「俺はさ、この先、何者かになれるのかね?」
まだ蕾の桜を教室の窓から見下ろしながら、三秀はそう言った。
「何者か、には自然となるだろ」
何を当たり前のことを、と信永が答えた。
「そうじゃねえよ。何か大きな事を成し遂げる、偉人みてぇな人物になれるのかってハナシ」
三秀は子供のように口を尖らせる。
――今日は、高校生最後の日。
卒業式だった。
「ガラにもないな、不安なのか?」
信永はいつもの無表情でからかう。
が、無表情故にそれが本気でバカにしているのか軽口なのか傍からは判断ができない。
無論、付き合いの長い三秀はそれが軽口の類であることを容易に理解していた。
「ああ、ぶっちゃけ、不安だよ」
しかし、三秀はその軽口に真面目に返答する。
「この先、嫌でも人生のレールが決まる。いや、それは勿論途中でも切り替え可能なんだろうけど。
最初の、一番大きな人生の流れってヤツは、多分もう決まってる。
俺が行く大学はソコソコのレベルで、ソコソコの奴が集まってて、ソコソコに勉強するんだろう。
そうして、多分、普通に就職する。
今の流れだと、理系だな。ここから文系や、まして芸術系や体育会系にはまず移れない。
そうなると――先なんて、見えてるじゃないか」
俺は、子供の頃夢見たような傑物には、きっとなれない。
彼はそう締めくくった。
「でも、卒業は嬉しいんだろう? 常々高校に対する不満を愚痴ってたじゃないか」
「それは、まあ、嬉しいさ」
ココは異常だ、と三秀は語る。
「校則に縛られて、それだけならまだしも、暗黙のルールにまで従わされる。
そしてそれに従えない奴は容赦なく退学だ。
そんなものは、教育じゃない。ただの――ビジネスだ」
補足すると、二人が通うこの高校は、ごく普通の公立高校である。
それを三秀は、商業主義だと切って捨てた。
つまり、学問を教え、生徒を集めて、集金するためのシステムでしかないと。
それが我慢出来ない彼は、生徒会長に立候補したことさえある。
「懐かしいな。一昨年の今頃から、いやもっと昔からか。三秀は変わってないよ」
「お前たちは、今のブロイラー生活に満足か!? ってな」
「そうそう。生徒会長選挙の演説の時、全校生徒の前でいきなり台本無視して叫んでたよな」
「10秒も持たずに、壇上から引きずり降ろされたけどな」
言いたいことをその10秒間に言ってやった。
勿論、落選した。
スッキリしたという気持ちと、だからこの学校はダメなんだという不満、両方あった。
だから、卒業は素直に嬉しい。
この学校から離れられるという事実が、とても嬉しい。
「けど、卒業が嬉しいって、結局消極的な嬉しさなんだよな」
「どういうことだ?」
「俺は、結局この学校で何もできなかった。変えられなかった。
だから、卒業が嬉しい。
もうこの学校に関わる必要がないとか、文句言われることもないとか、そういう意味で」
ネガティブなんだよ、と三秀は呟く。
なるほどね、と信永は納得する。
性格上、三秀はどうもその辺が気持ち悪いらしい。
一種の逃避、問題の先送り、そういったことが非常に苦手だった。
「高校で何もできなかった俺が、大学とか社会とかで、何事かを成せるとは思えねぇ」
「・・・僕は、結構長く三秀と一緒にいるけれど」
信永が、三秀を見ずに語りかける。
諭すように――慰めるように。
「お前は、やれること、やるべきことは全部全力でやってたと思う。
僕なんかよりずっとアクティブで、ポジティブで、精一杯だったと思う。
確かに、学校というシステムを変えることはできなかったけど。
成果は出なかったけど。
僕は、お前は十分に凄い奴だと、思う」
ふん、と三秀は鼻で笑う。
「結局、何も成果は出てないって、お前も認めてるじゃん」
「そこは事実だからな」
言って、信永は珍しく笑った。
大きな不満があって。
3年かけて、もがいて、変えようとして、解消しようとして。
それでも何もできなかったという現実。
それが、三秀に重くのしかかっていた。
先の見えない世界と、先の見えた自分。
不満はそのまま、不安となって。
「だからまぁ、素直に喜べないわけよ」
じっと、ただ校庭の桜を見下ろす。
「可能性は無限だー、とか、少年よ大志を抱けー、とか、虚しいよなぁ」
「虚しいかもな」
「結局、俺はこの小さな箱庭ですら何も成せなかったんだぜ」
例えば――。
三秀は、桜を指さす。
「例えばさ、俺は桜満開の中で後輩に見送られつつ卒業したかったんだ」
そんな小さな野望。
それすら、果たせていない。
桜ひとつ変えられない。
「信永は、俺が十分にやったと言うけど。十分にやってそれでも結果を出せないなら――」
成せない人間は、どうあがいても成せない。
そんな現実を、突きつけられるだけだ。
信永は押し黙る。
悪かったかな、という気まずさなどではなく――何も言うべきことはないと判断したから。
そんな時、彼は絶対喋らない。
それはある意味、痛烈な肯定だった。
「時間だ」
時計を見て、信永が立ち上がった。
下校の時間である。
卒業式の日であっても、それはいつも通りに訪れる。
三秀は、黒板に視線を移す。
「『卒業おめでとう』――ね」
それは、在校生たちが卒業生へ向けたメッセージ。
赤や黄色のチョークでカラフルに飾られた黒板は、何だか皮肉のようにさえ見えた。
「三秀ってさ――」
「ん?」
「ポジティブが一周して、ネガティブだよな」
「・・・具体的な意味はよく分からんが、何となくそうかもしれん」
言って、苦笑した。
愚痴っても、嘆いても、悔やんでも、卒業。
次の過程へと移るステップ。
不満だらけの高校生活を終えて――
不安だらけの大学生活へと、突入していく。
「やってらんねぇなー」
ぼやく三秀の肩を、信永が叩く。
「まぁ何だ――大学でも、よろしくな」
信永なりの激励らしかった。
そうして二人は、教室を後にして。
まだ蕾の桜に見送られながら、卒業した。
まだ蕾の桜を教室の窓から見下ろしながら、三秀はそう言った。
「何者か、には自然となるだろ」
何を当たり前のことを、と信永が答えた。
「そうじゃねえよ。何か大きな事を成し遂げる、偉人みてぇな人物になれるのかってハナシ」
三秀は子供のように口を尖らせる。
――今日は、高校生最後の日。
卒業式だった。
「ガラにもないな、不安なのか?」
信永はいつもの無表情でからかう。
が、無表情故にそれが本気でバカにしているのか軽口なのか傍からは判断ができない。
無論、付き合いの長い三秀はそれが軽口の類であることを容易に理解していた。
「ああ、ぶっちゃけ、不安だよ」
しかし、三秀はその軽口に真面目に返答する。
「この先、嫌でも人生のレールが決まる。いや、それは勿論途中でも切り替え可能なんだろうけど。
最初の、一番大きな人生の流れってヤツは、多分もう決まってる。
俺が行く大学はソコソコのレベルで、ソコソコの奴が集まってて、ソコソコに勉強するんだろう。
そうして、多分、普通に就職する。
今の流れだと、理系だな。ここから文系や、まして芸術系や体育会系にはまず移れない。
そうなると――先なんて、見えてるじゃないか」
俺は、子供の頃夢見たような傑物には、きっとなれない。
彼はそう締めくくった。
「でも、卒業は嬉しいんだろう? 常々高校に対する不満を愚痴ってたじゃないか」
「それは、まあ、嬉しいさ」
ココは異常だ、と三秀は語る。
「校則に縛られて、それだけならまだしも、暗黙のルールにまで従わされる。
そしてそれに従えない奴は容赦なく退学だ。
そんなものは、教育じゃない。ただの――ビジネスだ」
補足すると、二人が通うこの高校は、ごく普通の公立高校である。
それを三秀は、商業主義だと切って捨てた。
つまり、学問を教え、生徒を集めて、集金するためのシステムでしかないと。
それが我慢出来ない彼は、生徒会長に立候補したことさえある。
「懐かしいな。一昨年の今頃から、いやもっと昔からか。三秀は変わってないよ」
「お前たちは、今のブロイラー生活に満足か!? ってな」
「そうそう。生徒会長選挙の演説の時、全校生徒の前でいきなり台本無視して叫んでたよな」
「10秒も持たずに、壇上から引きずり降ろされたけどな」
言いたいことをその10秒間に言ってやった。
勿論、落選した。
スッキリしたという気持ちと、だからこの学校はダメなんだという不満、両方あった。
だから、卒業は素直に嬉しい。
この学校から離れられるという事実が、とても嬉しい。
「けど、卒業が嬉しいって、結局消極的な嬉しさなんだよな」
「どういうことだ?」
「俺は、結局この学校で何もできなかった。変えられなかった。
だから、卒業が嬉しい。
もうこの学校に関わる必要がないとか、文句言われることもないとか、そういう意味で」
ネガティブなんだよ、と三秀は呟く。
なるほどね、と信永は納得する。
性格上、三秀はどうもその辺が気持ち悪いらしい。
一種の逃避、問題の先送り、そういったことが非常に苦手だった。
「高校で何もできなかった俺が、大学とか社会とかで、何事かを成せるとは思えねぇ」
「・・・僕は、結構長く三秀と一緒にいるけれど」
信永が、三秀を見ずに語りかける。
諭すように――慰めるように。
「お前は、やれること、やるべきことは全部全力でやってたと思う。
僕なんかよりずっとアクティブで、ポジティブで、精一杯だったと思う。
確かに、学校というシステムを変えることはできなかったけど。
成果は出なかったけど。
僕は、お前は十分に凄い奴だと、思う」
ふん、と三秀は鼻で笑う。
「結局、何も成果は出てないって、お前も認めてるじゃん」
「そこは事実だからな」
言って、信永は珍しく笑った。
大きな不満があって。
3年かけて、もがいて、変えようとして、解消しようとして。
それでも何もできなかったという現実。
それが、三秀に重くのしかかっていた。
先の見えない世界と、先の見えた自分。
不満はそのまま、不安となって。
「だからまぁ、素直に喜べないわけよ」
じっと、ただ校庭の桜を見下ろす。
「可能性は無限だー、とか、少年よ大志を抱けー、とか、虚しいよなぁ」
「虚しいかもな」
「結局、俺はこの小さな箱庭ですら何も成せなかったんだぜ」
例えば――。
三秀は、桜を指さす。
「例えばさ、俺は桜満開の中で後輩に見送られつつ卒業したかったんだ」
そんな小さな野望。
それすら、果たせていない。
桜ひとつ変えられない。
「信永は、俺が十分にやったと言うけど。十分にやってそれでも結果を出せないなら――」
成せない人間は、どうあがいても成せない。
そんな現実を、突きつけられるだけだ。
信永は押し黙る。
悪かったかな、という気まずさなどではなく――何も言うべきことはないと判断したから。
そんな時、彼は絶対喋らない。
それはある意味、痛烈な肯定だった。
「時間だ」
時計を見て、信永が立ち上がった。
下校の時間である。
卒業式の日であっても、それはいつも通りに訪れる。
三秀は、黒板に視線を移す。
「『卒業おめでとう』――ね」
それは、在校生たちが卒業生へ向けたメッセージ。
赤や黄色のチョークでカラフルに飾られた黒板は、何だか皮肉のようにさえ見えた。
「三秀ってさ――」
「ん?」
「ポジティブが一周して、ネガティブだよな」
「・・・具体的な意味はよく分からんが、何となくそうかもしれん」
言って、苦笑した。
愚痴っても、嘆いても、悔やんでも、卒業。
次の過程へと移るステップ。
不満だらけの高校生活を終えて――
不安だらけの大学生活へと、突入していく。
「やってらんねぇなー」
ぼやく三秀の肩を、信永が叩く。
「まぁ何だ――大学でも、よろしくな」
信永なりの激励らしかった。
そうして二人は、教室を後にして。
まだ蕾の桜に見送られながら、卒業した。