柄にもなく、仏教の本を読みました。松原泰童氏の<強く太く生きる仏教の智恵>です。
私にとって、葬式や法事でしか接する機会のない仏教です。仏教とはそもそも生き方を説いているとは、発見でした。その中よりの抜粋です。
・人間の一生とは、ある意味、「修羅場の連続」といってもいいでしょう。・・・しかし、こうした修羅場を経験することは、人生にとってマイナスだけではありません。修羅場によって、人は成長し、磨かれるともいえるのです。
・釈迦の最後の言葉は、<依頼心を捨てよ>です。神様が助けてくれる、仏様が助けてくれる、といくら思っていても、困った時の神頼みなど、神も仏も助けてくれません。依頼心を捨て、自らの力で立ち向かわないかぎり、ひとつの修羅場を抜けられても、またつぎ修羅場にやられてしまうでしょう。
・人生の苦の解決とは、逃げることではなく、その苦に同化していくことです。苦に同化し、苦に徹してはじめて血路が開けるのです。言い換えると、人間的に成長することができ、自分も他も救うことができるのです。
分かり易い表現で、具体例で例えて説明し、著名人が修羅場を超えていった際の言葉などをちりばめて、修羅場の乗り切り方を解説しています。
仏教の教えでは、修羅場のとらえ方を変えて、危機ではなくチャンスとなります。仏教は、苦しさから逃れる精神安定剤のような効用があります。
私にとって、葬式や法事でしか接する機会のない仏教です。仏教とはそもそも生き方を説いているとは、発見でした。その中よりの抜粋です。
・人間の一生とは、ある意味、「修羅場の連続」といってもいいでしょう。・・・しかし、こうした修羅場を経験することは、人生にとってマイナスだけではありません。修羅場によって、人は成長し、磨かれるともいえるのです。
・釈迦の最後の言葉は、<依頼心を捨てよ>です。神様が助けてくれる、仏様が助けてくれる、といくら思っていても、困った時の神頼みなど、神も仏も助けてくれません。依頼心を捨て、自らの力で立ち向かわないかぎり、ひとつの修羅場を抜けられても、またつぎ修羅場にやられてしまうでしょう。
・人生の苦の解決とは、逃げることではなく、その苦に同化していくことです。苦に同化し、苦に徹してはじめて血路が開けるのです。言い換えると、人間的に成長することができ、自分も他も救うことができるのです。
分かり易い表現で、具体例で例えて説明し、著名人が修羅場を超えていった際の言葉などをちりばめて、修羅場の乗り切り方を解説しています。
仏教の教えでは、修羅場のとらえ方を変えて、危機ではなくチャンスとなります。仏教は、苦しさから逃れる精神安定剤のような効用があります。