毎週金曜日、中国新聞に掲載される春日キスヨ女史のコラム「夕映えあとさき」を楽しみにしています。今週のコラム「コロナ時代の時間」は秀逸です。
『コロナ禍、子供家族や友人に会う回数も減り、旅行もせず、同じ日常の繰り返し。暮らしの節目を作る出来事がなく、平凡と言えば平凡、毎日朝起きて、食事をして、寝るという形が日々過ぎていったからだろうか。
人は365日、1年という「時間」を生きる。だが、人生を刻む「時」は、記憶に残る出来事が生じた「時」エピソードとして、物語としてつなぎ合わせ、自分が「生きた時間」を立ち上げるのではなかろうか』
ある人は、「思い出を作る」とも表現します。ありふれた日常の連続では、記憶に残りません。得てして、順調の時よりも、苦労した時や失敗した時や緊張したた時に方が記憶に残ります。
コロナ禍では、あらゆる行事、入学式、結婚式、葬式、文化祭、運動会、学会、旅行など、規模を縮小あいは中止しています。これでは、無味乾燥な、弱い記憶として残ります。
記録に強弱がある訳ですから、強い記憶にするには、気のあった人と共に外へ出かけ、主体的にエピソードを作ることが、この世に生きた痕跡を残すことに通じるのだろうと感じます。
『コロナ禍、子供家族や友人に会う回数も減り、旅行もせず、同じ日常の繰り返し。暮らしの節目を作る出来事がなく、平凡と言えば平凡、毎日朝起きて、食事をして、寝るという形が日々過ぎていったからだろうか。
人は365日、1年という「時間」を生きる。だが、人生を刻む「時」は、記憶に残る出来事が生じた「時」エピソードとして、物語としてつなぎ合わせ、自分が「生きた時間」を立ち上げるのではなかろうか』
ある人は、「思い出を作る」とも表現します。ありふれた日常の連続では、記憶に残りません。得てして、順調の時よりも、苦労した時や失敗した時や緊張したた時に方が記憶に残ります。
コロナ禍では、あらゆる行事、入学式、結婚式、葬式、文化祭、運動会、学会、旅行など、規模を縮小あいは中止しています。これでは、無味乾燥な、弱い記憶として残ります。
記録に強弱がある訳ですから、強い記憶にするには、気のあった人と共に外へ出かけ、主体的にエピソードを作ることが、この世に生きた痕跡を残すことに通じるのだろうと感じます。