「死後に天国があることが科学的に証明されたらしい」
友人の木島がそんなことを言った。
「だったら、池田。この世に価値などないと思わないか?」
と続ける。
「木島、お前受験ノイローゼなんだよ」
僕はそんな風に軽くいなした。
僕らは受験生。
将来の不安、学校・親からのプレッシャー、根強いいじめ問題。
ストレスの元は山のようにある。
だから、逃避の一環として木島がそんな思想に取り憑かれるのは分かる。
まあ聞けよ、と木島は譲らない。
「死後魂は肉体を離れる、というのは多くの宗教が言っている。
問題はその魂がどこへ行くかだ。
従来の宗教は地獄か天国か、或いは転生かだった。
しかし、偉い科学者が死後は天国一択だと言うじゃないか。
だったら俺らはこんなところで一体何をしてるんだ?
即、死ぬしかないだろ」
「情報が増えてるようで増えてない・・・」
僕は呆れて溜息をついた。
結局、物理的に「天国」とは何なのかといったことは解決していない。
魂とやらの存在もだ。
死後の世界など誰も知りようがないのだから、何とでも言える。
死人に口なしである。
「とにかく、天国はある。これは救いじゃないか?」
「木島。それは救いじゃない。逃避だよ」
「逃避大いに結構。池田、俺は天国に逃避する」
木島は教室のガラス窓に寄り掛かり、気怠そうにそう言った。
逃避大いに結構。
それはまさにそうなのだけど。
その先が「死」であってはいけないと思う。
「死」は「無」だ。
長い人生を辿り、ようやく訪れるならばやむを得ない。
しかし、知識教養を身に着け始めたばかりの僕らが行くものではない。
僕ら十代の若者は、これから「生」を始めると言ってもいい。
逃避するなら、違う学校へ行くとか、環境を変える方向であるべきだ。
木島をいじめる奴がいて、それを排除する手伝いなら何でもやる。
しかし、天国はよくない。
「志望校のランクを落とすとか、そういう逃避じゃいけないのか?」
僕は譲歩として他の案を出す。
「悪くないが、それでも天国の魅力には勝てないだろう」
・・・まあ、もっともな話だ。
天国を信じる人間に、現世の中ではマシ程度の提案をしてもな。
結局、信じるか信じないかの二択なのだ、と木島は言う。
天国を信じるか否か。
その科学者の言を信じるか否か。
詰まるところそれだけの話。
「天国はあるんだ。だったら、こんな辛い現世を生きる意味がどこにある?」
木島の中で、地道な努力は水泡に帰した。
宗教のせいか、科学のせいか。
いや、両方ひっくるめて宗教なのか。
とにかく、現世での生に価値はなくなった。
もう、目の前の友人を止める術は――僕にはない。
どれだけ説得しても、次善の策を提案しても、天国相手じゃ勝てない。
何せ天国である。
あらゆる不快がなく、穏やかで、満たされた世界。
そんなもの、現世にはありはしない。
だから僕は言った。
「天国、あるといいな」
木島は返す。
「あるさ。池田もすぐ来いよ」
向こうで待ってる――。
そう言いながら、木島はガラス窓を開けて教室から飛び降りた。
満たされた笑顔だった。
成る程、天国はあるのかも知れない。
その一瞬の笑顔だけでも、僕は天国の存在を信じそうになった。