新古今和歌集の部屋

方丈記 養和の飢饉「ケイシヌレバ」の考察 疫癘と病状、前田本「下意」についての考察

3 疫癘と病状
 「疫癘」を大辞林第三版で引くと「悪性の流行病。疫病。」とあり、同じ意味で嵯峨本にある「えやみ」を引くと、
 え‐やみ【▽疫病み】
  1 悪性の流行病。ときのけ。えきびょう。
  2 (「瘧」とも書く)おこり。今のマラリアのような病気。わらわやみ。〈和名抄〉
 次に、「おこり」をひくと、
 おこり【×瘧】
  《隔日また周期的に起こる意》間欠的に発熱し、悪感(おかん)や震えを発する病気。主にマラリアの一種、三日熱をさした。えやみ。わらわやみ。瘧(ぎゃく)。《季夏》
と出てくる。
 流行病として先ず思い浮かぶのが、流行性感冒、つまりインフルエンザである。インフルエンザは、大陸から人や鳥とともにウイルスが飛来し、人畜に感染して流行する。現代でも老人や子どもで死者が出る病気であり、まともな治療がなされない平安時代であれば、尚更死者数は膨大になる。
 九条兼実の日記である玉葉⑨によると、養和二年二月三日の条に長男の良通が風病となり、二十二日の条に兼実自身も風病に感染した事が記載されている。風病は、中風や破傷風なども言うが、この場合、風邪薬の訶梨勒丸を服用しており、風邪と思われる。従ってインフルエンザが流行った可能性もあるが、風邪が巷で流行っている事を示す記事は無い。
 次に「秋大風洪水」と大型台風が飛来した事が記載されており、洪水の後に発生するのは、赤痢や秋疫と呼ばれていたレプトスピラ病であり、可能性は大きい。国立感染症研究所によると⑩、アメーバー赤痢は、「潜伏期は2~3週とされるが、数ヶ月~数年におよぶこともある。赤痢アメーバー性大腸炎は粘血便、下痢、テネスムス(※筆者補足 しぶり腹)、排便時の下腹部痛などを主症状とする。肝膿瘍などの合併症を伴わない限り、発熱を見ることはまれである。」と粘血便を特徴に上げられ、レプトスピラ病は、「3~?日間の潜伏期間を経て悪寒、発熱、頭痛、腰痛、眼球結膜の充血などが生じ、第4~5病日に黄疸が出現したり出血傾向も増強する。」とのことである。
 ハマダラカを媒介とするマラリアと聞いて、熱帯の風土病と思う人が多いが、古来日本では、瘧(おこり、わらわやみ)として普通の病気であった。大友 弘士によると⑪「マラリアは平家物語、古今著聞集、明月記、十六夜日記など、古文書の中にも枚挙の暇がないほど数多く描写されており、往事の流行を窺い知ることができる。」(四〇頁)と述べている。
 例えば、源氏物語若紫帖では、源氏が夕顔が亡くなった後、瘧病みに罹り、北山の僧都に加持祈祷をして貰い治癒したとなっている。また、平家物語百二十句本の剣の巻に「また頼光、そのころ瘧病わずらはる。」とある。更に今昔物語集巻第十二 神名睿実持経者語三十五(同話で宇治拾遺物語下 第十二ノ五 持経者睿実効験事)に藤原公季が瘧を睿実の法華経読経で治癒する話もある。後、古事談 三ノ四十二には、天元四年頃の夏に「藤原信長久しく鬼瘧を煩い」と加持祈祷で霊験を記している。どの僧侶の加持祈祷でも治らないため、人伝を頼って高名の僧侶に依頼した時に、三日熱マラリアの症状が突然消えるという特徴に偶々合致したということのようである。
 マラリアは、四種類あり⑪、三日熱マラリア、卵形マラリア、四日熱マラリア、そして熱帯マラリアとなっている。この内、かつて日本でも瘧病として流行したのが、三日熱マラリアである。現在多くの人々が亡くなっているのは熱帯マラリアである。
 三日熱マラリアの死亡率は低く、マルティーヌ・モーレルによると⑪「1969年スリランカで三日熱マラリアが流行ったとき、500万人の感染者が出たが、死亡者はひとりも出なかった。」(二三頁)とあるが、死亡に至る場合は、「特に栄養失調で衰弱している患者が重度の貧血に陥った場合」(二二頁)、つまり飢饉時は、死者数が増えることとなる。
 同じくマルティーヌ・モーレルによると⑪、「最初に刺されてから初回の発症までの潜伏期間は9~?日、場合によっては一年以上というケースもあり、感染したマラリア原虫の株によって異なる。」(二三頁)とあり、同じ三日熱マラリアでも系統により症状は違うと言うことである。
 物語だから信憑性はないとも言えるが、源氏が若紫で発病して、春三月晦日に北山の僧都の所へ加持祈祷に行っている。しかし瘧は夏秋特有の病気であり、ハマダラカに刺されて発病したのであれば、わざわざ春に持ってくることはない。北山の景観として桜季節にすることもなく、秋ならば紅葉にすれば良いだけとなる。また「去年の夏も世におこりて」とあり、夏に一度発生したこととなっている。
 マラリアの症状としては、周期的な発熱、悪寒、頭痛、嘔吐、下痢、痙攣で、酷くなると脾臓が腫れ、口唇ヘルペスが生じる場合もある(二七頁)。赤血球が破壊されるので、貧血や酷い場合は黄疸の症状を示す(七一頁)。
 マラリアは、一度発病した後潜伏し、再び再発することがある。小田俊郎(昭和十八年)によると⑫「自然感染の場合數ヶ月、一ヶ年又はそれ以上長き潜伏の後に發病する例がある事は、殊に三日熱と四日熱に依って屬々見られて居るが、所謂春季マラリアはそれに屬すると云はれ、前年の秋の感染が潜伏越年して發病したと考へられる」(二三頁)としている。

4 前田本「下意」についての考察
 前田本の「下意」(げい)を考えた場合、疫病の種類、症状についても考察する必要がある。
 まず、九条家で風邪が発生したが、巷の風邪の発生を示すものがないことから、インフルエンザは除いてもよい。また、洪水による赤痢やレプトスピラ病の場合、潜伏期が2~3週とされ、場合によっては数ヶ月~数年とのこともあるが、多くの者の年明けの発病を考えるともっと早い時期に流行すると考えられる。
 マラリアの場合、一度夏秋に発症したが、再発期が丁度立春以降の年明けとも考えられる。養和元年の夏秋には、まだ食料があったが、その年の不作により、年末頃から極度の栄養失調状態となり、春には大量病餓死に繋がったのではないだろうか。
 マラリアが疫癘と仮定すると、「下意」とは、意を下る、つまり貧血症状ではないだろうか。「アリクカトミレバスナハチタフレフシヌ」とあり、突然の貧血を表しているとも考えられる。また下痢症状を伴うことから、下痢のこととも考えられるが、もう便として出す物がないほどの極度の栄養失調を起こしていることから、下痢の意には考えにくい。

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