古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

勝俣氏の名前が小惑星の名称となった件

2019年04月14日 | 古代史

情報によれば小惑星の名称に長崎大学名誉教授の勝俣隆氏の名前が使用されるとのこと。それを提案したのは藤井旭さんらしい。藤井旭という人は僕ぐらいの年齢の天文マニアで知らない人はいないと言うぐらいの人であり、誰でも天体写真を撮れる様な時代にした事に多大な貢献をした人です。当方のライブラリにも天体観測のための資料とともに彼の書いた「天体写真の写し方」が最近までありました。(同様に興味があるという友人に譲渡しましたが)
また彼の撮った天体写真の美しさは特筆すべきものであり、どうやればあんなにきれいに撮れるのか、機材はそれほど高価でもないものの、できあがった写真は誰もまねできないレベルであったのです。ため息をつきながら彼の天体写真を見ていた記憶があります。
また彼とその周囲の人達で造りまた運営していた福島の白河天体観測所も東日本大震災とそれに続く原発事故で運用ができなくなったことは知っており、その後どうされているのかと思っていましたが、今回の記事で彼もかなり高齢とはなられたものの元気そうであることが知られ、心安らぐものがありました。彼のおかげでとても楽しい時間を持てたわけですから、僕にとっては(古田氏同様)感謝すべき存在であるわけです。
また肝心の勝俣氏は、当方が以前書いた「シリウスと弥生時代の始まりの関連」に関するいくつかの記事を書くきっかけとなった方であり、こちらも新たな視点を提供していただいたという点において感謝以外ありません。当時彼の議論に触れなければ「神話」の世界と「星の世界」を結びつけて考えるというような視点は持ち得なかったものであり、それを手に入れたおかげでその後の論の進捗があったものです。その論のおかげで従来全く読む機会もなかった古代ローマ、ギリシア、メソポタミアなどの各種史料や論文に触れたおかげで多少は視野が広がりました。(それは「教養」として本来はもっと以前に習得すべきものであったかもしれませんが)
この勝俣氏の研究は「国文学関係者」からは総じて否定的な反応しかなかったようですが(彼は「国文学者」です)、天文学関係者では逆に積極的に受け取られ、東京天文台の主催する研究会でも呼ばれて講演し好評であったと聞いています。古代ギリシアの研究でも同様な事例があり、純粋文学的な世界の研究者には総じて科学的視点が欠けている(少なくとも少ない)ようであり、彼らの従来の概念を超えるものに対して理解が追いつかない状態があるようです。
いずれにしても彼の研究が多くの方の賛同を得て、その功績により「小惑星」に対して彼の名前が命名されることとなったという記事を見て非常に喜ばしいと思いました。これを機会に多くの方に彼の研究に触れていただければと思います。研究論文のいくつかはネットで検索すると読むことができますし、著書として発売されているものもあります。当方の駄文もそれらに乗っかったものです。

 


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