文机談
さて、有安には、鴨長明と聞へしすき物もならひ伝へり。わづかに、楊真操までうけとりて、のこりはゆるさずしてうせにけり。長明は和哥のみちさへ聞へければ、世上の名人にてぞ侍りける。
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賀茂のおくなる所にて秘曲づくしといふことをぞはじめける。
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願主の長明、年ごろおもひけるにはなをこよなくまさりておぼえければ、かむにたへかねて比巴の啄木といひける曲を数反弾きけり。なにとはしらずおもしろき事、いひやるかたなし。我も人もこの世なぬせかいにうまれ、しらぬ國きたりぬる心ちして、耳ををどろかし、めをそばだてずといふ事なし。まことにしてもかゝる事にあひまじはらではななとせとぞきこえける。
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これにたへずして、ついに長明洛陽を辞して修行のみちにぞ思ひたちける。たまくしげふたみの浦といふ所に方丈の室をむすびてぞ、のこりのすくなき春秋をばをくりむかへける。
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件の記録はいまだ世のもてあそぶ物なれば、定めて御らんじたる人もをはしますらん。 九重のみやこをのがれいでゝ旧宅をいで侍りけるとき、みづからつくりたりける紫藤の小比巴一面をば院(後鳥羽院)へまいらせあぐ。ばちをば黒木といふ物にてつくる。一首の哥をゑりつけてぞたてまつる。…略…かるがゆへにこの比巴を手習と号せらる。後には院御師範定輔の大納言給はりて…略…。