古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

年末挨拶

2017年12月31日 | 日常身辺雑事

このブログを御覧いただいている皆様、本年も残り僅かとなりました。

熱心に当ブログを御覧いただき、また重要なコメントをいただくなど、ご支援のほどありがとうございました。

来たる年が皆様にとってより良き年であること強く祈っています。

a Happy New Year!

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無題

2017年03月10日 | 日常身辺雑事

Carpenters  に「I NEED TO BE IN LOVE」という曲があります。その歌詞を見ていると、胸が詰まる想いがします。

I NEED TO BE IN LOVE
BY  CARPENTERS

"I used to say  " No promises,let's keep it simple" / But freedom only help you say good-bye
It took a while for me to learn / that nothings come to free
The price I've paid is high enough for me"

"I know I need to be in love / I know I've wasted too much times
I know I ask perfection of a quite imperfect world / And fool enough to think that what I'll find"

"So here I am with pocketful of good intensions / But none of them will comfort me tonight
I'm wide awake at four A.M. without a friend in sight / Hanging  on a hope ,But I'm all right"
 
 この歌の中ではこの人物は自由を求め傷ついて今に至っているとされています。

"自由なんて「あなた」がサヨナラ言う以上の何の助けにもならなかったわ。それに気づくまでに払った「代償」は大きかったわね。
でも、よほどのバカだと自分ながら思うけど、「一から十まで不完全なこの世界」に「完璧さ」を見いだせる、それを体現するような人が現れる、ということを今でも信じているの。その望み一つにぶら下がって生きているのよ。
現実には夜中に目を覚まして周りを見回しても誰もいないのだけれど。
…でも「I'm all right」(大丈夫)よ。死にはしないわ。"

 彼は(彼女)は自由を求めて裏切られ、かえって深く傷ついているわけですが、この歌詞を見ていると「Billy Joel」の「Honesty」を思い浮かべてしまいます。

HONESTY
BY BILLY JOEL

"If you search for tenderness / It isn't hard to find
You can have the love you need to live"

"But If you look for truthfulness / You might just as well be blind
It always seem to be so hard to give"

""Honesty" is such a lonely word / Everyone is so untrue
"Honesty" is hardly ever heard  /  But mostly what I need from you"

"But I don't want some pretty face / To tell me pretty lies
All I want is someone to believe"

 この歌の中では「信じられる誰か」を探していた人物が、やっとそれらしき人を見つけたらしいことが判ります。

"優しいだけではダメ。可愛い顔してきつい嘘を並べるような人はお断り。私が求めているのは「信じられる誰か」。
誠実さ、正直さ、裏表のない人。そんな言葉、死語よね。そんな人っているわけないって思ってた。でも…あなただけ違うわよね。そんなことないよね。
他の誰にもこんな事思わないけど、でもあなただけ特別よ。だから、…御願いだから裏切らないで。"

 これは「I need to be in love」の歌詞の中の人物の、後日の姿ともいえるのではないでしょうか。一筋の希望が形になった瞬間かも知れません。いわば「Answer song」ともいえると思われるのです。

 

時々、この歌詞の人物のような気分に襲われます。
自分の求めているものが全く得られない、報われない、虚しい気分に苛まれてしまいます。
この向こう側にそれが本当にあるのだろうか。それを信じ切れない自分がいます。

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新年挨拶

2017年01月02日 | 日常身辺雑事

このブログを御覧の皆様。遅ればせですが、明けましておめでとうございます。

昨年は夏以降体調を崩し、入退院を繰り返すなど、不本意な一年でした。(年末にも病院にご厄介になっていました)現在も万全ではありませんが、ゆっくり直していかなければならないようです。

仕事もかなり忙しくなってしまい、そんなこんなで研究はちっとも前進せず、図書館通いもなかなかできない状態で、不本意な年となりました。
やはり何をするにも建康でなければならないと痛感した次第です。

今年はそんな中でも「律令」を中心に調べていこうと考えており、「倭国」から「日本国」への移り変わりと「律令」そのもの及び統治体制としての「律令制」の変遷を自分なりに明らかにしようと考えています。すでに多くの研究が蓄積されていますが、それらに拘泥することなく自分の考え方でまとめてみようと考えています。
といっても何か思いついたり、(好論に接したりした場合など)インスパイアされて全く違う事を始めるという可能性もあり(それがまた楽しいのですが)、とにかく充実した一年としたいと強く願っています。

皆様におかれましても建康で良き年となりますよう祈念致します。

二〇一七年一月二日

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年末ご挨拶

2015年12月31日 | 日常身辺雑事

ブログを御覧の皆様。今年も最後の日を迎えています。

いつも当ブログを御覧いただきありがとうございます。

今年も実に様々なことがありました。十年一緒に暮らした愛猫「太郎」の死から始まり、ポリープ切除、勤め先の変更、古田氏の死去、転倒による負傷などほかにも書ききれないほどの種々雑多のことがありました。

古代史研究は図書館がよいに明け暮れ、たてた仮説はちっとも成立せず、ほかのことも遅々として進まず、焦燥感が募る毎日でしたし、欠陥のある論を投稿してみたり、意気の揚がらない一年でした。
ocnがホームページサービスをやめたため私がこのブログとは別に開いていたホームページもクローズしました。(中身にいろいろ問題があり、それらを精査しているため現在なおクローズのままです)

来年はもう少し形のある結果を求めて論を進めたいと思います。

どうか皆様には来る年が健康で実りのある一年となりますよう祈念申し上げます。

今年一年ありがとうございました。

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自転車で転倒

2015年12月05日 | 日常身辺雑事

 11月の18日に自転車で帰宅途中横合いから飛び出してきた別の自転車と衝突し、転倒、あばら骨を負傷しました。
 札幌では冬季自転車に乗る人は(当然ながら)大きく減少しますが、私もその例に漏れず、その日が最後の自転車の予定でした。それ以前からややブレーキの利きが甘くなってきており、その意味でもこれ以上は乗らない予定であったのですが、家まで後1kmほどの所で事故が起こってしまいました。時間は夕方7時頃で周囲はほぼ真っ暗な状態だったのですが、その自転車は横合いから無灯火でいきなり飛び出してきたためよけ切れなかったのです。瞬間的に左にハンドルを切ったものの彼の後輪にわずかに接触したため右前方へ体が投げ出され、右半身を強く打撲してしまいました。痛くて立ち上がれなかったのですが、相手の彼は(若い人です)大丈夫ですかとは言ったものの直後、急ぎますから…といって立ち去ってしまいました。数分後やっと起き上がったときには当然誰もいなくなっていたのです。そもそも事故の瞬間にも誰もいませんでした。
 何とか立ち上がって家まで走ったのですが、途中から痛みがひどくなり、帰宅後夜間救急病院へ(夜間急病センターではなく)行きました。当日はNTT南札幌病院が担当で整形外科の評判が良いらしかったのでラッキーでした。レントゲンを撮ったところ目立った骨折はありませんでしたが、医者によると肋骨は薄いので骨折がはっきりわからない場合が多いと言うことで痛みが引かなければ改めて病院へ行ってください、とのことでした。
 その翌日と翌々日は担当現場の引き渡しに伴う取り扱い説明会が開かれ、地下から天井裏まで登ったり下りたりしなくてはならず(しかも寒かった)、痛みと闘いながら業務を終えましたが、夜になって寝るのに難儀しました。寝返りはうてないのはもちろん、くしゃみも咳もできずトイレでいきむこともできない状態であったので、苦しかったです。
 それから2週間程この状態が続いたので、きっとどこか折れてるなとは思いましたが、だからといって肋骨の場合治療と言えるほどのものもないため、そのまま放置し、何とかがんばって仕事していましたが、この頃急に楽になってきました。1箇所がわずかに痛い以外は何とか普通の生活ができるようになったのです。直るときは急に直るもんだなと感心しました。
 後から思いましたが、僕から見えなかったように彼からも僕は見えなかったんでしょうね。僕は無灯火ではありませんでしたが、進行方向と角度があると光が届かないのは確かですから、彼の目に入っていなかったということもあるでしょう。やはり、LEDランプなど周囲に光を出すツールが必要なんだなと改めて感じました。

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