静かにコーヒーを机の上に置くと、部屋いっぱいに優雅な香りが広がった。
ひと口含み、気持ちを落ち着けて、パソコンを立ち上げる。
焦る僕の気持ちを無視するようにのんびりと起動すると、簡素な画面が表示された。
デスクトップはシンプルな方が良い。僕の数少ないポリシーのひとつだった。
ふぅ、と大きく息を吐く。
「電気そのものは、異常なしか」
思わず独り言が漏れた。
僕は再度TVの電源を入れる。
が、やはりそこには何も映らない。
電気は生きている。
ガス、水道も無事だ。
インターネット・・・これもOK。
窓から外を見る。
通行人はおろか、車さえも通っていなかった。
あまりにも静かな光景。あまりにも異常な情景。
朝起きて、スーツに着替えて、外に出て。
世界の変化に、すぐ気が付いた。
慌てて引き返し、TVをチェックしたが、何も映らない。
落ち着け、落ち着け、と自らに言い聞かせながらコーヒーを淹れて今に至るわけだ。
まるで、世界中に僕ひとりだけ放置されたような。
・・・いや、冗談じゃない。それはちょっと、現状からするに洒落になっていない。
しかし。
僕の頭は考えることを止めない。
僕以外に誰もいないと、そう思えば辻褄が合うのではないか。
生きているライフラインは、全自動化されているものばかり。
TVは、ヒトがいなければ放映できないから映らなくて当然だろう。
となると、新聞はどうだ?
慌ててポストを確認する。
――届いていない。
次に、インターネットからありとあらゆる個人サイト、ブログを調べて回った。
最終更新日時のチェックだ。
日本中の誰かが、今このときも更新を行っているのではないだろうか?
適当に10から20件ほど確認してみたが、その中で最新のものは昨日の23時だった。
ニュース系のサイトも、軒並み昨日の夜で更新が途絶えている。
・・・ああ、やっぱり。
これはもう、直接ヒトの手を必要とするものは全滅と考えるのが妥当ではないか。
ならば、携帯はどうだろう?
僕はそれほど携帯を使わない。会社への連絡が一番の使途だろうか。
最後の望みとばかりに、恐る恐る携帯を開く。
待ち受け画面には、デフォルトの幾何学模様と、「圏外」の文字が。
携帯は、アウトなのか。
中継局等の無人化が進んでいないのか、それとも――
それとも、何かしら事故が起こったのか。
自分の考えに、ぞっと青ざめる。
例えば――発電所で何か事故が起こったら。
機器にエラーが生じたら。
電気は止まってしまうのか?
同じことが、ガスや水道にも言える。
僕は、偶然、生きているということか。
『世界中に誰もいなくなってしまったらどうなる?』
・・・中学生くらいの頃、よくそんなことを考えた。
そのときの結論は、「寂しいだろうな」だったと思う。
なるほど、それもひとつの正解かもしれない。
だけど。
実際にそんな状況に身を置くと、案外寂しいなんてことは考えないものだな。
否、寂しいなどと言ってられる場合じゃない、と言うのが正確か。
僕は、何かのキマグレで、生かされている。
近所のコンビニに行った。
ここにもやはり誰もいない。
適当に食料を取り、気休めのように代金をレジに置いて店を出た。
大通りには一台の車も通っておらず、僕は堂々と真ん中を歩く。
どこかに、誰かいないものかと注意深く見回しながら。
民家にも。
ガソリンスタンドにも。
ファーストフードショップにも。
ヒトはおろか、犬や猫、鳥や虫すら見つからなかった。
かろうじて、植物だけはいるようだが。
・・・植物に対して「いる」という表現を用いる辺り、僕もだいぶ参っている。
1時間ほど歩いて、僕はごろりと道路の真ん中に寝転んだ。
どうなっているんだろう。
世界は、どうなってしまったんだろう。
太陽は当たり前に昇り、風は吹き、川には水も流れているというのに。
こんな広大な世界に、僕しかいないなんて。
「あー・・・」
声を上げても、虚しいばかりだ。
そうしている間にも時間はどんどん過ぎていく。
僕はひとり、世界に取り残されたまま。
いつまでこうしていれば良いのだろう?
「取り敢えず、死にたくはねぇなー・・・」
起き上がり、先ほどコンビニで買ってきた食料を口に運ぶ。
食料は、大量に存在する。
しかし、それらを食べつくす以前に、腐って朽ちてしまう方が早いだろう。
そうなれば、飢えて死ぬより他にない。
今、僕は偶然生かされているけれど。
それ以前からずっと、誰かに生かされていたのだな。
そんな当たり前のことを痛感する。
僕ひとりでは、きっと1ヶ月と生きていけないのではないだろうか。
「・・・参ったなぁ」
困り果てた僕は、もう一度仰向けに寝転がる。
取り敢えず、後で考えよう。
僕は、何だかもう、疲れてしまった。
全然、全く、何にもしていないのになぁ。
もういいや。
全部、後で考えよう。