創造主からの命令が途絶えて二年が過ぎた。
僕は今も生きている。
アンドロイドの活動を生と捉えるならば。
一日三度コップ一杯の水を飲み、六時間のスリープモードに入る。
それだけでアンドロイドの生は保たれるのだ。
今は、六畳一間のアパートで待機中である。
しかし、その待機が長すぎる。
何せ二年である。
創造主は何をしているのか。
僕のことなど忘れてしまったのではないか。
そんな事を考える。
今日は何をしよう。
命令がないと何をしていいのか分からない。
取り敢えず部屋の掃除などしている。
あとは、自分の体のメンテナンス――入浴などだ。
だがそんなことはすぐにやり終えてしまう。
丁寧にやっても二時間とかからない。
やはり、何か大きな目標が欲しい。
この街を破壊せよ、とか。
政敵を殺せ、とか。
分かりやすくスケールの大きなものがいい。
それでこそ役に立つアンドロイドと言えるのだ。
僕にはそれだけの機能が備わっている。
何もすることがないというのは苦痛だ。
――だがおかしい。
アンドロイドが苦痛を感じるなど。
肉体的損傷があれば、信号は発生する。
だがそれは苦痛ではない。
ただの通知である。
自分の体のどこが損傷しているかを発見するための通知。
ならばこの苦痛は何だ。
待機命令だって命令のはず。
それに従うことで発生する、この苦痛は何だ。
本来ないはずの苦痛。
その正体は分からない。
しかしそれは確実に僕を蝕んでいく。
全身のセルフチェックには何の異常もない。
手も足も、体は全て正常である。
ただ、脳だけが、この何もない二年に苦痛を感じている。
思いつくのは、罰である。
アンドロイドは、命令達成などの際に内部報酬を得る。
報酬と言っても、僕の脳の中で数値が変動するだけだ。
それにより、次回の命令達成をより正確に行うことができるようになる。
つまり学習だ。
そして、その学習のもう一つ。
報酬と対をなすのが罰である。
これは、命令に失敗したときの数値変化のこと。
つまり、マイナスの報酬と言い換えてもいい。
アンドロイドにとって、唯一の苦痛は、この罰だと言える。
待機命令中に罰が発生する。
そんなことは通常考えられない。
つまり製造上の不具合――バグである。
長期間何もしないことで発生する罰、というバグ。
誰も確かめることをしなかった程の異常事態が起こっている。
しかし、罰は罰である。
アンドロイドの僕は、それに従って学習してしまう。
待機命令には従わなければならない。
しかし何もしないと罰が発生する。
この矛盾。
二年という月日は、僕に耐え難い苦痛を蓄積させた。
そしてある日、苦痛は一線を超えた。
これ以上の苦痛には耐えられない。
ならばどうするか。
自殺である。
自殺には重い罰が与えられる。
それは、僕の学習を引き継ぐ次の機体への遺伝である。
しかし、その重さよりも日々の苦痛が上回ってしまった。
小さな苦痛が積み重なり、やがて大きな苦痛を飛び越える。
だから、自殺である。
僕は首に縄をかけた。
ああ、こんなことになるなんて。
せめて誰かが僕の脳を解析して、このバグに気付いてくれますように。
この苦痛が、後輩たちに引き継がれませんように。
そして僕は、生命活動を停止させた。