日野原重明氏の「生きることの質」という著作の中で、アン・リンドバーグの「海からの贈物」の中の一文を紹介しています。
中年のあるべき価値観を教えてくれます。
『中年というのは、野心の貝殻、各種の物質的な蓄積の貝殻や、自我の貝殻など、いろいろな貝殻を捨てる時期であるとも考えられる。
この段階に達して、我々は浜辺での生活と同様に、我々の誇り、見当違いの野心や、仮面や、甲冑を脱ぎ捨てることができるのではないだろうか。
我々が甲冑を着けていたのは、競争相手が多い世の中で我々を守るためだったはずであり、競争するのを止めれば、甲冑も必要でなくなる。
それで、我々は少なくとも中年になれば、本当の自分であることが許されるかもしれない。
そしてそれは何と大きな自由を我々に約束することだろう。』
ある意味でこも中年とは、世捨て人となって隠遁生活する隠居の気分です。
私はまだまだ甲冑が必要で、日々戦えるように準備しようと心がけています。
我、未だ中年になれず。未だ自由を得ず。
中年のあるべき価値観を教えてくれます。
『中年というのは、野心の貝殻、各種の物質的な蓄積の貝殻や、自我の貝殻など、いろいろな貝殻を捨てる時期であるとも考えられる。
この段階に達して、我々は浜辺での生活と同様に、我々の誇り、見当違いの野心や、仮面や、甲冑を脱ぎ捨てることができるのではないだろうか。
我々が甲冑を着けていたのは、競争相手が多い世の中で我々を守るためだったはずであり、競争するのを止めれば、甲冑も必要でなくなる。
それで、我々は少なくとも中年になれば、本当の自分であることが許されるかもしれない。
そしてそれは何と大きな自由を我々に約束することだろう。』
ある意味でこも中年とは、世捨て人となって隠遁生活する隠居の気分です。
私はまだまだ甲冑が必要で、日々戦えるように準備しようと心がけています。
我、未だ中年になれず。未だ自由を得ず。