、昭和38年に新造された先頭車両は、貫通扉の両側に自動車のようなバンパーを付けているのが特徴で、現在は先頭車両としてはこのタイプしか残っていません。なお、ヘッドライトが四角になっていて、他のものと違うものもあります。

現在は全て5両編成になっています。そのため、ほとんどが各駅停車として運転されますが、京阪本線では、朝夕のラッシュ時以外あまり見かけることがありません。昼間は宇治線や交野線でよく見かけられた時期もありましたが、原則4両編成となったため、ここでも使用頻度が少なくなり、10000系の登場により一部が廃車になりました。